7.良き理解者

『歳をとるにつれて時間の経過が早く感じる』とは言うが、高校生でも大人でもそう変わらないと思う。

「あと1週間もある」と余裕をこいていた夏休みは瞬く間に終わってしまうし、まだ入学して間もないと思っていたのに、もう6月も終わりに差し掛かっている。

 大人の体感速度は子供の俺にはわからないが、それは日常の密度に比例して短く感じるのだろう。

 神条先輩とのファーストコンタクトからあっという間に2日が経った6月25日。神条先輩との約束の日だ。

 神条先輩の抱える裏面についても探ってはみたものの、1日2日で暴けるほど単純な話であるはずもなく、その真相は闇の中だ。

 しかし、少しずつその闇が晴れつつあるのも確かだ。今日の顔合わせで少しでもその深淵に触れられればいいが……。

 放課後を迎えるや否や、そわそわと落ち着きのない喜一が俺の席に駆け寄ってくる。


「やべえ、やべえよ」

「どうした?」

「何話すか全く考えてねえよ。昨日は全然寝れなかったし、頭も回んねえ」

「遠足前の小学生みたいだな」


 大丈夫か、と聞くまでもなく喜一は焦点の合わない視線を右往左往させている。

 先日のやる気は何処へやら。空回り以前にガス欠を起こしてしまっていた。やはり神条先輩と2人で場を持たせるのは難しいらしい。

 喜一もその自覚はあるらしく、落ち着きなくがっしりと俺の肩を掴んだ。


「祈織、今日は頼むぞ。お前だけが頼りなんだ」

「大丈夫だ。上手く喜一にも会話を回してやる」

「流石祈織、頼もしいぜ!」


 そうは言ったものの、恋愛経験もなく女子とまともに話したこともない俺に過度な期待を寄せられても困る。

 俺にできるのはあくまでサポート。主役は喜一本人だ。

 本人にはあまり自覚がないようで、いつまでも俺頼りなところは相変わらずだ。

 神条先輩からの印象が決まる一世一代の日だというのに相変わらずだなとため息が出る。


 いつからだろうか。気がつけば喜一は困ったことがあれば俺を頼るようになった。

 今回も同じだ。俺に任せれば解決してくれる。そう信じている節がある。

 俺に解決できる問題ならば、俺は喜一のためにそれなりに頑張るつもりだ。

 しかし、今回はそうも言ってられない。喜一の良さを神条先輩に見せつけ、自分の意思で好意を伝えない限り進展は有り得ない。

 ちゃんとわかっているのだろうかと不安になる。


「そろそろ時間だよな。神条先輩を待たせないうちに行こうぜ」

「ああ、そうだな」


 そう促されて席を立つ。こうした最低限の気遣いができる余裕があるだけまだマシか。本当なら最初からその力を発揮してほしかったが、過ぎたことは仕方ない。

 今更神条先輩との出会いをやり直すことはできない。これからの挽回に期待して、その場の流れに応じて俺が上手く対応していくしかないな。



※※



 喧騒に包まれた繁華街。放課後は生徒たちが恋人や友人たちと思い思いの時間を過ごすため、学校の敷地内と言えどもこの区域は雑踏で溢れている。

 とはいえ、学校の敷地内であることに間違いはなく、そのほとんどが当校の生徒にはなる。

 たまにどこかの従業員らしき大人が私服で買い物を楽しんでいる姿も見られる。生徒間の恋愛を推奨している割に従業員や教員が当然のように行き交っているのは少し違和感もある。

