第6話 これからも、このまま。

 帰宅してから二、三時間ほどが過ぎて、時刻はすっかり夜中の二十時手前。


 お風呂に入って身体を綺麗サッパリとさせ、明日に向けての各科目の予習と復習を済ませた後、事務職の残業から帰ってきた父さんを迎えてようやく全員が揃った早海一家。


 専業主婦として存分に腕を振るった母さんお手製の夕食が食卓に並べられると、疲れ切っていた父さんの表情にも安堵が生まれて自然と言葉数が増えていく。


「──でな、上司の海野さんがホント酷いんだよ。自分が捌ききれないからって大量の書類を父さんに押し付けてきてな? 今日中に全部PCでデータ入力しろって言い出したんだ。じゃあもうそんな出来で俺の上司を名乗るなっつう話だよな? な?」


「……そ、それはー、大変だったね」


「パパの仕事の話なんて私興味ないし」


「苦労してるのねぇ。いつも頑張ってくれてありがとう、あなた」


 三者三葉、父さんの愚痴に反応を示す俺たち三人。


 俺はそれとなく同情し、美乃里は興味無さそうにご飯を食べ進め、母さんは申し訳なさそうにしながらも父さんの境遇に寄り添うような形で感謝を口にする。


「おお……春香はるかは分かってくれるか、俺の気持ちを」


「当然よ。だってあなたの妻だもの」


「は、春香ぁー……!」


光一こういちさん……」


 運命的な何かで見つめ合う父さんと母さん。なんかもうこのままの流れでキスとかし始めそう。


「……お兄。私たちは一体、何を見せられてるの?」


「……夫婦の愛、的な?」


「ここに居ずらいんだけど」


「耐えるんだ」


「……」


 美乃里の気持ちはよく分かる。しかしここは二人だけの世界に邪魔立てはしないようにしよう。普段から父さんが頑張ってくれてるのは事実であるし。


 そして夕食を終えた後、母さんはキッチンでの洗い物や今日分の洗濯物をまとめ始め、父さんはソファーに背を預けて思い思いにまどろんで、俺と美乃里はくっつきあってスマホを弄ったり談笑したりする。


