第4話 自分にとって

「──ひとまずは大丈夫そうです。今はお部屋のベッドでぐっすり眠ってますから。……少し、熱があるっぽいですけど」


「……そっか」


 日が沈み、暗闇に包まれている雨天の中。


 照明の淡い光に照らされた相川宅の玄関前で、俺と向かい合って立つ紗彩ちゃんはそう話すと、普段とは違う真面目な面持ちで一歩前に詰め寄ってきた。


「それで、何があったんですか? あんなに憔悴しきったお姉ちゃん、あたし初めて見ましたよ?」


「その、俺も詳しいことはよく分かってなくて……」


 気まずくしながら言うと、


「……気にかけてほしいって、あたし言ったのに」


「──ッ。ご、ごめん」


 好意的ではない声音につい萎縮して、俺は心が狭まるような思いで頭を下げていた。


「この前の土曜日から様子がおかしいとは思ってて、だけどまさかこんなことになるとは思わなくて……」


 苦し紛れにそう弁明すると、少し間を置いてから紗彩ちゃんは仕方なさそうに息を吐いていた。


「まあ、それはあたしも何となく勘づいてはいましたけど。……土曜日、お兄ちゃんが外出した日ですか」


「……うん」


 ──河川敷での下校途中。


 雨で全身がずぶ濡れになっていた智香ちゃんを保護して背中に抱えた俺は、美乃里と一緒に急いで帰宅して玄関へと上がっていた。


 驚いた様子で出迎えてくれた母さんと美乃里にお願いして、智香ちゃんにはお風呂場で冷え切った体を温めてもらった。あのまま放っておいたら間違いなく体調を崩してしまうだろうし、見ていられないから。


 その後、学校から帰ってきた紗彩ちゃんに簡潔な事情を話した俺は、お風呂から出てきた智香ちゃんを引き渡して相川宅へと連れていってもらって、しばらく状態を見てもらい……そうして、今現在に至る。


(あの智香ちゃんが、あんな……)


 校内で見当たらない智香ちゃんが心配になり、俺はLINEで通話をかけてはみたが反応はなく、放課後を迎えて俺はすぐに一年一組の教室へと向かったものの、そこにはすでに智香ちゃんの姿は見当たらず。


 仕方なく諦めて、美乃里と一緒に並んで下校していた最中……まさか、あんな場所で雨に濡れながら倒れているだなんて予想できるはずもない。


(……すごい、泣いてたな……)


 何度も何度もごめんなさいって、わたしを嫌いにならないでくださいって。


 あんなに可愛くて、優しくて、魅力的で……嫌いになる要素なんて何もないのに。


 理由は分からないが、なにかとても思い詰めているようだった。


『──おにいちゃんがだいすきなんです』


(……ッ)


 いや、こんな時になんで照れてんだよ俺。


 今は目の前の紗彩ちゃんに意識を向けないと。


「えっと、その日はお姉ちゃんとなにか、お話とかしました?」


「は、話?」


「はい」


 話……といえば、あの場面しかない。


「……俺が帰宅したときに、外で少し」


「内容は?」


 続けて訊いてくる紗彩ちゃんに、俺は深々と思い返しながら断片的に口にする。


「あー……と。街で遊んできて楽しかったよって」


「も、もう少し、事細かくお願いします」


「いや、だけどほんとに、クラスメイトと遊んできたよーってくらいしか……」


「……んー……」


 紗彩ちゃんは顎に手をついて悩ましげに声を唸らせる。どことなく艶っぽくて色気が……ではなくて。


 そしてふと、


「そのクラスメイトって女の子ですか?」


「う、うん」


 弓で矢を射るように狙い澄まされた一言に、俺は反射的に肯定した。


 すると紗彩ちゃんはまた何か勘づいたように腕を組んで、俺を見据える。


「どんな方ですか?」


「あの、前にさ、俺から紗彩ちゃんに相談を持ちかけたときに話した名前の子」


「前にって……あ。もしかして、長田先輩?」


「そう、その子」


 さすがは紗彩ちゃん、察しがいい。


「…………な、なるほど、長田先輩ですか。それはまた、どうしてお兄ちゃんと?」


「ほら、例の三角関係でだいぶ思い悩んでたから、気分晴らしに街で遊んでくればいいんじゃないかなって提案を俺からしたら、じゃあ一緒に付き合ってくれって誘われちゃって」


