2009年に金沢、能登半島を舞台にした作品を創作していたので、令和6年能登半島地震の復興を祈願して今、公開しました。初創作以来修正なし。

明石竜 

第1話

十二月二十二日の夕方、藤太郎は特急サンダーバードに乗っていた。

〈……終点金沢、金沢です〉

到着を告げる車内アナウンスが流れる。

「やっと金沢駅に着いた。ここからもまだちょっと遠いなあ……」

 藤太郎はここからバスに乗り換え約一時間。バスを降りてからも十分ほど歩いてようやく親戚宅の玄関前へ辿り着いた。昔ながらの和風建築となっている。

この度、藤太郎は冬休みの期間、ここで過ごすことになったのだ。

藤太郎はチャイムを鳴らした。

そして三秒ほど経つと、ドドドッと勢いよく廊下を走ってくる音が聞こえてきて、ガラガラガラッと横開き玄関扉が開かれた。

「おいであそばせ藤太郎君。写真付のお手紙は毎年のように年に何度か送られてくるけど実際に生で会うのは、お婆ちゃんのお葬式以来だから八年ぶりになるわね。私、首を長くして楽しみに待ってたのよ」

「わたしも首をキリンにして待ってたよ。ようこそ、藤太郎くん」

「こんばんは。葵お姉ちゃん、すゞちゃん」

藤太郎はかわいい笑顔で挨拶した。

「久しぶりに会って大きく……いや、やっぱり写真のとおり思ったほどでもなかったか」

「まだわたしよりちょっと背が低いね」

 藤太郎の身長は148センチと高校一年生のわりにはとても小柄であったのだ。

「ボク、これでも去年より7センチ伸びたよ。でもこれでもクラスで一番ちっちゃいけどね」

「一応成長期は来てたんだね。わたしは151センチ。わたしもクラスで三番目にちっちゃいよ」

「ちなみに私は今、163センチよ」

「いいなあ葵お姉ちゃん。ボクもせめてそれくらいは欲しいな。なんかこの身長じゃ格好悪く見えちゃうよ」

「でも私、ちっちゃい男の子は大好きよ」

「わたしもその方が好みだよ」

「そうなの? じゃぁ今の身長のままでもいいかも」

葵は藤太郎をじーっと見つめていた。

「ほんと、相変わらずかわいいわねえ」

 葵はそう叫んで藤太郎にさらに近寄り、少しかがんで頬ずりをした。

「これ、久しぶりにやってみたかったの」

「あっ、葵お姉ちゃんの頬ずり。懐かしいなあ」

 藤太郎も葵も大喜びだった。

「藤太郎くん、来た早々お姉ちゃんにべったりだね。わたしも普段からお姉ちゃんにべったりしてるから人のこと言えないけどね」

「さあ、あがって藤太郎君。自分のおウチのようにくつろいでね。あ、そういえば、藤太郎君がここのおウチに来るのは初めてのことになるわね」

「うん、ボク、そのことがとっても嬉しくて、終業式が終わったらすぐにそっちへ向かったよ。お葬式の時もここへは来なかったし、前に会った八年前までの何度かは、すゞちゃんと葵お姉ちゃんがボクのおウチに来る側だったからね」

「そういえばそうだったね。さ、藤太郎くん、お荷物運んであげるよ」

「ありがとう、すゞちゃん」

 藤太郎は水色柄のリュックを降ろした。

二人はある物に気付いた。

「あっ、かわいいキーホルダー付けてる。さくらんぼさんだあ」

「チューリップのお花の刺繍も施されてるわね」

「この刺繍はママにやってもらったんだ」

「藤太郎くんって、昔からこういう系のが大好きだったね」

「うん、女の子っぽいって言われることが多いんだけど、色がきれいでかわいいのが大好きなんだ」

 藤太郎は女の子が好む物も、普段から周りの目を気にせず身につけていたのだ。

二人は藤太郎をお茶の間へと案内した。そこには今ではあまり見られなくなった卓袱台が置かれてあった。

「冷えたでしょう? おコタに入って寛いでね」

 藤太郎はコタツ布団をめくりあげ、足を伸ばした。

「わぁ、暖かあい」

 藤太郎はホッと一息ついた。

「あっ、そうだ。お土産があるんだった」

 藤太郎はリュックの中から紙に包まれた箱をたくさん取り出し、卓袱台の上に置いた。

「チーズケーキ、炭酸せんべい、子午せん、ハーブティ、ハーブクッキー、あっ、それにマジパンもあるのね。マジパンは藤太郎君のおウチで売られているやつね」

「お土産いっぱ~い。とっても嬉しいよ」

「私、マジパンって実物を見るのは生まれて初めてだわ」

二人は数あるお土産の中からさっそくマジパンの包みを開けてみた。

「これ、パンというよりは果物みたいね」

「いろんな形のパンがあるね。キウイにレモン、その他いろいろ」

「これ、全部ボクの手作りだよ」

「やっぱりね」

「藤太郎くんって、粘土遊びとかも大好きだったね」

「うん、マジパンの工作も粘土遊びの要領で楽しめるよ」

「いろんな物を本物そっくりに作ったり、この前最後に会った時には騙されたね。あの時のことは忘れてないよ」

「私もすっかり騙されちゃったわ。それにしても、よくこんな遠い所まで一人で来られるようになったね」

「成長したね藤太郎くん」

「うん。ボク、今回生まれて初めての一人旅なんだ。……あっ、ママとお姉ちゃんから着いたらお電話するように言われてたんだ」

 藤太郎はズボンポケットの中から携帯電話を取り出した。

「携帯電話もピンク色しててかわいい」

「ウサギさんのストラップも付けてるーっ」

「これもボクのお気に入りなんだ」

 藤太郎は携帯の短縮ボタンを押して電話をかけた。一回鳴らしただけで、すぐに藤太郎のママが出たようだ。

「もしもし、この番号は藤太郎ちゃんね」

「うん、ママ。今着いたよ」

「よく出来たね藤太郎ちゃん。えらいわ。今、残念ながらお姉ちゃんは今お出掛け中なの」

「それじゃ、お姉ちゃんにもよろしく言っといてね」

「分かったわ。途中で危ない目に遭わなかった?」

「大丈夫だよ。そんなに心配しないで」

 藤太郎はママと楽しそうに会話している。

「藤太郎君、ちょっと私に代わって」

「わたしにも」

 二人も百合枝とお話したいみたい。

「分かった。ママ、葵お姉ちゃんとすゞちゃんに代わるね」

 藤太郎はまず、葵に携帯電話を手渡した。

「百合枝叔母さん、私、葵よ」

「こんばんは葵ちゃん。電話越しでも話すのは一年振りくらいになるかしらね。お店がとっても忙しくてそっちへ行く暇が今まで全然なくてごめんなさいね」

「いえいえ、こちらこそ時々美味しい洋菓子をたくさん贈っていただいて、私もすゞも大感謝していますよ。多忙なのはお店が大繁盛している証拠ですから気にしないで下さい」

「ウフフフ、わたくしの方も葵ちゃんやすゞちゃんに喜んでもらえて嬉しいわ。藤太郎ちゃんも大きくなったことだし、ずっと前からすごく行きたがってたし、今回一人旅させてみたの」

