第18話 亡国の姫

「懐かしいですねぇ。こうしてお話をするのは」

「アンタは……ローザント提督」


 話に置いてけぼりのフォニーは目を丸くしながら、薔薇とベイオフを交互に見つめていた。そんな彼に一瞥もくれることは無く、二人の話は熱が籠っていく。


「生きてたのね。音沙汰無かったから死んだと思ってたわ」

「捨てたんですよ、あんな泥船は。殿下こそ驚きましたよ。あの炎の中に消えたパーティーの主役が、何故生きているんです?」

「クソね……それも特大の」


 薔薇の端正な顔は、その面影を感じさせない程に怨嗟に歪んでいた。

 歯を食いしばり、眉間に皺が寄っている。

 吐き出される言葉の節々には憎悪が滲み、抜きはせずとも既にその手は銃のグリップを握り締めていた。


「生に執着することは恥ずかしいことじゃないですよ。現にそこの嘘吐きも、生きる為なら何でもするって有名ではないですか」

「おぉや、初対面で失礼な方ですねぇえ。ん私は信頼を重視しているんですよっ?」

「この木偶は関係無いわ。今はアンタの問題よ……ッ」


 薔薇も薔薇で失礼なんて言える空気ではなかった。


「恩を仇で返すのね、アンタに忠誠心は無い訳? それとも、恥を恥とも感じない間抜けなのかしら」

「ハッ、面白いことを仰る。恩? 忠誠心? 俺は俺が生き延びる事こそが最大の生きる理由、本能さ! 何もおかしいことは無い。そうですよね?」

「……本能を制御できるのが我々人間じゃなくて? その理論に当て嵌めると、アンタは人間以下の猿だったみたいね」

「おやおや、酷いことを仰る。それは貴女も同じだと言うのに、殿下」

「……あ?」


 怒りを露わにする薔薇を前に、ベイオフはようやく大剣を抜く。


「貴女のその身は、最も最初に灰になるべきだった。それが貴族の責任ノブレス・オブリージュだった。でも今、全てが燃えても尚、生にしがみ付いている。皆炎に全て奪われた。全て投げ捨てた。なのに何故……――――」


 この大陸にはかつて、海と森に包まれた美しい王国があった。

 三日月の名を冠するその国は、ある日突然炎に包まれて全てが燃えてしまう。国民も、街も、城も、未来も、何もかも。

 ただ二人。二人だけを遺して。


は生きようとしている?」


 薔薇の眼の色が変わった。


「殺すッッ!!!」


 地面に這うかのように低く薔薇が踏み込む。

 幼子の肉体。その外見にそぐわぬ程の大きな踏み込みは、足元の岩を欠けさせる。

 そして次の瞬間には、薔薇はこの場の全員の視界から消えていた。ただ一人。自身の喉を捉える薔薇を見つめる、ベイオフを除いて。


「チッ!」

「狙いが一直線すぎますよ、殿下」


 喉を狙った銃口での突きは、金属音と共に防がれる。

 そのままベイオフは浮いた薔薇の身体を前へ蹴り飛ばすと、無様に地面を転がる薔薇に向かって切っ先を向ける。


「ちょっ、薔薇様ぁぁあ!?」

「やれ。あの女が六。もう一人の男が残りだ」

「ごほっ、舐められた……ものね……」


 泥と血の混じった唾を吐きながら、薔薇はゆっくりと立ち上がる。

 先のベイオフの防御により、片方の銃は銃身が曲がっていた。彼女はその銃を傍らに投げ捨てると、背腰部のシースからナイフを抜き放つ。


「えぇ、今のが全てです。貴女は無様に挑発に乗り、モロに攻撃を受けた。これが力の差ですよ」

「……」

「薔薇様?」

「ごめん。……任せたわ」


 ベイオフの「行け」という号令を合図に、背後に控えていた私兵たちが雪崩のように一斉に二人の元に駆け寄る。

 薔薇は思考する。

 口惜しいが、ベイオフは強い。他の実践経験だけを積んだ賞金首と訳が違う。彼は元軍人。人の殺し方を学び、そして身に着けた人物だ。

 通常の賞金首のようには行かない。彼を確実に死に至らしめるには、常識を超える手を打つ必要がある。

 思考せねばならない。思考を止めれば、死ぬのはこちらなのだから。

 フォニーは思考する。

 薔薇は冷静な人物だと自分の中で総評を下していたが、どうやらその評価は改める必要があるようだ。

 否、もしくは。いやほぼ確実に、この相手こそが特別なのだろう。ベイオフ・ローザント。この相手だけが、薔薇にとって。

 合図が無い以上、まだあの手は使えない。贋作フォニーは負け戦をしないのだ。なればこそ、ここは正面から正々堂々と戦い消耗しては負けだ。時間を稼ぐ他無い。全力を以って、薔薇を援護するのだ。

