第一章 下り

「はあ、そうですか。了解しました。」

 僕は電話を切り、布団に転がった。今まさしく、僕は仕事をクビにされた。自分が無能だと言うのは身に染みて知っている。何も出来ず、何の取柄もない。平凡以下の人間だ。そんな人並にも仕事ができない僕は、ついに首を切られたのだ。そう、理由はそんな所だ。他に語るようなこともない。僕がいくら努力しても、それは何時だって足らず、周りからは怠け者みたいな視線が送られる。生きるのに向いていない。そんな人間は居ないって皆は言うんだろう。だけど僕には明らかに向いていない。幸福も、野心もとうの昔に置いてきて、生きる気力すらすり減らして、それを燃料に生きるしかなかった。

「こうまで落ちこぼれると、いよいよどうでもよくなってくるな。貯金はあるし、暫くは引きこもろう。」

 布団から起き上がり、買い出しに行くことにした。こんな僕でも根っからの屑ではないことは自覚している。それこそ人並には自分にできることをして、普通に生活してきたのだ。だが、生きている喜びなどはない。貯金を切り崩して生活を維持することはできるけれど、そこから何か生まれるわけでもない。死ぬことはずっと考えてきた。しかし、怖い。それだけの理由で実行できなかった。それ以上の苦痛を日常的に味わっているはずなのに。死ぬ苦痛。その一瞬に耐える決心がつかなかったのだ。

「そうだ。「大地」と会うか。晩酌をすると言ったら喜んで来るだろうし。」

 根岸 大地は長らくの親友で、腹を割って話せるくらいには仲が良い。彼は僕と違って大手に勤めており、同じく落ちこぼれ仲間というわけではない。それでも、昔から馬が合い、とろくさい僕に理解を示してくれる友人でもあった。改めて考えると、なぜ僕とつるんでいるかがいつも分からなくなるのだ。僕は早速、玄関口でスマホを取り出し、電話を掛けた。四回のコールの後、彼は出てくれた。

「もしもし?ああ、「坂」(さか)か。飲むって?行くよ。仕事は大丈夫さ。定時には終わるから。んじゃ、後で。」

 そんな風に返答が帰ってきた。僕は「有坂 考弥」(ありさか こうや)という名前で、苗字から取ってこう呼ばれている。最近は会う機会も減ってきたが、連絡をすればいつものように返ってくる。僕はドアノブを捻り、アイツの好きそうな献立を思い浮かべながら外へ出た。

 約束の時間に僕たちは集まった。大地は仕事帰りと言わんばかりに、スーツ姿にビジネスバッグをぶら下げていた。僕たちは地元が同じで家も近いため、会うための交通の便に悩まされることは無かった。

 つまみはお互いの趣向に合わせたものにし、一部は調理して出すことにした。と言っても簡単なものだ。それらが揃うとテーブル席について僕たちは飲みだした。

「…ふーん。上目指してるって感じか。言いにくい話していいか?僕は今日、首が飛んだよ。いらないってさ。前々からそういう雰囲気は感じ取ってたんだけどな。」

 自然と仕事の話になり、大地からお前はどうだ。なんて質問が来るだろうと予想し、僕は先に打ち明けた。今まで辛い思いなどを話してきたし、抵抗は少なかった。にしても大地と比べれば、なんてくだらない人生だろうか。

「まじか。悪いな。宛てがありそうなのか?ない?パートでもやってみたらどうだ?」

 大地は驚いた様子も少なく答えた。お互いの心境を重く受け止めることを避けてる僕らにはこれくらいのリアクションが丁度いい。親友だからと言って、というか親友だからこそ、一から十まで相手の面倒を見ようとは思わないのだ。それが適度な距離感と言うやつで僕も不満があるわけじゃない。

「だよね。ぶっちゃけ、そんなに凹んでないよ。いつもの事だし。問題は将来性が…」

 僕は笑った。自嘲気味でもあったが、自責の念に取り囲われてるわけでもなかった。だけど、順風満帆に進んでいく彼を見ていると、自分の先と言うのが暗がりにしか見えないのだ。そう思っていた。でも違った。

「俺も言わなきゃいけないことがある。長期で入院することになってよ…どうも重いらしい。癌って言われたわ。仕事は有給とれんだけどよ。ここロクな病院ないだろ?他県に入院することになるらしいわ。」

