第7話 第三章 輿入れ 一日目


         第三章 輿入れ 一日目


 尾根に出た。

 押野城へ続く街道も、故郷へ戻る道も、ここからはよく見えた。

 マタギの老爺に連れられた小屋は、高い山の奥にあったようだ。

 押野城へ向かうには、尾根伝いに進み、もう一つ小さな山を越える必要があった。城の麓の村までは、約七里ほどか。まだ世は明けたばかり。夕刻までには城へ入れるだろう。

 

 日が中天にさしかかる頃、尾根伝いの道は下り坂に変わった。このまま山の中を進めば、麓の村に出る。

 道を下りるにしたがって、ときどき村の者とすれ違った。誰もが目を剥いて、奇妙ななりをした二人を眺めていく。姿形は侍と姫であるのに、自分たちよりも汚れた着物を着、裸足の二人には、声をかける勇気は起きないようだった。

 村に入ると、人々は遠巻きに二人を眺めて飽きなかった。それでも青之進は胸を張り、姫を守るという体裁を崩さなかった。はるははるで、うつむきながら、静々と進む。


 行く手に城が見え始めたとき、思わずはるは身をすくめた。

 あの城に自分は上がるのだ。小女としてではない。姫として、向かうのだ。


 押野城は同じ山城ではあったが、故郷の山城と比べると、大層立派に見えた。はるが眩しく仰いだ高櫓よりもずっと物々しく威厳のある矢倉がそびえている。

 空で烏が啼き始め、西のほうから薄闇が迫りつつあった。椋鳥の群れが、道端の大木からいっせいに飛び立つ。

「てる姫さま、お急ぎを」

 村に入って、青之進が初めて口を利いた。遠巻きに眺める村人たちに聞こえるようにか、大きな声だ。

 返事をする代わりに、はるは頷いた。


 決して声を出すな。

 何度も何度も言い渡された戒めを、はるは胸の中で繰り返す。


「姫さまだと?」

 村人の中から、そんなささやきが聞こえた。

「姫さまが、なぜあのような汚れた小袖で」

「よく見ろ。上等な小袖だ」

「ほんとうだ。簪もつけておるぞ」

「いや、姫のはずがない。血だらけの小袖を着た姫などいるものか」

 そんな声もする。

 やがて、村人の誰かが、城へ注進したのか、行く手から馬に乗った侍がやって来た。


「名を名乗れ」

 騎乗のまま叫んだ侍に、青之進が怒声を浴びせた。

「無礼であるぞ!」

 青之進の勢いに、騎乗の侍はひるんだ。その隙に、青之進は威勢良く続ける。

「こちらは国見城城主邑久さまのご息女、てる姫さまでござる」

「まことか」

 うわ言のように呟いた侍は、驚いて踵を返し、ふたたび戻ってきたときは、供を二人連れていた。その後ろには、人足が籠を担いで従っている。

 侍は前方二間ほど先で馬を降り、地面に片膝を立てた。

「城へのご案内役を捕まった西上相之助(にしがみあいのすけ)でござる」

 青之進もしゃがんだ。

「てる姫さま警護役の大柴青之進と申す」

 そして青之進は、素早くはるを籠へ引っ張った。

「姫さまは大層お疲れでござる」

「はっ」

 西上と名乗った侍が頭を下げた。その横顔を一瞥してから、はるは籠に乗った。

「賊に襲われました。おそらく野盗の類と思われます。このことを、城では」

 ご存知のはずと続けるところを、言葉をわざと止めたのがわかった。

 青之進は押野城での情報を得るために、わざと曖昧な言い方をしているのだろう。

「賊に襲われ、姫さま行方知れずと承っております」

 籠の中から聞いたご案内役の声は、嘘を言っているようには聞こえなかった。どうやら、青之進の推測どおり、てる姫はまだ行方知れずとなっているようだ。

 安堵したのも束の間、籠が動き出すと、はるの体は震え始めた。

 

 とうとう、城へ上がるのだ。

 

 ここからは、姫となるのだ。

 偽物と知れたら、殺される。

 恐ろしさに、はるは叫び出しそうな自分の声を、懸命に抑えた。



 篝火が、虎口に向かう道に沿って揺らめいている。

 篝火の大きさは、城へ近づくにつれて大きくなる。風に乗って、篝火の火の粉が弾けては舞い上がる。

 籠の簾を細く上げ、はるは揺れる火を見つめた。籠に寄り添って歩く青之進の影が、ほんの少しはるを励ます。

 

 太鼓の音が響き、籠は城へ入っていった。城内のざわめきが、籠の中にも伝わってくる。

 籠が止まった。と同時に、誰かが近づいてくる足音がした。

 はるは籠を降りた。

 

