いつまで初恋引きずってんだバーカ

貧乏神の右手

憧れの先輩の話

1.僕と親友と友達と先輩

卒業式を迎えて数日、その影響で校内が一学年分静かになったころ。そこで僕はようやく、先輩が先輩ではなくなったことを思い知った。


 待ち合わせをしなくとも朝になると顔を合わせていたはずなのに、ここ数日はめっきり後ろ姿も見ない。最初は早めの春休みに入って家でのんびりと過ごしているからに違いないと確信していたけれど、新学期に入って入学式が行われてからそれは誤りだったと自覚した。


 友達が言うには、高校の制服を着て出かけるところを見た。区を一つ越えた先にあるバレーボール強豪校のセーラー服。朝は早いらしい。

 そういえば、中学に入る前にも似たような経験をしたことを思い出した。


「進路、変えようかな」


 僕は、3年生になって初めての進路調査書をそっと書き換えて、最寄りの高校ではなく自宅からやや離れたところにある、とある部活の強豪校の名前を記した。

 もしかしたら、今の時代ならストーカー扱いになって捕まりやしないかと不安になる気持ちは拭えなかったものの、動機は別にもあるから問題はないかなと正当化して、自分より少し上の偏差値相手に挑戦することになった。


 片思いを片思いのまま終わらせないために。


 それが中学最後の春だった。



 

  ◇



 レベルの合わない学校を選んだせいか、勉強が追い付かないことが多々あった。


「おい宮里、この前の課題はどうした」

「来週には提出します、絶対」

「先週も同じこと聞いたぞ。出す意志がないなら未提出でも構わんが」

「じゃあ今日出します。下校時間までにはなんとか」


 多分、自業自得。部活に集中しているとどうにも勉強に手が回らない。部活に力を入れつつも進学校としての側面も持つこの学校は、授業外の課題提出が無駄にあった。いや、大学受験に向ければ無駄ではないだろうけど、部活に熱心な僕として、現状は不要な時間だった。


 とはいえ、サボるわけにもいかない。僕は手頃な教室を探して宿題に取り組むことにした。


「で、こんなとこで籠城ってわけか。先輩に見つかると怖いもんな」

「でもまさかお前が来るとは思ってなかった。随分と秘境じみた場所だと思ったんだけど」


 授業や行事があるのは基本的には新校舎で、ここ旧部室棟には滅多に人が出入りしない。化学や地学、史学なんかの資料室があるくらいで、現在は文化系の部室として使われる場所もあるとのことだが、活動が盛んな様子は見られない。


 廊下には僕らの声だけがぽーんと響いていた。


「今日中に終わりそうなん、それ」

「さっさと終わらせてバレーやりたいところだけど、意外と難しいんだなこれが」

「数学か。しかも答えがない」

「授業一発目に模範解答だけを回収するなんてありえないよまったく」

「ははっ、お前みたいなズルい奴を取り締まるためだろ。丸写しされちゃあ真面目にやった奴が馬鹿をみるからな」


 そう言って葵はけたけたと笑った。


「それなら写したい人だけ写せばよくないか。真面目にやりたい人は、その課題のおかげで先のテストや受験に活かせるんだし、馬鹿をみたとは思わないでしょ」


 純粋な疑問。バレーをやってるときだって、サボってる人を見たとしても真剣に取り組む自分を馬鹿だとは思わない。その人がたとえ怒られていなくとも、罰を課されていなくとも、自分のためにやったことだし少しでも実力が付いたならそれでいい。


 それと同じで、課題を正しい方法でするか、ズルをするかを決めるのは僕たちのほうで、強要されるのは少し違うと思ってしまう。要するに、自己責任。


 ただ、葵はそれには渋い顔を浮かべた。


「中にはいるんだよ。勉強熱心じゃなくて出来ることなら課題はやりたくないけど、真面目にやらないとって衝動に駆られて答えの丸写しすら出来ない奴がさ」

「根が真面目なんだな」

「なにかに怯えてるだけよ。壁に耳あり障子に目あり的な」

「へー、僕にはわからないかも」

「ミヤこそ、根が真面目なんだよ」


 そう? と首を傾げてみてもわからないものはわからない。やりたい奴はやればいい。それだけ。


 ただ、そんなことを言っても卒業や進学が出来なくなるのは僕のほうなので、やるべきことはやる。元々、部活に追われて暇がなかっただけだし。……要領がいい奴が羨ましい。例えば、葵とか。


