第10話 栞になった吾亦紅

 二学期の中間テストが終わった翌日から、来月に行われる文化祭に向けての準備が始まった。期末テストの期間が始まるまでの間は、束の間の楽しむ時期となる。

「じゃあ、今から文化祭の出し物についての話し合いを始めまーす。何か意見ある人!」

学級委員の千夏がクラスの意見を聞いてまとめる係を、もう一人の学級委員の成瀬が板書係として、クラスを指揮していく。

「はい! 私はやっぱり演劇をやるべきだと思います!」

ある一人の女子生徒が意見を出した。それに対して、成瀬は黒板に綺麗な字で演劇と書いていく。千夏は出された案以外の意見が無いかを聞き、それにまた別の生徒が「演奏」と発言したり、「合唱がいい」と自分がやりたい意見を出した。そんな中、陽馬は頬杖をつい、ため息交じりで「俺、どれも嫌なんだけど」と嘆いた。

「僕も、正直どれもやりたくないよ」

「俺、当日休もうかな。面倒じゃん」

陽馬は突然目を見開いた。まるで名案を思い付いたかのように。

「あ、でも、演技なら役以外の係、例えば小道具製作とか、そういうのを選べば当日休んでも問題ないんじゃね?」

瞬時に名案だと思った。

「確かに。演奏は楽器使うから休んだら成立しなくなりそうだから、休むなんて絶対ダメだろうし、合唱もただでさえ男子少ないのに、休んだら周りから何か言われそうだしね」

「おい、勇希まで休む気なのか?」

「陽馬がいない文化祭なんて、つまんないよ。一緒にいたいから」

「だったら、何が何でも演劇に票を入れないとな」

「だね。演劇に一票入れよう」

そんな会話を陽馬と交わしていると、演劇、演奏、合唱以外の意見が出なかったために、この三つの案で多数決を取る流れになっていた。

「じゃあ、みんな目閉じて。あ、成瀬もね」

「あいよ」

僕と陽馬はさり気なく見つめ合い、目を閉じた。

「じゃあ、演劇がいい人、手挙げて」

しばらくの間があったのち、千夏の声で「下ろしてくださーい」と聞こえた。

「次に、演奏がいい人、手挙げて」

演劇よりは短い間だった。

「下ろしてくださーい」

誰かが何かを落とした音がした。

「最後、合唱がいい人、手挙げて」

妙に長く感じてしまう間。

「下ろしてくださーい」

生徒数名が小さな声で話している。

「はい、目開けていいよ」

千夏の指示通り目を開ける。窓から差し込む太陽の光と、蛍光灯の光がダブルで目を攻撃してきた。

「今から結果発表します」

ちょっとだけ心拍数が上がる。

「実は、私が演劇に票を入れたことで、合唱と全く同じ票数になりました」

生徒はざわめく。

「なので! 今度は演劇と合唱で、再度多数決を取りたいと思いまーす。はい、もう一回目閉じてくだーい」

千夏の指示で再び目を閉じる。

「じゃあ、いきまーす。演劇がいい人、手挙げて」

音を立てないように手を挙げる。右隣からは覇気を感じる。

「はい、下ろしていいよ。次、合唱がいい人、手挙げて」

明らかに短い間。これは、つまり、そういうことだよな。またも独断した。

「はーい、下ろしていいよー。目、開けていいよー」

千夏の口調は段々と軽くなっていく。

「結果言いまーす」

さっきの結果発表のときよりも強く願う。陽馬も同じように。

「演劇が十五票、合唱が九票ということで、演劇に決定しました!」

周りは拍手し始める。合唱に手を挙げた人は、がっかりしている。ホッとした。隣を見ると陽馬も僕を見ていて、またも見つめ合う形になってしまう。

「はいはい、どんどん決めていくよー。次は、何の劇をやりたいか、意見ある人は手を挙げて発言してくださーい」

