第24話 疾走する羊とアストロノーツたちⅣ



逃げるのも別に悪くないんじゃない。

とりあえず逃げるは間違いじゃない。

孫子の兵法にだってそう書いてある。


「義を見てせざるは勇無きなり」


そう言ったのは確か孔子だけど。


逃げながら考える。逃げてから考える。何れにせよ考える。考えぬことこそ。


考えないことが一番の悪手。

妄想でも空想でも構わない。

それが多分本当の生命線だ。


俺たちも大人も義務だからと。

そんな理由で此処という事象。

考えるのをやめてしまうのは。

何時誰が示した指標だろうか。

それはけして目には見えない。


ただ自分の心を苛む場所なら。

まず逃げてから考えるのもいい。

それもありなんじゃねと思った。


松井さんのような子は身の周りにいた。覚えてないか、それともスルーして。

視界に入らなかっただけか。


何れにせよ俺たちはそれを会得する。

周囲と歩調を合わせ上手くやるため。

自然とそういう所作を身に付ける。


社会性の欠如?過去に苛めを受けた?

そんな理由で学校に来れなくなった。

学校の中に数%そんな人いるだろう。


彼女の抱えている問題はわからない。

何しろ会話の一言すらも交わしてない。


多様性とか学校に行かない自由とか。

そんな議論や選択肢は未だなかった。


SF小説やアニメの世界ではAIみたいな存在が人間に代わって仕事をする。未来。


何れは義務教育の義務の文字。

薄らぎも揺らぎもするはずだ。


何某かの理由で学校に来れない。

そんな子供たちを受ける入れる。

学校ビジネスが可視化される。


それは少し先の未来の話だった。


俺たちが通う中学校。その半径10km以内には、公立の工業、商業、普通科の高校がある。公立受験の併願、早い話滑り止めには、私立高があり。その中に私大の付属も含まれる。


