寂しさを消して力へと


 そもそも普通の学園生活というものを考えたこともなかった。

 俺はみんなから馬鹿にされ、利用されて、暴力を受け、挙げ句さらわれて奴隷だった男だ。


 教室を見渡すと、色々な生徒がいることが初めてわかった。

 小等部の頃はそんな余裕が無かった。

 俺にとってクラスメイトは俺に物理的な暴力を振るうか、精神的な暴力を振るうか、その二択だけであった。


 ひょうきんものメルティはクラスの人気者だ。

 おどけているけど、目が笑っていない。感情と態度が一致していない。それに気がついている生徒はいない。


 姫の周りの取り巻きは、姫に追従して笑っているけど、まるで話を聞いていなかった。

 強気でわがままな姫も、こうして見ると、クラスの空気を読みながら会話を選択している。


 マシマは……、一人ぼっちなのか? ク、クラス委員長だから人望にあふれているかと思ったが違うのか……。マシマとクラスメイトが話す時は、非常に事務的な感じがする。勉強や剣術のアドバイスを教えていた。


 男女仲が良いグループ、男だけのグループ、チャラチャラしたグループ、地味な男女のグループ、一人ぼっちでいるリオと俺。


 狭いクラスなのに不思議なものだ。

 魔力の強さがクラスのカーストに比例しているようで、強い生徒が幅をきかせていた。




 俺はあの体育の授業のあと、俺の後ろについて歩いてきたリオと会話は無かった。

 話しかけるのが少し気恥ずかしかった。リオも話すのはためらっている様子であった。

 体育館にいた時は、話しても大丈夫だったのに……。

 不思議なものだ。

 それでもなんだか距離が縮まった気がした。




 帰りのHRはもう終わり、後は帰るだけだ。

 部活に行く生徒や冒険者ギルドでバイトをする生徒、図書室で勉強をする生徒。

 みんな友達と楽しそうに話しながら帰り支度をする。


 俺もかばんを持って帰ろうとしたら、リオが女子生徒と話している会話が聞こえてきた。

 立ち上がった俺は再び席に座った。


「超わるいけどさー、あたし今日冒険者バイトなんだ。掃除当番よろしくねー」

「私は部活だから」

「どうせ何もしてないから良いでしょ? 平民なんだから貴族の言うこと聞きなさいよ」


 女子生徒は箒をリオに押し付けてそそくさと帰ってしまった。

 リオは暗い顔をしながらため息を吐きながら呟いていた。


「……私もバイトなのに」


 俺は立ち上がってリオに近づいた。

 近づいたのは良いが、どう話しかけていいかわからない。


 リオは首を傾げながら俺を見た。


「――タオル? 明日洗って返す。……どいてくれないと掃除が出来ないよ」


 なぜ俺は緊張しているんだ? 姫やマシマと話す時は緊張なんて一欠片もしない。


「あ、ああ、すまない。……俺は掃除が得意だ。なにせ奴隷――、いや、家で掃除ばかりやっていたからな。どれ、手本を――」


「あ、こ、困るよ。わ、私が嫌がらせを――」

「今なら誰もいないから大丈夫だ。二人なら早く終わる」


 俺は掃除ロッカーから箒を持ってきてテキパキと掃除を始めた。