「まさに、“かわいい子には旅をさせろ”のことわざ通りね」

「ええ、これは藤太郎ちゃんの人生初めての大冒険なの」 

「こうして藤太郎君も大人に一歩ずつ近づいていくのね……」

葵は百合枝との電話に夢中になっていた。すゞはうずうずしている。

「お姉ちゃあん、早くわたしに代わってーっ」

「あっ、結構長話しちゃったわ。百合枝叔母さん、すゞに代わるね」

 葵はすゞに携帯電話を手渡した。

「百合枝叔母ちゃん、すゞだよ」

「こんばんは、すゞちゃん、胸は大きくなったかしら?」

「まだ全然ですよ。えへへ」

「ウフフ、まだ藤太郎ちゃんを悩殺できるほどじゃないのね。でもっ、藤太郎ちゃんがそっちにいる間、たっぷりかわいがってあげてね」

「了解! 百合枝おばちゃんとお話できて良かったよ」

 すゞは藤太郎に携帯電話を手渡した。再び本人に戻る。

「ママ、またボクに変わったよ」

「葵ちゃんもすゞちゃんもますますかわいくなってるわね。声を聞けば分かるわ」

「うん、それじゃママ、長くなるし、通話代も高くなるから、お電話切るね」

「気にしなくてもいいのに。それじゃバイバイ藤太郎ちゃん。寂しくなったらまたお電話してね。……葵ちゃんとすゞちゃんがいるから、寂しがる暇はないかな?」

「そうかもしれないね(笑)」

電源ボタンをピッと押して、ママとのお電話タイムが終了。

「百合枝叔母さん、声を聞いたらますます若返ってるような気がするわ」

「お顔は皺が増えてるけどね。そういえば、辰美伯母ちゃんと太助おじちゃんはお元気にしてる?」

「もっちろん。お母さんとお父さん、海外でも事業展開うまくやってるみたいよ」

 葵とすゞの御両親はご近所内では有名な和菓子職人で、今は海外で暮らしている。和菓子文化の素晴らしさを世界中へもっと広めていこうと葵が高校を卒業した今年の春から日本を飛び出し、現地の人々に和菓子の職人技を伝授したり、販売活動を行ったりしているとのこと。ワールドワイドにご活躍されているのだ。そんなわけで今、このおウチでは葵とすゞ、二人で暮らしているのだ。

「藤太郎くん、お夕飯が出来てるよ。カレーライスだよ」

「私とすゞが腕によりをかけて作ったよ」

「わぁい、ボクの大好物だ」

 二人はカレーライスを卓袱台の上に運んできた。

「私手作りの特製カレーよ。どんどん食べて大きくなってね」

「いただきまーっす」

 午後七時台のアニメを見ながらの夕食タイム。藤太郎はスプーンを手に取り、パクリとお口に運ぶ。

「藤太郎くん、甘口にしてみたけど、もう少し辛い方が良かった?」

「ううん、ボク、辛いのは苦手だからこれくらいでちょうどいいよ」

「藤太郎くん、その辺まだまだお子様だね。あかちゃんだーっ」

 すゞは指差してゲラゲラ笑った。

「そっ、そんなことないよ!」

 志賀之助はこれにはカチンときたようだ。雪菜にだけは子ども扱いされるのは少し癪なのだ。

「ボッ、ボクでも楽勝で食べれるよ! この赤くて細長い物なんて、……ストロベリー味のジェリービーンズだと思って食べればいいんだ!」

 ムキになる藤太郎。

「へぇー、じゃあ一口食べてみせて。はい、どうぞ」

 すゞは藤太郎の目の前に自分の分のカレー皿を差し出す。

 藤太郎は少し躊躇いながらもスプーンで男らしくルーの部分だけを掬いとり、すばやく口へと放り込む。

「あっ、あんまり辛くな……」

 その刹那、

「うっ、うわわわぁぁぁ!」

 藤太郎は冷蔵庫に向かって突っ走り、ピーチ味の甘いジュースを取り出しゴクゴク飲む。彼の口元はバーナーの点火口と化していのである。辛さは後になってじわりじわりと効いてくるのだ。

