第一章 六話 マネージャー

 沢井 羽菜さわい はな、都立板東高校二年野球部マネージャー。昨年の春にマネージャーとして入部。髪型、服装、口調ともに垢抜けた雰囲気で人によっては軽薄そうな印象を抱くかもしれない。第一印象では野球部のマネージャーと思う人は少ないだろう。都立板東が甲子園に出場を果たしたことで美人の敏腕マネージャーとしてメディアに取り上げられ、一躍時の人となった。


 そんな彼女がニタニタしながらスマホを構えていた。なまじっか顔が整っているので、そんな顔も絵になるのだから始末に負えない。


「……何やってんの沢井さん。」


 口角を引き攣らせながらそう問いかける。


「いえ。別にぃ。ただ新チームの為に東奔西走している可愛い後輩を放っておいて、こんな可愛い子とデートとか良いご身分だなぁとか、ついこの間まで負けを引きずっていたのに楽しそうだなぁとか思ってませんから。あ、この写真は使えそうなので資料として使わせてもらいますね。」


 笑顔なのに凄みがある。というか資料とは何ぞ。


 彼女は年下だけれど、年上に対しても物事をしっかりと意見する。初めて彼女と出会った時はもう少し先輩に対しての遠慮や敬語もしっかりとしていたはずだ。それが一年半で良くもまあここまで砕けた性格になったものだと思う。でもそんな性格も彼女の場合、常にそうした雰囲気、口調、服装をしているわけではなく、TPOに応じた使い分けができているから悪い印象を抱くことがない。たった一年半の付き合いだけれど、そこが彼女の良いところだと思う。


 僕は彼女に対して頭が上がらない。というのも彼女のマネージャー抜擢は、ただの野球好きな女の子に対して僕が半ばゴリ押しで頼み込んだという経緯があるからだ。彼女の入部は都立板東の野球部創部二年目、当時の僕は野球部の三年生の創設メンバー四名の内の一人として我武者羅に活動していた。創部間もない部内には久遠さんのチーム同様、課題が山積していた。部員の不足、指導者の不足、道具の不足、予算の不足、そんな課題を解消するためにマネージャーがどうしても必要だった。


 今思うと後輩の女の子相手に必死で頼み込む僕の姿はかなり情けないものだったと思う。けれどそんな勧誘に最終的に彼女は苦笑いしながら承諾してくれた。特に捕手とマネージャーという役割の関係上、自チームの分析や敵チームの分析をする際には非常に助けられた部分が多い。実際問題、彼女の加入でチームの状況は大きく改善した。彼女なしでは甲子園どころか予選を勝ち上がることさえできなかったと思う。


「今、僕がデートしているかはさておき、沢井さんは何しにここへ?」


「今日部室の設備点検で十五時以降、部室使えないんですよ。なので溜まったスコアの整理でもしようかと思って……。で、先輩は何してるんですか。」


 沢井さんに部活の話を振れば話題が逸れるかと思ったけど無駄だった。

 ちらりと対面の久遠さんへ視線を向けると少し困ったような居心地の悪そうな表情をしていた。久遠さんを置き去りにして話してしまったが、どう紹介しようか。


「まずは紹介からかな。彼女は……昨日バッティングセンターで出会った久遠 夏波くおん みなみさん。」


「久遠 夏波です。区立板東二中の三年生です。昨日、扇さんに野球を教えてもらうことになりました。」


 相変わらずジトっとした視線を送る後輩に久遠さんを紹介するとそれに合わせペコっとお辞儀をした。


「はぁ……ご丁寧にどうも。都立板東高校の沢井です。」


 僕に対しての砕けた口調から少し余所行きの丁寧な口調にシフトした後輩がそう挨拶を返しながら、さりげなく僕の隣に座った。……逃げ道が塞がれてしまった。


「で、先輩は昨日バッティングセンターでナンパした女子中学生とデートって訳ですか?」


「あのー沢井さん? 久遠さんの話聞いてました? 野球を教えることになったって言ったよね。」


「聞きましたよ。少し先輩をからかっただけですって……。まぁ何がどうなれば、突然女子中学生に野球を教えることになるのか、については分かりませんけど。」


「そこについては色々事情があってですね……。」


 確かに色々事情はあったけれど、詳しい話を僕の口から言って良いのか判断に迷う。久遠さんから僕への相談は個人的な悩みを含むものだった。それを親しいとは言え第三者に本人以外の人間が事情を話すのはあまり良いことではないだろう。

 

「実は昨日、無理を承知で扇さんに野球を教えて欲しいと私から頼みました。」


 僕が言い淀み、久遠さんの方に視線を移すと彼女もこちらを見て少し頷き、昨日あった出来事を所々オブラートに包みながら説明を始めた。後輩は説明を大人しく聞いていた。でも要所で僕をジト目で睨むのは止めて欲しい。