 一人の生徒の発言から徐々にヒートアップしていく会話。僕らはもう関係ない話だと思って、特に耳を傾けていなかった。

「いや、役を入れ替えるぐらいなら、どっちも男子がやった方が面白いんじゃね?」

「あ! それいいね!」

話を聞いていなかったはずなのに、僕と陽馬は思わず、声を揃えて「えっ」と言ってしまった。悪い予感が頭をよぎる。

「あそこにいい二人がいるじゃん!」

千夏が指を差してきた。悪い予感の的中だ。

「あぁ、勇希と陽馬は仲良いから、いいじゃん。お似合いだよ」

必要なとき以外、特に会話を交わすことのない男子が、名前を呼び捨てにして、千夏に賛成の意を示す。

「いやいや! よくないから!」

発言をしておいて、良くない言い方をしてしまったと後悔する。

「えー、なんでよ」

「いや、確かに僕と陽馬は仲がいいけど、それとは別だろ」

隣で陽馬が何かを呟く。それに耳を傾ける。周りは僕ら二人を主役に選出する流れで話をしている。流れるような会話の中から用語を拾いあげて黒板に書いていく成瀬。

「逆に聞くけどさ、どっちも男がやるロミジュリ以外の意見はないの? さっき、役を入れ替えるって案もあっあよね? そっちの方向では考えないの?」

陽馬から耳打ちされたことを、そのまま僕が代弁する。クラスは騒がしかったのが嘘かのように静寂に包まれる。

「な、無いわけじゃないよね? ね、成瀬」

千夏は必死にアピールをする。

「いや、俺は勇希と陽馬のロミジュリ観たいけどな」

空気を読まない成瀬に苛立ち始めた千夏。

「ほら、ね、ほかの人も意見言っていいんだけど、何かないの?」

苛立ちながら焦りを見せる千夏。久保先生はロッカーに凭れ、ただ黙って生徒のやり取りを眺めている。千夏以外の生徒は全く喋ろうとしない。時計の秒針が進む音と、成瀬が黒板に文字を書いていく、その音だけが静寂の教室を支配する。

 誰も何も言わないまま、ただ時間だけが過ぎていく。そんな中、いきなり椅子から立ち上がり、陽馬が口を開いた。

「俺、勇希とならやってもいいよ」

「え」

生徒のほとんどは後ろにビックリマークが付く驚き方を、隣で聞いていた僕は後ろに句点が付く驚き方をした。立つ陽馬の腕を掴み、耳元へ囁く。

「どういうこと?」

「どっちも男がやるの、面白いと思わないか?」

「え、陽馬、演じる方の役やるの?」

クスっと笑う陽馬。

「勇希と一緒の思い出を作りたいからさ」

「そうかもだけど、えっ、さっきまで面倒って言ってたじゃん」

周りは僕らのやり取りを、興味あり気な様子で見てくる。

「千夏! ちょっと陽馬と二人で話したいから、ほかのこと決めててくれない?」

「あ、うん。わかった」

千夏が仕切り直し、僕と陽馬以外のクラスメイトに話しを振る。僕は陽馬を一旦席に座らせ、顔を近づけて話し合いを始める。

「陽馬、ロミジュリの話知ってるの?」

「最後だけ」

「結末知ってて、それで僕とならいいって言ったの?」

「そうだよ。最後のシーン、勇希となら容易に想像できたんだよ。何なら、シーンのどっかで勇希とキスできるだろ?」

陽馬の口から出されたキスの二文字。頬はみるみる熱を帯び、気付いたときには椅子から落ちていた。周りは僕が椅子から落ちたことを笑うばかりで、余計に恥ずかしくなる。陽馬はいたって普通に僕に手を差し伸べる。

「大丈夫か」

「ごめん。ちょっと驚いちゃって」

立ち上がる、そのとき、陽馬は不意に耳元で「大好き」と、息を吐くかのように甘い声を出した。あぁ、負けだ。キラキラと光る目。リンゴのような赤い唇。陽馬の願いなら、僕が叶えるべきだ。

