ゴースト・ライト

@qwegat

 父のつくりだした品物の中で「発明品」という呼び名にふさわしいものがあるとすれば、〈ラブレター生成機〉ただ一つだろう。

 なぜって、「発明品」ということばには「明」という文字が含まれるからだ。「明」は文字通り明るい、あるいはポジティブな文脈で使われる漢字だし、その前にくっついている「発」にしたって、「明」の影に隠れてけっこうポジティブだ。とにかく「発明品」っていうのは――なにかしらの物事についてポジティブな効果をもたらして、いわば前進させる存在に使う分類である。

 例えば大量殺戮兵器のような一見ネガティブの塊みたいな存在も、使う側から見れば十分ポジティブだから、これはこれで「発明品」だろう。でも、父がしきりに丸眼鏡を光らせては「発明品」という称号を見せびらかすように貼り付けていた、〈ラブレター生成機〉を除いたすべてのアイテム――ティッシュ箱擬人化機とか、チーズ少年漫画に例え機とか、音楽聞き機とかは、明るくも暗くもなかった。僕を含む父以外のすべての人の目には、そいつらはがらくたにしか映らなかった。

 そういう意味でやはり〈ラブレター生成機〉は、彼の「発明品」が物置のいちメンバーに終わらず、世界に何かしらの明かりを齎した唯一の例だと言うことができる。あいつのおかげで少なくとも、僕の財布は潤ったからだ。


 とん、と。

 便箋の束の角をそろえる。

 重ねられた紙たちを直方体に見立てた場合、その底面を木机に打ち付けたということになる。一度打ち付けたら再び持ち上げて、便箋たちの作る段差がある程度平坦になるまで、とん、とんと、衝突音のリズムを連ねる。

 机と紙束が音を上げるたびに、その周辺に潜んでいた埃たちが、机越しの衝撃を受けて舞い上がる。窓から射した陽をうけて、網膜に刻まれた残像のように掴みどころなく落ちていく。そういえばさいきん机を掃除した記憶がないな、と僕は思った。

 本当は角なんて十分揃いきっているんだけど、何となくもう少し続けていたい気がしたから、三回くらい多めに埃を舞わせる。とん、とん、とんと余分に音が上がって、その割に日差しをうける埃は思ったほど多くなかった。もう舞い上がるべき塵のほとんどは、あらかた飛び去ってしまったということなのだろう。


 〈ラブレター生成機〉は意外ってほどでもないくらいに無骨で大きな箱型で、入力用のいくつかのインターフェースと、出力用のひとつの穴を備えている。穴の形状は横に長い矩形で、ここから内部で書き込みを行われたラブレター用紙が吐き出される形だ。

 筐体の上部に備わっているカクカクした輪郭の給紙スロットに装填された白紙たちは、この出力穴から這い出るに至るまでの過程で、内部的にいろいろな処理を受ける。具体的にどういう処理なのかは、よく知らない。知るためには分解か何かする必要があると思うのだけれど、ろくでもない理由で発明者が死んだいま、分解された〈ラブレター生成機〉を直せるものがいるかは定かでない。定かにするためにはやはり分解する必要がある。そして分解された〈ラブレター生成機〉を直せるものがいるかは定かでなく、以下同じ。

 残された遺産で食いつなぐ僕に分かるのは、入力インターフェースに繋がれたコンピュータとかキーボードとかが送ってきたテキストデータ――言い換えれば〈顧客〉による〈注文書〉をもとに、〈ラブレター生成機〉が言語とかに関する手続きをして、生成することだ。

 ラブレターを。


「……もういいか」

 辞め時を失いかけた自分に言い聞かせるようにひとりごちると、僕はぐるりと身を翻す。相対していた机に背を向け、背を向けていた〈ラブレター生成機〉の後面と相対する。そして両手に抱えっぱなしの便箋の束を、例の給紙スロットのカクカクの狭間に吸い込ませる。しっかり奥まで挿しこめたことを確認する。

「よし」

 しなくてもいい呟きをいちおう落としたあと、歩き出す。

 木目の走る仕事場の床を落ち着いて進む。そういえば床の掃除もした覚えがなくて歩を重ねるたびに埃が日光に輝いてしまうけど、いったん無視する。いったん無視して、飾り気のない箱の前面に回り込む。そこから生え出た操作パネルに手を伸ばし、然るべきボタンを押し下げる。カチッと音がする。これに関しては舞い上がる埃が見えることもない。〈ラブレター生成機〉の筐体が影を作って、埃たちを日光から隠しているからだ。

「ええと……外部ストレージからの読み込み、と」

 わざわざ確認するように工程を口に出しながら、操作を進めていく。有線で繋ぎっぱなしにしてあるノートPCを、くたびれたケーブルにダメージが行かないよう注意しつつ持ち上げて、起動して、クラウドストレージを開き、〈注文書〉を格納したテキストファイルをいくつもまとめて圧縮し、ダウンロードする。今日の〈顧客〉の具体的な人数はよく覚えてないけど、テキストファイルの数を見るに三十人とすこしだろう。

 〈注文書〉には、文体上の指示のほかに、〈顧客〉が置かれている現状を記すことになっている。顧客自身についてなら、例えば年齢とか趣味とか職業とか。ラブレターという媒体を鑑みれば、当然送り相手――〈顧客〉の想い人の情報も必要だ。年齢とか趣味とか職業とかだけじゃなく、〈顧客〉がどういう経緯で想い人と出会ったのかとか、なぜ想う人が想い人なのかとか、もっと些細などうでもいいエピソードまで。入力する文脈情報が多ければ多いほど、〈生成機〉が出力するラブレターは高精度のものになる。

