元魔王(幼女)が自分の角を切りたいと言い出したので全力で止めた

翠野 涼

第1話 動物好きな元魔王(幼女)

「猫吸いたい」


 薄暗い洞窟の中、少女はそんな希望を口にした。


 深紅の髪。側頭部からはヤギのような大きく尖った角が一対。青白い肌と、大きくも冷たさを秘めた瞳。


 外見年齢は十歳程度だが、実年齢は五百を超えている。

 魔王ルルマリス。この数百年世界を支配していた、魔族の親玉である。


「聞こえたか、ファウザ。猫吸いたいと言ったのだ」


「へいへい」


 気だるそうな声を漏らしながら、俺は重い腰を上げる。


 銀色の獣毛に覆われた体躯に、大きなふわふわの尻尾。俺はいわゆる人狼というやつだ。


 やる気の感じられない部下の態度に、ルルマリスは顔をしかめる。


「魔王親衛隊長ともあろうお前が、随分な態度だな」


「その親衛隊、もうなくなってるからな。あんただって、もう魔王じゃねえし」


 肩をすくめ、両手を広げて周囲の空間を示す。二人がいるのは魔王城ではなく、狭く暗い洞窟の中だ。


 ルルマリスが魔王だったのは、一ヶ月前までのことだ。勇者とか呼ばれている人間に敗北し、力のほとんどを失っている。重傷を負っていたが、親衛隊長だった俺がギリギリ助け出したので一命は取り留めた。


 魔王軍はほぼ全滅し、かつてあった魔王城も倒壊した。今は人里離れた洞窟で、二人だけでこっそり隠れ潜んでいる。俺の看病の甲斐あって、ルルマリスの傷は既に回復していた。


 だが勇者に致命的な傷を負わされたことで、ルルマリスは魔王の力を一切使えなくなってしまった。もはや、人間の子供と変わらない力しか持たない。


 それでも少女は尊大な態度を崩さず、俺を睨んでくる。


「それで? 我は猫吸いたいんだが。命令に逆らうのか?」


「いやいや、俺だってそこまで忠誠心を失っちゃいねえよ。ちょっと待っててくれ」


 言うが早いか、俺は洞窟を飛び出した。獣人のしなやかな肉体を駆使し、風よりも早く大地を突っ走る。


 十数秒も走れば、人間の住む町にたどり着く。俺は誰にも見つけられないほどの高速移動で町を駆け抜け、路地裏でたむろしていた野良猫を一匹拾い上げた。そのまま街を出る。


「……お?」


 帰り際、洞窟の近くに人間の集団がいるのを見つけた。


「この辺りで、魔王ルルマリスらしき人影を見たって噂を聞いたんだ」


「仕留めりゃ、相当な報奨金が貰えるはずだ。これを逃す手はねえぜ」


 ルルマリスを狙う輩のようだ。なんでも人間の王様は力を失っていてもルルマリスを殺しておきたいらしく、未だに魔王討伐を民に命じているらしい。


 俺はひょいと猫を真上に放り投げると、超高速で人間達の間を駆け抜けた。その際、鋭い爪で人間達の身体を浅く斬りつける。


「ぐわああっ!?」


「こ、この現象は、『神風かみかぜ』……!?」


 人間は悲鳴を上げて町へと逃げ帰っていった。誰一人、俺の姿を見れた者はいないだろう。ものの一秒で元の場所に戻ってきた俺は、悠々と落ちてきた猫をキャッチする。


 自慢ではないが、俺の身体能力はかなり高い。並外れていると言ってもいい。


 魔王軍の中に俺ほどの力を持った者はいなかったし、親衛隊の中でも実力は頭一つ抜けていた。人間の盗賊を一人で潰し、宝を奪ったこともあった。まあ、勇者には勝てなかったのだが。


「ほら、戻ったぜ」


 洞窟に戻ってくると、俺はルルマリスに猫を放り投げた。


「おおぉお! 待っていたぞファウザ!」


 外出時間は精々一、二分ぐらいだったが、ルルマリスは待ちわびたという風に猫に飛びついた。暴れる猫をガッチリとホールドし、逃がさないようにして抱きしめる。こういう容赦のないところは魔王だなと思うが、やっていることが猫吸いなのでちょっと微笑ましくも感じる。


「すぅぅはぁぁ、すぅぅはぁぁ」


 猫に顔を埋め、匂いを嗅ぎまくっている。ルルマリスは昔から、動物好きで有名だ。魔王時代にもよく部下に命じて、世界中から色んな動物を攫ってきていた。魔王城の一部が動物園みたいになっているのを見た時は顔を引きつらせたものだ。


「そういえば、ファウザよ」


「あん?」


 猫を抱きかかえたまま、ルルマリスが顔を上げる。


「さっき、近くに人間らしい気を感じたぞ。まさかこの隠れ家が見つかったのではあるまいな?」


「ああ、確かに人間の集団が近くに来てたな。でもまだ見つけられてはいなかったみたいだし、俺が追い払ったからしばらくは大丈夫だろ。姿も見られてねえし」


「ほう、また『神風』伝説を一つ追加したのか」


 俺は動きが速すぎるので、敵に見つからないまま撃退してしまうことが多い。人間達にしてみれば何の前触れもなく身体が斬り裂かれている形になるので、それが人狼の仕業であることにも気付かない。結果、人間の間では俺の存在は『神風』という自然現象として語られていた。


「人間達が見当違いな噂を広めているのを見るのはなかなか楽しいものだ」


「ま、『神』とか言われて悪い気はしねえな」


「ところで『神風』ってなんだか、スカートめくりそうな響きだよな」


「何もかもを台無しにするな」


 ため息を吐いて、洞窟の壁を背にして座り込む。


 ルルマリスに解放された猫を町に帰しに行ったのは、それから二時間後のことだった。





「虎吸いたい」


「ほい」


 山二つ超えたところにあるサバンナから運んできた。


「ペンギン吸いたい」


「ほいよ」


 大陸の北端近くの氷塊から拾ってきた。


「狼吸いたい」


「俺の尻尾でいい?」


 元魔王の動物好きに応える日々は続く。


 この日も、いつもと同じく希望を口にしてきた。幸い俺の尻尾を与えたら、満足そうに絡まってきた。


「もふもふ」


「今日は遠出せずに済みそうで何よりだ」


「はぁはぁ」


「おい、息荒げんな」


 尻尾に抱き着いたり顔を埋めたりされるのはくすぐったかったが、我慢する。


 力を失ったルルマリスの強さは、人間の子供と変わらない。つまり俺の方が遥かに強いわけだが、命令に逆らうことはない。


 ついでに言うと、俺はべつに魔王に強い忠誠心があるわけでもない。肩書を失った今、平然とため口で話しているくらいだ。


 そんな俺がルルマリスに従うのには、当然理由があるのだが……。


「あだっ」


「む、すまぬ」


 背中にチクリとした痛みが走る。ルルマリスの大きな角の先が、俺の背中に当たったのだ。


「気にしてねえよ。あんまり当たらねえようにしてくれりゃいいから」


「うむ。…………」


 だがルルマリスは、しばらく悩むように動きを止めた。


 やがて尻尾から離れ、起き上がる。


「なあファウザ。我のこの角、正直邪魔だし切ってくれないか?」


 そんなことを言ってきた。



 そして、俺は重度の角フェチだった。

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