「陽馬がやりたいなら、僕ももちろんやる。陽馬がほかの誰かと演技だとしてもキスしたり、抱き合ったりする姿、観てられないだろうから」

「そうこないと。流石だな、俺の恋人は」

陽馬は右手を差し出してきた。僕はその手を力強く握り返す。陽馬のやる気が漲っていた。

「千夏、ちょっといい?」

手招きで呼びよせる。昨年の誕生日プレゼントで渡したシャーペンを手に、こちらに走ってきた。

「千夏、話し合いしてる途中で悪いんだけど、僕と陽馬から話がある」

「え、なになに?」

「どっちも男がやるロミジュリ、僕と陽馬でやりたいんだけど」

千夏は何回か頷いたあと、「えぇぇえっ!」と、まるで芸人のようなリアクションを取った。生徒たちは千夏の声に驚き、話し合いを中断した。

「みんな! 勇ちゃんと転校生君の二人が、役がどっちも男子のロミジュリ、やってくれるって!」

「おいおい、マジかよ」

成瀬は板書していた手を止め、僕らの元へと歩いてきた。

「勇希、陽馬、本当にいいのか?」

「おう。任せとけって。ね、陽馬?」

「バッチリかましてやっからよ」

生徒たちは僕と陽馬に拍手をしてきた。

「そういうことで、勇ちゃんと転校生君が主役をやってくれるので、それ以外の役を決めていきまーす。とりあえず、黒板に書いてある役や係で、自分がやりたいところに名前を書いてくださーい」

千夏の合図で生徒は立ち上がり、仲のいい人と話したりして、順番にチョークで苗字を書いていく。ロミオとジュリエット以外のところに。舞台に出る以外の係は、舞台の小道具をメインで作る人や、台本を書く人、衣装を作る人といった裏方系だった。

「陽馬は、ロミオとジュリエットのどっちがやりたい?」

「俺は、勇希にキスしたいから、ジュリエットやりたいかな。だってロミオって先に死ぬだろ?」

「そうだね。ロミオはジュリエットが死んだと思って自殺しちゃうからね」

「だったら、俺がジュリエットだな。で、勇希がロミオで」

「わかった」

僕ら以外の生徒がどこかに名前を書き終えたようで、千夏が僕と陽馬に白のチョークを渡してきた。

「じゃあ、最後に勇ちゃんと転校生君、書いて」

生徒は謎の勇希、陽馬コールをかけ始めた。久保先生は表情を変えず、そのコールに対しても何も言わないままロッカーにただ凭れているだけ。ロミオのところに田代と、陽馬はジュリエットのところに三好と書いた。その瞬間は、教室のボルテージが最高潮に到達していた。

「はい、じゃあ、役が被ってるところ以外は、今書いてある人で決定でーす!」

台本を書く係を見る。そこには、島原の名前が書かれていた。「やっぱりな」と陽馬が呟いた。

「島原なら、俺たちの意見聞いてくれそうだな」

「どういうこと?」

「キスシーン、入れてもらうようにお願いしようと思ってんだ」

「えっ、それってお願いするもんなの?」

「いや、しないと入らないだろ。大丈夫だって。最後を華やかに見せるために、的な感じで伝えるからさ」

「陽馬のことだから直接伝えるのかと思ってた」

「俺のこと、どんな目で見てるんだよ」

「ごめんごめん。キスシーンが入るにしても、頑張ってセリフ覚えないとね」

「だな」

 自分たちの話に夢中になっている傍らで、千夏の先導により同じ役や係を選択している生徒たちによる話し合いとじゃんけん大会が開かれ、会話し終わったときには、全ての配役が決まったところだった。

「以上で、今日のところは終わりでーす」

「副島、成瀬、ありがとな。席に座っていいぞ」

生徒のやることに何も口出しせず、ただ黙って眺めていた久保先生が、ようやく口を開いた。

「はい、お疲れ様でした。文化祭当日まで一か月と少ししかないことは、わかってるよな。だから、これは俺からの提案なんだが、文化祭用に作られた台本を元にして、このクラスらしさというものを追加していく形にした方が良いと思うんだ。どちらも男子がやるとなると、セリフの言い回しとか、色々と変わってくるところも出てくるからな。どうだ?」