 これらの事実は〈顧客〉への説明の場で毎度話しているし、公式サイトにもばっちり記載している。だから成就を願う大半の〈顧客〉たちは、なるべく優れたラブレターを手に入れられるよう、かなり事細かに書き込んだテキストファイルを送ってくる。プライバシーポリシーもあって中身は確認していないけれど、ファイルサイズを考えると、ここまでで最も大きかったやつには一千万文字くらいの書き込みがなされていた。そこまで熱心にキーボードを叩ける人でも、こと恋文においては〈ラブレター生成機〉に頼るのだから、まったく文章というのは難しいなと思う。

 自作した入力用アプリケーションの簡素なインターフェースにあてて、一括選択したテキストファイルたちをドラッグアンドドロップする。いくつかの進捗表示コンポーネントが目まぐるしい速度で変形していき、何のかんので『Done』と表示が出る。

 ういんとそしてがりがりと、モーターが駆動する音が聞こえ始める。〈生成機〉の側部に備わったインジケータは緑に点灯して、周囲を漂う埃たちを、ほんのわずかに暴いていた。


 「生成」といっても、単に甘ったるい言葉を考えて、それらを繋げて文章にするだけじゃない。〈ラブレター生成機〉は、考えた言葉を書いてもみせる。これも中身が見えないから何とも言えないけど、稼動音から察するに、たぶんロボット・アームが組み込まれている。補充口に投入した光沢のあるインクたちをふんだんに使って、ロボット・アームは紙上を引っ掻く。そして時にどどっと踊ったり、あるいはぴたりと静止しながら、文字を書いていく。

 文面だけでなく筆跡まで作り出すというのが、この手の機械では珍しいところだ。〈顧客〉が感情的にしてくれと言えば筆跡は強く躍動的になり、繊細さを求めれば今度は弱弱しいものになる。悲しくしてくれとか言うと、なんと涙の跡みたいなものを点々と落とし始める。もちろん指定しないことも可能で、その場合〈顧客〉の注文から、最適な筆跡を自動で割り出す。

「使用者が想い人に渡しうる中で、理論上最高の効果が見込めるラブレターが生成されるはずだ」

 と幼少期の僕に父が豪語したときは、さすがに思い上がりも甚だしいだろうと幼心ながら思った。しかし現実――「理論上最高」かについては確かめようがないものの、生成されるラブレターがかなり優れたものらしいことは事実だ。

 根拠はといえば、〈顧客〉たちの声に他ならない。


 ゆっくり吐き出されてはあっけなくトレイに落ちていく便箋たちからは、なるべく目をそらすようにしている。

 その起因はプライバシーポリシーだ。僕が父の唯一の遺産を使って〈恋文機械代筆業〉を始めるにあたり、「従業員は〈顧客〉の入力および出力についてなるべく認識しないよう最大限努力する」的なルールが設定された。あと「入手した個人情報はラブレターの代筆以外に使用せず然るべき手段で処分する」も。せめてそれくらいは書かないと、みんな自分の諸々が流出することを怖がるだろう。

 しかし実際のところ――この事業は〈ラブレター生成機〉に頼りきりで、バックアップとなるような第二の道も用意されていない。できるのは改造じゃなく外付けだけだから、〈生成機〉の持つ様々な不便な仕様については、改善できても限度がある。入力インターフェースの不便さはアプリケーションの自作で改善できても、自動包装機能を追加することまではできない。だからモーター音と共に生み出されていく黒文字の海は、どうしたって、僕の視界へと飛沫を飛ばし始める。

 正直なところ――それを少しだけ楽しんでいる自分もいるのだ。

『好きで』

 認識してしまった文字列をなんとか記憶から拭い去ろうとしているフリをしながら、積み上げられた便箋の山から、数枚取り上げて封筒に詰める。複数のラブレターを同時出力すると手紙と手紙の境目がわかりにくいことも〈生成機〉の難点だ。でもその問題は例の自作アプリケーションでダミーのラブレターを間に挟む処理をすることですでに解決しているので、結局これはただの言い訳だった。

『夢の中でも』

 また見えてしまう。

『桜が躍る街道の』

 頂点だけをつままれてするりと弧を描くように変形した紙の中に落ちた歪み切った文字に、

『ずっと、あなたのこ』

 脳がおせっかいにも変換処理を走らせ、認識できるようにしてしまう。

 僕はそれをやっぱり楽しんでいて、駆動を終えた大箱の横で、びっしり並んだ乾いたインクに視線をわずかに飛ばしてしまう。

 捲って封筒に詰める。捲って封筒に詰める。捲って――。

「……え?」

 手を止めた。

 右手でつまんだ便箋の前後はダミーで、つまりそのラブレターは便箋一枚だけで構成されていた。まあ――それ自体は少し珍しいけど、無い話じゃない。〈顧客〉の想い人が長文を読まないタイプであるとか、あるいはもっと単純に、〈顧客〉自身が短くするよう頼んだケースなんかで起こる。でもここまで短いのはなかった。その恋文は、一行だった。

 僕はいっそう目を見張る。「え?」なんて口に出してしまった以上、ここから見なかったで通すのは無理がある。「最大限の努力」は……しなかった、ってわけじゃない気がする。不可抗力だ。しょうがない。僕は理屈で理性を止めて、視界に走る衝動でそれを見た。滲んだ僅かな青色を見た。几帳面そうな文字で書かれた、ちょっと異常な手紙を見た。

 そこに書かれていたのは。

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