「ほ~ら、やっぱり無理だったじゃない」

 アハハハッと大声で笑うすゞ。得意げにVサイン。

「くっ、悔しいよーっ」

 藤太郎は悔しさとはまた別の涙を流していた。

再び自分のお皿に盛られたカレーを食べ始める。

「あ、藤太郎くん。カレーがべっとり」

 藤太郎はすゞにお口を拭いてもらった。

「ありがとぅ、すゞちゃん」

「もう、気をつけて食べてね」

 葵はその様子を微笑みながら横から眺めていた。

「こうして見ていると、藤太郎君よりすゞの方が一、二学年年上のお姉さんに見えちゃうわね」

「あっ、葵お姉ちゃぁん。本当は逆なのに」

「うふふ。藤太郎君、このカレー美味しい?」

「うん、特にこのお肉、今まで食べたことがないような味だあ」

「これはね、熊のお肉よ」

「えぇ……? くっ、熊ぁ……」

それを聞いた途端、藤太郎の顔が一気に青ざめた。食べてはいけないものを食べてしまった、という感じに。

「藤太郎くん食べ慣れてないからびっくりしちゃってるね」

「近くの五箇山ではわりと食べられているのよ。栄養満点!」

「クマさんのお肉は全て天然物なんだよ」

「超高級品よ! それでね……」

二人は藤太郎にいろいろと熊肉の素晴らしさを伝授してあげた。

「ボク、熊のお肉が食べられる物だなんて初めて知ったよ。食べ物に偏見を持っちゃダメなんだね」

 藤太郎は熊肉のお話を詳しく聞いて感激したようだ。

「そのままだと臭みが強くて食べにくいけど、カレーに入れると美味しくいただけるようになるのよ」

その後、藤太郎は熊肉カレーをより美味しくいただいたとさ。続いて葵はサラダと野菜炒めを持ってきた。

「藤太郎君って子供っぽい所も多いけどお野菜の好き嫌いは昔からなかったね」

「セロリやピーマンも残さず食べてるよ」

「うん、ボク、野菜はどれも食べれるよ。体にいいもん」

「それじゃ藤太郎くんの嫌いな食べ物ってなあに?」

「辛いものと苦いものはダメ!」

「やっぱりそうか。そこの所は子供なのね」

最後にすゞがデザートを運んできた。

「は~い藤太郎くん、いちご大福だよ」

「私とすゞの手作りよ」

「わぁ、モチモチして美味しそうだぁ」

藤太郎は手づかみで一つ丸ごと口の中に入れた。

「美味しい? 藤太郎くん」

「藤太郎君、もし不味かったら卓袱台をひっくり返していいのよ」

「ボク、そんな昔のアニメみたいなことはしないよ。不味くなんかないよぉ。甘くてとっても美味しいよ」

「それは良かったわ。また作ってあげるね」


 それから十五分ほど過ぎた。

「ごちそうさまあ」

 藤太郎はお腹いっぱい食べられて大満足だったようだ。テレビアニメも見終わり、スクッと立ち上がった。

「葵お姉ちゃん、ボク、おトイレ行きたい」

藤太郎はアニメが終わるまでずっと我慢していたようだ。ピョンピョン跳ねていた。

「うふふ、藤太郎君くんの仕草かわいい」

「トイレはね、廊下の一番奥にあるよ」

「私、ついていってあげようか?」

「大丈夫。一人で行けるよ」

「昔、おトイレはお化けや妖怪や幽霊が出るから怖くて一人で行けないってわんわん泣いてたのに大人になったね」

「そうだったね。藤太郎くんのおウチのおトイレ、わたしもついてってあげたよ」

「……ボク、そんな昔のことボク覚えてないよぉ」

 実際は、そのことについてははっきりと覚えていた。嫌な思い出というのは忘れにくいものである。藤太郎は顔を赤くして恥ずかしがりながら急いで飛び跳ねながらトイレへと向かった。


