第1章 婚約破棄から幽霊屋敷へ【2】

「それにしても酷いです。ご婚約者を奪っただけでなく、幽霊屋敷に住まわせるなんて」

 アンネッタは不満そうにそばかすだらけの頬を膨らませる。ルヴィのお供で幽霊屋敷に移り住むことにではなく、ルヴィが受けた扱いと処罰に反発しているのだ。

 それはもちろんそのはず。アンネッタはルヴィ・サフォーリアがまだよちよちの頃から世話を焼いて来た。正式に侍女として仕えるようになったのが二年前。ルヴィにとって姉のような存在だ。私はヒロインに婚約者を奪われただけでなく、不敬罪だか傷害罪だかなんだかで裁かれて、追放という処分を受けた。ルヴィが潔白――とは言えないが、それほどの罪を犯していないことは、もちろんアンネッタも知っている。

「無理について来なくてもよかったのよ?」

「無理にだなんて! あたしはお嬢様に一生お仕えするって心に誓っているんです!」

 胸を張るアンネッタは確固たる意志を持っているが、幽霊屋敷に対する恐怖心はまだ消えないように見える。それでも、私にとって心強い味方に変わりはない。

「元ラッセン辺境伯邸……。王室の思惑が見え隠れしていますね」

 ロランは一糸の乱れなく整った銀髪が、その誠実さを物語っている。細い黒眼鏡がよく似合う、いかにも執事! といった雰囲気だ。正直なところ、私としては攻略対象よりロランのほうが好意的に感じるわ。

「現在は荒れ果て、暮らしている者はいないようですね」

「とっても楽しそうだわ! 幽霊屋敷と称されるからには、それ相応の逸話があるんでしょう?」

 王室がどうとか言ってた気がするけど、それより幽霊屋敷よ! こんなこと、ファンタジーな世界への転生でなければ経験できなかったことだわ!

 ただ白に囲まれたあの空間で、ぽつんとひとり空を眺めていた私に、神様が最後に素敵なギフトをくれたみたいね。私のニーズに合わせた最上級のプレゼントをくれるだなんて、神様も憎いことをしてくれるわね!

「いろんな逸話があります」アンネッタが人差し指を立てる。「ことはラッセン辺境伯夫人の怪死から始まりました」

「怪死……!」

 ごくり、と思わず喉が鳴る。アンネッタの表情が、あの独特な語り手を彷彿とさせる。わくわくしてしょうがないわ!

「赤いドレスの女、室内に降る雨、止まらないピアノ、啜り泣く子ども……実にいろいろな噂があります」

「素敵……。早く着かないかしら」

 うっとりと頬に手を当てる私に、ロランとアンネッタは困ったように笑う。

 けれど、アンネッタが言った怪奇現象はどこでも起こり得る小さなもの。ホラゲの物語で言ったら序盤かしら。そのうち、魔法で撃退したり魔道具を使って浄化させたり、幽霊の正体を掴むための調査をしたりするのかも……。ああ、考えただけで胸が高鳴るわ!

「屋敷で暮らしていたら、怪奇現象に遭遇できるかしら」

「お嬢様、怖くはないのですか?」

 アンネッタは渋い表情をしている。ホラゲと本物の怪奇現象は似て非なるもの。そして怪奇現象は科学的にはなんの証明もされていない。魔獣とはわけが違うのだ。本来なら、そんな正体不明なものを怖がらないほうがおかしい。

 でも、そこがまた面白いんじゃない! この世に存在するあらゆる物事が科学的に証明できるのに、怪奇現象や心霊、超常現象などには科学が通用しない……。これほどまでに心躍ることはないわ!

「怪奇現象なんて、普通に暮らしているだけでは遭遇することはほとんどないわ。それが毎日のように体験できるなんて、またとない機会よ」

「うーん……まあ、一緒に怯えるより心強いです」

 本来のルヴィ・サフォーリアであれば、アンネッタと同様に怯えて眠れない夜を過ごすことになっていただろう。そもそも、侯爵と侯爵夫人の言葉通り、わざわざ幽霊屋敷に進んで移り住むなんてことはしないはず。いくらオカルト好きでも、きっと地獄に落とされるようなものだろう。

「大丈夫よ。幽霊とダンスができるなんて、想像するだけで楽しそうだわ」

 アンネッタは相変わらず怯えている様子で、唇を尖らせている。

 そのとき、ふっとロランが小さく笑った。

「相変わらずのようですね」

「……?」

 なんだかおかしな言い回しだわ。まるで離れている時期があったような言い方に感じる。ロランはルヴィとはずっと一緒にいたはずだし、本来のルヴィなら幽霊屋敷に拒絶反応を起こしているはず……。何が「相変わらず」なのかしら。

 怯え切っているアンネッタとは対照的に、ロランは落ち着いている。ロランは元軍人ということもあって、恐怖心のコントロールが上手いのかもしれない。軍人となると、数々の困難や試練に立ち向かって来たはず。いまさら幽霊なんかで怯えることはないのかもしれない。

「まもなく到着です」

 御者がそう言うので、私は窓から身を乗り出して外を覗き込んだ。いつの間にか空には暗雲が立ち込め、もやの向こう側に豪華な屋敷が見えてくる。ここからでは普通の屋敷に見える。辺りに不穏な空気が流れているのも、あの屋敷から漂う異様な雰囲気の影響なのかしら。ああ、この重苦しい空気……たまらないわ!

