南条さんは変わっている

@Winter86

第1話 新春進学

 進学というのはやはり緊張する。

 「緊張」という言葉で上手く表せているかどうか問われれば違う気もする。けどまあ、そういった気持ちが頭の中で往来を繰り返す。


 詳しく覚えているわけではないが、小学校から中学校へ進学した時も、きっと思っていたはずだ。


 要するに不安なのだ。

 ここにいる皆もそうだろう。


 四月五日。

 高校の入学式は滞りなく終わりを迎えた。そして、一年三組のクラスに所属することになった。


 担任の先生は女性で、さっき教室を出ていった。配布するプリントを職員室に忘れたとかで。おかけで教室には数ヵ月前までは中学生だったという、まだあどけなさの残るクラスメイト達が静かに着席している。もちろん、おれもその一人。


 一年間一緒に学校生活を送るわけなので、クラスメイトの顔を確認したい気持ちはある。しかし、今は違う。


 後ろから二番目の窓側の席という、かなりの良席に座るおれは外を見続けることで暇を潰す。と言っても、見えるのは校庭と住宅街。暇を潰せるほどの景色ではない。


 黒板の上に設置された時計を確認する。先生が教室を出てってから数分振りに室内を見渡す。


「…………」


 そして視界に映る光景に唖然とする。

 高校と言ったら、中学からの受験だ。要するにそれは知り合いが同じ学校になるとは限らないということだ。


 皆、初めましての状態から学校生活をスタートする。流石に「皆」とまではいかないだろうとは思っていたし、多少なりとも知り合いがいて、話が弾んだりするのもあり得なくはない。


「先生、優しそうだったね」

「でもなんか抜けてるとこありそう」

「わかるー!」


「やっぱ悠斗はサッカー部入るのか?」

「まぁね。そういう奨吾はどうなんだよ」

「もちろん、野球一筋だぜ!俺が舞堵高校を全国に連れていく!」


 わりかし賑やかだ。

 歩き回ったり、立ち上がっている人はいないが、各々近くのクラスメイトと言葉を交わしている。


 おれみたいに誰とも話していない生徒もいるにはいる。しかし、少数派と言って差し支えないだろう。


 ―――マジか。皆、もうそんな感じなのか。おれも誰かに話しかけてみるか。知り合いとかいないけど。いやてか、いないからこそ作らなきゃいけないんだろ。


 ―――そうは言ってもだ。誰に話し掛ける。隣は……男子だ。同性なので話し掛けやすくはある。ただこの場合、何を言えばいいんだ?


 ―――中学の時は……ダメだ。小学校からの友達と話してたし。気付いたら、小学校の違う人とも友達になっていた。ここでは役に立たない。


 ―――それとも今、無理して話し掛けなくとも、学校生活を続けていく内に話す機会は必ず訪れる。その時まで待つという選択肢がある。


 ―――わけないだろ。どう見たって友達の出来ない人間の典型的な考え方だ。


「あっおはよぉ……」


 意を決して口にした。

 「おはよう」という安易なワードチョイスであったが、先頭に「あ」が付いてしまったし、結局最後まで口に出来なかった。


「おぉ!同じクラスだったのかよ!」

「マジで良かったぁー知ってるやついて!」


 幸いにも同類だと思った隣の生徒には、このクラスに知り合いがいたみたいだ。しかし、おれの行き場を失った言葉は飲み込むしかないのだろうか。加えて、若干話し掛けた男子生徒の方へ身体を向けてしまっている。


 後ろの人とかには見られてるだろうし、おれの行き場を失った言葉も聞かれている可能性が。


 出来るだけ自然な感じで、机の位置を直す振りをする。机を左右に少しずらして元の位置に戻すという無駄。誤魔化すためだ。無駄なことでも手は抜かない。


 自然な感じでやり切り、横目で一瞬後ろの席を確認する。そのつもりだったのだが、後ろの席に座る人物に不覚にも横目が釘付けになってしまった。


 艶のある純黒の長髪、髪同様に黒い瞳と控えめな睫毛、目元が少し赤く、涙袋の主張も激しい。目鼻立ちはすっきりしていて、初雪のような白い肌は黒髪とのコントラストを生んでいる。


 決して、地元が田舎だったわけじゃないが、この女子生徒は確実にメイクをしている。それも普通のじゃない。女性の施すメイクの「普通」自体、別に知ってるわけでも詳しいわけでもないが、この女子生徒のメイクが「普通」じゃないことは確かだ。