二分ほどして、藤太郎はトイレから戻ってきた。

「葵お姉ちゃん、すゞちゃん。トイレの中にすごく大きな虫さんがいたよ。あれ、ガガンボだよね?」

 二人はトイレにその虫を見に行った。

「ピンポーン、正解よ藤太郎君。よく知ってたね」

「だって昆虫さん大好きだもん。ボク、あれは図鑑でしか見たことなかったよ」

「この辺りではいろんな虫がいるよ。冬でも結構見かけるの」

「やっぱり都会に比べると種類が豊富なんだね」

 藤太郎はそれを聞いて小学生のように喜んでいた。


「今から藤太郎君にこのおウチの中を案内するわね」

「結構広いよ。迷子になっちゃうかも」

「初めて見るから楽しみだな」

二人はまず、藤太郎を二階へと案内した。今では珍しい昔式の側面に戸棚や抽斗の付いた箱階段をトントン上がってゆく。

「ここがわたしのお部屋」

「ぬいぐるみがいっぱいあるね。ボクのお部屋もいっぱいあるよ」

「ペットも飼ってるよーっ」

この部屋には虫かごと水槽が置かれてあった。

「この土だけの虫かごは何を飼ってるの?」

「タマムシの幼虫さんだよ」

「成虫になるととってもきれいな色になるやつだねぇ」

「来年の夏には成虫になってるよ」

「タマムシはタンスに入れておくと良い事があるのよ」


「こっちの水槽はデンキナマズが泳いでる。珍しいのを飼ってるんだねぇ」

「この子の名前は鯰電さ~ん。わたし、感電したことがあるよ。ビビビビビって」

「デンキナマズさんは、デンキウナギさんよりは電圧が低いけど、やっぱり感電したら痛いからね」

「そういえば藤太郎君のおウチもペットを飼ってたよね?」

「うん、ボクのおウチにはグッピーとネオンテトラがいるよ」

「こっちはかわいい熱帯魚さんだね。藤太郎くんにお似合いだ」

「もう一つの水槽はクラゲさんかぁ。たくさん泳いでる」

「かわいいでしょう。この子たちの名前はみんなまとめて水母海さん」

「これも感電系だね。クラゲさんは刺されると痛いけど見ていると癒されよ」

「まだまだあるよ。食虫植物さんも飼ってるの。ほらあれ――」

 藤太郎は部屋の隅に置かれていた植木鉢に目を向けた。

「あ、これはムシトリスミレだあ」

「今は冬芽なんだよ。この子の名前はスミレナダさん」

 すゞはペットに独特な名前の付け方をしているようだ。

「わたし、音楽が得意なの。特に笛」

続いてすゞは、机の中からアルト・リコーダーを取り出し、『トルコ行進曲』を吹いてみた。


     ♪♪♪


 演奏終了。

「とっても上手だったよ。すゞちゃん」

「ありがとう。次は藤太郎くんが吹いてみて。はい、これどうぞ」

「でっ、でもこれ、すゞちゃんが使ったやつだよ」

「これでわたしと間接キッス」

「藤太郎君、遠慮せずに」

「わっ、分かった。……うわぁ、唾液がべっとりだあ」

「藤太郎くんに吹かせるためにわざといっぱい出しておいたの」

「こっ、こんなのは吹くの絶対嫌だよ」

「ふーん、わたしのつば、汚いと思ってるの? 失礼ね」

「わっ、分かったよ。ボクは、『モルダウ』を吹いてみるよ」

こうして藤太郎は、ちょっと躊躇しながらベトベトした笛を口にくわえて演奏したのであった。


     ♪♪♪


「お笛もわたしに負けないくらい上手だね」

「とっても良いメロディーだったわ」

 藤太郎は褒められて嬉しがっていたが、正直早く口の中を洗いたいと思っていた。

「こっちが私のお部屋よ」

廊下を挟んで隣が葵のお部屋。

「写真やジグソーパズルいっぱい飾ってあって素敵なお部屋だね」

「私の趣味の一つなの」

「ボクもジグソーパズルでよく遊ぶよ」

「わたしはパズル苦手、頭こんがらがっちゃう」

藤太郎は葵の机の本棚に目を向けた。

「絵本もいっぱいある。スケッチブックも」

「私は普通の絵本以外にも自作の絵本や紙芝居を作って、近所の子供たちに読み聞かせをしているの。そういえば藤太郎君も絵が得意だったよね?」

「うん、ボク、粘土工作が一番得意だけどお絵描きも大好きだよ」

「それじゃあ、私の似顔絵描いてくれる?」

「もちろんいいよ。葵お姉ちゃんの似顔絵、そっくりに描いてあげるね」

「藤太郎君、ヌードはお絵描きの基本よ! 脱いであげよっか?」

 からかう葵。

「そっ、そんなことしなくていいよ」

 藤太郎は頬が少し赤くなっていた。

「あ~、藤太郎くん、お姉ちゃんの裸、ちょっと想像してたでしょう?」

「しっ、してないよ。すゞちゃん」

「うふふ、かわいい。ヌードになったら藤太郎君興奮しすぎちゃって描けなくなっちゃうね」

そういうわけで葵は着衣でポーズをとってくれた。まあ最初からそうするつもりだったが。藤太郎は楽しそうに描いている。


 十分後、 

「葵お姉ちゃぁん、ボク、描けたよう」

 藤太郎は鉛筆を置いた。 

「わ~、お姉ちゃんにそっくりだあ」

 すゞは、後ろから覗き見していた。

「はい、葵お姉ちゃん」

 藤太郎は自信満々にその絵を葵に渡した。

「どうかな?」

「本当、私にそっくり。でも私、こんなにかわいいかなあ? とってもきれいに描いてくれたお礼になでなでしてあげる」

 藤太郎は頭を撫でてもらった。

「ありがとう葵お姉ちゃん。また描いてあげるね」

藤太郎はとってもハッピーな気分になった。

「今度はわたしが藤太郎くんを喜ばしてあげる。似顔絵描いてあげるよ」

「ありがとう、すゞちゃん」

「それじゃ、服脱いで。藤太郎くんのヌードが描きた~い」

「いっ、嫌だよ!」

「あ~んもう、しょうがないなあ。着衣のままでいいよ」

今度は藤太郎がポーズをとる。すゞも楽しそうに描いていた。 

 