 酒を呷りながら僕と同じようなトーンで深刻な話題を大地は口にしたのだ。将来性。その言葉が一気に彼をあざ笑うかのような言葉に思えてきた。

「え?大丈夫なやつ?命に関わったりしないよな?」

 僕は僕ばっかりの道を見つめていることに気づき、慌てふためいた。他人は僕より良い道を歩んでいる。その考えは甘かった。

「何とも…まあ、たまにお見舞い来てくれよ。百合の花は持ってくんなよ?」

 大地は僕から目を逸らし、口ごもった。その後に冗談を口にし、場の空気をもとに戻そうとした。長年一緒に居ればわかる。きっと彼は大丈夫なんかじゃないと。ちょっとやそっとの事では彼は強がるからだ。その性格を知っているから、その冷ややかな予兆に鳥肌がたった。

「そっか。頻繁に行くよ。どうせ暇だし。」

 僕は踏み込めなかった。勿論、彼とは本心で話せる仲だ。でも、もし万が一、余命なんかがあったとしたら?彼という存在は僕にとっては何よりもありがたかった。深い繋がりがあるとすれば彼の右に出る者はいない。何も持たない僕には必要不可欠だった。この心の衛生を保つためにも。だから無理だった。それを知ってしまっても僕にできることはなく、受け止めることも難しかったから。僕は話題を切り替え、心の隅にその心配を追いやってしまった。

 あれから時間が経ち、僕の望まなかった日々を送ることになった。大地は県を跨いだ大病院に入院し、二週に一回ほど僕はそこに顔を出した。仕事が無くなった僕の貯金は減る一方だ。会うことに惜しみがあるわけではないが、立ち往生をしている僕にとっては、残酷な話、無駄なことで、他に時間を使えというのが正論だった。

「ああ、別にいいって。急かすわけじゃないけど、お前も生活があるだろ?何かしら見つけないとヤバいだろ?」

 病室で現状を報告した時にはこう言われてしまった。自分が終わってしまうかもしれないのに、こちらの境遇を察してそう言ってくれたのだ。

「だけど、不安なんだ。他に集中できるものが無いって言うか、もう少し考える時間が欲しいんだ。」

 僕は今という時間にばかり捕らわれて、その助言をないがしろにしてしまった。僕の未来に煌びやかなものはないと、過去に思った。それ以来、未来のために何かを残そうという意思すらも持てなくなったのだ。

「そっか。確かにゆっくり考えることは必要だな。お前らしいよ。」

 病室の窓から見える景色に目をやって、大地はそう返した。僕の性格、力量を知ってのことだ。僕が動き出す必要があるというのは彼でもわかったが、昔からのろまな僕を知り、肯定してくれた。そんな風に、僕らは互いを尊重していた。

 そこまでして親友を気にかけていたが、その反面、彼の容態は悪化していく一方だった。入院した頃はいつもの様に振る舞っていた彼だったが、数カ月が経った今では、返事も辛そうだった。何度も通っている僕に、医者が説明をしてくれたが、どうももう長くはないらしい。僕はこの世で僕しか生き残れないような孤独感と絶望感に胸を締め付けられながら、これらの日々を送っていくしかなかった。何かをしなければならないという血気も、そんな負の感情に掴まれ、絡み取られた。

 一年が過ぎ去って少しして、ついに恐れていたことが現実となった。僕は仕事をしていないと言う考えの元からも、最近は顔を出せずにいた。そこに一本の電話がかかってきたわけだ。

「もしもし、はい。間違いないです…え?」

 それを初めて聞いたとき、思考がシャットアウトした。ずっと心で覚悟していたはずなのに、それを事実だと認識できなかった。したくなかった。最後に交わした会話は何だったか。僕は良い親友で居られたのか。そんな考えの整理が行かぬまま、またしても大事なことが過ぎ去った。そう、彼が亡くなったのだ。いよいよ僕は一人になり、僕と言う存在を確立していてくれるものが無くなった。

 彼の葬式が行われ、僕はその死を実感してしまった。同時に何度も反芻してきたはずの生きる意味と言うものに嫌気が差し、無気力な日々へ戻ることになったのだ。きっと僕はこのまま何にもなれず死んでいくんだろうな。努力を重ねていた大地でさえ、簡単に死んで将来が奪われたんだ。あいつが死んで僕が生きてて良い理由なんてあるのだろうか。そうまで思った。

 気力のなさがそのまま言い訳になって、僕は引きこもりのようになってしまった。思いもそのままで、死ねない気持ちを抱え、死にたい気持ちをぶら下げて過ごした。何かを変えるなんてもうどうでも良い。僕は何をやってもダメなんだから、足掻くのも無駄じゃないか。今までだって自分なりに必死になっていたのに、結局は切り捨てられるのだ。世間の評価が全てで、僕の苦痛は一ミリの出汁にもならない。ああ、生きるの向いてないなあ。僕がこのまま死んだら、何もせずに死んだって言われるんだろうな。きっとそれは事実だし。こんな風に、あるのはネガティブ過ぎる思考だけだった。

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