 近づいてきたのは、介添え役の侍女らしい。うやうやしくはるの手を取る。

「てる姫さま、こちらへ」

 はるは手を引かれながら、ちらりと傍らの青之進を見た。青之進はかすかに頷いた。目が、がんばれと言っている。

 侍女に連れて行かれたのは、城の敷地内に建てられたお館だった。侍女によって足をすすがれ、はるは長い廊下を進んだ。廊下はしんとして、足先が感じる床は冷たかった。

 着いたのは、小さな控えの間だった。畳が青い清潔な間だ。

「こちらでしばらくお待ち願います」

 部屋の入り口でかしずいた侍女は、そう言ってはるを見上げた。

「白湯をお持ちいたします。ほかに何かお入り用は」

 お腹が減っていた。握り飯を。そう言いたいのをこらえ、はるは首を振る。

「白湯を召し上がったあと、湯殿へご案内いたします」

 有難かった。着ている血しぶきのついた小袖を、早く脱いでしまいたい。

 侍女はそのまま、じっとはるを見つめた。おそらく、はるからのねぎらいの言葉を待っているのだろう。だが、はるは口を開かなかった。困った顔で、侍女を見つめ返す。

 その表情に、侍女はなにかを感じたようだ。黙って下がる。襖が閉められた途端、はるはほっと息を吐いた。侍女とはいえ、油断はできない。

 湯殿では、小女が付き添った。はるよりも年の若い娘だった。はるはほっとした。この娘なら、はるの引き締まった体を見ても、不自然さを感じないだろう。

「お背中をお流しいたします」

 湯気の中に入ってきた小娘に、はるは戸惑った。体を洗ってもらった経験などない。どうすればされるがままになるのか、それが難しかった。桶を取ろうとすると、横から小女が驚いて手を伸ばす。

 湯殿に備えられた岩の間から、もうもうと煙が立ち上る中、はるは小女に身をまかせた。小女は緊張のためかひどく汗をかき、かえってこちらが洗ってやりたいと思えるほどだ。おかげで、はるの緊張が溶けた。本物のてる姫であったなら、きっと小女についての感想など持たないだろう。そう思うと、偽物の自分にちゃんと形があるように思えて、はるは気を取り直した。

 

 たらいから水をかけられ、はるは生き返った。いつもの自分にかえった気がした。山の中の小屋での疲れが吹き飛び、みなぎる力が体の底から湧いてくる。

 といって、ほんとうの自分に戻るわけにはいかなかった。うつむいたまま、はるはふたたび控えの間に戻された。そこで、侍女たちの手で召し替えをさせられる。

 召し替えたのは、ふたたび白い小袖だった。その上に、これも白の打掛を羽織る。

 

 これが打掛か。

 

 はるは袖を通しながら、初めて目にする姫の打掛というものに胸が高鳴った。せい殿によって、てる姫の身代わりに仕立てられたとき、打掛は着せてもらえなかった。今思えば、高価な打掛を、血しぶきで汚すわけにはいかなかったのだとわかる。あのときは不審にも思わなかったが、一つ一つがすべて謀られていたとわかる。

 婚礼は行われるのだ。

 侍女たちは黙々とはるに着物を着せていった。どうやら、はるが口を利けないとわかっているようだ。誰も、はるに言葉をかけなかった。青之進が伝えてくれたのかもしれない。

 

 婚礼衣装に身を包んだはるは、侍女に手を引かれて、控えの間を出た。

 

 廊下をいくつも曲がり、着いたのは、大きな広間だった。はるは侍女にうながされ、広間の手前で座った。顔を床に伏せる。太鼓が鳴り、顔を上げるよう声がかかった。

 はるは恐る恐る顔を上げた。薄暗い部屋の中に、数人の侍の姿が見える。

 その中に、青之進の姿を見つけて、はるは安堵した。末席の、出入り口にいちばん近い場所で、青之進は神妙な顔つきではるを見ている。

 侍女にしたがい、はるは広間を進んでいった。燭台から漏れる光が、はるを見つめる侍たちの瞳を輝かせている。どの目にも、好奇の光が宿っていた。野盗に襲われ、行方知れずとなっていた姫。二晩を山中で過ごし、命からがら逃げてきた姫。そして、この出来事の衝撃で、声を失った姫。

 もちろん、侍たちがここに集まっているのは、ものめずらしさだけではないだろう。

 

 本物のてる姫か。

 

 それを見定めに来ているはずだ。偽物であれば、即座に切り捨てようと身構えているに違いない。

 

 侍女が静々と下がっていった。

 床に顔を落としたまま、はるは懸命に体の震えを抑える。

 目の前にいるのは、城主利賀忠興。

 残酷非道と恐れられている男。

 その男が声を上げた。


「この度は難儀であった」

 低く、よく通る声だった。

「顔を上げよ」

 はるはゆっくりと顔を上げた。

 燭台の灯りがゆらゆらと揺れ、男の顔を照らしている。

 噂通りの美丈夫だった。おそらく、立てば六尺七寸はあると思える大男。がっしりした肩と短い首。姫を迎えるために召しただろう白い小袖が、よく似合っている。のびやかな額と、高い鼻梁。酷薄そうな薄い唇はしっかり結ばれている。そして目は、小刀で切ったような切れ長だ。