五分後、

「描けたよ藤太郎くん、はいどうぞ」

 すゞはその絵を藤太郎に堂々と手渡した。

「え!」

それを見た瞬間、藤太郎は愕然とした。

「すっ、すゞちゃん、これは酷いよ。ボク、こんなに目が離れてないし、鼻も曲がってないよ」

 それはまるで“ピカソ”を髣髴とさせる絵柄だったのである。

「ごめんね。わたし、絵がうまくないんだあ」

「もうすゞちゃんには描いて欲しくなーっい」

「あ~ん、藤太郎くん」

藤太郎は拗ねてしまった。

「わたし、藤太郎くんに喜んでもらおうと一生懸命描いたの」

「すゞの絵って個性的な絵柄でしょう? 藤太郎君、すゞのこと許してあげて」

「……わっ、分かったよ」

 葵にそう言われると藤太郎の機嫌はすぐに治った。単純である。

 続いて一階へ下りた。

「一階のお部屋案内する前に中庭を紹介するね」

 外へ出ると、そこには一本の木が立っていた。高さ十メートル以上はある。

「わぁ、とっても大きなモミの木だ」

「すごいでしょう?」

「飾り付けがまだ途中なの」

「藤太郎くんのために残してたの。飾りつけ手伝ってね」

「ボク、喜んでやるよ!」

モミの木は定番どおりクリスマスツリーとして使われていた。明後日のクリスマスイブにはライトアップをするということだ。

「上の方は梯子を使ってね」

「ボク、高い所は苦手」

 結局藤太郎は手が届く低い一番下の方だけにした。

「メインの一番上に飾るお星様、藤太郎くんに飾ってもらおうと思ってたんだけどなあ」

 代わりにすゞが幹にかけられた梯子で木の天辺まで登っていく。葵と藤太郎はしっかり支えていた。

「はい、飾れたよ」

「おめでとう、すゞ」

「すゞちゃん、よくあんな高い所に平気で登れるね」

飾り付けも終わり、中のお部屋を案内する。

「ここが応接間よ。このお部屋だけ唯一洋室になってるの」

藤太郎は応接間の左隅に飾られているピアノに目を向けた。

「ボク、ピアノ弾きたあい」

「もちろんいいわよ。ここには他にもいろんな楽器があるよ。自由に使ってね」

「ありがとう、葵お姉ちゃん」

 藤太郎はピアノのふたを開けて、鍵盤に手を触れ試し弾きしてみた。

「調律も完璧だねぇ」

「頻繁に手入れしてるからね。このピアノは大正時代に作られたものよ」

 すゞは藤太郎の指を眺めた。

「わ~、藤太郎くん指がきれいだね~」

「本当、女の子の手に見えるよ。ピアノを弾くのにピッタリね」

「クラスの女の子たちからもよく言われるよぉ。何を弾こうかな?」

「藤太郎く~ん、難しい曲にチャレンジしてみたら」

「私は童謡や唱歌もいいな」

「じゃぁボク、瀧廉太郎の『花』、それから自信は無いけどラヴェルの『水の戯れ』にも挑戦してみるよ」

「百年以上前の名曲ね」

「わたしが藤太郎くんの伴奏に合わせて歌を歌うね」

「すゞちゃんが歌ってくれるの?」

「すゞは歌もとても上手よ。聞いてみてね」

「えへへ~」

「それは楽しみだなぁ」

 藤太郎は演奏を開始した。

「春の麗の隅田川~♪」

と、それに合わせてすゞも歌う。

藤太郎はプロのピアニスト顔負けの素晴らしい演奏を成し遂げ、すゞも素晴らしい歌声で歌いきった。

「藤太郎君、ピアノもとても上手ね。天才」

「演奏よく頑張った。感動したあ」

 二人は盛大に藤太郎へ盛大に拍手した。

「すゞちゃんの歌声も素敵だったよ」

「ありがとう藤太郎くん。わたし、将来はアニメ声優さんを目指してるの」

「すゞはね、同市出身で癒し系の声を持つ声優さんに憧れているのよ」

「その声優さんかわいいよ。わたしもあんなふうになれたらいいなあ」

「すゞちゃんならきっとなれるよ」

応接間から廊下を隔てて隣に大きな和室がある。

「藤太郎君、あの般若とかの鬼のお面や鎧兜は怖くないのかな? 前に藤太郎君のおウチに持って行って見せた時は大泣きしてたね」

「そうだった、そうだった~。わたしとお姉ちゃんでお面被って追い掛け回したね」

「いっ、今でもちょっと怖いよ」

 藤太郎は少し怯えていた。

「囲炉裏もあるんだね」

「今ではあまり見られないでしょう?」

「うん、こんなのテレビや写真でしか見たことなかったよ」

「お鍋をする時はここで食事してるよ。そしてこの奥のお部屋を寝室にしているのよ」

「毎晩ここでわたしとお姉ちゃんがいっしょに寝るの」

 襖を隔てて寝室がある。外せば大広間として使えるようになっていた。

最後に案内するお部屋はお風呂だ。

「それでは藤太郎君、一緒にお風呂入りましょうか」

「藤太郎くんと楽しいバスタイム」

「え!?」

 藤太郎は当然のように驚いた。

「何驚いてるの? ちっちゃい頃一緒に入ったことあるでしょう?」

「そうだよ藤太郎くん。久しぶりに入ろう」

「ボッ、ボク、後で一人で入るよぉ」

「だ~め、今一緒に入るの!」

 駄々をこねるすゞ。

 藤太郎は二人に強引に脱衣所へ連れて行かれ、上着を脱がされた。

 二人は藤太郎の上半身をじっくりと観察した。

「男の子なのにあんまり筋肉ついてないね」

「そうだね、わたし、藤太郎くんと力比べしたいな、わたしと相撲取ろうよ」

「そういえばすゞちゃんは女の子なのにお相撲をやってるんだったねぇ。ボクはお相撲なんて怖いよう

「情けないなあ。男の子なんでしょう? 藤太郎くんって明治時代の第十五代と二十代の偉大な横綱、梅ヶ谷藤太郎さんと下の名前が同じなんだよ」

「かっ、関係ないよそんなの」

「もし藤太郎くんが勝ったら私からご褒美あげるよ」

「……ご褒美?」

 藤太郎はピピピッと反応した。

「それじゃぁボク、頑張るよ!」

 葵に説得され、藤太郎はすゞと相撲を取ることになった。

 藤太郎は上半身裸、トランクス一枚の姿となった。

「私はマワシを付けて本格的にやろう、ちょっと待っててね」

「その間に私、土俵を作っておくね」

 葵は縄を円形にして寝室の畳の上に置いた。

「お待たせ~、藤太郎くん。どすこい、どすこい」

 すゞはノッシノッシと歩いてやってきた。

「……すっ、すゞちゃん。うっ、上の服ちゃんと着てえーっ」

「わたし、男の子のマワシスタイルで取りたいのに、しょうがないなあ」

 すゞは渋々上着付きの女相撲用のマワシに着替え直しに行った。

 

三分後、再び戻ってきた。

「おっ待たせーっ」

「ちゃんと服着てるね。今度は大丈夫だよ」

「それじゃ取ろう。っと、その前に藤太郎くんの四股名付けてあげなきゃ」

「そうね。私が藤太郎くんの四股名を付けてあげるね」

 葵はしばらく考えた。

「やっぱ藤太郎君だし、梅ヶ谷でいいか」

「お姉ちゃんナイスネーミング」

「藤太郎君、強そうな四股名でしょう?」

「ボク、気に入ったよ。こんな良い四股名つけてもらったからには頑張らないと!」

 藤太郎やる気十分。

【ひがああああああし、すゞのおおおさあああとおおお、すゞのおおおさあああとおおお、にいいいいいいいいし、うめがあああああたあああああにいいい、うめがあああああたあああああにいいい】

 葵が四股名を呼び上げると二人は俵の中に入り、四股を踏む。

「藤太郎くん、怖がらずにわたしにドンッて思いっ切りぶつかってきてね」

「う、うん」

 藤太郎はやはり緊張しているようだ。

【見合って、見合って、はっけよい、のこった!】

 葵の掛け声と共に、藤太郎はすゞに向かってまっすぐ突進していった。

 そして、すゞのマワシをつかむことが出来たのだ。いや、わざと掴ませたのか? いずれにせよこれは勝てるチャンスである。

「いいぞ藤太郎くん、もっともっと強く押してみて」

「うっ、うぅん、すゞちゃん、全然動かないよう」

 藤太郎は思いっ切り押してみた。だが、すゞの体は微動だにしない。

「もう、わたしのおっぱいに顔を埋めちゃって、エッチね、そ~れ」

「うわぁ」

 すゞは藤太郎のトランクスの裾をつかみ、軽々と投げ飛ばした。

【ただいまの決まり手は上手投げ、上手投げですゞの里の勝ち!】

 勝負はあっさりとついた。藤太郎の完敗である。

「ボク、女の子に負けちゃった……」

 藤太郎はしょんぼりとしている。

「気にしなくてもいいのよ藤太郎君。すゞはこの地域で二ヶ月に一度開催されてる女相撲大会中学の部、前回と前々回の優勝者だからね」

「この町はけっこうお相撲が盛んなんだよ。女の子も相撲をやってる子が多いの。すごく楽しいよ。女の子同士で体と体が触れ合って――」

「そうかなあ? ぶつかり合うのはすごく怖いよ。それにしても本当にすゞちゃんはお相撲が好きだねぇ」

「すゞはペットの名前もお相撲さんの四股名みたいにつけてるからね」

「えへへ」


再び脱衣所へ戻ってきた。藤太郎はさっき忘れていた着替えのパジャマと下着も持ってきた。

葵とすゞは藤太郎がいるにもかかわらず恥ずかしげも無くどんどん服を脱いでいく。

一番恥ずかしがっているのは藤太郎だ。目のやり場に困り、後ろを向いていた。

「藤太郎くん」

「なに? すゞちゃん」

 藤太郎が振り向くと、

「そりゃ~」

と、すゞは自分の脱ぎたてホカホカのパンツを藤太郎の頭の上に被せたのである。

「ぅわぁ」

「わたしの脱ぎたてホカホカだよ」

「むぐぐぅ、ちょっとぉ、すゞちゃん、汗臭いからやめてぇ」

 藤太郎は左手で鼻をつまみ、右手ですぐさますゞのはいていたパンツを頭から外し、ポイっと投げ捨てた。

「あ~ん、ひっど~い。藤太郎くん。男の子ならこういうことされると喜んでくれると思ったのに」

「嬉しがらないとこ見ると藤太郎君はまだまだ子供なのね」

「ボク、大人になってもそんな汚いもので喜ばないよぉ」

 藤太郎にとってはただのボロ布、燃えるゴミ。

藤太郎はタオルで前を隠してから、トランクスを脱ぎ下ろした。

「藤太郎君、隠すの禁止! 私もすゞもすっぽんぽんなのよっ!」

 葵は藤太郎に厳しく注意した。

「そうだよ。隠し事なんてしちゃダメダメーっ。男の子ならもっと堂々と露出させなさい! え~い」

「わぁん、やめてーっ。恥ずかしいよぉ」

藤太郎はすゞに無理やりタオルを引っぺがされてしまった。

そして二人はあらわになった藤太郎のあの部分を顕微鏡で植物の細胞を覗くかのように入念に観察した。

「ちっちゃくてかわいい。高校生のとは思えないわ」

「まだ生えてないね。わたしでももう生えてるんだよ。見る?」

 すゞは藤太郎の目の前で仁王立ちになり、堂々と生まれたままの姿を見せ付けた。

 それは、あの東大寺南大門の金剛力士像ですら恥ずかしがって目を背けてしまうほどの恥ずかしい姿であった。

「恥ずかしげも無くよく見せれるよね」

藤太郎は呆れ返っていた。

「あん、もう。喜んでくれないの? 藤太郎くんって女の子の素っ裸を見てもなんとも思わないのに、自分の裸を見られるのは嫌なのね。それにしても藤太郎くんって、脇の下も全然生えてないし。お髭も無いし、すねやお腹や腕にも全然生えてない、お肌すべすべ」

