第2章
1.最初のイベント
俺が通う恋情養成高等学校は、その名の通り恋を学び愛を知るために設立された学校だ。
基本的なカリキュラムは他の学校とそう変わらない。違いがあるとすれば、恋愛に対して学校側が協力的であることだろう。
国が施行した『恋愛促進法』に基づき、若いうちに恋愛を経験させるため、この学校では様々な行事が執り行われる。
毎年実施される体育祭や文化祭、2年生の修学旅行は勿論のこと、1年次と3年次には交流旅行として2泊3日の行事が計画されている。
それらを通して生徒たちは他者とのコミュニケーションを学び、親睦を深め、行く行くは恋愛を経験する。
他所の学生から見れば遊んでばかりで羨ましいと感じるかもしれないが、決してそうではない。
恋愛を学ぶことが前提にある以上、その前提が覆るような行為を働いたり、学校の思想にそぐわないと判断された者にはそれ相応の罰が与えられる。
要は退学だ。
1年次には数名、2年次から3年次には十数名から数十名の生徒がその対象となり、退学の烙印を捺される。
2年生や3年生に退学者が多いのは『特別試験』と呼ばれる恋愛適性者を選定するための試験のせいだが……今は関係の無い話だな。
さて、時は5月。今年度の入学生たちが新たな顔ぶれとコミュニケーションを図り、少しずつコミュニティが形成されてきた頃。
恋情養成高等学校では、最初の行事が始まろうとしていた。
「各種目の定員は配布した資料に記載された通りだ。1人当たりが出場できる競技数の上限に指定はないが、下限は2種目と決まっている。多くの競技に出場すればその分目立つが、点数にも大きく関係することになる。敗北によるデメリットは無いが、MVPは勝利チームから選ばれる。狙うならまずは勝つことだ」
死んだ魚のように生気の無い目を瞬かせ、担任の
入学式の際に女子生徒に年齢を問われ20代半ばだと言っていたが、蓄えた髭と活気のない表情のせいで年齢の割に老けて見える。
間藤先生が教室の隅にパイプ椅子を広げて腰を下ろす。後は自分たちで決めろということだろう。
ほとんど説明らしい説明もなく、俺は手元の資料に目を落とす。
すると、先生の話に納得できない部分があったのか、クラスメイトの1人が立ち上がった。
「あの、MVPって何すか? 狙うも何も初めて聞いたんすけど」
髪を金色に染めた男子生徒が不満げに漏らす。名前は確か……忘れた。1ヶ月ではクラスメイト全員の顔と名前を一致させるのも難しい。
金髪の生徒の声に呼応するように、教室から口々に小言が飛び交う。
間藤先生は特に動じることもなく、むしろ面倒臭そうにため息をついた。
「何のために資料を配ったと思ってんだ? そこに書いてあるだろ。MVPに選ばれた生徒は幾つかの賞品を得る。上級生にはそれを狙ってる連中がほとんどだ。1年でMVPを獲れた生徒は見たことがないけどな」
変わらずの投げやりな態度に金髪の生徒も不服そうではありながら、言われるままくしゃくしゃの資料に目を通す。
俺も他の項目を読み飛ばし、MVPに関するページで手を止めた。
MVPに与えられる賞品は、思っていた以上に豪華なものだった。
1.賞金10万
2.1日校外外出許可
3.ファンタジーランドのペア優待券
4.次回期末試験にて各科目10点加点
5.生徒会への入会の権利
たかが体育祭と考えれば、どれかひとつだけでも充分な報奨だ。
MPはこの学校でのみ使用できる通貨だ。敷地内での買い物や施設の利用にはこのMPを使用する。
1ポイント当たり1円と換算すると10万円。学生には大金だ。
一見不必要そうな外出許可もこの学校では重要性が増す。
恋人契約と呼ばれる恋人の証明となる契約を結ばない限り、学校の敷地外へ出ることは許されていない。契約を結んでいたとしても好き勝手に出入りできるわけではなく、月に1度だけという縛りがある。
そのため、1日自由に外出できるのは充分な報酬と言えるだろう。
ファンタジーランドの優待券や期末試験での加点は言わずもがなだ。
日本最大級のアミューズメントパークであるファンタジーランドは絶好のデートスポットだし、加点も勉強が苦手な生徒にとっては喉から手が出るほど欲しい救済だ。
唯一、5番の生徒会入会の権利だけは見劣りしてしまうが。
生徒会なんて入りたい者が勝手に入ればいい。少なくとも俺はごめんだ。
クラスメイトたちは周囲の友人らと軽く雑談をしながら、10分ほどの時間をかけて資料を読み終える。
すると、タイミングを図ったように1人の生徒が立ち上がった。
「みんな、そろそろいいかな? せっかく授業の時間を僕らのために割いてもらってるんだ。今のうちに出場競技を決めようと思うんだけど、どうかな?」
彼は覚えている。何かと印象深い人物だったからな。
クラス委員に限らず、誰もが嫌がるようなことも彼は献身的に、そして能動的に行う。
人柄の良さと整った容姿から、当然女子の人気は高く、男子からも毛嫌いされているような噂は聞かない。
それまでの生活や成績から学校が下した評価を示す『ステータス』からも彼の人物像は凡そ確認できる。
周防邦好
容姿:A
学力:A
身体能力:A
社交性:A
適応力:A
総合評価:A
