第19話 気づいた想い

先刻よりもゆっくりと少しずつ進んでは立ち止まる。それでもオリバーには負担のようだが、荒い息を吐きながらも無言で歯を食いしばって必死に付いてくる。

生き延びようとする欲求の強さは時としてプラスに働く。

この分なら夜明けまでに連れて行って、また敵の陣地に近い場所に戻ることは可能だろう。


オリバーのために足を止めると、手慣れた様子でエルザが水筒を手渡していた。恐らくいつも怪我をした仲間を守ろうとしていたのだ。訓練の時の諦観が嘘のように意思のこもった眼差しに変わっていた。

いつもの彼女らしい部分を目にすることが出来てラウルは嬉しくなる。


(この分だと目的地まであと一時間ほどで辿り着けるはず)


オリバーを目的地点まで連れて行けば、ちょうど夜明けの時間帯だ。夜空が藍色に変わり始めるその頃に中心付近に戻れば、敵に攻撃を仕掛けることができる。オリバーを一人にしておけないなら、自分は単独行動でも構わないだろう。


かさりと小さな音が聞こえた気がして動きを止めた。身を屈めて手で合図を送るとエルザはすぐに気づいたが、オリバーは間に合わず、落ち葉を踏みしめる音が響き、オリバーの顔が強張る。

エルザが腕を掴み木陰に引っ張り込むのと同時に銃声が鳴り響いた。


敵がラウルに気づいた様子はなく、攻撃からして単独のようだった。現在地からは間にある大木が邪魔で致命傷を与えることができない。ラウルは回り込んで横から敵を狙うべく、慎重にかつ急いで移動することにした。


エルザは応戦しているが、残った銃弾の数が心許ないしオリバーを庇いながらだとどうしても防戦一方になる。逸る気持ちを押さえ、ラウルは狙いを定めて引き金を引いた。


焦ったせいかタイミングが悪かったのか、敵がエルザたちの方へと駆け出したため命中したものの恐らく致命傷ではない。

倒れかけながらも背の高い草や木々のおかげで、敵の姿は見えなくなった。


『獣と同じく手負いの兵士は時に無謀なことをする』


中途半端に怪我をさせると捨て身の攻撃に出るようになるし、行動が感情的になり読みづらい。そんな状況にしてしまったことを悔やみつつ、確実に仕留めるため距離を詰める。


木々の間を縫って回り込もうとするラウルに気づいて、敵も必死なのだろう。先ほどよりも激しい銃撃に足止めされる。

だがそれを見逃すエルザではなかった。その隙に敵が身を潜めた方向に自分の物とは別の銃声が鳴ると、先ほどまでの騒々しさが嘘のように止んだ。


エルザの合図で敵が絶命したことが分かり、エルザの元へと駆け寄った。


「怪我は」

「大丈夫、オリバーも……」


エルザの声が不自然に途切れたかと思うと、強い衝撃が走る。エルザから体当たりされたのだと理解すると同時に銃声が一度だけ鳴った。


黒髪と赤い液体が薄闇の中で鮮明に浮かび上がる。身体が地面に投げ出されるとすぐに身を捩って体勢を立て直したラウルは、自分がいた位置から狙撃者の場所を瞬時に計算し銃を連射する。

横目でエルザの様子を窺うと、地面に伏したまま動く気配がない。


「……っ!」

嫌な予感を振り払うかのように敵への攻撃の手を強める。心臓をわしづかみされたかのように呼吸が苦しい。

肩のあたりに衝撃が走るが、踏みとどまって攻撃をすると重い物が倒れるような音がした。

さらに追撃すると、がさがさと茂みをかき分ける音が遠ざかっていく。


だがラウルは逃げる敵を追わずにエルザの元に駆け寄った。

エルザはラウルの姿を目にすると微笑んでくれたが、左胸の辺りが真っ赤に染まり、呼吸が弱い。

それがどういう状態なのか一目瞭然だった。


「エルザ……エルザ!」


上半身を抱き起こし呼び掛けると、閉じかけた目が開いた。


「……無事で良かった。ラウル……ごめんね、大好き」

「駄目だ、エルザ…お願いだから」


頭の片隅ではどうしようもないことだと分かっているのに、懇願する言葉が口から出てくる。

エルザは困ったように笑う。自分に向かって伸ばされかけた手が地面に落ち、エルザの全身から力が抜けた。


(僕はどこで何を間違ってしまったんだろう……)


頭の中を占めるのは疑問と後悔だけだった。


「僕は君が大切で、ずっと一緒にいたかったんだ」


声に出すと口の中がひどく苦い。もっと早く気づいていれば、エルザに伝えたい言葉があったのだと今更気づいても遅かった。


エルザをここに置いていくなどできなかった。オリバーの声が聞こえた気がしたが、ラウルはエルザを抱きかかえると静かにその場を後にした。


辿り着いた場所には、薄闇の中でも白い花が鮮やかに咲いていた。群生というほど多くはなかったが、その傍に彼女をそっと横たえる。

眠っているかのように穏やかな顔にそっと触れれば、まだ温もりが残っていた。いくら見つめてもその瞳に自分の姿が映ることは二度とない。


(――もしも生まれ変われるとしたなら、今度は最初から感情を持ったまま生まれたい。そうすれば、きっと一緒にいられるよね)


「気づくのが遅くなってごめん。僕もエルザを愛してる」


上官に問われた時には分からなかったこの気持ちがそうなのだと、今なら自信をもって答えられる。


肩からの出血のせいで眩暈がしてエルザの隣で身体を地面に倒した。ずっと見つめていたいのに身体が怠く強烈な眠気に目を開けていられない。

エルザの事すらも考えられなくなり、ラウルの意識は闇に溶けていった。

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