第16話 依頼主 新世界秋葉原西店 様 ⑥

「”リミットブレイク”」


 俺は全身の枷を外した。

 力を込めたネクタイ剣は、その刀身を漆黒に染める。巨大化させた前回とは違い、より高密度の大剣となった相棒を手に、俺はスタートを切った。


 一つ瞬きをする間に、地上を陣取る幼虫を一掃。

 天井の親に狙いを定め、俺は三度みたび地面を蹴った。


 しかし、すぐさま妨害が入る。

 まるで鉄壁の防御壁のように視界を覆うのは、幼虫群。二つ瞬きをするまでに、俺はその黒い塊をぶった斬り、更に親との距離を詰める。


 流石に危険を悟ったのか、天井を這いずり回る3体の親。そんな薄情極まりない親を守ろうと、幼虫たちはより強固な群を成して、俺の逝く手を塞いだ。


 だが、そんなものは無意味。

 俺は持ち手をギュッと絞り、刀身を一気に巨大化させる。


「同情するよ」


 この群れに、一体いくつの命があるのだろう。

 100、200、いや、それ以上かもしれない。だがいくら束になったところで、今の俺を止めることはできない。


 最愛の女性ひとの命を背負った今の俺は、いわば無敵状態。ただ親を守る使命に駆られただけの、こいつらとの違いがあるとすれば、それは——。


「来世では愛を知れるといいな」


 臭い独り言を呟き、俺は漆黒の魔剣を振るった。

 辺りを黒く照らす巨大な剣は、幼虫群ごと視界にある全ての物を飲み込んだ。


 ドゴーンという爆音。

 それと共に生まれた衝撃波によって、俺は地上へと押し戻される。

 空中で態勢を立て直し、俺は残骸だらけの地面に着地した。


「俺も人のこと言えないな」


 スメラギさんのことでつい熱くなって、必要以上の力を出してしまった。

 これでは酔っぱらったシレイ社長と同じだ。

 もし店が傷ついていた時は……全部社長のせいにしよう。


「どうですかスメラギさん。俺1人でも何とかなりましたよ……おぉ⁉」


 突如として、柔らかな感覚が頬を挟んだ。

 続いて鼻腔に届いたのは、馴染み深い煙草の香り。


「立派になったんだね」


 耳元で囁くように、スメラギさんは言った。

 まままま間違いない……もももももしかしなくてもこれ……スメラギさんに抱きしめられてる……。しかも今、顔に当たってるのっておっぱ——⁉


「守ってくれてありがとね」


 いいいいいや、待て。

 ここここは一度冷静になろう、俺。


 これは何かの間違いだ。

 もしくは夢……そう、夢だ! 夢に決まっている!


「ご褒美」


「えっ……」


「さっき約束したでしょ? ご褒美あげるって」


 そういえば……そんな話をした記憶がある。


『もし無事にこのダンジョンを攻略出来たら、ご褒美をあげる』


 俺はてっきり冗談かと思っていたが、今俺の顔に当たっているそれは、間違いなく本物のおっぱい。


 これは夢なんかじゃない。

 俺は今、スメラギさんのおっぱいに、サンドイッチにされている。


「いつも何もしてあげられないから。今日くらいは、ねっ?」


「あばばばばばばば」


 おっぱいに挟まれた俺の頭を、笑顔で撫でるスメラギさん。そのあまりの満足感にあてられた俺の脳は、原形をとどめないほどドロドロに溶けた。


 それは子供のころ、近所のお姉さんに抱っこしてもらった時のような。どこか安心できて、柔らかくて、思わずママと叫びたくなるようなあの感覚と同じ。


 幸せとは何か。

 人生最大とも言える疑問に、たった今解が出た。


 幸せとはズバリ、おっぱいだ。

 おっぱいがおっぱいでおっぱいになったからこそ、人はそれをおっぱいと呼ぶんだ。


「ねえ、ゴミヤくん」


「ふぁい」


「この後、時間あったりとかする?」


 不意に、スメラギさんは言った。

 脳みその融解が加速する。


「ちょっと恥ずかしいんだけど」


 ちょっと恥ずかしいこと……。


「ゴミヤくんがもし良かったらね」


 ……もしやこの流れって——。


「一緒にパチ屋に行って、私のATMに——」


 次の瞬間だった。

 頭部に激痛が走ったのと同時に、俺の身体は華麗に宙を舞った。

 何が起こったのかわからないまま、俺は頭から思いっきり壁に突き刺さる。

 クッソ痛い。


「……えっ?」


 幸福から一変。

 脳裏に無数の『?』が浮かぶ。


「何してんのよ……」


 まず視界に飛び込んできたのは、見慣れた新世界の店内。

 どうやら無事にダンジョン化は解けたらしい。

 ではなぜ、あそこにいる人は怒っているのだろう。


「巨乳巨乳って……そんなにデカいのが良いわけ⁉」


 どうしよう。

 話の論点がわからない。


「貧乳には人権がないって言いたいの⁉」


「いや、それを言ったのあなたですよね……」


 俺はむくりと起き上がる。

 今にも泣きそうな顔のまおりぬに困惑していると、ポンポンと肩を叩かれた。

 振り返るとそこには、悟り顔を浮かべるシレイ社長が。


「まおりぬは今、酷く傷ついているんだ」


「意味がわからないんですけど……」


「コメント欄にまで貧乳いじりをされた彼女に、もう逃げ場はないんだよ」


 なるほど……そういう。

 こっちはこっちで、色々と大変だったらしいな。


「ところで、ゴミヤ。スメラギと一体何をしてたんだ?」


「んん……」


「夢のおっぱいに挟まれて、幸せだったかぁ?」


 とんでもないしたり顔を浮かべる社長。

 バツが悪くなり目を逸らした次の瞬間、死角から竹串が飛んできた。

 ギリギリでそれを回避する。


「てめぇこらッ……! 竹串投げんなッ……!」


「ふんっ。ちょっと抱き着かれたくらいで良い気になるなアル。あんなのはただの営業アル。スメラギ様にとって、貴様はただのATMなんだアルよ」


 えっ、俺ってそんな扱いなの?


「そんなことないですよね、スメラギさ——」


「んー?」


 おっと。

 スメラギさん、めっちゃ笑顔だわ。

 てことは俺、確実にATMにされてるわ。


 でも、何というか……うん。

 これはこれで悪くない気もする。

 むしろ、必要とされてる感じがして最高です。


「ひとまず、これで一件落着だ。突然の事態だったが、皆よく働いてくれた。配信を観てくれたまおリスの諸君もありがとう。ちなみに我はFカップだ」


「いきなり何言ってんすか……」


「コメント欄がうるさくてな」


 ってか、まだ配信中だったのか。

 今のやり取りを数万人に観られていたと思うと、少しはずい。まさかとは思うが、スメラギさんのママ味を感じてる姿を、晒されたりしてないだろうな……。


「我はこれからやることがある。お前らは先に解散したまえ」

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