「んん〜、おにぃ、いい匂い〜」


「み、美乃里、くっつきすぎだって」


「だってこうしてたいんだもーん」


「い、色々当たってるから、色々っ」


「当ててるの〜」


 後ろから容赦なく抱きつかれ、背中越しに伝わるムニュっとした弾力。


 小さすぎず、大きすぎずで丁度いい質量。家内での美乃里は常に薄着だからその感触がダイレクトに伝わってくる。


 それに、ツインテールを解いたミディアムヘアが妙に色っぽくて内心少しドキッとしてたりもする。実の妹にこんな感情を抱くのは非常によろしくない……。


「み、美乃里ー、良かったらパパにもおんなじこと」


「ヤダ」


「……」


 父さん、あえなく撃沈。気の毒すぎる。


「あんまりパパをいじめちゃダメよー? 毎日お仕事頑張ってるんだから」


「わ、分かってる……けど。でも、今のはパパが悪いもん。下心丸見えだったし」


「光一さんは誠実な人だから大丈夫よ」


「それでもヤダ」


 美乃里、やめてあげて。それ以上言うと父さんのメンタルがブレイクされちゃうから。


 そんな些細なやり取りをしている最中、ふと玄関側からピンポーンとインターホンが鳴り響く。


「あ、俺が出るから母さんと父さんは動かなくていいよ。美乃里も一旦俺から離れてね」


「んー……」


 寂しげに鳴く美乃里を置いて、俺は玄関まで歩いて向かう。


 この時間帯での来客といえば、ほぼ間違いなく相川家の住人だろう。中でも予想される人物は──、


「おにーちゃんっ! 宿題終わったよっ!」


 玄関の扉を開くと、華やいだ表情で目の前に姿を見せたのはひまりちゃん。予想は当たりだった。


 どうやらお風呂に入ったあとのようで、薄ピンク色のパジャマに身を包んでホッコリとした様子。無防備で無邪気なその姿が控えめに言って可愛すぎる。


「おー、偉いね。ちゃんとご飯も食べた?」


「うん! 今日はまだおとーさんとおかーさん帰ってきてないけど、代わりにさーやちゃんが美味しいご飯作ってくれたから!」


「……そ、そっか」


 ……恵美えみさんと裕二ゆうじさん、帰ってきてないのか。


 ひまりちゃんの年齢なら本当は寂しくて仕方がないだろうに、こうして笑っていられるのは智香ちゃんや紗彩ちゃん、それに早海家の存在が大きいのだろう。


 何の取り柄もない平凡な俺でも、こんな形でひまりちゃんの役に立てて良かったと、心の底から思う。


「えっと、ここに来たのはひまりちゃんだけ?」


「ううん、智香おねーちゃんとさーやちゃんもいるよっ!」


 ひまりちゃんがそう言うと、タイミングを見計らったように背後からスっと姿を見せたのは、同じくパジャマ姿の智香ちゃんと紗彩ちゃんだった。


「こ、こんばんは、お兄さん」


「ども。今日はお母さんとお父さん残業らしいんで遊びに来ちゃいました。あ、でもあたしは先に宿題終わらせるんでしばらくは放っておいて大丈夫ですよ」


 言わずもがな、圧倒的美少女の二人。夜中だからかより一層二人の姿が輝いているように見える。


 しかし、今はここで見惚れている場合ではない。


「お、おおー……? と、とりあえずみんな、外寒いだろうから早く中入っちゃって」


 俺が言うと、三姉妹は各々に声を上げながら靴を脱ぎ、行儀正しく玄関を上がっていく。


(本当に、よく出来た子たちだよな……)


 こういった一つ一つの振る舞いに三姉妹の育ちの良さが滲み出ている。俺も、見習わないとだ。


 そうしてあとから俺も三人に続いて行くと、早速三姉妹は母さんと父さん、美乃里と顔を合わせて慣れたように話し始めていた。


「あらあら、いらっしゃいみんな。可愛い女の子がたくさんで華やかねぇ〜」


「お、お邪魔してます、春香さん」


「ども、さっきぶりです」


「こんばんわっ!」


 頬に手をつきニッコリ笑う母さん。智香ちゃんたち三姉妹のことを母さんは実の娘のように見ているらしく、こうしていつも上機嫌に歓迎してくれる。


 そしてそれは父さんも同じだ。


「おおー、いらっしゃいみんな。いつ見てもキラキラしてて可愛いねぇー」


「お、お仕事お疲れ様です、光一さん。か、かなりお疲れ気味みたいですね……?」


「分かってくれるかぁー智香ちゃん。良ければ智香ちゃんも聞いてくれないか、おじさんの苦労をさぁー」


「わ、わたしなんかでお役に立てるのでしたらっ」


「智香ちゃんは天使だねぇええええええー!!」


 ……父さんの中でも智香ちゃんは大のお気に入りらしく、良き理解者という認識だそう。長々と続く父さんの愚痴に毎回付き合ってくれる智香ちゃんは本当に心優しすぎると思う。


「あ、美乃里さんそれ、この前リリースされたばかりのFPSですよね? あたしも昨日からやってます」


「……そ、そうなの?」


「はい。フレンド同士でチームを組んで遊べるみたいなので、良ければあとで一緒にやりません? あたしも今から速攻で宿題終わらせるので」


「……う、うん、分かった」


「ありがとうございます。……よし、頑張ろ」


 気合いを入れるように意気込み、プリントと筆箱を手にして机に向かう紗彩ちゃん。


 何気に紗彩ちゃんと美乃里は仲がいい。というよりも、人徳のある紗彩ちゃんだからこそ為せる関係とも言うべきか。誰とでも対等に節度を持って接する紗彩ちゃんに美乃里も悪くは思っていないようだ。


 幼少期から自分に劣等感を抱いて悩んでいた美乃里の元に現れてくれた一筋の光。これを機に、どうにか美乃里も解決の糸口を見出してくれたらなと切に願っている。


(……智香ちゃんとも、あんな風に仲良くしてくれたら万々歳なんだけど)


 いや、ホントに。


「おにーちゃんっ!」


 ──様子を眺めていた俺のことを呼び、その流れで元気よく飛びかかってきたのはひまりちゃん。


 好感度マックスな熱烈すぎるダイブを俺が正面からポフッと受け止めると、ひまりちゃんは「えへへー」とニコニコしながら頬をすりすりくっつけてくる。


「んー? どうしたの、ひまりちゃん?」


「おにーちゃんの体かたーいっ、ゴツゴツしてるー」


「そ、そう? 別に筋トレとかはしてないけどな」


 むしろけっこう間食とかするタイプなんだけど。


「あのね、ひまりのおとーさんもおにーちゃんみたいに体がとってもゴツゴツしてるんだよ。すごくおっきくて、温かくて、触れてるとフワフワ安心できて……だから、おとーさんもおにーちゃんも大好きなの」