「台本を書くのは島原だから、島原がどっちがいいかだよね」

成瀬が口を挟んだ。

「島原ちゃんはどう? 一から台本作るのと、あるのを元にしてアレンジするのと、どっちがいい?」

千夏は島原に促すように問いかけた。

「私は、アレンジする方がいいです。早く台本が作られないと、皆さんの覚える時間も少なくなると思うので」

「それも、そうだね」

役を選んだ生徒は島原の意見に納得し、久保先生の発案に乗る形を取った。

「アレンジする形でいくんだな。そしたら、島原はあとで職員室に来てもらおうか。過去の台本を何冊か見てもらおうようにするから」

「わかりました」

 六時間目の終了を告げるチャイムが鳴った。僕の人生史の新たな一ページがいま、加えられようとしている。いい未来が待っていることを信じるしかない。


 翌日から動き出した僕らにしかできないロミジュリ。島原は台本を書くと決まったその次の日に、大まかな流れのものを完成させてきた。仕事が早い島原。最後に陽馬の願いが盛り込まれていた。

「島原、ありがとな。最後はあの流れでいいから」

「わかりました」

島原は休み時間になると台本の制作に取り掛かり、小道具係の生徒も色を塗ったり、段ボールを切ったりと作業を進めた。役を選択した生徒は、台本が出来上がるまでの間、最初に島原が作った流れの台本を読み、話への理解を深めていった。

 発表する劇の台本ができたのは、ロミジュリと決まった四日後のことだった。

「これ、台本です。久保先生にも渡して、一度読んでもらってますが、読んでて変なところがあれば、その場で直しますので」

そう言って、僕と陽馬、千夏に印刷された台本を渡してきた。

「島原ちゃん、仕上がるの早いね」

「いえ、早い方がいいですから」

陽馬は台本を熟読している。

「ほかの奴にも渡すの?」

「今、久保先生に印刷してもらってる途中なので、できたら今日中には」

「そうなんだ。先に渡してくれてありがとな」

「はい」

読み終わった陽馬が、「最後、よくなってる」と言った。

「えっ、そうですか?」

「うん、流れが完璧。今から演じるのが楽しみだよ」

優しい声掛けをする陽馬。島原の顔も晴れる。

「そう言ってもらえて嬉しいです」

「僕も、島原の期待に応えられるように頑張るから」

「はい、応援してます」

 千夏が個人的に島原に話しかける。その隣で、僕と陽馬は台本を早速小声で読んでみる。島原が書いた台本のセリフ。わかりやすいように少しだけ現代風にアレンジがされている。ロミオはジュリエットに対して優しい口調で語り、ジュリエット以外の人に対しては、馴れ馴れしい話し方をする。何となく今の僕に近い。ジュリエットは、クールなセリフの言い回しが特徴的。普段の陽馬そのものが反映されているように感じる。

「俺ら、頑張らないとな」

「だね。セリフ覚えの特訓しようか」

「どこでやる?」

「まずは、今日の帰り、公園でやってみない?」

「おう」

 授業開始を告げるチャイムが鳴る。席に着こうと足を踏み出そうとした瞬間、陽馬の足元に赤いリボンが付いた栞が落ちているのに気付いた。

「陽馬、ストップ!」

「えっ、何!」

驚く陽馬をよそに、僕は栞を拾い上げる。

「押し花の栞だ」

それを聞いた島原が、「あっ」と声を出した。

「それ、私のです」

「そうなの? よかった」

「ありがとうございます」

「それ、何の花?」

陽馬が島原の手に渡った栞を見つめる。

吾亦紅われもこうという植物です。自宅に咲いてたのを、綺麗だったので押し花に。お気に入りの栞なんです」

「そうだったんだ。じゃあ、次からは落とさないように気を付けなよ」

「はい。田代君、ありがとうございました」

「うん」

小学生のころから一緒のクラスになることが多かった島原だが、相変わらず苗字呼びを徹底している。これも男子から人気の理由なのかもしれない。台本を閉じ、バッグに入れる。今日から、また新たなメモリーとして刻まれていく。


 僕らが台本をもらった翌日には、クラスメイト全員に台本が渡された。小道具制作の生徒だけではなく、衣装を作る生徒にも、一層力が入り始めていた。放課後からは全体練習も開始され、役を演じる生徒は一組の隣にある空き教室に集まり、台本片手に演技をしていくことになった。島原の台本ということもあってか、皆テンションを上げて演じる。その度に、普段は寂れている教室も、明るく和やかな雰囲気に包まれていく。

