37.悠久の武蔵野③

 バサッバサッという羽ばたきが聞こえる。とたんに寝転がっていた漱石かもしれない猫科の生き物が四つ足の姿勢に戻った。それから前脚をかがめて臨戦体制のような形をとる。

 翼の音に続いて、靴が地面を踏む足音も聞こえてきた。

「聖くん」

 渚の声だ。

「渚さん、いるの?」

「うん、カラスがここまで連れてきてくれたの。千歳さんがカラスと会話できるから案内をお願いして」

 なるほど、頭いい。スマホのライトを使って、お互いの姿を確認したあと、急に渚がこわばった悲鳴をあげた。

「聖くん、そのトラみたいな生き物なに?」

 怯えるのも無理はない。聖としては「たぶん漱石」ということしか伝えることはできなかった。渚は半信半疑の様子だったが、その猫科の生物が襲ってくる様子をなかったので、ひとまず警戒は解いたようだ。

「千歳さん、ここいったいなんなんですか? どう考えても屋外でしょ。おまけにカラスまでいるなんて。僕たち飛田先生のマンションに入ったのに」

 聖は千歳に尋ねながら、本当にマンションに入ったのか自信がなくなってきた。

「ここはたぶん漱石が作り出した空間ですね。飛田先生の意思を反映して」

「どうやったら元の世界に戻れます?」

「飛田先生が持っている団扇を取り戻せれば」

 結局、飛田のところに辿りつくしかないというわけだ。

「大丈夫だよ、今カラスに案内してもらっている途中だから。運良く聖くんたちに会えて良かった」

 渚の口調は、不安な後輩を安心させる優しく落ち着いたものだった。漱石らしき生き物に会えたものの、どうしたらいいか途方に暮れていた聖はようやく安堵することができた。(「この人、一応先輩なんだな」)と場違いなことを思った。

「じゃあ、元凶のところにいきますか」

 聖たちが歩き出すと、漱石らしき猫科の生き物もついてきた。


「千歳さん、あの団扇ってこんな力あるんですか? 漱石を巨大化させて、こんな幻を作り出させるような力が」

「いえ、あの団扇は妖力を抑えるものであって、増幅させるものではありません。怪猫の変化は別の要因だと思います」

「飛田先生のところに行けばわかりますかね」

「どうでしょうね」

「なんだかスッキリしないなあ」

 ぼやく聖に渚は共感を示す。しかし2人が納得できる合理的な説明を、千歳に求めることはすでに諦めている。

「ただこの変化は、もしかして……」

「え、なんですか?」

 渚の声が聞こえなかったのか、千歳はぶつぶつと独り言を言いながら歩き続ける。「もしかして」「いやまさか」「でも」といった言葉が断片的に聖と渚の耳に入ってきた。

 お互いに離れないように気をつけながらしばらく進むと前方にぼんやりと光が見えた。近づくと古民家風の建物から灯りが漏れている。スマホの光に頼らずにお互いの顔が認識できるくらいには明るくなった。聖は長くて太い丈夫そうな木の棒を右手に持っていた。木の棒というよりホームセンターとかで売っている木製の丸棒に近い。

「聖くん、それどうしたのの?」

「ああ、護身用。落ちてるの見つけた。何が起きるか分からないから」

 家屋の入口の前にカラスがとまった。

「ここみたいですね」

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