第7話 王子と魔女

 自分が昔話の王子、タルタリアだと名乗る龍のテンペスト。セルフィアは元人間だったという龍の言葉に心底驚きながらも、心のどこかで納得してもいた。

 五百年前の出来事で、誰も知らないはずの伝説的昔話についての妙に具体的語り口は、テンペスト自身が経験していなければそうなりようがない。セルフィアはテンペストの目をじっと見つめ、口を開く。


「何となく、そんな気がしていました。この国の王子様、だったんですね」

「廃嫡されて久しいけれど。龍に変化してしまった私は、家族から縁を切られ、この谷底で生きることを選んだ。……この五百年の間に何度も魔女を捜したが、全く見付けることは出来なかった」

「……」


 龍の表情はあまり変わらないが、その瞳には愁いが宿る。悔しさと悲しみとの中に、わずかな安堵が混じったような複雑な色だ。

 セルフィアは寂しそうにも見えるテンペストの頭に手を伸ばし、そっと撫でる。まさか撫でられるなどとは思っていなかったテンペストは、大きく目を見開いた。


「きみ……」

「セルフィア」

「せ、セルフィア?」

「そう、セルフィア。わたしの名前です、テンペスト……いや、タルタリア様」


 テンペスト改めタルタリアに敬意を表してそう呼んだセルフィアに、タルタリアは目を閉じて軽く首を横に振った。沈んだ声が口から漏れる。


「私はもう、王子ではない。五百年間死にぞこないのままで生きながらえている、屍のようなものだ」

「……もしも魔女を見付けて呪いを解いてもらうことが出来たなら、貴方は人間に戻れるのですか?」

「――っ」


 瞼を開け顔を上げたタルタリアに、セルフィアは推測を交えて問う。


「貴方は、人に戻りたいのではないか? と推測しました。その姿のままでは……タルタリア様は不本意でしょうし。それに」

「それに?」

「……もしも間違っていたら、ごめんなさい」


 先に謝っておきます。そう前置きして、セルフィアは考えていたことを口にした。


「先程お話し下さったように、魔女が貴方様に一目ぼれしたのは事実でしょう。しかし更に、王子自身も魔女に好意を寄せていたんじゃないかと思いました」

「……驚いた」


 本気で驚いたのだろう。タルタリアは目をぱちぱちと瞬かせた。


「どうして、そう思ったんだ?」

「どうして……明確な理由があるわけではないんです。ただ」

「ただ?」

「……優しい、本当に優しい声で魔女のことをお話しになるから。ただ惚れられて迷惑していたとしたら、そんな話し方はなさらないと思うのです。それに、嫌いな相手に呪いをかけられたとしたら、谷底で大人しくなんてしていないでしょう? 幼馴染が貸してくれた本の中に、貴方に関するであろう記述がありました。そこには、気弱なだけではなく聡明で、正しい判断の出来る王子だったと記されていたんです」


 だから、とセルフィアは微笑んだ。


「そんな人が、ただ黙って五百年も大人しくしているはずがない。嫌いな相手からの呪いならば、何が何でも魔女を捜し出して呪いを解かせると思ったんです。けれど、現実はそうではない。だからきっと、呪いさえも受け入れてしまう何かがあるのではないかと」

「……君のような幼馴染がいるなんて、この時代の王子は恵まれているね」


 龍の力で地上の出来事を知ることが出来るタルタリアは、そう言って口をつぐんだ。それから再び口を開くのに、それほど長い時間は必要なかった。


「きみの、セルフィアの言う通りだ。私は魔女に惹かれていて、彼女から婚姻の申し出があった時は、内心踊り出したくなるくらい嬉しかった。しかし当時、王族の結婚には政治的思惑が付きまとうのが当然のこと。次期国王となることが決まっていた私も例外ではなく、幼い頃から隣国の王女との婚姻が定められていた」


 タルタリアは、婚約者の姫君のことを嫌っていたわけではない。賢くしとやかな姫君のことは好ましく思い、魔女に出会うまでは結婚することに疑問を持つことはなかった。

 しかし、運命というものは残酷だ。

 王女はタルタリアが龍になって消えたと知ると、その場に崩れ落ちたという。その後病を得て、若くして亡くなってしまった。


「本当に申し訳ないことをした。ただ、龍から戻る方法が一切見付からなかった当時、私にはどうすることも出来なかったんだ」


 タルタリアは鱗に覆われた手を見つめ、拳を作る。


「……このまま龍の姿で罪を償おうかとも考えていた。しかしここ数十年で、私は焦りを覚えている。このままでは、罪を償うどころではなくなってしまう」

「どういうことですか?」


 嫌な予感がして、セルフィアはタルタリアに尋ねる。するとタルタリアは、実はと重苦しい口を開く。


「このまま龍の姿でいると、徐々に人間としての記憶や意思が失われるようなんだ。実際ここ何年か、日に何度も記憶を失って気付くと全然違う場所にいることがある。……このままでは、数十年のうちに私は私でなくなり、龍としての本能でいきることになるかもしれない」

「龍、の本能?」

「そう。……私の心の奥深くに、この国を破壊したいという衝動があるんだ。おそらく、それは龍の心なんだと思う。私の意思が失われた時、破壊行動に切り替えてしまう可能性が高い。――私は、この国の人々が好きだ。王子であった頃から、それは変わらない。ただ、龍として破壊を成すだけの存在に堕ちることが怖い」

「そんな……」


 人ではなく、完全な龍となって王国に害をなすかもしれない。その事実は、セルフィアを動揺させるには十分な威力があった。

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