 リオは再びため息を吐いて、黙々と掃除を始めた。


 放課後の学園から聞こえてくる部活の声――

 窓ガラスから日差しが差し込む柔らかい空気――

 二人だけの静かな教室の独特な雰囲気――


 なんだかとても心が落ち着く。


「ちょ、ちょっと、手際が良すぎる。もう終わっちゃった……」


 気がつくとリオは俺の前に立っていて、俺が持っている箒を奪い取った。

 換気のために開けていた窓から強い風が教室に入ってきた。


「――あ、ありがと。……セイヤ君だっけ? 変な人だけど……優しいね」


 風がリオの長い前髪をたなびかせた。日差しに照らさせるリオの顔がはっきりと見えた。

 俺を見つめている眼差しはとても優しくて……、笑顔がとても――美しく思えた。

 思わず息を飲んでしまった。

 口が開いているかも知れない。鼓動が少しだけ早くなった。


「あ、ああ、そ、掃除は得意だ」


 リオを見ていたら恥ずかしくなって変な返事しか出来なかった。


「うん、私、寮長に呼ばれているから行かなきゃ、バイトもあるし……、じゃあまた明日」

「ああ、また明日……」


 俺は走り去っていくリオを見送った。

 なんだか心が温かくなってきた。

 俺も自分のかばんを持って教室を出た――







「あ、あんた遅いわよ!! ど、どこで油売ってたのよ! ……まあいいわ、ちゃ、ちゃんと話せなかったから……、ねえ、少しでいいから私と話して頂戴……」


 靴に履き替えて校舎を出ると、姫が護衛を連れずに俺を待ち構えていた。

 俺は怪訝な顔をして、気にせず歩き始めた。


「……歩きながらでもいいわ。……セイ……ヤ、平民の子と仲良くなってもメリットないわよ。あなたは貴族でしょ? なら、付き合う人はちゃんと選びなさい」


「俺はシャルロットさんと仲が良かったのか?」


「そ、そうよ! い、いつも一緒にいたわ。……で、でも、私のせいで……あなたは拉致されて……」


「その話は終わったはずだ。俺とシャルロットさんはもう関係ない」


「――っ、そ、そうだけど……。わ、わたしはあなたに……」


 俺にとって姫は思い出を消した存在だ。

 ひどい目にあったけど、好きでも嫌いでもない。関わりたくないだけだ。


 俺はふと疑問に思った事を聞いてみた。


「なんでシャルロットさんは俺にこだわるんだ? 俺はただの下級貴族、しかも親に見放された存在だ」


「そ、それは……」


 シャルロットの足が止まった。歪んだ顔は赤くなって、目には涙を浮かべていた。

 ……なぜ泣くんだ。そんな感情があるならなぜ小等部の頃に見せてくれなかったんだ。


「……いや、気にしないでくれ」


 昔の事はもう関係ない。それでも、ひどい姫にだって良いところはあっ……たのか?

 ……消しゴムのカスをくれた。食べかけのおやつをくれた。俺に話しかけてくれた。


 あっ……、猫魔獣が死んで悲しんでいた俺を……唯一慰めてくれた。不器用な言葉だったけど。思えば、あの時、魔獣を庇っている俺を心配していたんだ。違法行為は貴族として厳重な罰を受ける事になる。