「あ、あー……はい、そぉですか……」


 何とも言えなさそうな表情で紗彩ちゃんは小首を傾げる。


「でまあ、環奈とは色んな場所を見て回ったーとか、かなり仲良くなったーとか、そんな雑談をして」


「あの。環奈って、長田先輩の名前……?」


「あ、うん」


「……」


 ──あ、あれ。なんだろうこの圧迫感?


 薄目を開けてジーッと見てくる紗彩ちゃん。おかしなことは言ってない、はずだけど……。


「え、えっと、そうしたら、その後から智香ちゃんの元気が無くなっちゃったような気がして……?」


 恐る恐る言いながら反応を伺う俺。


「……他の誰かと遊ぶこと自体はお兄ちゃんの自由なんで別にいいんですけど、それをお姉ちゃんに包み隠さず話しちゃったわけですね?」


「え。な、なんかダメだった?」


 その言われ方だとまるで俺が悪いみたいな……。


「いや、ダメってわけじゃなくて……はい、ダメではないんですけどねぇー……」


「……?」


 ……どうしたんだろう?


 悩んだりしない聡明とした紗彩ちゃんが言い淀むだなんて珍しい。そんな風にされるとなんかこう、得体の知れない不安に駆られてしまうんだけども。


 なんて思っていると、


「すみません。何となくですけど、お姉ちゃんがああなっちゃった原因分かった気がします」


「えっ?」


 ──突如一転して、紗彩ちゃんはサッパリとそう言い切った。


「こうも単純な……いや、お姉ちゃんらしいか。相当依存しちゃってるんだなぁー……」


「さ、紗彩ちゃん?」


 ブツブツ独り言を呟く紗彩ちゃんに声をかけると、俺に向き直って釈然とした表情で口を開いた。


「お兄ちゃん。あとで、お姉ちゃんと話し合ってください」


「は、話し合う?」


「はい。根本的な原因はお兄ちゃんにありますから」


「お、俺に?」


「そです」


 ……そ、そんなハッキリ言われても。


 全く身に覚えがない。俺、何かしたっけ……?


「ここであたしから教えちゃうとお兄ちゃんのためにならないと思います。なので、お姉ちゃんの気持ちに寄り添いながらしっかりと本心で向き合ってあげてください。そうすればお姉ちゃんも救われるはずです」


「……本心、で?」


「はい、本心で。これまで一緒に過ごしてきた中で大事に育んできたものを、お兄ちゃんなりの言葉にしてお姉ちゃんに伝えてあげればいいんです。心を込めて丁寧に」


「……」


「今のお姉ちゃんはそれを望んでいるはずですから」


 ──……智香ちゃんに対する、俺の本心。


 初めて出会った一年前、顔を合わせたあの日。


 一目見た瞬間から可愛い子だなと惹かれて、それからはただ仲良くしたいと思って距離を縮めていって。


 そしていつからか、俺の気ままな日常のすぐ傍では智香ちゃんが笑っているのが当たり前になっていて。


 そんな毎日が、心温かくて楽しい。


『お兄さんが傍にいてくれたからこそ、今のわたしがここに在るんです』


『……その、『当たり前』だと思えるところが、お兄さんの素敵な魅力なんですよ?』


『──お兄さんがわたしたちのご近所さんでいてくれて、わたしはとっても幸せです』




「……お兄ちゃん」


 声をかけられ、俺は前を向く。


「お兄ちゃんは、お姉ちゃんをどうお思いですか?」

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