 一時間に設定していたアラームが鳴り、それを止めた神父役の千夏。

「はい、時間でーす。今日の練習は終わり!」

生徒は、ワイワイと盛り上がった状態のまま教室を出て行く。

 クラスでは、後ろ側に追いやっていた机を元に戻す作業が行われていた。久保先生も加わっている。千夏は教室に入るなり、「わぁ! すごいね。みんな絵上手い!」と声を掛け、小道具を作る生徒を労う。

「だって、美術部ですから」

「だよねー。完成楽しみにしてるからね!」

最後の机を戻し終えると、生徒は自分の席に座っていく。

「副島、今日のまとめ、ひと言で」

久保先生が千夏に促す。

「今日も一日お疲れさまでした! 演技する方は初日から楽しさを前面に出せてたと思います。制作側の方が直接見てないですが、進捗状況からも、毎日頑張ってくれていることがわかります。明日も引き続き制作作業とセリフ覚えを頑張りましょう!」

「はーい」

千夏が席に座ると、久保先生が教卓の前に立った。

「最後に俺から言わせてもらう。セリフ覚えと道具・衣装の制作が毎日続くが、最後まで集中を切らさず、努力して欲しい、その努力は、必ず結果に繋がるし、お前たち自身の糧になる。途中で嫌になることもあるだろうが、そこは、このクラスのチームワークを活かして乗り切ってくれ。以上」

久保先生からのメッセージに生徒は力強く返事した。

 陽馬とのセリフ覚えの特訓は登校時、休み時間、下校時はもちろんのこと、互いの家を行き来し夕食の時間まで練習を繰り返した。台本を見ずにセリフが言えるようになったときには、互いに抱き合い、喜び合った。陽馬の成長を間近で見られる僕は、特等席にいるようなもの。優越感は半端じゃない。この時間は誰にも奪えない。僕の記憶だけが奪えるものだ。


 小雨の降る朝。傘を差し陽馬の横を歩く。西の方は怪しい雲に覆われている。この雲はどんな雨を降らすのだろうか。

「文化祭まで、あと一週間か。あっという間だな」

「そうだね。今日からは小道具もセットされて、しかも衣装に袖通しての練習も始まるからね」

「段ボールベッドの上で、勇希と横並びで寝れるのか」

「寝られるって、死んだフリするだけだよ?」

「そうかもしれねぇけど、少しの間だけ舞台上は俺と勇希だけの空間になる。それが嬉しいんだよ」

「主役だからできることだよね」

 何も入っていない傘立てに傘を入れ、靴を脱ぎ、上履きに履き替える。

「小学生の頃のままの俺じゃ、主役やるなんて絶対になかっただろうな」

「そうなの?」

「俺、クラスの発表会とか、教室での音読とかが苦手でさ。昔ッから人前に立つだけで、緊張して声が小さくなるんだ」

「そうだったんだ」

大きな埃が落ちてる階段を上っていく。

「でも、俺は変わらないといけないって思った。このままじゃ何も始まらないって、そう思ったんだ」

「陽馬は変わろうとしてるよ。主役を自らやるって言った時点でね」

「まぁ、あんな意見だされたから、アレだけどな」

「陽馬が主役やるって言ったときは、その夢を僕が叶えてやるんだって、僕はそう心に誓った」

一度止まり、上から降りてきた教師に挨拶し、また階段を上る。

「ありがとな、勇希。俺、絶対勇希が相手じゃなかったら、主役やらなかった。昔のままで何も変わらなかったと思う」

「陽馬が主役やるって言ってくれたから、僕も頑張るんだっていう希望をもらえた。ありがとね、陽馬」

教室に続く廊下を歩く。教室の明かりは付いていない。まだ誰も来ていないようだ。

「よし、今日も朝練やりますか」

「だね。教室まで走ろう」

「勝負だ!」

僕らは教室に向かって伸びる廊下を全力で駆ける。

「残り一週間、最後まで頑張ろうぜ、ロミオ!」

「今日からもまた頑張ろうね、ジュリエット!」

クシャクシャになった台本。セリフの上に引いたマーカーが擦れた痕。シャーペンで書かれた追加事項。毎日更新されていく陽馬との記憶のメモリー。そのどれもが鮮明で、流麗なものだ。

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