「それで、葵はこんなとこに居てもいいの。部活は休みだけど体育館は自由に使わせてくれるんじゃなかったっけ」

「いいんだよ。俺はお前みたいに汗かいて努力してってタイプじゃないし、友達にヤジ飛ばしてるほうが面白いし」


 こういう奴。そのくせバレーが上手い。背も高いし、一年生ながら練習試合ではもう上級生に並んで試合に出てる。完全なレギュラー入りではないものの、新入生の中じゃトップクラスに活躍していた。


 一台だけ置かれた長机。そこの椅子に僕が座っていると、こいつは隣で適当に小言を挟んでくる。僕が答えを間違えているのを見つければ、その都度指摘して笑う。ただそこに不快感はなくて、友達を程よくイジるような、そんな感覚。


「そういや、おまえって付き合ってる人いたっけ」

「いやいないけど」

「だよな。おまえにいるわけないよな」

「じゃあ訊いてくるなよ」

「こういう確認は大事なんだよ。男女の人間関係ってめんどくせーからな」


 なにを達観して。そう言い返してやろうと思ったけれど、こつこつ、と、廊下から控えめな足音が聞こえてきた。


「先生か?」

「可能性はある」


 怒られはしないと思うけど、勝手に立ち入ったことに注意は受けるかも。やや怯えて、極力物音は立てずに静かにしていると、やがてその足音は教室の前で止まった。


 鍵を通して少し。小さな独り言とともに扉は開かれた。


「あ、あれ……宮里、くん?」

「びっくりした。立花さんか」


 顔見知り。中学でクラスが同じだった子。眼鏡はなかった。というか、本当に驚いた。


「立花さんもここの学校だったんだ。全然気が付かなかったよ」


 言ってくれればよかったのに。出かけた言葉を飲み込んで、立花さんがあまり自己主張のしないおとなしめな人だったことを思い出す。


 もしかして一度くらいはすれ違ったことがあったのかな。だとしたら申し訳ないことをした。悩んでいると、横から葵が口を挟んできた。


「もしかして、立花さんってここで部活やってる?」

「え、あ、はい。名ばかりの文芸部に入ってます」

「あーやっぱりか。でも活動は盛んじゃないんだ。まあ、部活紹介でも口頭でさらっとだったしなあ」


 僕は知らなかった。さすが葵は物覚えが良い。

 招くという言い方もおかしいけど、僕たちは立花さんを迎えて、その代わりに散らばっていた筆記用具や教科書を鞄に詰め込んで席を譲った。


「知らなかったとはいえ、勝手に使ってごめんね。僕たちはもう行くから、部活頑張って」

「ううん。わたしも、鍵を開けたままにしたのが悪いから、宮里くんは気にしなくてもだいじょうぶだよ」

「そう? ありがとうね」


 異性だからか、それとも久しぶりだからか、立花さんと話すのは少し緊張した。

 気まずい間があって、僕はその場をどうにか繋ごうと思い出話でもしようと思ったけど、その前に立花さんがゆっくりと言葉を紡ぐようにして告げた。


「こ、ここ、いつでも使っていい、よ。部員、わたしだけだし」

「えー、一人なんだ?」

「うん。わたしが入部したタイミングで先輩たちが卒業したみたいで、ほらここ、運動部の活動が活発だから、わざわざ文芸部を選ぶ人がいないみたいだよ。目的も曖昧だし」


 美術部や手芸部があるし漫画研究部もある。本格的な文学が好きで、かつ誰かとそれを共有したい人はあまり数が多くないんだろう。去年ここの学校祭に来たときも文芸誌が目立ってなかったから、そもそも僕と同じように認知すらしてない人もいるかもしれない。


「来年は部員増えるかね」

「増えたら増えたで、緊張しちゃうかも」


 自分が部長になった姿でも想像してるらしい。未来にちょっと期待しながらもそれを否定する自分もいるらしく、その表情変化は見ていて面白かった。


 そんな様子を眺めていると、見兼ねた葵が溜息交じりに小突いてきた。


「んなことよりさっさと課題終わらせろ」

「わかったよ。休憩してただけ」


 ただここはもう使うわけにはいかない。


「教室のアテは?」

「ある」

「どこよ」

「ここ」


 葵は躊躇いもなく言った。


「立花さん、たまにここ使わせてもらってもいい?」

「うん、いいよ」

 