「剃るとこが全然ないわ。女の子のお肌みたい」

「あそこをハサミで“ちょっきん”したらもう完全に女の子だね」

 すゞはニヤリと笑い、手でチョキを形作って人差し指と中指を交互に開閉させていた。

「すっ、すゞちゃぁん、怖いこと言わないでーっ」

 脱衣所の扉を開けると洗い場へ出る。

 藤太郎はあることに気が付いた。

「あれぇ? ここ湯船がないよぉ」

「ここは露天風呂になってるから、お外だよ」

「おウチに露天風呂があるなんてすごいなあ」

洗い場からさらに外へ出られるようになっていた。

 まず、ここで体を洗い流す。

「藤太郎君、体洗いっこしようよ」

「葵お姉ちゃん、この年だしちょっとそこまではちょっと……」

「まあまあ、昔に返った気分で」 

「わたしはいつもお姉ちゃんと洗いっこしてるよ」

「ねえ、藤太郎君」

 二人は藤太郎を誘惑した。

「ボッ、ボクも一緒に洗いっこするよ」

 藤太郎は誘惑に負けてしまったようだ。

「わたし、藤太郎くんの髪の毛シャンプーしてあげる」

「ありがとう、すゞちゃん」

すゞは藤太郎を風呂イスに座らせた。

「シャンプーハットはしなくても大丈夫~?」

「うん」

「それじゃ、おめめを閉じててね」

「閉じたよ」

「それでは、シャンプー付けま~す」

 すゞは藤太郎の髪の毛を優しく洗ってあげている。

「痒い所はな~い?」

「大丈夫。そういやこのシャンプーとてもいい香りがするね」

「ラベンダーの香りのシャンプーだよ。わ~、藤太郎くんの髪の毛って、女の子みたいにサラサラ~」

「ママやお姉ちゃんからもよく言われてるんだ」

「やっぱりね。ほんじゃぁお湯を流すね」

 ここにはシャワーは備え付けられていないので、水道の蛇口を捻ってお湯を出し、洗面器に入れる。

「あっ、あんまり勢いよくかけないでね」

「OK!」

 葵は傍から微笑みながら眺めている。

「やっぱり、どうしてもすゞの方が年上に見えちゃうわ」

 交代して今度はすゞが風呂イスに腰掛けた。

「藤太郎くん、髪の毛洗ってあげたお返しにわたしのお背中流してね」

「しょうがないなあ」

 藤太郎は仕方なくすゞの背中をゴシゴシ擦ってあげた。

「藤太郎君、私の髪の毛も洗ってくれる?」

「うん、もちろんいいよ」

 藤太郎は、今度は大喜びで葵の長い髪の毛にシャンプーを付け、丁寧に洗ってあげた。

「ありがとう、藤太郎君。ねえ、今度は前……」

「それは絶対ダメ!」

 藤太郎は即答した。

「ああん、まだ言いかけなのに――」

 体を洗い流した後は、いよいよ露天風呂へ入る。もちろんタオルは使用禁止だ。

「さ~、お外へレッツゴーッ!」

「今日は冬至だからゆず湯よ。外に出る時寒いから覚悟してね」

 藤太郎は外へ通じる引き戸を開けた。

「うわ、ほっ、本当に寒ぃ」

 藤太郎はガタガタ震えた。

外はすでに氷点下だ。冷たい風が肌に針のようにチクチク突き刺さる。

藤太郎は急ぎ足で柚子の入った熱々のお湯が張られた岩風呂の中へ浸かった。

「ふぅ、あったまるう」

 続いて葵、そしてすゞも湯船に浸かった。

「芯まであったまらないと出る時も寒いからね」

「この辺りは温泉街だから、各家庭に温泉が湧いてるのよ」

「羨ましいなあ。湯船も広いし旅館の大浴場みたいだあ」

「藤太郎くん大喜びだねえ」

「気に入ってくれて嬉しいわ。藤太郎君、お空を眺めてご覧」

 藤太郎は顔を上に向けてみた。

「ぅわぁ、満天の星空だぁ」

「この辺りって街灯が少ないでしょう? だからお星様がとってもきれいに見えるの」

「この夜空もこの町の自慢だよ」

「流れ星が来るといいなあ」

 夜空を眺めていた藤太郎は側にある木の方へふと目がいった。

「あぁっ、あそこに猿がいるぅ」

「この辺りではおサルさんいっぱい住んでるよ」

「時々ここのお風呂にも入りに来るの。あ、ほら今にも――」

 サルが数匹、木から下りてきた。

「あ、本当に入ってきたあ」

 そのサルたちは湯船の中へ一斉にジャブンと浸かった。まるで人間様のようにくつろいでいる。

 突然、その中の一匹が突然『キッキキーッ!』と雄叫びをあげながら勢いよくみんなの方へ向かってきた。


「うわぁ!」

 そのサルは藤太郎の胸をタッチし、サンダーバードのごとくすばやく通過していったのである。

「……ボッ、ボク、あの猿に胸を触られたよ」

「あのおサルさんは特にイタズラ大好きなのよ」

「わたしもお姉ちゃんもあの子に何度も触られたことがあるよ~」

「どうやら女の子のおっぱいが大好きみたいなのよ」

「ボッ、ボクは男なのに……」

「藤太郎くん、女の子に間違えられたのね」

「わたしも無理はないと思うよ」

「そっ、そんなぁ」

藤太郎は少しショックだったようだ。

 そのサルと残りのサルたちは湯船から上がり、脱衣所へと向かっていった。

「またやられちゃうかもしれないわね」

「わたしの下着、イタズラされそう」

「女の子の下着にまで手を出すなんて、ひどい猿だね!」

藤太郎は不機嫌顔。


二分ほど後、サルたちが再び戻ってきた。

「あ! それボクのう」

 再度悲劇発生、藤太郎は今日着てきた服、さらには持ってきた服まで全てこのサルたちに奪われてしまった。

「ぅわぁん、まっ、待ってえ。猿さんたちぃーっ」

 藤太郎は後を追うが当然追いつけない。サルたちはあっという間に木の上へジャンプ。ことわざのようには落ちてこない。

サルたちは藤太郎を見下すかのように見下ろしていた。

「動きとっても素早いでしょう? あれはもうどうしようもないよ」

「藤太郎くん、残念でした~」

 そしてサルたちは山の中へ去っていった。赤いオシリを見せながら。

「ボッ、ボクの服うーっ」

 藤太郎の目がだんだん潤んできた。

「泣きそうな顔にならないで藤太郎君。今までに私の服もいっぱい盗まれたのよ」

「わたしのもだよ」

「ボク、あれしかお着替えないのに……」

 とりあえず湯船から上がり、脱衣所へ。

「風邪ひかないようにしっかりお体拭こうね」

 藤太郎は葵に体を拭いてもらった。

「藤太郎くん、わたし、体がとっても柔らかいでしょう? お風呂入った後は特に柔らかくなるの。見て見て、股割り。お相撲さんが苦労してやってるやつ、わたしなら軽々と出来るよ」