それすらどうにもならなくても。名前さえ書いて出せば入れる。偏差値不足に優しい。そんな学校だってある。


勿論公立よりも学費がかかるし。

市内通学と言う訳にもいかない。


大人たちが張ったセーフティネット。

それは意外と手厚く張られていた。


何れかの高校をどうにか出た暁には。

地元に多くある工場に就職したり。


進学校から大学まで卒業した者なら。

役所や銀行に就職出来れば御の字。

地元に暮らす人間皆が通る道だ。


何時から確立されたシステムなのか。

最早生簀の魚は疑問すら抱かない。

羊飼いは自分の頭の角すら忘れる。


そのルートから外れる人もいる。

規格と合わず網から抜け落ちる。

それを落伍者だと誹る人もいる。


「嫌なら仕方ないじゃないか」


そんな風に思う自分を肯定する反面。

ちょっとだけ複雑な気持にもなった。


特に小西みたいなやつがそうだ。


ああいうやつを見ると。

何というか面映くなる。


「おせっかいだろ」

「放っといてやれよ」


そんな風に思ってしまうのだ。


そういう人に救われもした。

だからこそ複雑な気分になる。


自分なら必ず二の足を踏む。

その一歩が出遅れてしまう。

考えて考え抜いてしまう。


考えるよりも先に体が動く。

それが正しいと思うことなら。


子供の時に見たヒーロー。

みんなそうだった気がする。

理由や意味を追い越せない。

それが出来なくなっていた。


僅か一時間もいられなかった。

もし彼女が一寸立ち止まっても。

俺たちのいる教室の窓を見ても。

そこには恐怖しかないのだろう。


もし彼女が一秒でも足を止めて。  

後ろを振り返って見たならば。


窓の外から彼女を見ていた俺たち。

化物や怪獣にでも見えただろうか。


あまり楽しくなもければ。

煩わしい規則ばかりある。


嫌なホーンテッドマンション。

そんな風に見えただろうか。


それは不正解ってわけではない。

嫌なやつだって嫌な先生だっている。


けれどもし振り返って見れば。


必死で戻そうとして。

必死で追いかけてる。

そんな子だっていた。


いつか思い出してくれ。

たった一日のことだけど。


たったの一日それも一時間だけ。

多くをやってのけるのは難しい。


振り向かずにその手を振り払うか。 

いっそ捕まって見るのも一興だぞ。

無責任だけど経験から思うのだが。


「小西ィ殺すなよ〜」


俺はそう呟いていた。


「イッチそれは大げさだよ!」

「いくら小西でもそれは無い!」


「小西と星占いの話をしたんだ」


ヒフミかそれともヒツジか。

それは別にどっちでもいい。


今度こそ殺すなよ羊。


俺は胸の中で呟いた。



俺たちは同じB型の牡羊座だ。

小西は猪突猛進バカと言った。

まあ大体そんな性格の星座だ。

小西には話さなかったけれど。


牡羊座にはこんな逸話がある。

それは占い本から得た知識だ。


昔ある所に姉と弟が住んでいた。

幼い姉と弟はには両親がいたが。

母親は後妻であり継母であった。



二人は継母に毎日虐められていた。

それを遠くから見ていた一頭の羊。

ある日姉弟は継母に殺されそうになる。


羊は姉弟を救い出すと背中に乗せた。

羊は二人を背中に乗せて走った。


野を越え山も越えてひたすら走り。

やがて大きな湖を飛び越えた。


その時勢いがつき過ぎて。

二人の姉弟は湖に落ちた。


姉と弟は湖で溺れて死んだ。


泳ぐことも水に入ることも出来ず。

二人が目の前で溺れて死んでいく。

それをただ見ることしか出来ない。


深い悲しみにくれる羊。

いつまでもそこにいた。


そんな羊を哀れに思った神様。

空に上げて羊は星座となった。



《それが牡羊座のあなたの性格です》


星占いの本にはそう書かれていた

人は自分の星座にしか興味がない。

意中の人とならば相性も気になる。


牡羊座以外の人には興味の無い話。

その話は無性に俺を悲しくさせた。

冷静に考えて救いようがない話。


羊もアホだし。

神様がいるなら。

神様もおかしい。


なぜ神様助けてくれない。

そんな風に思ったものだ。


それは昔話のようなもので。

整合性を問うても仕方ない。


しかし実は随分簡略化されていた。

占い本向けに当該牡羊座に忖度され。

シンパシイや愛着がわくように書かれ。

そこにはバイアスが仕掛けられていた。


牡羊座の神話の正史は異なる。

ギリシア神話に正史があるか。


それがたとえ神話でもあっても。

それは存在し人から人に口伝され。

やがて都合よく歪められて行くもの。


諸説ある中で最も古く言い伝えられた。アリエス牡羊座の由来はこんな話だ。


星座の起源を辿る旅に出たならば。

メソポタミア文明にまで遡る。


最初に星座は紀元前3000年頃。


メソポタミア地方に住んでいた。

シュメール人やアッカド人たち。

彼らが夜空の星と星とを結んだ。


軈て神話や伝説上の人や生き物に擬えた。それが星座の始まりである。


その星座はやがてバビロニア人に受け継がれる。古代バビロニアでは牡羊座座にあたる星座は元々農夫を意味していた。


男Iと羊uが同音異義語luであった。

それ故に牡羊座は羊の星座となった。


これらバビロニアの神々は元々は農業神であり。未曾有の災害が起きた際に人から逃げやすい動物に姿を変えた。