 どこぞの巷で流行っている地雷メイクと言っていいのだろうか。これまでそういった人たちに会ったことがないので断言は出来ないが。


「…………!」


 そして気付いた。

 その地雷系女子がこっちを見ていることに。


 不自然過ぎる動きで正面へ向いてしまった。こっちを見ているという視覚を通じて得た情報が、脳へ届く前に脊髄反射を起こしてしまった。


 ―――キモかったか……知らない男に見つめられたらキモいに決まってるか。ど、どうすれば。このまま何事もなかったように振る舞うか。それとも逆に話し掛けてしまおうか。誰かと話している風には見えなかったし。


 ―――いやいや、逆にってなんだよ。逆に話し掛けるって謎だろ。一体何が「逆に」なったんだよ。


 そんなしょうもない考え事をしている最中、背後で何かしらの気配を感じたものの、扉が開いたことで教室が静かになる。


「ごめんねぇ。遅れちゃって」


 プリントの束を抱えた先生が教卓の前に立つと、生徒全員の視線が集まった。生徒から見ても先生の一挙手一投には慣れない感じが伝わってくる。先生としての歴が浅いのか。若く見えるし、もしくは。


「改めて自己紹介するね。私の名前は稲瀬鶴いなせつる、教科は歴史を担当していて、担任を持つのはこの一年三組が初めてでもあります!皆とはなるべく早く仲良くなりたいので、いっぱいお話したいです!」


 なんとも熱の籠った先生だ。

 初めてクラス担任に張り切っているのだろうか。


「ということで、いきなりですが皆には自己紹介をしてもらいますっ!名前と好きな食べ物とか趣味とか、何でもいいので名前プラス三言の自己紹介をしてください!」


 よくある自己紹介イベントだ。中学の時も、入学したての一年生の初めに皆の前で自己紹介をした覚えがあるような。ないような。


 面倒くさそうな表情を浮かべる生徒も、ちらほら見られるが、自己紹介に反対する生徒は当然ながらいない。


「それじゃあ、自己紹介したいって人っ!」


 そう言って手を挙げた稲瀬先生に続く生徒はいなかった。誰も最初は嫌に決まっているので当たり前な結末ではある。


 しばらくの沈黙が続いた後、生徒の中から手が挙がった。一番前の席に座る男子生徒だった。


相浦学あいうらまなぶです。趣味は勉強、得意な教科は数学、苦手な教科はありません」


 席を立ち、その場で振り返った相浦は稲瀬先生に背を向けた状態で自己紹介を終えた。仲良くなりたいという稲瀬先生を意識的に切り捨てたような無慈悲さを感じるのは、その自己紹介の端的さにも表れている。


 確かに三つだった。趣味と得意科目と苦手科目。

 趣味が勉強の時点でかなり引っ掛かるが、苦手科目を無いと言い切る相浦には絶対の自信が垣間見えた。


 ―——いや、そんなことどうでもいいだろ。


「あ、ありがとう、相浦君。えっと……勉強が得意なのね。歴史とかはどう?」

「暗記科目に得意も不得意もありません。馬鹿でも暗記さえすれば点数を取れてしまうんですから」

「は、はぁ………」


 意気消沈とする稲瀬先生だったが、すぐに気を取り戻す。


「じゃ、じゃあ、次やりたい人!」


 相浦の後で自己紹介をするのはかなりハードルが高いような気がする。何故なのかは分からないけど、おれは絶対に嫌だ。


 結局、誰も手を挙げることはなく、名前順に自己紹介をすることになった。運悪く相浦の次に自己紹介することになった女子生徒は「出身中学」と「趣味」と「入部しようと思っている部活」の三つを話していた。


 そして三人目、四人目、五人目と素早く自己紹介は続く。

 二番目に自己紹介した女子生徒の自己紹介がテンプレとなり、続くクラスメイトのほとんどが「出身中学」と「趣味」と「入部しようと思っている部活」の三つを話す。変わる部分は部活についてで、入るつもりがない人だ。