 まあ、従業員も敷地から出られない以上、生徒たちと同様に学内の施設を利用するしかないのだろうが。


 そんな繁華街の一角に位置するカフェ『ア・モーレ』に到着して店内を見渡すが、神条先輩の姿はない。

 きっとクラスの友人に囲まれて抜け出す機会を窺っているのだろう。人気者は大変そうだ。

 俺たちは先に店内に入り、ドリンクを注文した後に一番奥の目立たない席に腰を下ろした。

 神条先輩といういやでも目立つ人物と落ち合うんだ。余計な噂を立てないための配慮であり、"彼"に接触させやすくするためのトラップでもある。


「喜一」


 落ち着きなくカフェの出入口に視線を送っている喜一は、最早緊張が過ぎて心ここに在らずと言ったところだ。

 このままでは話を振ったところで会話が止まるのがオチ。少し鼓舞してやるつもりで声をかける。


「やっぱり、神条先輩を諦めるつもりはないのか?」

「そ、そりゃそうだろ。あんな美人、一生に一度会えるかどうかだろ? そう簡単に諦められるかよ」

「お前が好きなのは神条先輩の顔なのか?」

「……だったら悪いかよ」

「いや。ただ確認しておきたいんだ」

「確認? 何のために」


 何のため、と問われると難しい。

 喜一の本音を知りたい。どれ程の覚悟があるのかを試しておきたい。

 それも1つの理由だが、俺が気になっているのはもっと別の側面だ。


 実の所、喜一のことは言うほど心配していない。緊張こそしているが、少し背中を押してやれば自分がどうすべきか、どうしたいのかをきちんと理解して行動できるからだ。

 しかし、問題はその相手。神条先輩にある。

 神条紗耶という人物について少しずつ理解してきた俺だからこそ思う。

 今の喜一では神条先輩と付き合うことはできない。


 喜一が悪いわけじゃない。外見が好きだから付き合いたいという考え自体は悪くない。

 ただし、相手がそれを受け入れられるかはまた別の話。

 それに、神条先輩は他者からの好意そのものを嫌悪している節がある。

 それは先日、直接話してみて感じたことだ。俺が神条先輩に好意がないのか、とわざわざ確認してきたことがその裏付けとも言える。


 容姿の評価でSを取ったからこその悩み。評価だけにしか興味のない連中からの好奇の視線を受け続けたからこその忌避感。

 まれに彼女の表情が暗くなるのもそれが原因なのかもしれない。

 もっとも、そう単純な話で済むのなら解決するのは簡単なんだが……それだけではないことは昨日の時点ではっきりしている。

 自身に対する好意を嫌悪してしまうのも根底にもっと大きな闇が潜んでいるせいだろう。

 神条先輩を黒く染め上げる暗闇を晴らせるほど、今の喜一が本気になっているとは到底思えない。喜一も先の人物と同じ道を辿っているのだから。


「もしも今日上手くことが運んだら、喜一は神条先輩と恋人契約を結ぶつもりか?」

「は? そんなの当たり前だろ。この学校じゃ付き合ったら契約を結ぶ。そのためにお前に手伝ってもらってんだろ。つか、もしもとか言うな。絶対に成功させんだよ」


 肩を落として俺を睨む彼を無視し、俺は続ける。


「じゃあ、神条先輩が契約を結びたくないと言えばどうするつもりだ?」

「……それって、俺と付き合いたくないって言われたらってことか?」

「違う」


 即座に否定すると、喜一は意味がわからないと言いたげに睨みをきかせる。

 この学校は恋愛を推進し、恋人を作り愛情を学ぶことを目的としている。

 そのため、恋人であっても結婚と同じように契約として恋人である証明を残す。


 しかし、本来恋人というものは口約束だ。

「付き合おう」「わかった」の会話のみで成り立つ不安定な関係性でしかない。

 恋人契約はあくまでこの学校のシステムであり、付き合うからと言って契約を結ぶ必要性は一切ない。

 当然、契約を結べばメリットも大きく、契約を結ばない理由の方が少ないが。


 ところが、恋人契約にはデメリットも存在している。

 それこそが神条先輩を苦しめる原因であり、彼女が自分に向けられる好意に敏感になった理由でもあると思われる。

 もしも喜一が神条先輩と付き合える状況にまで至ったとして、契約のデメリットを差し置いてまで喜一のことを愛せるか、となるとどうにも難しいように思える。


 俺自身、デメリットの内容こそ知らないが、デメリットとは言わば爆弾のようなものだ。

 人に知られれば、起爆スイッチを握られるのと同じことだ。

 相手によっては起爆スイッチを利用して良からぬことを企む不埒な者もいるかもしれない。そうでなくとも人に弱みを握られると考えるだけでそう簡単にさらけ出せるものではない。