「本当だあ。すゞちゃんすごい。あ、でも……」

「次は開脚前転やるよーっ。そ~れ」

 すゞはスッポンポンのまんま、大きく足を広げて前転したのである。

「私も負けてないよ」

 葵もすゞに対抗して同じくスッポンポン姿のまんま足を高く上げて、つま先を頭の上まで上げた。

「葵お姉ちゃんもすゞちゃんも、やるんだったら服を着てからにして。風邪ひいちゃったら大変だよ」

 藤太郎は、二人にそう注意した。

「ゴメンね。藤太郎くん」

「素っ裸で体操するとすごく動きやすくて気持ちいいのに」

 葵は渋々パジャマを着てくれた。

「それにしてもどうしよ、ボクのお着替え……。寒い」

「ちょっと待ってて、タンスの中にいくつか入ってるかも」

「わたしが探してくるねーっ」

 すゞは、まだ裸のままだった。

タンスの中を隈なく調べたすゞ。だが、

「お姉ちゃ~ん、やっぱり女の子向けの服しかなかったよ」

 すゞは女性用下着をいくつか両手に抱えて戻ってきた。

「ここのおウチ、男の子がいないからね。まあいいや、藤太郎君、私かすゞの服着てね」「えぇっ!」

「お姉ちゃんのだとブカブカかも、わたしの服ならちょうどくらいかな、はいどうぞ、藤太郎く~ん」

 すゞは自分の下着を平然と藤太郎に手渡した。

「……あっ、あのね、すゞちゃん」

「このパンツ、すごいかわいいでしょう? 美味しそうなイチゴ柄」

「これをボクがはくわけ?」

「そうだよ。わたしも藤太郎くんといっしょのはくよ。お揃いだね」

「藤太郎君、絶対似合うから」

 葵は笑顔でそう言い放つ。

「そっ、そんなあ……」

藤太郎は他に着るものが無かったので、仕方なく女の子向けのパンツとシャツを身につけるのであった。

「やっぱりかわいいなあ。ほら、鏡見て」

 藤太郎は脱衣所隣の洗面所に置いてある大きな鏡の前に立った。

「ね、似合ってたでしょう?」

「なっ、なんとも言えない気分だよ」

 葵はあることを思いついた。

「すゞ、櫛とリボン、それから口紅も持ってきて。もっとかわいくするの」

「OK!」

葵は藤太郎の髪の毛にリボンをつけたりして弄ぶ。

「藤太郎くん、完成したよ」

「もう絶対女の子にしか見えないよ。わたしとお揃いの髪型だね。わたしもショートカットだから」

「藤太郎君、私の髪型はどう思う?」

「とてもお似合いだよ」

「この髪型はポニーテイルっていうのよ。お馬さんのシッポみたいでしょう? 藤太郎君ももう少し髪の毛伸ばせば出来るよ」

「ボク、男だからそんなことはしないよ」

 藤太郎は葵の髪の毛をじっと眺めていた。そして、思わず手が伸びてしまったのだ。

「葵お姉ちゃんの髪の毛、とても肌触りがよくて良い匂ぃ」

 藤太郎はうっとりしながら葵の長い髪の毛を手で握っている。

 

しばらくして、ふと我に帰った。

「あ、ごめんなさい。葵お姉ちゃん、ボク、つい触ってしまって」

「いいよ。藤太郎君、好きなだけ触ってね」

「お姉ちゃんの髪の毛って不思議な魅力があるでしょう? 次はパジャマだよ。お花の模様がついてかわいいでしょう? あ、ちょっと待ってて。その前にわたしの通ってる中学校の制服着させてあげるう」

「べっ、別にいいよお」

「まあそう言わずに」

すゞは二階にある自分のお部屋へ制服をとりにいった。

 

