第11話 手紙(三つ目)

 扉の先にあったのは、少女だった人の住んでいた居間。

 ブラウン管の大きい四角いテレビに、のんびりとした笑い声が響いている。写っているのは少女の母が好きだったテレフォンショッピングだろうか。

 申し訳程度に隅に避けて積み上がっている段ボールが、絶妙なバランスを保っていた。


「めぐみ……」

 男が少年の時分、毎日のように見ていた少女が、小さく丸まりながら床に広げたノートに何かを一心不乱に描いていた。


 パッと顔を上げた彼女に、心臓が脈打つ。

 黒々とした彼女の瞳は、男を透過しているようで、少しだけ横にズレた場所を見ていた。

 視線を辿って振り替えると、そこには彼女の母が腰に手を当て、立っていた。


「母さん」

 酷く震える声で自身の母を呼ぶ彼女に、男は顔を伏せる。拳を握りしめる男の前で、母親が彼女に勢いよく近付いた。


 その時、急に世界が暗転し、目の前には明るい表情を携えた彼女がいた。

 中古のセーラー服を着ているから、恐らく中学生だろう。

 真っ赤な顔をして、楽しそうにケラケラと笑っている。


 当時、男が分からなかった彼女の感情は、そうと思ってみれば分かりやすいほどに見てとれた。


「ねえ、夏休み、どこかへ泊まりに行かない?」


 断れ、と心の中で念じ続ける今の男を裏切るように、その当時の男は、にこやかに頷いた。



 暗闇に呑まれ、再度目を開けると、青年が変わらぬ笑顔で立っていた。


「おかえりなさいませ」

「ただいま……」


 前は分からなかった彼女の状況が胸に刺さって、抜けなかった。


 彼女のように下を向く男の頭に、青年の手が乗せられる。慣れていないのか、わさわさと力強くかき乱すそれに、何だか安心して笑ってしまった。

 軽く身を屈めて男の顔を覗き込み、納得したように眉を下げる青年。微笑みで返す男の目は、少しだけ潤んでいた。


「次、行けますか?」

 優しく、頭の奥そこまで響くような声で、青年が問う。

 ゆっくり頷いた男を見て、その猫っ毛をもう一度撫でた。

 今度は触れる程度に、柔らかく。


 歩いていくと、廊下が少しだけ白からグレーへと変色していっくように見える。

 そのまま黒になるでもなく、あくまで灰色のまま、その扉にたどり着く。


「行ってきます」


 はい、と呟き一礼する青年の滑らかな仕草にしばし見とれ、きびすを返してその扉を開けた。

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