 駄目とは言わないと思ったけど、即答には驚いた。葵の人相の問題かもしれない。顔は良いが、目付きは悪い。


「じゃあ遠慮なく隠れ家として使わせていただきます!」

「ほんとにいつでも使っていいから、ね。気圧されてとかじゃなくて……この教室って風通りが良くて、涼しいから」


 控えめに微笑んだ。相変わらず不器用。でも、そこがなによりの魅力だと僕たちは知っている。


「うん、ありがとう」


 小さく頷き返してくれた。基本的に口数は少ないけど、感情は豊かな気がする。と、葵はいつか言ってたな。


 許可は得たので僕はもう少しの間だけ課題のためにここを使わせてもらうことにした。椅子は余分にあって席を奪い合うことにならなくてよかった。もし2つしか椅子がなかったら、きっと僕ではなく葵と立花さんが座っていただろうから。


 そんなふうに、風に吹かれながらのんびりと机に向かっていたところ。廊下から階段を駆け上がる音が聞こえてきた。


「運動部か?」

「いやいや、一人でしょうよ」

「見当は?」

「ついてる」


 匂いでも嗅ぎつけてきた? そんなまさか。


 旧部室棟3階、その奥にある史学準備室。隣の一般教室の半分もない手狭な教室。鍵の開かない特別教室にいくつも手をかけながら、足音はみるみる近づいて、そして止まった。


「ホラーかね」

「そのほうがよっぽどまし」


 横開きの戸は開かれて、その主はまさしく現れた。


「おいこら洋輔。バレーしようぜ」


 気性は荒く、猛々しく、なにより声がデカい。姉貴肌らしい芯の通った声がこの狭い教室に響いた。立花さんは、心なしか少々怯えていたかもしれない。


「いや、今は課題に追われててさ」

「じゃああと3分で終わらせろ。そしたらバレーの練習だ」


 あと10分はかかりそうなんだがなあ。しかたない。しかたないか?


 抵抗する時間さえも惜しいので、僕は返事もしないまま、葵の力も借りつつなんとか終わらせた。


「やっぱり疲れるね、勉強って」

「俺からしてみれば外周とかトレーニングのほうが何百倍も疲れんだがな。お前の体どうかしてるよ」

「体力づくりは楽しいから。葵だってゲームは何時間やっても疲れないでしょ。それと同じ」

「同じじゃねーって。お前がおかしいだけだって」


 先輩がぼそりと「私っておかしいのか……」と傷ついているのは聞き逃さなかった。


 きっとここは、学校の中でも特別平和な僻地だったろうに、騒がしくしてしまったことに少々の申し訳なさを感じる。


「2人は先体育館行って準備しててよ」

「おまえは?」

「課題の提出。ほら、今日出すって言っちゃったし」


 それに立花さんとは話したいことがあった。

 ていの良い理由があってよかった。2人も納得してからは早かった。大砲のように飛び出していくその様は本当に恐ろしい。


 2人が出ていってからやっぱり少しだけ間があった。中学の頃のあの件を今になって思うと、気まずさはあった。きっとそれは立花さんも同じだろう。


 ただ、黙っていても埒が明かない。


「気になったことがあるんだけど、訊いてもいい?」


 そう声をかけると、立花さんは小さく頷いてまた微笑み返してくれた。「ありがとう」とだけ添えて僕は続けた。


「眼鏡、やめたの?」


 僕が最後に見たときは輪郭が細い丸眼鏡を掛けていたから、それが今日だけなのか、はたまたやめたのか純粋に気になった。

 立花さんは小さな声で答えてくれた。


「じ、自分なりに、人生を楽しんでみようと思って。コンタクトに変えてみたんだ。どう、かな?」


 中学時代、ちょっとした縁で人生について語り合うことがあった。今思えば、壮大なテーマに見えてちっぽけな悩みだったように思う。立花さんにとってはなによりも重大な悩みだったかもしれないけど。


「確かに、髪を短くしてコンタクトになった今のほうが人生をより楽しんでるようには見えるかも。絶対楽しめ!とは思わないけど、良いと思う」


 中学では無所属だったのに高校に入って文芸部に入ったのは、なにか気持ちに変化があったのかな。

 ただそこまで深入りする理由もないから、今日はこの辺で別れることにした。ここに来ても良いと言ってくれたし、訊く機会はいくらでもある。


 久しぶりに会ってこれだけ話をしてくれたから、それだけでもう大満足。


「じゃあまた、勉強しないとだめなときに来るから、そのときはよろしく」

「う、うん。よろしく、お願いします」


 深いお辞儀。なんとなく僕もそれに倣う。このやりとり何回目だろうね。

 って、こんなことしてる場合じゃない。早く行かないとまたどやされる。怖い怖い。

 またね、と手を振ると腰当たりの低い位置で振り返してくれた。これも本当に、何回目のやりとりなんだろう。

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