「――はぁ……。先輩何やってるんですか。受験生なのに。」


 久遠さんがおおよその事情を話し終えるとため息をつかれながらそう言われてしまった。返す言葉もない。


「それに他の先輩は来てくれるのに最近、先輩だけ練習に顔出してくれなくなったじゃないですか……少し寂しいです。」


 それに関してもぐうの音も出ない。ただでさえ部員の少ないチームで三年生が四人も引退した。少なくとも強引に彼女をチームに引き込んだ者として、少しはフォローに回ってしかるべきだろう。特に二人で協力してやってきたことが多いだけに寂しいとまで言ってくれる。良い後輩を持ったと思う。


「それについては申し開きもないです。ごめん。」


「別に……謝って欲しいわけじゃないです。あの試合が終わってから先輩、元気なかったですから。それなのに急にやる気出したなぁ……と。」


 口を尖がらせながらぶつぶつと文句を言っている。


「悪かった悪かったって。来週どこかで必ず顔出すからそれで許してください。」


「……言質取りました。いやぁ、来週は他の先輩がた誰も来れないって言ってたので助かりました。一緒に練習試合のスコア分析しましょうね。」


 一転して満面の笑みを浮かべる。そんな後輩を見て苦笑いしか出ない。この子、年々したたかになっていくなぁ。まぁ喜んでくれるなら良いか。そんなことを考えていたら黙ってやり取りを聞いていた久遠さんがぽつりと言葉を漏らした。


「沢井さんは扇さんの彼女さんですか? 」


「……っ!? 」


「せ、先輩は先輩です。それ以上でも以下でもありません。練習を手伝ってくれる貴重な労働力です。確かに野球では滅茶苦茶有能ですし、皆に優しいし、頼りになりますけど付き合ってなんかいません。……二人……で良い雰……の時も……全…こっち……見…て…れな…し。」


 僕がいきなりの言葉にむせる中、沢井さんが顔を真っ赤にして滅茶苦茶早口で何か言ってる。後半に至っては声小さすぎるし、何言っているのか分からないし。


「すみません。仲が良さそうに見えたのでつい……。」


「そ、それで結局先輩は今何をしていたんですか? 」


 相変わらず顔は赤いまま下手な咳ばらいをして話題を無理やり変えようとする沢井さんに合わせるように続ける。


「え、えーと。今ちょうど過去の試合のスコアと練習の様子を見て久遠さんのチームの状況を分析しようとしていたところ。」


 そういうや否やスコアブックを持つ僕に少しもたれる様に身を乗り出してスコアを見始めた。柑橘系のいい匂いが鼻孔をくすぐる。


「へぇ……守備の記録無いけど細かく書いてる。」


「沢井さん、スコアが読めるんですね。」


 久遠さんが少し驚いた表情をしている。確かにきゃぴきゃぴした見た目の女の子がスコアブックを読めたらそのギャップで少し驚くかもしれない。

 しかし、元々野球好きを自称していただけあって、ポジション番号——各守備位置に割り振られた番号のこと。スコアブックはこれを利用して記録を残す。——は知っていたので、最初に僕が少し記載のルールを教えただけで後は勝手にできるようになっていた。それどころかいつしか、単純な記録以外の各打者の特徴、投球の傾向まで分析できるようになっていて、敵、味方の分析をする上でチームに欠かせないものになっていた。


「手伝います。」


「手伝うって何を。」


 ある程度スコアブックに目を通した後、後輩は突如として言い放った。


「引き受けた指導の手伝いです。先輩一人より捗りますよね。」


「そりゃぁ、当然捗ると思うけど。だけどチームの方は良いの? 」


「良くないです。良くないからこそ先輩に助けてもらわないと無理です。秋大も先輩たち抜けて人数足りないんですから。私が先輩を助けた分、今度は先輩に助けてもらわないと困るんです。」


 秋大とは夏の甲子園の後に行われる大会のことだ。例年十月上旬に一次予選が行われる。しかし都立板東は今年の夏季大会の時点で部員十二名、内マネージャー一名。その中で三年生が四人居た。夏の大会が終わった今、三年生が引退、部員が七名。見事に部員不足に逆戻りだ。秋大は辞退して来年の春季大会に照準を合わせることになる。部員不足に関しては今年甲子園に行けたので来年部員が揃うだろう。

 だが、沢井さんが困っているのは直近の部員不足による練習の質の低下だ。十二人の時でさえ不足を感じながらも工夫で凌いでいた。ましてや七名となると守備の連係確認すら覚束ない。それは久遠さんのチームにも言えることではある。


「わかったよ。こっちと並行してそっちも手伝う。約束するよ。」


「はいっ!!」


 そうして奇妙なきっかけで始まったこの作戦会議に小生意気な後輩が一人加わったのだった。

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