 ……心配していたのか。俺を気にかけてくれたのか。……ひどく不器用だな。

 沈黙のまま嗚咽を殺している姫に向かって、俺は小さく呟いていた――


「――いままで、ありがとう」


「……えっ」


 もしかしたら俺がもっと強く反抗していれば、俺がはっきり言葉を言っていたら――、小等部の時の俺と姫の関係は違ったのかも知れない。


 俺の胸がズキンと傷んだ。

 理由は俺にはわからない。

 多分、俺も姫も――不器用なだけだったんだな。


 姫は足を止めたままであった。

 俺は先に進む。振り返ると、姫は――溢れ出る涙を止められないでいた。

 なんだろう、悲しい涙に感じなかった。色々な感情が入り混じった姫の顔。

 俺は初めて姫の顔をちゃんと見た気がした。


 久しぶりに見た姫は、あの時よりも少しだけ大人びていた――








 姫と別れてから、俺は街の冒険者ギルドの前に立っていた。

 夕方だけど雲が多くなってきて暗い。

 俺めがけてすごい勢いで迫ってくる人影が見えた。――獣人のピピンであった。


「にゃにゃにゃっ! セイヤーー!! 時間通り来たよ! ギルド登録するにゃ!」


 元気なピピンを見ているとこっちまで気持ちが晴れやかになる。

 ピピンはお日様みたいな匂いがする。ポカポカしてて良い匂いだ


「ああ、独り立ちするためには仕事が必要だ」


 冒険者は魔獣や魔物を退治する仕事だ。

 王国の魔導学園の生徒の間では比較的ポピュラーなバイトであった。


 俺はギルドの扉を開けると、受付で揉めている声が聞こえてきた。

 後ろ姿に見覚えがある。あれは――リオだ。


「にゃにゃん? セイヤの知り合い?」

「ああ、俺のクラスメイトだ」


 大きな荷物を持ったリオは血相を変えて受付嬢に迫っていた。


「な、なんでですか!? ギルドの仕事がないと……、寮を追い出されたから――学費が――」


 受付嬢はピクリとも表情を動かさない。冷たい声色でリオに告げる。


「すいません、このギルドの新しい規則なので」


「き、昨日まで大丈夫だったじゃないですか! そ、そんなひどい話あります?」


「規則なので――」


「そ、そんな――、あっちの人は平民なはずです! なんで私だけ駄目なんですか!」


「……あのパーティーは実績があります」



 冷たい声でリオを突き放す受付嬢。そんな時、リオに近づく人影があった。

 高級な装備に身を包んだ――クラスメイトである。

 あの子は体育の授業の時に、ファイアーボールをリオに放った子だ。


「あっれー? 調子乗ってるリオさん何してるの? あんたはこのギルドの使用禁止だよ? 今日、私が決めたんだー。だって、ここはパパの所有ギルドだもん」


「な、なんでそんなひどい事を――」


「うん? ひどい? そんな事ないよ。普通の事じゃん。平民は貴族に尽くす。なら、私のパーティーで荷物持ちでもする? きゃははっ、ゴブリンの群れに放り投げてもいいわね。――あっ、セイヤ君じゃん、あなただったらギルドは大歓迎よ! こっち来てよ!」


 リオは身体を震わせて――周りを見渡した。

 誰もがリオを心配する様子がない。上級貴族の言い分が正しいと態度で示していた。


 そんなリオと俺の視線が合った。

 リオは俺の顔を見ると――


「……だから、関わらないでって言ったのに――」


 と呟いて、ギルドを走り去ってしまった。

 貴族の女子生徒が笑い声を上げると、周りも追随するように笑い声を上げた。





 俺の身体が震えていた。消したはずの小等部の思い出が蘇る。

 地獄だった日々は心の奥に刻み込まれている。

 奴隷時代の辛さと仲間達と思い出で上書きされたと思っていたのに――


「ピピン――」

「にゃ!!」


 このギルドを吹き飛ばしたいと思ったが、今はリオを探すのが先だ。

 俺たちはギルドの扉を開け放って街へと飛び出した。


 天候が変わり、雷がゴロゴロと鳴っている。

 外にでてしばらくすると、ひどい雨が降ってきた。


 魔法で雨を弾きながら街を走る。

 探知魔法がケロベロス像前を示していた。




 ケロベロス像前に着くと、そこには一人ぼっちでずぶ濡れで立っているリオがいた。

 魔法で冷たい雨を防ぐこともしない。


 長い前髪のせいで表情は見えない。

 だが、俺はその感情を知っている。俺がここで――全てに絶望した時と一緒だ。


 ピピンは俺の背中を押してくれた。

「セイヤに任せるにゃ――」


 俺はリオに近づく。傘魔法でリオに降りかかる雨を防ぐ――

 リオは顔を下に向けながら俺に言った――


「……いつかこうなると思っていた。セイヤ君のせいじゃないよ。……寮も出てけって言われて、ギルトの仕事もなくなって……、田舎の両親には王都の生活を楽しんでるって嘘をついて……、仕送りを送って……、ははっ……私、疲れちゃった……」


 俺とリオは出会ったばかりだ。

 俺はなんて言えばいい? 頭の中でぐるぐると思考が渦巻く。


「……セイヤ君、同情なんていらない。可哀想だなんて思われたくない。私は、私は――」


「違う! 俺は同情なんて――」


「ううん、貴族のセイヤ君にはわからないよ。平民でいることの辛さを……、だから、楽にさせて――、体育の授業……楽しかったよ、最後にありがと……」





 リオは俺を突き飛ばして詠唱を始めた――

 高速詠唱が乱雑に起動して――恐ろしい魔力の炎の竜がケロベロス像の上に現れた。


「にゃにゃ!? ま、獣王様の力と似てるにゃ!?」


 なんだこの力は? 俺は思考を高速化して防御可能な魔力障壁の強さを算出する。

 ――俺の魔法障壁が壊される!?