 フォニーがファルシオンを抜くと、彼はその刃を自分の首に向けた。

 当然、断つのは頸動脈ではない。刃が切り裂いたのは、彼の首に幾つもぶら下がるネックレスやチョーカーだ。

 ベイオフは事実を言った。

 贋作、フォニーはその全てが生きることに直結する。

 富を築くことも、武を極めることも。彼にとって俗世の全ては、自分が生きるための手段に過ぎない。

 それこそ、こうして積み上げた財宝を文字通り投げ捨ててでも。


「ほぉうら! お宝ですよぉお!」


 フォニーはそれらを全て鷲掴みにすると、思い切り上へ投げ放つ。

 金銀、様々な色の宝石が月光を乱反射する。紅玉ルビーはまるで炎のような揺らめきを放ち、蒼玉サファイアは海のように凪ぐ。翠玉エメラルドは木陰の狭間を幻視させ、紫水晶アメジストは妖艶な輝きを湛えた。極彩色の光が溢れる。この時だけは、まるで虹がこの空間を満たしたかのようだった。

 訓練された私兵でも海賊は海賊。ごく一部は、上空に舞う財宝に視線が奪われる。その隙を逃すほど、賞金稼ぎの二人は甘くない。

 薔薇が飛び出す。ナイフを逆手に持ち、銃弾は一発一発全てを敵の脳天に直撃させる。

 踊るような身のこなしを捉えられる者は誰もおらず、誰にも抵抗を許さない。息をするかのように次々と、敵の首を掻き切っていく。

 鮮血の噴水は、止まることを知らない。


「任せたなぁんて水臭いですねぇ! わぁれ我は仲間じゃあないですかっ!」

「アンタを仲間って思ったことは無いわ! 馴れ馴れしくしないで頂戴!」


 フォニーが軽く足を回し、鎖を解いた。

 突き出された槍を薔薇は半身で躱す。踏み込みと同時にその柄の下に潜り込み、ナイフで腹を深く突き刺すとその槍を奪い取り、何も見ず背後に投げた。

 フォニーは右手に持ったファルシオンを敵の首目掛けて切り付ける。しかし、相手は歴戦の老兵らしい。

 敵は右の刃を軽く受け止めると、続けてフォニーが左足で蹴ることにより放たれた左からのファルシオンの刃も難なく受け止めた。

 上げた足を戻し、再び攻撃や防御の可能な姿勢に戻るには少しの時間を要する。つまり、このまま老兵が攻撃に転じればフォニーは確実に殺されるのだ。どこからともなく現れた槍を、フォニーが左手でキャッチしなければ。

 フォニーの悪戯っぽい笑みと共に、槍先は老兵のうなじから顔を出した。腹を刺され倒れた兵士の首を踏みつぶし、薔薇は頬に付いた返り血を拭う。

 眠るように、時には踊るように兵士が倒れていく。この二人なら、人を殺すことは息をするよりも容易い。そう言い放ってもおかしくはなかった。


「クソ木偶……! 全然減らないじゃないッ!」

「こっちは二人ですよぉお? 当り前じゃあないですかぁ」


 フォニーは兵士の隙間から、船へと去っていくベイオフを捉える。


「んあの方、船へ戻るみたいですよぉお?」

「好都合ね。そのままゆっくりしてればいいわ」


 会話をしながらも二人は手を止めない。鎖で顔面を強打し、銃弾で心臓を射抜く。ただその時、階上からの僅かな振動をフォニーは確かに感じ取った。


「ちょぉっと失礼」

「は?」


 薔薇を片手で抱え上げ、フォニーは周囲を鎖で一周させる。

 ある者は鎖に打たれ倒れ、ある者は躱す。どちらにせよ、二人と敵の間に一定の空間が生まれた。

 その隙を縫うようにフォニーは剣を手にしながらも、片手で薔薇の背を、片方で足を持つ横抱きお姫様だっこの体勢を取ると、そのまま兵士の隙間を縫うように元来た螺旋階段の方へ駆け出した。


「ちょっ!! 急に何をしてるのよこのクソ木偶!!!!」

「んもぉー暴れないでくださいよぉお! ん事前に失礼って言ったじぁあないですかぁっ!」

「あれは事前じゃなくて直前っていうのよクソ木偶!! 私を抱き上げていいのは巨像だけなのよッ!!」


 腕の中で暴れる薔薇を落とさぬように、フォニーは階段を自前の身長を活かし何段も飛ばして駆け上る。

 上った先でキョロキョロとフォニーが辺りを見回すと、黒く大きな影が手招きしていた。


「……こっちだ」

「きょ……木偶、アンタなんでここに」


 聞き覚えのある声、そして姿に、薔薇は驚きのあまり暴れることを止めた。それは、今も尚森の中で陽動として敵の注目を集め続けている筈の、巨像その人だったのだから。

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