子供だまし


「うわっ」


「な、なんですの?」


「まさかほんとの幽霊?」


 今にも薬液を明日香の席にかけようとしていた兼美は、突然足元を襲った衝撃に飛びのく。


弱められた春燕は床に見えないほどの傷を作る程度で終わった。だが誰もいないはずの空間で突如起きた衝撃は、強大な恐怖を呼び起こす。


 動揺した兼美は薬液の瓶を床に落としてしまった。割れた瓶からは漏れた薬液は空気に触れて固まり、椅子と全く同じ色・模様となる。


 だが固まった薬液を踏みつけると、中からおぞましい臭いのする液体が漏れ出てきた。


「くさい~」


「ああもう! なんですの! これでは『何でもないと思って椅子に座った近衛明日香のお尻が臭くなる作戦』が台無しですの!」


「お嬢様、作戦名そのものが失敗しそうな雰囲気ビンビンですが」


「それより、これはいったい誰の……? は! わたくしに恐れおののいた近衛家が差し向けた刺客ですわね!」


「チ・ガ・ウ・ゾ」


地の底から鳴り響くような声が教室中から聞こえてきた。


「ひ、ひいい」


「お嬢様?」


一人ではなく、数十人の人間の声が同時に響く。上からも下からも、いや目の前からも隣からも同じ声で語りかけられているようだ。


脳内でハウリングするような気持ち悪さに、取り巻きも兼美も耳をふさいだ。


だが耳をふさいでも、音を脳に伝える耳骨そのものが振動させられてまったく声を遮断できない。


「コレハバツダ。オマエタチガ、ヨカラヌコトヲタクランダ」


兼美も取り巻きも、耳をふさいで震えた。


地の底から響くような声の質、耳をふさいでも聞こえるという異常事態、そして次々と床に走る見えない衝撃。


助けに来るはずの警備員を自分たちが人払いした事実。


恐怖が恐怖を呼び、二人は既に腰が抜け立ち上がることもできなかった。


「ひっ」


 やがて目に見えない衝撃が兼美の頬の皮一枚を切り、生暖かい血が滴る。


「カエレ。ソシテニドトクダラヌコトヲスルナ」


その言葉を最後に声が止まる。再び静寂に支配された教室で兼美たちは呆然としていた。


だが、やがて二人は脱兎のごとく教室を飛び出した。



『こんな~、子供だましでも~、相手を選んで雰囲気を作れば~、効果抜群ですね~』


宗徳のインカムから公安五課情報担当、溝口ちづるの間延びした声がする。


二人が逃げ去ったのを見た千佳は、教室中に設置された小型のスピーカーを片付けてロッカーに隠された収納袋に詰め込んでいた。


「悪かったね、ちづる。面倒な仕事を手伝ってもらって」


特製のボイスチェンジャーで変えたちづるの声を、教室中に設置したスピーカーから同時に流すことでおどろおどろしい雰囲気をかもしだしていたのだ。


「いえ~、面倒なんてことは~。むねちーと仕事ができて~、嬉しいです~」


「それに今回、校内の監視カメラの解析やセキュリティシステムの侵入も行いましたし~。明日香さんの護衛のバックアップにも役立ちそうです~」


「それじゃそろそろ、寝ます~」


そう言ってちづるからの通信は切れた。


ここ数日、この仕込みのために徹夜作業だったらしい。



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