神話の星座となった動物たち。

本来は皆人の姿をしていた。

そのような説もある。


やがてバビロニアの星座はフェニキア人を通じて、古代ギリシャに伝わり。

現代にまで語り継がれる神話となり。

ギリシャの星座となった。


テッサリア王アイオロス。その息子アタマス。アタマスはテーバイ王の娘イノーを妃として迎え入れることとなる。


かつてアタマスには雲の精霊ネペレーという妃がいた。しかしネペレーはアタマスのもとを去ってしまった。


二人の別離は拠無き事情と云われ。

イノーはアタマスの後妻であった。


やがて、アタマスとイノーの間には、二人の子供が誕生する。しかし、アタマスには、既に前の妃ネペレーとの間に、二人の子供がいた。


一人はプリクソスという青年。

その妹であるヘレという娘。


イノーはやはり自分の子供が可愛い。

プリクソスとヘレを邪魔者扱いした。


ある時イノーは企みを思いつく。


農民たちを騙し、畑に蒔く種を火で炙らせ、作物の芽が出ないようにした。


思惑通りにその年は大凶作となる。

人々は飢饉により苦しむこととなる。


アタマスは王位を継いでいた。

この事態に深く頭を悩ませた。


大神ゼウスに神託の伺いをたてる。

イノーはさらに神官たちを欺く。


「直ちに、プリクソスを神への生贄に!直ちに、捧げなければならない!」


そうせねばやがて国は滅ぶ。

そうアタマスに告げさせる。


アタマスはさらに苦悩する。

しかしこれは神託でもある。


プリクソスを捧げなくてはならない。

そう自らに言い聞かせることにする。


これを知った兄妹の実母ネペレー。

イノーの謀であると突き止める。


プリクソスとヘレを天空へと隠すため、

ヘルメスがゼウスより預かっていた、

黄金の毛をもつ羊に救出を命じる。


羊は二人の兄妹をその背に乗せ。

さらに遠くを目指し走り出した。


羊はやがて空へと舞い上がり。

テッサリアの国より遥か遠く。

空を駆け抜け飛び去って行く。


イノーの手から逃れた二人の兄妹。

羊の背に乗り大空を飛ぶうちに。


妹のヘレだけが地上を眺めてしまう。

ヘレはあまりの空の高さに目が眩み、

羊の背中から地上に落ちてしまう。


ヘレの体は海に呑まれた。

あっという間さえもなく。

その身は波に消え失せた。


プリクソスは必死で手を差し出す。

妹の体を抱き寄せることは叶わず。

羊に妹を助けるように懇願した。


泣き叫ぶその声に羊は耳を貸さず。

そのまま目的地まで飛び続けた。


羊はプリクソスを慰めながら。

更に遠くへと飛び続けた。


やがてコルキスの国にたどり着き。

コルキス王アイアーテスが現れて。

プリクソスを温かく迎え入れた。


その後、プリクソスは王女カルキオぺーと結ばれ。その地で幸せに暮らしたと伝えられる。


羊は神の御許には帰らず。

プリクソスの元に寄り添い。

羊として時を経て死を迎えた。


その黄金の毛皮は国の宝となり。

王は一本の樫の木に掛けよと命じ。


眠ることのなき竜にそれを守らせた。




黄金の毛を持つ羊の物語。

牡羊座の由来とされている。

毛皮を守った竜が後の龍座。


やがて黄金の羊の毛皮を巡り。

それを得るための神話の物語。

アルゴ遠征隊の冒険が始まる。


遠征隊の隊長の名はイアソン。

イアソンはプリクソスの孫である。

しかしそれはまた別の神話の物語だ。


妹のヘレがその命を落とした海。

現在の英名ではダルダネルス海峡。

現地トルコ語ではチャナッカレ海峡。


アジアとヨーロッパの分界線。

地中海へと繋るエーゲ海と黒海。

マルマラ海を結ぶ狭隘な海峡である。


古くはヘレの海を意味する言葉。

ヘレスポントス海峡と呼ばれた。



差し伸べた手は及ばず。

水に呑まれるのを許した。


そしてヘレの命を救えなかった。

まっすぐに駆けるしかなった羊。


プリクソスと金色の毛の羊。

どちらが牡羊座の心だろう。

おそらくは両方なのだと。

時を経て人の端くれなる。

俺はそう思うのだ。


風に舞う金色の羊の金糸。


遠い星座の向こうから。

時間を越えて人の心に。

届いたのかもしれない。


それは前世などではない。

無惨な着せ替え人形の記憶。


「あんた本が好きみたいね」


鏡台の前で髪を梳かれながら。

黙って叔母の言葉を聞いていた。


「おじいちゃん似だね!」


それは悪くないと思った。


「煙草を吸って」 


お使いに行くのは好きだ。


「背も顔も長くなるかも」


叔母の指が顎をそっと撫でる。

やせっぽっちの顔はまるくない。

それはご飯を食べても太れないから。


祖父は昔の人にしては背が高く。

顔はちょっと外国人ぽい面長だった。

祖父に似ればわりと容姿には恵まれ。

ばあちゃんに似れば残念なみてくれ。


ここにいるフサ姉ちゃんみたいに。

化粧品を沢山買わなくてはならない。

じいちゃん似だと言われて嬉しかった。


明日、目が覚めたら。

明日、背がのびてる。

明日、本もたくさん読めて。

明日、大人になっているかも。


「あんたの毛色ってさあ」


フサ姉はいつもそう言ってた。

それは繰り返し言われる言葉。


俺は鏡で自分の髪の色を見て。

誰に似たものかと首を撚る。

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