 あっという間に順番は回って来た。

 前に十人ほどいたのであらかじめ考えておく時間は十分にあった。


遠坂秦希とおさかしんきです。掛川高校から来ました。趣味は映画鑑賞で、苦手な科目は数学です」


 手短に済ませ、すぐに着席する。

 自己紹介を終えると何だかどっと気力が失せた。たったの一文に過ぎない自己紹介でもそれなりに緊張してしまうのが、何ともおれらしい。


 後ろからごそごそと鞄を探る音が聴こえるのは気のせいではないはずだ。鞄を漁るのではなく、机の上に中身をひっくり返しているのではという豪快な音だった。振り向きたい気持ちに駆られるが、何とか抑えた。


「南条さん?自己紹介の番だよ」


 ぎぃっーと椅子が床を擦れる音が背後で響く。


「……南条綾華なんじょうあやかです」


 最後列に座っているため、前の席に座る生徒のほとんどが振り向いている。真後ろで自己紹介しているというのに目の前に座るおれが振り返らないのはおかしい。名前を聞いたところで振り返ると南条の机は、やはり物で溢れていた。机の脇に空になった鞄が横倒しになってもいる。


 最初に机へ目が行ったが、立ち上がった南条を見て、思わず固まってしまった。


「な、南条さんっどうしてハサミを持ってるの!?」

「切りたいものがあるから?」


 そう言って南条の瞳がおれを見下ろしてくる。

 右手に持ったハサミの刃が閉まる。一体、そのハサミで何を切るつもりだったと言うのだろうか。


「危ないからハサミは机に置きましょう、ね?」


 稲瀬先生がハサミを手放すよう促すが、おれとハサミの間で何度も視線を彷徨わせる。傍から見れば南条は挙動不審だ。自己紹介の場でハサミを持っていること自体十分おかしいし。


「はい、これ」


 ―——えっ……何でハサミを渡してくるんだ……


 南条は視線を彷徨わせた挙句、ハサミを渡してきた。それも刃先を向けて渡してくる。刃先は丸くなっているので危険なわけじゃないけど、これは受け取った方がいいのだろうか。よく分からない。


 ハサミが揺れる。南条が小さく揺らしているのだ。早く受け取れという無言の催促なのか。本当に意味分からないが、受け取っておこう。


 上下に小さく揺れるハサミを手に取ると南条は満足したように頷く。そしてまだ自己紹介を終えていないというのに席に着いた。机に散らばった物を片付け始めるが、半分以上がお菓子だ。ちょっとしたパーティーなら始められるくらいの量はある。


 お菓子の持ち込みが校則で規制されているわけじゃないので、机に散らばるお菓子を見ても稲瀬先生は何も言わない。ただ、この教室にいる全員が南条に目を向け、全員が同じように困惑している。相浦の自己紹介も中々インパクトがあったはずなのに、それを南条は軽々と飛び越えてきた。


 稲瀬先生が次の人へ自己紹介を移したものの、おれの頭の中にはハサミと南条のことしかなかった。


 ———見た目だけじゃなく、中身まで変わっているとは。それに、おれはこのハサミをどうすればいいんだ。帰る時になったら帰せばいいのだろうか。


 ハサミの刃を開けては閉じる。何度かそれを続けるが、別に何かあるわけでもなかった。普通のハサミだ。


 見た目だけに収まらず、大量のお菓子といい、ハサミといい、南条の行動が気になってしょうがない。気にし過ぎているせいなのか、首筋に南条の視線を強く感じる。流石にそれは気のせいだと思いながら、クラスメイト全員の自己紹介が終わるまでハサミの意味を考え続けた。


「改めて、一年間よろしくね!皆が、一年三組で良かったと思えるクラスにしたいから、楽しい一年にしましょう!」


 自己紹介の最後は稲瀬先生の言葉によって締めくくられた。

 廊下の方から喋り声と足音がし始める。他のクラスはホームルームが終わったみたいだ。稲瀬先生は若干急ぎつつ、職員室へ取りに戻ったプリントを前から配り始める。


 前の席に座る女子生徒……確か、伊原だったと思う。回ってきた二枚のプリントを伊原から受け取る。一枚はおれので、もう一枚は南条のだ。


 手だけを後ろに回してプリントを南条に渡す。だが、一向にプリントが掴まれるような気配がない。しょうがないので顔と身体を少しだけ傾け、後ろを確認した。


 ———な、なにやってんだ、この人は………


 そこに南条の姿はなかった。上半身が机の下に潜っている。見るに机の下に置いてある鞄を、またもや漁っている様子だ。さっき机に散らかして、片付けたばかりじゃないのか。何をまた探しているのか。南条のおかしな行動には思わず口を挟みたくなるが、ここはしっかり抑える。口を挟むほどの仲ではないから。


