一般性癖TS転生少女、真白 光は絶望的なまでにすくわれたい

エテンジオール

転生前のはなし

 脳死状態で文章書きたくなったから書いちゃった(╹◡╹)


 気が向いた時に更新します(╹◡╹)


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 新雪のいちばん美しい姿は、泥まみれの長靴で無遠慮に踏みつけられたものだ。風情のふの字も理解できない無粋な輩に、全て台無しにされた瞬間だ。


 キャンバスの最高の瞬間は、やっとの思いで作品を仕上げたときではなく、それに火が着けられた時だ。鮮やかな色の、それが含む多種多様な金属原子によってその数だけの光を放つ、その瞬間だ。


 異論があるのは認めよう。反論があるのなら、聞くだけ聞こう。まあ、聞くだけで受け入れるとは言っていないが。意見なんてものは、伝えるのは自由でも届くと思ってはいけないものなのだ。


 ものが価値を失う瞬間、その僅かな一瞬に放つ、目が眩むような輝き。それが一番美しいのだと私が知ったのは、特に意味もなくトランプタワーを作っていた時だ。


 百円均一の4組入りトランプをいくつか買って、規格化されていないそれらの微妙な偏りを考えて作った12段。あと1段で完成するタイミングで、アパートが揺れた。途端にバランスを失って崩れる紙くずと、椅子から落ちる私。


 その瞬間、雷のように天啓が落ちたのだ。積み重ねてきたものが崩れる様は美しいと。それが貴重であればあるほど、高ければ高いほど、その美しさは高まっていくのだと。


 欠片ほどの矛盾もない真実である。エネルギー価値が高い状態にあればあるほど、落ちる時の蛍光輝きが強いということは、物理化学の観点からも明らかである。科学が正しいと示していることはすなわちすべからく真実なのだ。熱心な科学教徒であった私は心の底からそう思った。


 実際には落ちたのは私と、上の階のレンジだったが、それすら私にとっては天啓だったのだ。どう考えても、下したのは神ではなく悪魔なものだったが、それなら私にとっての神が悪魔だったと言うだけのこと。


 崇め奉ればただの人でも神になれるのだから、別に何が神でもいいじゃないか。そう考えながら虚空に祈ったのが20歳の春。私がまだ男だった頃の話である。科学への信仰は忘れた。ニュートンの表紙に載っていたアインシュタインは物悲しそうに私を見つめていたが、僅かに燻っていた罪悪感は上に本を載せれば気にならなくなった。


 1度世界の真実に気がつけば、そこから先はもう簡単だ。どうすればより美しいものを見れるか、そのことを三日三晩一睡もせずに考えて、いつの間にか気を失っていた。目を覚ましたら病院の天井というのは、中々乙なものだ。一度くらいは経験してみる価値があるだろう。もう二度としたいとは思わないが。


 しかしまあ、気絶をするまで考えたかいはやはりあって、私は目覚めるのと同時に再度の天啓を得た。すなわち、価値あるものはこの世に有限なのだから、その瞬間を楽しむのならそれ以上に価値のあるものを作らなければならないということ。


 天啓に感謝してまたもや虚空に祈りを捧げていたら、私が目覚めたと知らせを聞いて駆けつけた幼なじみにぶっ叩かれた。


 信仰の邪魔をされ、内心穏やかではなかったが、話を聞けば部屋でぶっ倒れていた私を見つけて、救急車を呼んでくれたのは幼なじみだったとのこと。つまりは命の恩人である。命の恩と信仰の仇であれば、優先されるべきは命の恩。幼なじみ視点で言えば、突然倒れた私が目覚めた途端に気色悪い笑みを浮かべながら虚空に向かってモゴモゴ喋っていたのだから、反射的にぶっ叩いてしまうのも理解できる話である。


 理解ができたので、怒ることなくお礼を言って、ついでに世界の真実に気がついたこと、そのために大学を辞めることを伝えたら、幼なじみは泣きながら謝りだした。どうやら、ぶっ叩いたことで私の頭がおかしくなってしまったと勘違いしたらしい。酷い誤解で、悲しい勘違いである。


