第34話

 知りたいことは欲求ヨッキュウの中でも何か特殊トクシュな性質を持っているように思う。なんといっても罪悪感ザイアクカンがない。それがたちが悪い。あえて断言ダンゲンしよう。


昔話などでも、知ることによって物語が、登場人物の希望せぬ方向へ流れていくこともよくあった気がする。登場人物が不幸になるのだ。それは、世の中には知るべきではないことがあることを暗示アンジさせてくれた。


自分にとって都合が悪いことは、人には知られたくないものだ。最近のテレビのドラマでも組織の上層部になってくると、個人の知られたくないものが、組織にとっても不都合フツゴウになってきたりする。そういう風に仕立てられているものも多い。

それは、ある部分では真実なのだろうということを推測スイソクすることができる。その人の影響によって組織が効率化コウリツカ合理化ゴウリカされれば、その人の不都合フツゴウは組織の不都合に影響してしまう。その結果、その人の影響下にある機能が低下し、組織の運営力も低下していくのだろう。たぶん。


自分にとってわかりたくないものは自分にとっての都合が悪いことだ。人の気持ちはあまり知りたくない時期があった。テレビのドラマを見ていても登場人物の気持ちを想像ソウゾウすると気持ち悪くなることがあった。今はない。年相応トシソウオウに経験を積んだため、そういうことを考えることもあるのだということで逆に説得力が増す為だろう。想像するのは知識ではない。直観力チョッカンリョクだ。その想像の後から理由付け、味付けの為に、知識が必要となってくる。たぶんそんな感じだ。


知識というのは経験からそれらのことを説明し、それを大衆が認めたものと、歴史的にその知識が蓄積チクセキされ、多くの人に触れられ取捨選択シュシャセンタクされてきたものがある。当然、後者の方が説得力がある。なぜなら、より多くの人によってその知識は吟味ギンミされ、試されてきたゆうなれば、いろんな知識の選択の中から勝ち残ってきた知識なのだ。当然、それを利用すれば、生存確率は飛躍的ヒヤクテキに上がる。極論キョクロンだが。


一方で、その時に脚光キャッコウを浴びた知識はその時の人々にとってはすごい価値があるに違いない。しかし、長い年月が経つと、だんだんその価値も色あせていく。人の欲望というのは、飽きるタイプのものと増えていくタイプのものがある。知識というのは単体では飽きるタイプで、その集団や分野、単体にしたって未知のものはどんどん知りたいという欲望が増えていく。そう思う。


知識の中の知識が王座に座ることによって、知識の世界はそれを中心に持続成長をしていくに違いない。なんてね。


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