 現に神条先輩は似たような状況に陥っていると俺は踏んでいる。

 恐喝か脅迫か。或いはもっと酷い状況にあるのか。それは本人たちだけが知っている。

 そんな彼女が親しくなっただけの相手に起爆スイッチをばら撒くような結論に至るはずもない。

 つまり、彼女が喜一と付き合ってもいいと思ったとしても、契約を結んでくれるかは全く別の話ということだ。


 俺が意味もなく否定したとは考えない喜一は、思考をめいっぱい回して考える。

 俺にも確信はない。だから自分の口からは全てを話せない。

 俺の勝手な憶測で話してしまえば、喜一はそれを真に受けてあらぬ方向へとシフトしてしまう可能性がある。

 喜一には自分で答えを導き出し、頭の片隅に置いておくくらいの心持ちでいてほしい。その上でどう動くかは喜一の神条先輩に対する気持ちで変わってくるはずだ。

 それを知っているかどうかだけでも、喜一の神条先輩に対する本気度合いは変わってくるだろうからな。


 やがて数十秒考え抜いた彼は、「わかんねー」という一言と共に背もたれへと体を流した。


「お前が何か考えてんだろうなってことはわかるけどさ。この学校じゃ恋人になるってことは契約を結ぶことと同じ意味だろ。そりゃあ、契約を結ばなくても付き合うことはできるけど、そうする理由がねえじゃん」


 まあ、当然の結論か。

 恋人契約を結んだ際のデメリットに関しては、実際に契約を結ばない限り明確にはならない。

 これまで恋人契約を結んでいない喜一に何の情報もなしに真実にたどり着けと言っても不可能だろう。

 やはり俺が真実を見極めつつ喜一を少しずつ誘導していく他ないと思い、この話は切ることにした。


「それもそうだな。悪い、今の話は」

「けどまあ……」


 喜一はどっかりと椅子に腰を据えたまま、俺の声を遮る。


「理由はわかんねえけど、もしも神条先輩が契約は結ばねえって言うなら、俺はそれでもいいぜ。周りの連中に自慢できなくなるのは残念だけど、誰から見ても付き合ってるってわかるくらいイチャつけばいいだけだしな」


 思わぬ反応に俺は目を丸くした。

 喜一のことだから、てっきり契約ありきの付き合いだとばかり思っていた。喜一の人物像を知ればそう考えるのが普通だ。

 それがまさか、相手の意志を尊重して自分の本性を切り捨てるような選択をするとは。

 俺が珍しく驚いていたせいか、喜一は「なんだよ」と訝しげな視線を向けてくる。


「いや。少し変わったと思ってな。お前がそう考えるほど神条先輩に魅了されたのか?」

「まあ、それくらいの相手だってことは間違いねえな。けど、俺は変わらねえよ。いつだって考えてんのは自分のことだけだ」

「そうか。それは安心した」

「喜んでいいのか?」

「そうだな。少なくとも、俺が立てた道筋は変更せずに済みそうだ」

「それって祈織の想定通りってことだろ。喜べねえやつじゃん」

「不満か?」

「鼻につく言い方だけど、今回だけは許してやるよ。俺が頼んだことだしな」


 やや不満そうではあるが、喜一はどこか楽しそうに口角を上げた。つられて俺の頬も綻ぶ。

 互いに互いの本性を知る数少ない相手。それこそ、親友と呼ぶべき相手だ。

 俺には友達は少なく、恋人なんて今まで一度も居たことはないが、それでも親友が1人居るだけで、理解者が居てくれるだけで嬉しく思う。

 それから神条先輩が姿を見せるまで、俺たちは他愛ない話で盛り上がった。

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