「……ありがと、そう言ってくれてお兄ちゃんすごい嬉しいよ。ちなみに、ひまりちゃんのお父さんと俺だったらどっちの方が好き?」


「え、ええー!? そ、そんなの選べないよっ!」


「あはは、ごめんごめん。ちょっと聞いてみたくなって」


「もおー!」


 頬をプクリと膨らませるひまりちゃんだが、むしろそれはより可愛さを引き立てるだけのアピールでしかない。


 しかし俺が悪いことを言ったのは事実なので、その罪滅ぼしとしてひまりちゃんの頭を撫でてあげる。するとひまりちゃんは微笑ましげに頬を緩め、うっとりと目を細めていた。


(……おにーちゃん、か)


 いつからか、そう呼ばれるのが当たり前となっていた。


 初めは俺のことを名前で呼んでくれていた智香ちゃんも気付けば『お兄さん』に変わっていたし、少し距離を置くようにお兄さんと呼んでいた紗彩ちゃんも今では親しみを持って『お兄ちゃん』と言ってくれる。


 それを快く思わないのは実の妹なんだと言い張り対抗心を燃やす美乃里くらいで、当の俺としてはすごく嬉しかった。


 普通の男子じゃ近づくのもおこがましいような可愛い三姉妹に認められて、その証に俺を兄のように捉えてくれているのだ。嬉しいのは当然のことだろう。


 ……それに、俺自身名前で呼ばれるのは若干恥ずかしかったりするし。


(今年は、どんな一年になるかな)


 今年で十六歳になり、友人の拓郎が言う通り、十代における一番の黄金期となる高校二年目。──しかし俺は、智香ちゃんたちにそれ以上の関係を求めようとは思わない。


 なぜなら、今こうして笑っていられる環境がとても楽しくて充実しているし、崩したくないから。


 智香ちゃんたちにとって、あくまでも俺は『お兄ちゃん』として見られていて、異性としての『好き』とはまた、別物だから。


 智香ちゃんも、紗彩ちゃんも、ひまりちゃんも、俺に求めているのはそういうトキメキではなくて……俺のことはどうしてもお兄ちゃんと呼びたいらしいし。


 行き過ぎた高望みはきっと身を滅ぼしてしまう。だから俺は、このままでいいと思っている。


 このまま、いつまでも。みんなが仲良く同じ場所で笑い合っていれば、俺はそれで。


「お、お兄! ひまりにばっかりズルい! 私も!」


「だめー! 今のおにーちゃんはひまり専用なの!」


「なーにがひまり専用だっ! お兄は私のお兄なんだから優先順位は私が一番でしょっ!!」


「やあー! おにーちゃんっ、みのりん恐いっ!」


「そのメスガキを早く突き放してお兄っ!」


「おにーちゃんっ!」


「お兄っ!」


 ……仲良く……なか、よく?


「お、落ち着いて二人とも。ちゃんと順番にね?」


「私が先にっ!!」


「みのりんはひまりのあとっ!」


「お、お兄さんの言う通り落ち着いて二人ともー?」


「……てか、勉強の邪魔になるんで別の場所で争ってくれません?」


「あらあら、みんな賑やかねぇ。平和だわぁ」


「仕事終わりにこの光景……ああ、溜まった疲れが取れていくようだ……アシタシゴトイキタクナイ……」


 ……まあ、うん。


 こういうのもまた、悪くはない……の、かな?


 喧騒に包まれるリビングで可愛い女の子二人に奪い合いされる俺は、心の中でそう密かに笑っていた。




 ────────────────────────


《お知らせ》


 ここまでお読みいただきありがとうございます。

 次話、1章開始時より週3(月・水・金)更新となります。次回更新は3月9日(金)予定です。


 数多くある作品の中から当作を見つけてくださった読者の皆さまには大変感謝しております。今後とも、当作を長く温かい目で見届けていただけたらと思います。(_ _*))ヨロシクオネガイイタシマス


             3月6日/MOMO

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