 私は至って正気であり、得た天啓は本物だと伝えても、幼なじみは信じてくれなかった。それどころか、大学をやめて価値のあるものを作るために動き出した私に対して、『あんたがおかしくなったのはあたしのせいだから、正気に戻る日まで付き合ってあげる』なんて言って、住処を提供してくれた。否定しても聞きいれてくれず、何よりこちらにとっても都合が良かったから、最終的には諦めた。ちなみに家族からは勘当された。


 さて、ひとえに価値のあるものを作る、と言っても、何に価値があるかなんて定義は人それぞれ異なる。私ももちろん、真に価値のあるものとは何ぞやと考えてみたが、何も思いつかなかった。天啓を得ようと祈っていたら幼なじみに力ずくで止められた。


 幼なじみに心配をかけるのは忍びなかった……なんて理由ではなく、単純に生命線を握られていたせいで逆らえなくて、私はひとまず妥協する。真に価値のあるものではなく、とりあえず金になるものをと。同い年の大学生幼なじみのヒモは、いろいろな意味で肩身が狭いのだ。


 ひとまずは、なにか売れるものを。自分で壊さなくても、いつか最高のものを壊すその日のために、少しずつ自分の力量を上げていく必要がある。その練習も兼ねて、手始めに木工細工を作り始めた。最初は小さなものから、デザインナイフ一本から始めて、少しづつ余裕が増えていく度により良いものを買っていく。


 一つ良かったことをあげるなら、それまで全く自覚がなかったけれど、案外自分には芸術の才能があったらしいことだろう。はじめての小物が数日で売れて、それからも順調に作ったものは売れていった。おかげで、程々のもので買い揃えていた制作道具は、定期的に買い換えることになった。少しずつ装備が良くなっていくこともまた、ゲームみたいで面白かった。



 幼なじみのヒモをしながら木工細工を作って、数年もすれば親の扶養から外れるくらいには稼げるようになっていた。もちろん親からは勘当されているので何も関係ないが、少なくともヒモを卒業できるくらいには収入ができて、そこから更に数年もすれば小さな個展を開けるようになっていた。たまに名指しで依頼をもらい、作業場所は一人暮らし用のアパートから一軒家の一室に移っていた。


 芸術を学んた事のない人間だとは思えないほど、トントン拍子の人生だ。近所の材木店で買った木の塊に、価値を吹き込んでいく日々。気がつくと収入は幼なじみ、既に妻になっていた彼女のことをとうに超え、感謝も十分に伝えた。



 けれど不思議なことに、私は満たされなかったのだ。どれだけの金を得ても、名声を手に入れても、幸せを掴んでも、決して満たされることはなかった。私にとっての幸せ、一番のものは、価値のあるものがそれを失う瞬間に他ならないのだから。


 もちろん、たくさんの価値を貶めた。原価の百倍になる作品を燃やし、美しく繊細なガラス細工を砕き、たくさんのチケットを紙くずに変えた。その時は炎上の後始末が大変だったが、それもまあ今となってはいい思い出だ。


 けれど、満たされなかった。木工細工以外に手を出してみても、それらを全て台無しにしても、私が満たされることは一度もなかった。生涯最高の一品をしあげて、数千万の値が付いたそれを壊した時だって、満足とは程遠かった。



 天啓を得たのに、それを果たせなかった。そのために生きていたのに、全て無駄だった。有名芸術家、乱心か?と書かれた新聞を読んでも、心は驚く程に凪だった。




 その後、私がどうなったのかは、正直よく覚えていない。人生に絶望して自殺したのかもしれないし、空っぽの人形のように生きて天寿をまっとうしたのかもしれないし、恨みを持った誰かの手にかけられたのかもしれない。


 自分の終わりなんてどうでもよかったし、興味もなかった。ただ一つだけ間違いないことは、私が人生に失敗して、もう一度やり直す機会に恵まれたこと。ただ、それだけだ。

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