歪んだ愛情

 サオリさん達は、御堂は実体がないと言った。

 その言葉通り、を通ってきたのだ。


「やっと二人きりになれた」

「あ……あ……」


 御堂はヒールの音を鳴らし、近づいてくるとボクの隣に立った。


「ちょっと、チクッとするからね」

「へ……」


 指一本をボクの喉に当て、真横に引いた。


「あぁ……」


 まただ。

 チクリとした痛みが走るけど、それ以上は何も感じない。

 ボクの視界は、真後ろに倒れていく。


 ゴン。


 頭から落ちたのだろう。

 鈍い音が頭の中に響いた。

 視界が黒く濁って、眠くなっていく。


 まどろみがずっと続き、――突然意識がハッキリとする。


 ボクの見ている景色は、先ほどと同じ、前方に生徒玄関があった。


「うん、うん。成功」

「え、なに……」

「この前は最終確認をしたかったけど、念のためね。あの泥棒猫に戻されたら、嫌だもの」


 首筋を擦ると、何かが手に付着した。

 水のように冷たい感触はない。

 また、液体に触れているという感触自体はないが、手の平を赤く汚す体液は紛れもなく血である。


 首を曲げてシャツを見ると、ボクの着ているシャツは真っ赤に染まっていた。


 明らかに致死量だ。

 濡れてから時間が経っていない。

 染み込む前の鮮血が、シャツの皺に小さな水溜りを作っていた。


「ね。ハル君」

「ひっ」

「怖がらないで。ワタクシは、この世界で唯一。ハル君の味方だから」


 クスリと笑い、御堂がボクを抱きしめてくる。

 実体がない。――はずなのに、どうしてはだけた胸元からは、花の香りがするのだろう。


 ボクが固まっていると、大きな膨らみが顔を挟み込む。

 その時、ボクはますます違和感に気づいてしまう。


 その辺にある、当たり前の

 鼻と胸の皮膚が密着したことで分かったが、彼女からは匂いがしなかった。匂いの元を辿ると、それはドレスの方に目がいく。

 服に染み付いた匂いだ。


 おまけに肌から伝わる体温は、氷のように冷たい。

 耳たぶを撫でる指は、絹の生地でくすぐられているようで、とても人間とは思えなかった。


 、違和感だらけだったのだ。


「どう、して」

「……なあに?」

「どうして、ボクに、こんなことを……」


 恐る恐る顔を上げると、御堂の母のように慈しむ表情が見えた。

 真っ赤な夕日に照らされ、顔にできた陰影が濃く、とても美しくて不気味だった。


「ワタクシを……可愛がってくれたからよ」

「え? 何のこと?」

「向こうでは、血と土の味しか知らなかったの。でも、こっちに来てからは居心地が良かった」


 御堂がボクの眉間に指を当てる。

 その時、ボクの脳みそは勝手に活発化した。

 白黒の点滅が起きた後、瞼の裏にどこかで見た事のある記憶が蘇ってくる。


「渡ってきたのは、20年前。生まれたのは25年前。意外でしょう。ワタクシ、五歳で大人になったの」

「……これ、……なに」

「ハル君との思い出」


 ボクは家の庭先にしゃがみ込んでいた。

 庭では、母さんが家庭菜園をやっていたのだ。

 きゅうりとか、苗で買ってきたキャベツとか植えて、大きくなったら一緒に食べた思い出がある。


 そして、家の玄関から門までの短い通り道。

 そこには花壇があった。


 葉っぱに擬態しているカマキリを見つけ、まだ小さかったボクは無邪気に喜んだ。


 大人しいカマキリだったのを覚えている。

 手の平を置くと、控えめに乗ってきて、友達がいなかったボクはずっとカマキリと遊んでいた。


 図鑑で好物を調べて、一生懸命食べ物を与えた。


「ワタクシ、決めたの。絶対にハル君の子供を産むって」


 図鑑で調べたから分かる。

 カマキリの寿命は、とても短い。

 春から秋にかけての

 だというのに、そのカマキリは


「窮屈で、嫌気が差していたけれど。ハル君のおかげで、ありのままのワタクシでいられた」


 胸を撫でられ、体がビクついてしまう。

 労わるように優しい手つきで胸や首を撫でられ、御堂が唇を重ねてくる。唇の表面を擦り合わせるようにして、言葉が続いた。


「一緒にいたの。ずっと。親にイジメられている時も。ワタクシはずっといたの。本当はね。お母さんは生かしておこうと思ったの。でも、余計なことしようとしたから、仕方なかったの」

「……そんな。みーちゃん、なの」

「ふふ。今は、御堂。こっちの名前を付けたんだから。そう呼んで。……もちろん。呼びたかったら、みーちゃんでもいいけど」


 顔が離れると、御堂はボクを抱えて立ち上がった。

 お姫様抱っこをされるが、ボクは固まってしまい、動けなかった。


「み、御堂は、……人間なの?」

「どっちだと思う?」

「……人間じゃ……ないの?」

「どっちにもなれるわ。あ、そうだ。後で、ハル君の好みを教えて。向こうにいた時のままだけど。もっと胸や尻が大きい方が好みなら、大きくできるから」


 人間は意のままに体の一部を変形できない。

 肉付きをよくできるとして、それは時間の掛かる事だ。

 ダイエットが良い例。


 なのに、ボクの腕に当たっている胸は、見る見るうちに風船のように膨らんでいく。

 歩く度に揺れるほどの大きさになり、御堂は照れ臭そうに笑った。


「触ってもいいのよ」

「い、いい。興味ないから」

「……照れちゃって。可愛いわ」


 御堂がボクを抱えて向かった先は、廊下の窓だった。

 御堂が前に立つと、独りでに窓が開き、「見て」と視線である方を差した。


 御堂が見上げたのは、屋上。

 ボクも視線を追いかけて、上を見た。


「……ちょ、っと」


 言葉を失った。

 屋上は転落防止のためにフェンスがある。

 そのフェンスの外側には、黒い影がビッシリと列を成していたのだ。


「ハルく~ん!」


 ボクをそう呼ぶ人はいない。

 ボクと同じクラスの生徒ではない誰かが、そう呼んでくるのだ。


「面白いもの見せてあげる!」


 胸の中がざわつく。

 言葉にしなくても、何が行われようとしているのかが、分かってしまった。


「せーの!」


 一人の女子生徒が掛け声を発し、黒い影は思い切りよく羽ばたいた。


「あ……」


 世界が夕日に包まれる前、ボクはある音を聞いていた。


 ドン。


「うわあああああああああ!」


 人の落ちる音だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る