第12話 追憶と、現実と  

 かつてないほどに魔法の力を使い果たしたポーリンは、ずっと意識を失っていた。長いまどろみの中においてさえ、なまりのように重い身体と、このまま永遠の眠りについても構わないと思うほどの精神の疲弊ひへいを感じていた。


 暗い深海しんかいから、陽光差す浅瀬あさせへと浮き上がった瞬間、何やら外が騒がしいことに気づいていたが、それを気に留める暇もなく再び深海へと飲み込まれていく。彼女は、海流に翻弄ほんろうされる無力な木片もくへんも同然であった。


 その渦のなかで、ときに夢ともまぼろしともつかぬ、過去の記憶を追体験した。それは、幼き日の母の追憶……





 ポーリンは父を知らない。彼女が物ごころつく前に、父は家を出ていった。


 母はひとりで彼女を育ててくれた。母は、いったいいつ寝ているのかと思うほど、ずっと働きづめであった。疲れた表情を見せることはあったが、いつでもりんとして決して弱音を吐かなかった。愚痴を言うこともなかった。


 きっと地べたをいずり回り、泥まみれになりながら前へ進んでいるに違いなかっただろうが、家で泥臭さをみせることはなかった。

 

 規則に厳格で、融通ゆうずうがきかず、しばしば息苦しさを感じることもあった母との二人暮らしであったが、苦難に満ちた生活に対する母の姿勢は、ポーリンの生きる手本となった。


 そんな母が、ポーリンにしばしば言っていた言葉――「つらいときほど、気品を保ちなさい」





 ポーリンが目を覚ましたときに感じたのは、腐臭ふしゅうを含んだ湿った土の匂い、ちくちくとした口の中の違和感、そして両腕の痛みであった。


 彼女は、薄暗い洞窟の中にいることに気づいた。疑念の言葉を発しようとしたが、できなかった。口には、さるぐつわ代わりに、ロープがまかれていた。起き上がろうとしたが、身体がいうことをきかなかった。両腕は腰に回され、やはりロープで縛られていた。


――捕らえられた?


 彼女は混乱しながら、頭にかかるもやを振り払おうとした。


 最後に覚えているのは、自らの生命を燃やすかのように魔法の力がみなぎり、そして失われていくさま……かつてない練度れんどで、炎の壁の呪文は成功したはずだった。だが、彼女はいま、口と手を縛られて、薄暗いろうのなかにいる。


 彼女は壁伝いにどうにか身を起こすと、薄暗い周囲を見回した。素掘すぼりの洞窟を、鉄格子でいくつかの空間に区切った牢であるようだった。


「よう、起きたか、ラザラ・ポーリン」


 聞き覚えのある声がした。徐々に暗がりに目が慣れてくる。


 向かい側の牢に、同じく捕らえられたチーグがいた。鉄格子てつごうしに囲まれてはいるが、王子へのせめてもの敬意なのか、手足は縛られていない。


 鉄格子を挟んだ隣のぼうには、デュラモとノトが捕らえられていた。こちらは、両手を縛られている。


「息があるのは分かっていたが、三日三晩、ずっと倒れていたから心配したぜ」


 その声音から、チーグもかなり弱っているようであった。


「おまえの魔法は見事だった、本当さ。〈四つ目〉と化け物は振り切ることができた」


 状況のつかめぬポーリンに、チーグは事の成り行きを話し始めた。


「俺たちは道を引き返し、船着き場へと向かったが……罠だった。そこでは大勢のホブゴブリンどもが、待ち構えていた」


 チーグはいまいましげに言葉を切り、小さくため息をついた。


「俺たちはそこで捕らえられ、船でここへ運ばれたというわけさ。ここはリネ。ホブゴブリンどもの、奴隷売買のための収容所」


 隣の房で、デュラモが恥辱に怒るような表情を浮かべ、ノトはおびえたように縮こまった。


 ホブゴブリン族は、ゴブリン族よりも大柄で、力も強く、より残忍ざんにんで、邪悪だ。リフティの南東の荒れ地に住み着き、しばしばゴブリンたちの領土を侵した。伝統的に、リフティのゴブリン王国とは敵対関係にある種族である。


 リフティのゴブリンたちも、人間の隊商を襲うことがあるが、略奪が主であり人殺しまで行うことはまれである。一方、ホブゴブリンたちはしばしば組織立って人間の隊商を襲い、積み荷のみならず奴隷売買のための人さらいも行う。抵抗にあえば、人間たちを皆殺しにすることもいとわない。


 リフティのゴブリンたちが清廉潔白せいれんけっぱくとは言わないが、ホブゴブリンたちの悪行とよく混同されることがあり、迷惑をしていると、いつかの食事のときにチーグは言っていた。


「……だが、悪いことばかりじゃない。」


 チーグはため息まじりに続けた。


「おかげで、ダネガリスの野にかなり近づくことができた。それともう一つ――」

と、チーグはデュラモたちの方をちらりと見た。


「ダンの野郎が、ホブゴブリンどもとつるんでいたことも分かった」


 デュラモとノトも、忌々いまいましそうに顔をゆがめていた。


 ポーリンにとって、”ダン”という者が誰なのか分からなかったが、ゴブリン王国の裏切り者であろうことは推測がついた。


「俺たちは、ダンに引き渡される……らしい。だが、ホブゴブリンどもとつるんでいることが、もしもゴブリン王国で露見ろけんしたならば、ダンの野郎も持たないだろう。だから、引き渡された時点で、殺されると思っておいた方がいい」


  その暗い先行きを聞かされたとき、ポーリンの心に浮かんだのは、我が身の運命への嘆きではなく、自らの力のなさへの深い失望だった。


 つまり、チーグを無事にゴブリン王国まで届けるという任務は、失敗したということだ。


 サントエルマの森で学んだ彼女は、魔法には自信を持っていた。この任務も軽くこなせるという過信かしんが、心のどこかにあった。


 だが世界は彼女が思っていたよりはるかに広く複雑で、彼女は自分が思っていたよりずっと無力だった。


 曇天どんてんと濡れた旅路に、緊張感もなく気分が滅入っていた自分が情けなく思えた。


 けれども、こんなときこそ身をたださなければならない。


 彼女は母のことを思い出していた。


 彼女は、鳶色とびいろの瞳を仲間たちに向け、小さくうなずくと、姿勢をただし静かに瞑想の体勢をとった。取り乱すことなく、静かに来たるべき運命を待つ――それこそ、美しい。そしてあわよくば、脱出の機会を冷静にさぐるのだ。



<主な登場人物>

ラザラ・ポーリン:サントエルマの森で学ぶ若き女魔法使い。失われた魔法の探索の旅の途中、ゴブリン王国の王位継承をめぐる大冒険に巻き込まれる。

チーグ:ゴブリン王国の第一王子。人間の知識を得るための旅を終え、王国へ帰る途中。チーグの帰国を望まぬ者たちに命を狙われている。

ノタック:〈最強のドワーフ〉を目指す古強者。ジ・カーノのハンマーと呼ばれる魔法の武器を使いこなす。〈四ツ目〉の襲撃時にはぐれてしまった。

デュラモ:ゴブリン王国の親衛隊長。チーグに忠実。

ノト:チーグの身の回りの世話をする従者。

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