 わざわざ呼んで、プリントを受け取らせなくても机の上に置いておけば気付くだろう。ささっと南条の目の前にプリントを置いて、おれは前に向き直る。


 ———あ、そうだ。ハサミも今返してしまおう。


 向き直ってすぐ思ったので、行動に移すのも早かった。しかし、一応確認のためにゆっくりと顔を傾け、横目で南条を見るが今度は普通に座っていた。プリントと一緒に置いとく発想が出来ていれば返せていただろうに。


 もうホームルームが終わった後に返すしかない。


 明日からのオリエンテーションや授業について、稲瀬先生が軽く話す。明日、明後日は授業ではなく、オリエンテーションをするらしい。正午には解散になる。配られたプリントを見れば、そこにも同じようなことが書かれている。


「明日は八時四十五分までに教室にいないと遅刻になるからね。それじゃあ皆、気を付けて帰ってね」


 ホームルームが終わると途端に教室内は騒がしくなる。

 すぐに教室を出て行く人もいれば、離れた席の知り合いの下へ移動する人もいる。思っていた以上に、このクラスの人たちは知り合いがいるみたいで、ますます不味い。クラスどころか、おれはこの学校自体に知り合いがいないのだから。


 でも今は、南条にハサミを返さないと家に帰ることすら出来ない。


 ハサミを手に身体を後ろへ向けると手を伸ばした南条と目が合った。南条も、おれに用があったのか。


「南条さん、ハサミ返すよ」


 短く言って、持ち手の部分を南条に向けた状態で机に置く。手を伸ばしたまま一向に動きのない南条は何だが不気味だった。


 そして、そんなに見つめられると普通に照れる。地雷っぽいけど、南条の可愛さはレベルが違う。そのメイクのせいなのか、どこか少し大人びた雰囲気を与えてくる。


 用は済んだし、これ以上見つめられるとおれの身が持ちそうにない。


 身体を正面に戻そうとした直後、固まっていた南条の手が、おれの首筋に触れた。と言うより触られたと言うべきだ。


 ワイシャツにブレザーを羽織っているため、たまたま首筋に手が当たってしまったわけでもない。南条自ら、おれの首筋に手を伸ばしてきたのだ。


「ひゃっっ!?」


 首筋に感じる南条の指先は冷たかった。

 思ってもみない南条の奇行におれは情けない声を上げて、身を引いた。


「ぁっいたっっ!」


 そして勢いよく身を引いたことで脇腹に机の角が突き刺さった。


 まるでおれが一人芝居でもしているかのような、滑稽な姿を晒すはめになってしまった。困惑と痛みと恥ずかしさで、南条を見れない。それどころか、床へ向いたままの顔を上げることも出来ない。


「これ、ずっと気になってた」

「えっ……」


 ハサミの開閉音が後頭部で鳴った。

 一瞬、髪の毛でも切られたのかと思い、ようやっと顔を上げる。


 右手にハサミ、左手に紙のタグを持った南条が、またもや満足げな表情でこちらを見ていた。


「……それが、付いてたってこと?」

「うん。入学式の時からずっと」


 それはそれで、また恥ずかしい。

 タグを付けたまま服を着るなんて今までなかった。我ながら、タグに気付かないほど入学式に緊張していたというわけか。でも、ブレザーでワイシャツの襟もとは隠れてるし、目立ってたわけじゃないだろう。


「あ、ありがと。取ってくれて」

「もらってもいい?」

「えっそれを?」

「うん」

「なんで……?」

「欲しいから?」


 ———あれ……結局どういうこと?


 会話が成り立っているようで、その実まったく成り立っていないことに気付いた時には既に南条はブレザーの内ポケットにゴミでしかない紙タグを入れていた。


「じゃあね……と…と…とおの君?」

「……遠坂ですけど」


 鞄を肩に掛け、立ち上がった南条が顔を少し赤らめる。

 もともと目元がほのかに紅いので見間違いだったかもしれないが。


「惜しいからセーフ」


 ———いや、名前間違えて惜しいとかないだろ。


 南条が教室を出て行く際、クラス全員の視線が向いていた。

 初めは皆、南条の見た目に目を奪われていたはずだが、自己紹介を終えた今はきっと違っている。


 地雷っぽい見た目にそぐわず、南条はかなりの変人かもしれない。

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