第七話 変わりゆく日々 6
「うふふふふ。そう、そんなことがあったのねえ」
「はい。私の勘違いでよかったです」
数日後、久しぶりにミーシャお姉様と厨房で晩酌を楽しんでいる時、声変わりの一件についてお話しした。
ルイ様の声はかなり落ち着いて、まだ自分の声への違和感は拭えないみたいだけれど、今まで通りの生活に戻っている。
ちょっとした変化といえば、ルイ様が用事のない時も私の名前を呼ぶようになったことかしら。本当に嬉しそうに、大事そうに私の名前を呼ぶものだから、その度にドキドキと胸が高鳴って仕方がない。
「本当、あなたたちってば尊いんだから。壁になって一部始終を見守りたかったわあ」
「壁……?」
お酒が回っているのか、ミーシャお姉様はよく分からないことを言っている。
マルディラムさんに視線を投げると、呆れたように首を振っていた。首、ないんだけど。
「あ、そういえば。ミーシャお姉様、最近いいことありました?」
「えっ⁉︎ な、何よ急に! 何にもないわよお! 普通よ普通!」
「……その狼狽えっぷり、怪しい」
私の問いに、お姉様は明らかに狼狽している。冷や汗ダラダラで目も泳いでいる。嘘が下手な可愛い人だ。
ミーシャお姉様は、出会った頃よりさらに色っぽくなった気がする。時折物思いに耽りながらため息をつく様子なんて、私が画家なら絵画に収めたいと思うほど絵になる。
「恋する乙女の顔をしていますよ」
「えっ⁉︎ やだ、そんなに顔に出てる⁉︎」
ニヤリと笑って見せれば、ミーシャお姉様はカアッと顔を赤く染めて頬を両手で覆った。その反応が答えですよ。
「むふふん、お姉たま、ウェインさんと何かあったでしょう?」
「あっ……!」
失態に気付いたお姉様は、ジトリと私を恨めしそうに睨みつけてくる。そんな顔したって可愛いだけですけどね!
「そっかあ~ウェインさんと……うふふ」
「な、何よう」
「いえ、大好きな二人がうまく行ったら、とっても嬉しいなあと思っただけですよ」
「アリエッタちゃん……!」
不貞腐れた顔から一転、パアッと表情を輝かせたミーシャお姉様にむぎゅっと抱きしめられた。おっぱいが! すごいから! 圧死するから!
降参の意を込めてお姉様の腕を必死で叩いて解放してもらい、深く息を吐く。お姉様は意外と力も強いから気をつけて欲しいところだ。
何はともあれ、ミーシャお姉様とウェインさんの関係が前進したことは喜ばしい。堅物のウェインさんのことだから、ミーシャお姉様に好意を抱いていても、自制してしまうのではと密かに心配していたのだ。
「ミーシャお姉様にはお世話になりっぱなしですし、恋愛経験のない私でも、お話を聞くぐらいはできますので、いつでも頼ってくださいね」
そう言った後、ハッと我に帰った私は慌てて身体を仰け反らせた。感極まったミーシャお姉様の突進を回避するためだ。今度こそ圧死してしまう。
その後もなんでもないことを笑いながら語り合う心地よい時間を過ごした私は、ガタンと椅子を鳴らして席を立った。
「では、私はそろそろ寝ますね」
「ええ、おやすみ。アリエッタちゃん」
「おやすみなさい」
マルディラムさんにも「ご馳走様です。おやすみなさい」と挨拶をして、私は厨房を後にした。
「――なんだ。何か言いたいことがあるならハッキリ言え」
アリエッタが立ち去った後、いつもであれば「私もそろそろ部屋に戻るわあ」とフラフラ出ていくミーシャが、一向に席を立つ気配がない。むしろ、食い入るようにマルディラムを見つめている。その視線に耐えかねたマルディラムが尋ねると、ミーシャは指を突きながら小さな声で白状した。
「う、その……ウェインって、クッキーは食べるかしら」
「ふ、そうだな。あれは意外と甘党だぞ」
「本当っ⁉︎」
城中の魔物の好みを把握している厨房の主のお墨付きであれば、間違い無いだろう。
ミーシャはパアッと目を輝かせ、直後にガクリと肩を落とした。随分と忙しない。
「ねえ~マルディラム」
「なんだ。気色が悪い」
「なによう! もうっ……その、私にクッキーの作り方を、教えてくれないかしら?」
「ほう……誰にやるつもりだ?」
ミーシャの嘆願に、ニヤニヤと口元を緩めながらマルディラムが意地の悪い問いかけをする。口はないのだが。
「なっ……! 分かってるくせに言わせないでよ! もう知らない! 寝る!」
「すまん。冗談だ。ルイス様の就寝後であれば、翌日の下拵えも大方済んでいるから訪ねにくるといい」
プリプリと肩を怒らせながら厨房を出て行こうとするミーシャの背中に向かって、マルディラムは声をかけた。
「マルディラム~! あんたってば、本当に面倒見がいいんだからあ!」
「ったく、調子がいい奴め。いいか、某の指導はスパルタだからな。覚悟して臨むがいい」
「臨むところよ!」
ミーシャは、ムンッと右腕で力瘤を作って見せると、鼻歌を歌いながら今度こそ厨房を後にした。
「やれやれ。誰も彼も手のかかる」
ミーシャとアリエッタのグラスを片付けながら、マルディラムは肩をすくめる。
面倒ごとには極力関わりたくない性分なのだが、大切な仲間たちの困りごとに手を貸すのは嫌いではない。
「結局、ミーシャの言う通りお人好しというやつなのだろうな」
マルディラムは、ミーシャに教えるクッキーの作り方を頭の中に思い描きながらシンクの蛇口をひねった。
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