 その目が恐ろしかった。獣が狙いを定めたときのように、一点のゆるぎもない。

 忠興は、はるを見た。視線はゆっくりと、頭の先から爪の先まで、はるの全身をなめていく。

 

 この目は騙せない。

 はるは直感的にそう思った。忠興は、目の前に現れたのが、偽物のてる姫と気づくのではないか。忠興の視線が、膝の前で揃えたはるの手に移ったとき、忠興は一瞬視線を止めたのを、はるは見逃さなかった。はるの手は、薪を運び、畑で桑を握ってきた手だ。引き締まった、しなやかさとは程遠い手だ。


 姫の手ではない。

 そう気づいたはず。

 気づかれたら、即刻打ち首。

 

 それなら。

 

 はるはぐいと胸を反らせた。

 どうせ殺されるなら、潔く殺されてやろう。じたばたと騒がず、一思いに斬られてやろう。

 追い詰められると、妙に開き直って強くなる。自分にはそんなところがあると、はるは思う。今もそうだった。もう、逃げ場がないと思うと、かえって胸のうちの波が静まる。

 柴田様の追っ手を倒したときもそうだった。追い詰められると、体から針の穴を覗くような集中力が湧き出る。そして、行動にまよいがなくなる。

 

 必死の思いで忠興の目を見返していると、ふと、忠興の目が和らいだ。

「口がきけぬそうだが」

 はるは頷き、顔を伏せた。これもまた大きな嘘。忠興に見破られたら、即刻打ち首。

「お守り役」

 忠興の太い声が響いた。

「はっ」

と、青之進が声を上げ、床に頭をこすりつける。皆の視線が、末席の青之進に注がれた。

「今後も引き続き、姫の警護を申し付ける。賊がふたたび襲ってくるやもしれぬ。ぬかりなく身辺警護に励め」

「ははっ」

 平伏した青之進に、忠興が厳しい表情で頷き、両手を動かした。びくりとはるの全身に戦慄が走る。

 渇いた音を立させて、忠興が手を叩いた。


「祝言の用意を」

 祝言の決行は決まった。居並ぶ侍たちが、息を飲んだのがわかった。もう、これで、侍たちはてる姫の真偽に意義を挟めなくなった。

忠興がはるに向き直る。

「本来ならば執り行う輿入れに要する様々な決め事、賊に襲われるという難儀のため、すべて省略いたす。ここに婚礼の儀を執り行い、そなたを妻として迎える」

 はるは即座に頭を下げた。安堵のせいで、一気に体の力が抜けた。

だが。

 床板の木目の、節に沿って渦を巻いたような模様を見つめながら、はるは湧き上がってきた疑念に囚われた。

 

 殿は気づいたはず。それなのに、なぜ。


――利賀方が、そなたを偽物のてる姫と騒ぎ立てることはありません

 青之進が言ったとおりなのかもしれない。忠興は、目の前にいるのが偽物と知って、素知らぬふりをしている。

 忠興の合図によって、広間から続く廊下で、忙しない足音が響き始めた。

侍女たちが膳を運びこみ、三々九度の準備が整えられる。

 まわりの慌ただしさの中、呆然とするはるは、はっと顔を上げて青之進の姿を探した。当然ながら、青之進は、もう退出していた。祝言の席に、姫の警護役の侍の同席は許されない。

 ごくりと唾を飲み込んでから、はるは傍らに仕えた侍女にしたがった。盃を受け取り、口につけた。初めて口にする酒は、この世のものとは思われないほど美味だった。


 もっと、飲みたい。


 唇に残った酒を嘗めたい気持ちをこらえ、はるはうやうやしく盃を返した。

 


 本来なら、祝言を終えたあと、姫は身を清め、寝所へと案内される。

 ところが広間を出ると、はるは控えの間で着替えをさせられ、忠興とは別の間へ案内された。案内した侍女によると、はるの体が回復するまで、ここで過ごさせよとの忠興からの達しだという。

 与えられたのは、館の東端にある薄暗く狭い座敷だった。急拵えされたようで、畳の青臭さが残る。

 もう、寝床は敷いてあった。まだ季節でもないのに、掻巻が置かれている。それとも、姫というものは、いつでも掻巻の中で眠るのだろうか。


 口が利けないはずのはるは、侍女に訊けなかった。もちろん、優しく手を引いてくれる女に、礼さえ言えない。侍女は始終哀れんだ目をはるに向け、世話を焼いた。青之進なら、まずまずと喜ぶだろうが、はるは後ろめたさを拭えなかった。なんの関わりもない女たちを騙しているのは、気が引ける。

 侍女が床の間の前に燭台を置いて下がると、はるは大きな安堵のため息をついた。 


 今日は打ち首にならずにすんだ。その緊張が解けたあと、忠興の寝所へ上がる緊張に襲われていた。その心配もなくなった今、全身に重い疲労が襲う。

 布団に倒れ込み、天井板の木目を見た瞬間、はるの意識は遠のいていった。

 

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