最高ランクがSだということを加味しても見事なまでの高評価。文武両道で何でもこなすオールラウンダーなタイプだ。
彼のような人物がリーダーシップを発揮できればクラスは上手く纏まる。現に今も彼は率先してクラスを率いろうとしている。クラス委員として相応しい人物だ。
因みに俺は美化委員に配属された。余り物だ。
俺とは天と地ほどの差があるな、と遠巻きにクラスの様子を観察する。
既にクラスを纏めるカリスマ性を発揮している周防に逆らう生徒がいるはずもなく、教室内からはいくつもの賛同の声が上がる。
彼らの声を受け、周防が立ち上がり教壇へと歩みを進める。今後は何度もこの光景を見ることになるんだろうな。
「それじゃあ、まずは立候補にしようと思うんだ。推薦よりも自分の意思が大事だと思うんだけど、どうかな?」
意見を求める周防に女子たちから「いいと思う!」「さんせーい」と口々に言う。
とは言え、男子も特に不満を漏らさないのが彼の特出した善人性を象徴している。よくも1ヶ月でここまでクラスをまとめあげたものだ。感心する他ない。
周防の進行により、出場種目決めはつつがなく進んだ。
周防は盛り上がる教室の中で意見を言えない、言わない者にも歩み寄り、ひっそりと希望を聞いて回る。こうした気遣いができる点が彼の人望に直結している。
やがて周防は俺の席にも近付いてきた。
「天沢君は何に出たい? 運動は得意かな?」
せっかく話しかけてくれたんだ。周防の優しさに応えるためにも、上手く会話を弾ませたい。
「俺は余り物でいい。運動は評価の通り、得意でもないしな」
やってしまったな。
願望だけで人が簡単に変われるはずもなく、いつもの素っ気ない態度で軽くあしらってしまう。
やはりコミュニケーションは難しい。俺が唯一苦手とする分野だ。
俺の凡そ友好的とは言えない態度にも周防は嫌な顔ひとつせずに、爽やかに微笑んだ。
「挑戦することで自分が得意な競技が見つかるかもしれないよ。できるかどうかで考えるよりも自分がしたいと思うことに挑戦する気持ちが大事だって僕は思うんだ」
なるほど、と共感を示す。
彼の意見も賞賛に値するが、純粋な善人である彼の性格に驚くと共に心底感心した。
できないことをできないと切り捨てるのは簡単だ。しかし、挑戦して得られることもある。
本当はできることであっても、挑戦なくして自分の限界を知ることはできない。挑戦して、失敗して、できないと理解する方が余程為になる。
何より、したいことに挑戦する姿勢は人の価値観を変える。何事にもネガティブな人間よりポジティブで積極的な人間の方が好かれる。
彼が人に好かれる理由が垣間見えた気がした。
「そうだな。じゃあ、棒倒しと借り物競争に出たい」
とは言え、俺が彼に絆されるかと言えばそんなことはない。
俺は俺だ。天邪鬼で彼の善意に反しようというわけではなく、俺にも俺の信念があるんだ。
俺は目立ちたくない。無難に体育祭を乗り切り、何事もない平穏な生活を求めている。
棒倒しなら人数が多く、全力で取り組まなくとも非難される心配はない。借り物競争もおかしなお題を引かない限りは1位を獲ろうが最下位になろうが誰も気にしないだろう。
俺の心情など知る由もない周防は、俺の意見が聞けて嬉しいらしく、
「ありがとう。体育祭、全力で楽しもう!」
と優しい笑みを残して教壇に戻った。
不思議な男だ。周防がそこに居るだけで自然と周囲に活気が溢れる。
文句なしの人格者。彼ほどの生徒でも社交性がAランクという点が不思議でならない。
この学校の評価システムは未だに不鮮明だ。
何を基準に決めているのか。相対評価か、明確な指標が存在するのか。これらを決定している学校側は、俺たちのことをどこまで理解しているのか。
ステータスを決める上で、俺たち1年生は中学時代だけでなく、さらに過去の出来事や家族、人間関係まで事細かく調べられているはず。
そうであれば、俺の過去についてもそれなりに知っている可能性が高い。
俺は贔屓目に見ても自分がこの学校に相応しくない人間だと思う。この1ヶ月、あらゆる生徒たちを軽く観察しただけでも不適合者は少なからず存在した。
それでも俺たちはこの学校に入学できた。学校という体裁を保っている以上、恋愛に不向きな人間を教育する目的があるのかもしれない。
……まあ、考えるだけ無駄だな。どこまで行っても想像の域を出ない。答えを知っているのは学校側の人間だけだ。
俺はちらりと間藤先生に視線を送る。と、彼もじっと俺を見ていた。
その視線も瞬きの間に逸らされてしまう。気のせいだと言われれば俺の勘違いだったと納得してしまうほどの刹那だった。
そうこうしているうちに周防を中心として全員の出場種目が決まった。
大方全クラスメイトの希望通りの結果だ。上手く取りまとめたものだな。
ひとつ気になる点があるとすれば、他者に希望を聞いて回っていた周防が最後の最後に余り物となっていた競技を希望していたことくらいか。
偶然で済む話であればいいが……。
彼を問い詰めたところではぐらかされるだけだろうな。
誰も疑問視しない教室内の様子を見て、俺も気に留めないことにした。
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