 炎の竜がリオに襲いかかる。

 リオは炎に身体を任せて――



 あっ――


 二度と誰かを失うのは見たくない。

 悲しそうな顔をして死んでいくのは見たくない。

 みんなが残したスキルの一部の力しか使えない俺は――


『おい、セイヤ、いい加減本気出せよ。ったく仕方ねえ。この俺、氷帝キサラギが力貸してやるぜ』


 ――キサラギ? 

 胸の奥から感情が跳ね上がった――


「そうだ……ここでスキルを使わなくていつ使うんだ!!!! ――【氷帝】」


 身体の中で奴隷仲間に叱咤された。。

 身体と心とスキルのバランスが一致する。俺の失ったはずの感情が表へ現れた。


 厨二病のキサラギが仲得意だった氷魔法。氷の嵐が炎の竜を弾き飛ばす。

 弾き飛ばされた炎の竜は、炎を強めて再びリオに襲いかかる――


 リオは諦めた目であった。

 俺はそんな目を見たくない――、リオもきっと俺と同じ気持ちだったんだ。

 誰も友達がいなくて、誰も相手してくれなくて、いじめられる日々――


 ――俺も寂しかっただけだったんだ。

 だから――



 迫りくる炎の竜に俺は突っ込んでいった――


『セイヤ君、僕の力も使って! 君なら不完全な僕のスキルを扱えるんだよ!』


 ――最年少のタクヤが俺の心の中で叫んだ。

 俺もそれに呼応する――


「うおおぉぉぉ――【装填】」


 特殊な武器を召喚するタクヤのスキルで俺は巨大な剣を召喚する。

 奇妙な形をした大きな剣を竜の口にぶち込んで――俺は力を装填する。



「ってぇぇぇぇ!! 砕けろっ――【砲撃】!!」


 寂しかった気持ちなんて冷たい雨ごと消してやる――



 俺の砲撃が炎の竜を覆い尽くした。炎を巻き込んで空高く俺の砲撃が舞い上がる。

 一筋の光が雲を突き抜けて、大空で爆発した――。

 その衝撃と轟音は王都全域を響かせ、砲撃の玉は残り火をまとい――王都のどこかへと落ちていった――



 空が一気に晴れ渡り――どしゃぶりの雨が止んだ。

 綺麗な夕焼けが見えた。


 俺はリオの手を掴む。


「俺も同じだったんだよ! 感情が死んでいた。心を殺された! だけど、仲間が……、大切な仲間が俺の心を救ってくれたんだ!! だから、俺は――、お前を救いたい……。それが傲慢だったとしても、求めてなかったとしても――」


「セ、イヤ、君……、あなたは……」


 俺はリオの髪を上げて涙をハンカチで拭いてあげた。

 リオの姿は雲一つない空は夕暮れの明かりに灯されている。




「俺は友達がいなくて寂しかっただけなんだな。……俺と友達になってくれないか?」




 リオの顔から生気が戻ってきた――


「……っく……、ひっく……、っう、そ、そんな顔で言われたら……、断れない……。ひっく……、わ、わたしも……、普通に学園生活を送りたかっただけなの……、セイヤ君、ありがと……う……」


 リオは突然力を無くしたかのように俺に向かって倒れてしまった。

 俺はとっさにリオを支えた。

 きっと魔力を使い過ぎたんだ。


 ピピンは笑顔で俺たちを見守っていた。


「にしし、その子も一緒にお家へ帰るにゃ! ピピンがその子の荷物持つにゃ。あっ、探知したら街に被害は少しだけにゃ、さっきのギルドに炎が落ちただけにゃ!」



 俺は笑顔で頷く。俺はリオを背負って、自宅へと目指した。

 いつの間にか、俺の中の寂しいという気持ちが消えていた――



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