 私たちが馬車から降りると、御者は来た道を引き返して行く。街へ買い出しなんかに行く際には、私たちも馬車を用意する必要があるわね。このおどろおどろしい空気に耐えられる馬はいるかしら?

「思っていたより外観は綺麗ですね」

 辺りは太陽が雲に覆われているため薄暗く、もやがかかって空気もひんやりとしている。そんな中で荘厳に構える屋敷は、アンネッタの言う通り、あまり荒れていない。逆に言うと、長らく人が住んでいないのにここまで綺麗に保っているのはおかしな話だ。

 ロランが先に立ってドアを開ける。その途端、埃の匂いが鼻を突いた。ロランがライトの魔法で屋敷内を照らすと、外見とは打って変わって、床はあちこちが抜けているし、壁紙は引き裂かれたかのようにボロボロだ。シャンデリアはいまにも落ちそう。当然だけれど、埃が山のように積もっていた。

「素敵な雰囲気ね! いつ怪奇現象が起こってもおかしくないわ!」

 屋敷内に一歩を踏み入れてみる。いきなり何かに襲われるのではないかとわくわくしていたけれど、特に異変が起こることはなかった。

「仕方のないことですけれど」アンネッタが言う。「町中ではもうサフォーリア侯爵令嬢が移り住むことは噂になっているみたいですよ」

「そうなのね。まあ、普通の令嬢だったら耐え難い苦痛でしょうね」

 そもそも、なぜこの屋敷がいまだに取り壊されていないのかが不思議だわ。ラッセン辺境伯はとっくに亡くなっているけれど、親族たちはこの屋敷をなぜ放置しているのかしら。まるで、ルヴィ・サフォーリアがこの屋敷に移住することが初めから決められていたかのようだわ。

「まずは内装の修繕からですね」ロランが言う。「明日にでも手配しましょう」

「修繕してしまうなんて勿体無いわ! せっかくこんな素敵におどろおどろしいのに……」

 修繕して普通の屋敷になったのでは、もう幽霊屋敷ではなくなってしまう。怪奇現象が起こらなくなってしまう可能性があるわ。だとしたら、修繕には反対せざるを得ないわね。

「お嬢様はこれからこの屋敷で暮らすことになるのです。さすがにこの状態で普通の暮らしは叶いません」

「それはそうだけど……」

「それに、改装工事に取り掛かれば、それに反発する怪奇現象が発生するかもしれませんよ」

「素敵……! 屋敷が業者を追い返すという怪奇現象ね!」

 あら? またまた不思議だわ? まるでロランが私の好みを知っていたかのように感じるわ。昨日までのルヴィはただのオカルト好きだったはずなのに。なぜ私が喜びそうな怪奇現象を知っているのかしら。

 私が首を傾げているのは気に留めず、ロランはライトの効果を広範囲に広げる。どこを見ても埃だらけの荒廃した屋敷だ。

「まずは寝室の掃除をしましょう。食事もしばらくは私とアンネッタが用意します」

「今日の寝場所はどうしましょう……? 屋敷がこの状態では、寝ようにも寝られませんよ」

「ふたりは、外で野営をするといいわ。私は夜通し屋敷内を散策するわ」

 さっそく明日から改装工事が始まるなら、このおどろおどろしい雰囲気を楽しめるのは今日だけ! この屋敷に棲み着く怪奇現象を体験できるのは、きっと今日が唯一の好機だわ。

「それなら私もお供いたします」と、ロラン。「お嬢様をおひとりにすると、何をされるかわかりません」

「そっ、それならあたしも……!」

 ロランは私の心配をするほど落ち着いているけれど、アンネッタは明らかに震えている。一刻も早くこの屋敷から離れたいでしょうに。

 それにしても、ロランってこんなことを言う執事だったかしら?

「怖いなら無理しなくてもいいわ」

「ひとりで居るほうが怖いですよ!」

 アンネッタの気持ちはわかる。屋敷から離れていても、この空気感ではひとりで居るほうが怖い。アンネッタは、ひとりで怪奇現象に遭遇することになると想像すると眠れなくなってしまうはず。

「じゃあ、さっそく探索といきましょ! ロラン、あれは用意してくれたわね?」

「はい」

 ロランは旅行鞄の中からある物を取り出す。それを見ると、アンネッタは不思議そうに首を傾げた。

「写真機……ですか?」

 このカメラにはストロボが付いている。フィルムが入っていなくても、シャッターを押せばストロボが光るはず。

「幽霊調査と言ったらストロボよ。上手くいけば幽霊の動きを止められるはずよ」

 現実でそれが本当に可能なのかは、まだ私にもわからない。それでも、武器となる物がないいまは、その可能性に賭けてみるしかない。

 それに……幽霊に向けてストロボを焚くなんて、ホラゲガチユーザーの憧れじゃない! これ以上の好機はないわ!

「幽霊が明かりに弱いのは理解できますが……本当にそんなことが可能なんですか?」

「私も実際にやったことはないけれど、ものは試しよ。この方法が確かなら安心できるでしょう?」

「うーん……まあ、お嬢様を信用します」

 怪奇現象や心霊、超常現象に魔法がどれほど通用するかは、こちらも試してみなければわからない。残念ながらアンネッタは魔法を使えないため、不安になる気持ちはわかる。それでも、魔法を使える元軍人のロランがいれば、そこまで不安に思う必要はないのではとも思うけれど。

 さあ! いざ、幽霊調査といきましょう!



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