三十秒後、

「お待たせ、この制服素敵でしょう? 一昔前のセーラー服スタイルだよ」

「う、うん。でもっ、ボクが着るのは……」

「藤太郎君、本当は着たいなあって心の中では思ってるんじゃないのかな?」

 葵は顔を近づけ問い詰めた。

「そっ、そんなこと断じてないよぉ」

 事実、思っていた。二人には悟られたくなかったが。

かわいらしいものが大好きな藤太郎は、先ほどの下着についても内心は『ボク、こんなかわいい柄のが着られて嬉しいなあ』と思っていたのであった。

そうゆうわけで藤太郎は見る限りでは嫌そうに、心の中では大喜びで試着した。

「どっ、どうかなぁ?」

「似合う似合う。女子中学生藤太郎くんが完成だ」

「とってもかわいいよ」

「ボク、とてもいけないことをしてるような……」

「全然気にしなくていいよ。さあ、パジャマにお着替えよう」

すゞはピンクのお花模様のパジャマを着せた。

「パジャマもお似合いだよ~。これもわたしとお揃いの」

「藤太郎君、すゞと並ぶと仲の良い女の子のお友達同士に見えるよ」

 葵はそう褒めた。

「わたしのランドセルも持ってくるね」

 すゞは制服に引き続き、ランドセルも持って下りてきた。

「は~い、これ背負って」

 藤太郎はピンクのランドセルを背負った。

「どっ、どうかなぁ?」

「これもいいね」

「藤太郎君の体の大きさは小学生サイズだから余裕ね」

 すゞは、さらに変身グッズまで持ってきた。

「藤太郎く~ん、この帽子被ってーっ」

 それはネコミミのついた帽子だった。

「……恥ずかしいけど、でもっ、ボク、被ってみたい」

「絶対似合うよ。藤太郎君」

「じゃっ、じゃあ、かっ、被ってみるよ」

 藤太郎は頭に被せた。

「かっわいい。藤太郎くん、ニャ~って言ってみて」

 藤太郎は少し躊躇いながらも、

「……ニャッ、ニャァ」

 と、二人になんかおねだりするように言ってみた。


しばらくの沈黙。


「……きゃ~ん、ネコさん、ネコさん。わたし、興奮して思わず鼻血が噴水のように吹き出そうになったよ」

「私も私も。これ以上やると私、もう興奮しすぎて倒れそう。ネコミミ藤太郎君、素敵!」

「ボッ、ボクも、恥ずかしすぎて」

「藤太郎くん、最後は足をハの字に曲げて女の子座りしてみて」

「そっ、それはちょっと」

「私、女の子座りしてる藤太郎君の姿みたいなあ。ね、お願い!」

 葵からの頼みは断れず、藤太郎はやってみた。

「こっ、こうかなあ?」

「そうだよ藤太郎くん、それそれ」

「とっ、藤太郎君……パーフェクト! もっ、萌……え……る……」

 葵はとうとう顔から湯気を出して倒れてしまった。

「お姉ちゃ~ん、しっかりして~。わたしも危なかったけど」

藤太郎は二人にたっぷり弄ばれて、くたびれていた。

 葵の興奮もようやく冷め気がついたあと、みんなで洗面所に向かった。歯磨きタイム。

「藤太郎君、お口あーんしてみて」

 藤太郎は葵に言われたようにお口を開けてみた。

「まあ! すごくきれい。虫歯が全然ないよ。昔見た時はいっぱいあったのにね」

「ほんとだあ。藤太郎くんは甘いお菓子大好きで、いつもた~くさん食べてるのに歯が見事に全部真っ白。今は歯磨きを一生懸命してるんだね。羨ましい」

「だってボク、虫歯が怖いだもん。虫歯が出来ちゃったら歯医者さん行かなきゃならなくなるもん。もぅあんな所には二度と行きたくないよ。それで朝昼晩一日三回歯磨きしてるんだ」

「音が嫌だよね。チュイ~ン、ガガガガガ~って、ドリルを使って歯をガリガリ削って工事をするからね」

「やっ、やめて、すゞちゃん。聞きたくないよ」

 藤太郎は咄嗟に耳をふさいだ。

「うふふ、昔のトラウマがあるのね」

「藤太郎くんの気持ちも分かるよ。歯医者さんはホラーサウンドクリエイターとも言えるからね」

 歯磨きを済ませた後、就寝となる。

「藤太郎くん、わたしとお姉ちゃんと一緒のお布団で寝よう。そしたらお布団一枚でいいでしょう?」

「そうね」

「いっ、嫌だよ。ボク、ぬいぐるみさんがあるもん」

 藤太郎は、リュックからウサギのぬいぐるみを取り出し、それを抱きしめて、もう一つの布団の上にゴロンと横になった。

「もう、そんなこと言って、照れ屋さんなんだから。巻いちゃえ」

 すゞは藤太郎を巻き寿司のように布団で包んだ。

「そ~れ、金沢名物ふくさ餅、藤太郎くんは中のこし餡」

 上から圧し掛かるすゞ。

「うわあん、やめてえ。重くて息苦しい」

「藤太郎君、本当は嬉しがってるでしょう? お顔に描いてるよ。私も男の子と一緒に寝たいの。別に変なことはしないから」

「わたしもいつも寝る時はお姉ちゃんと一緒の布団で寝てるんだよ」

「むぐぐぅ、わっ、分かったぁ。ボクも一緒に寝てあげるよおーっ」

 藤太郎は渋々了承し、巻かれた布団の中からやっと出してもらえた。

「これ、羽毛布団であったかいわよ。藤太郎君が真ん中ね」

「藤太郎くんはサンドイッチの具なの。わたしとお姉ちゃんがパンになって挟むの~」

 みんなはお布団の中にもぐり込んだ。

「ボク、両サイドに女の子がいると眠れないよ」

 そう言いながらも藤太郎は内心とても喜んでいたみたい。

葵は手で届くほど低い位置にある電気のヒモに手をかけた。

「藤太郎君、消しても大丈夫かな?」

「うん、葵お姉ちゃんとすゞちゃんがいるから平気」

「今でも一人で寝るときは真っ暗になると怖いんだね。藤太郎くん、おやすみ」

「おやすみ藤太郎君。ゆっくり休んで長旅の疲れをとってね」

「うん、おやすみなさあい」


十分後、

「藤太郎くん眠れないって言ってたのに、真っ先に寝ちゃったね」

「よっぽど疲れてたのね」

「寝顔かわいいね」

「うん、本当に女の子みたい」

「お姉ちゃん、藤太郎くんにキスしてみようか」

「いいわね。藤太郎君には内緒で」

 二人は両サイドから藤太郎の頬にチュッとキスをした。

「わたしもお姉ちゃんとキスしたい」

「しょうがないなあ。はい、おやすみのキス」

 葵はすゞの頬にもチュッ。

「ありがとう、お姉ちゃん、おやすみ」

「おやすみ、すゞ」



真夜中、藤太郎はむくりと目を覚ました。

(おトイレへ行きたいなあ。でも、あっちのお部屋が怖い。このまま我慢して寝ちゃおうかなあ。でも、そうしたら絶対おねしょしちゃうよ)

 藤太郎は葵かすゞを起こそうとしたが、トイレへ行くために起こしたらきっと笑われて恥ずかしい。そう思って起こさなかった。しかし、なかなか動き出せない。

 次第に尿意が限界に近づいてきた。

(ボク、一人で行けるもん)

 そう心の中で自分にいい聞かせ藤太郎は立ち上がり、トイレのある方へ向かった。

 だが、そこまでの道のりは藤太郎にとってはとても険しいものだった。トイレに行くためには真っ暗で、しかも鎧兜、恐ろしい鬼のお面などが飾ってある隣の部屋の中を通らなければならないからだ。

藤太郎はそれらにギロリと睨まれているように感じていたのだ。トイレまではわずか数メートルの距離だが、遥か遠くにあるように思えた。

「あの鎧さんが追いかけてきたらどうしよぅ。お化けとか幽霊とか妖怪なんてぇ、絶対存在しないって分かってても怖いよ」

 藤太郎はつぶやいた。

 そして、猛ダッシュでドドドッとそのお部屋の中を駆け抜け無事、トイレの前に辿り着いた。

「ああ、こっ、怖かったあ」

 藤太郎の心臓はドキドキバクバクして、震えがしばらく止まらなかった。

 とここで、緊急事態が発生したようだ。

「あれっ、スイッチ押したのに電気つかないよう」

なんと、トイレの電球が切れていたのだ。

藤太郎は真っ暗な中で用を足さなければならなかった。

(そっ、そんなあ)

藤太郎はだんだん目が慣れてきて何とか便器の位置を確認、的を外さずに用を足すことが出来た。

 トイレから出た後、藤太郎は窓の外に何かポォっと光っているのを見つけた。

「あっ、あれ、もしかして火の玉? いや、そんなことはないよね。見間違い見間違い」

藤太郎は咄嗟に目をそらした。帰りもあの部屋の中は猛ダッシュ。なんとか無事に戻れた藤太郎は、二人の間に入って安心して再び眠りについた。

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