第一章ー2

「うわあああああああああああああ」


 突然のことに理解が追い付かないがこれだけは分かる。


 今、僕は猛烈な速度で落ちている。


 それもジェットコースターやバンジージャンプの比ではない高さから。


 遥か下に見える綺麗な青い水面と緑で覆われている地表がそれを物語っている。


 スカイダイビングの様にパラシュートでも背負っていればいいのだが、生憎そんな物は背中に無いので、ただただ重力のお気に召すままにされるしかない。


 死んで、異世界で新たな生を受けた途端に再び死ぬことになるとは、どれだけあの女性の上司とやらは杜撰な仕事をしているのだろうか。


 同じ社会人——この括りで合っているかは疑問だが——として信じられない。


 そんな怒りと落下への恐怖が入り混じり、とりあえずひたすらに叫びながら落ちていると、何やら光り輝く物が近づいてきているのに気付く。


 大きな二対の翼があるように見え、飛行機に近いシルエットだ。


 瞬く間に近づいて来たそれは、猛スピードで落ちる僕を器用に横回転しながら受け止めてくれた。


 ただ、受け止めてくれたのは有難いがやたらと固く、受け止められた衝撃が体にダイレクトに伝わり、かなり痛かった。


 確実に全身痣だらけなのは服を捲って見るまでもない。


 しかし、その痛みがパニック状態の僕に冷静さを取り戻させてくれ、お陰で気付けた。


 受け止めてくれた相手は、翼をはためかせながら空中でホバリングして手の中にいる僕をじっと見ていることに。


「機械の……竜……」


 全身が眩い光を放つ、いや、太陽光を反射する銀色の装甲で覆われた生物というよりは機械を連想させる、まるで幼い頃に見た特撮作品に出てきた怪獣や竜、恐竜なんかを模したロボットとでも例えれば分かりやすい見た目の巨大な竜が僕を見つめていたのだ。


 どうやら僕は彼が——機械的な見た目の竜の雌雄なんて一目で見分ける術など知らないので合っているかは分からないが——助けてくれたらしい。


 大口を開けて胃に入れるのではなく、手で受け止めてくれたのだから自信のない都合のいい解釈だと分かってはいるが、少なくとも捕食目的ではないと考えていいはずだ。


「お主、何者じゃ? 見たところただの人間の様じゃが何故にあんな高さから落ちてきた? 確か人間は飛べぬし、雨の様に雲から降ってもこぬ物のはずじゃが」


「しゃ、喋った……」


 正確には喋ったというよりは脳の中に直接声が響いて来た感じだ。


 その証拠に竜の口は一切動いていない。


「我の質問に答えぬか。さもなくば食らうぞ」


 鋭い牙が生えた口の中は機械ではなく生物の物であり、益々目の前の存在が何なのか分からなくなる。


 兎にも角にも、折角地表に叩きつけられてミンチにならなくて済んだというのに、頭から一口で美味しく食べられてはたまらない。


 信じて貰えるかは分からないが、僕は空から落ちることになった経緯を一生懸命に説明した。


 その間、竜は一言も発することなく耳を傾けてくれていたのだが、相槌も無く表情も読み取れないので、信じてくれているのかどうか判断がつかないのが僕を不安にさせる。


「そんなわけで、落ちていたところを貴方に助けていただいた次第です」


 事情を説明しきった頃には、一気に喋ったせいか酸欠で頭がくらくらして来た。


 いや、もしかしたら高度のせいかもしれない。


 息は苦しく、ダボダボのパーカーだけでは震えが止まらない程に寒い


「なるほどのう。信じ難い話ではあるが実際空から落ちてきたのだし信じるしかないか。まあ、退屈しのぎにはなったぞ人間、礼を言う。それではの」


 用は済んだとばかりに竜は僕を乗せた手の平を裏返そうとする。


 このままでは再びパラシュート無しスカイダイビングをする羽目になってしまう。


 折角助かったと思ったのにこの仕打ちは酷過ぎる。


 恐怖のあまり心臓が激しく脈打ち、震える程に寒いはずなのに体の芯から炎がメラメラと燃え上がるような感覚を覚える。


 どんどん加速度的に心臓の鼓動と体を燃やす炎の温度が上がっていき、やがて自分の中で何かが弾け、飛び出した様な錯覚に陥った。


「な、なんじゃお主、何をする気じゃ! このおかしな感覚はなんだ! わ、我に繋がろうとしているのか!」


 竜は激しく狼狽える。


 どうやら竜も僕と同じく未知の感覚に襲われているようだ。


 竜が口走った繋がるという言葉。


 何故だかその意味が分かったような気がしながら、僕の意識は薄れていった。



「おい主よ、起きぬか。あーるーじーよーおーきーろー」


 声がする。


 再び死んだ僕はまたあの訳の分からない空間に飛ばされたのだろうか。


 今度こそちゃんと誤ってもらうぞと決意して目を開けると、事務机と女性の代わりに大きな大きな竜の顔がそこにあった。


「……僕って死んでないんですか」


「何を呆けたことを言っておるんじゃ。用が済んだから捨てようとしたら主がおかしな魔法で我を配下にしおったんじゃろが」


 自体が呑み込めず、頭の中が疑問符で溢れ返ってしまう。


 何はともあれ命は助かったのは喜ばしいことだが、何故あの竜は僕のことを主と言うのだろうか。


 どう考えても生物としての格は向こうが上であり、こちらが主と媚びへつらって生存を許してもらうのが本来あるべき姿な気がする。


 だが、ふと思い出す。


 僕がこの世界に来る時に得た能力である、魔獣帝国モンスターエンパイアのことを。


 恐らく竜に上空で捨てられそうになった際に、異常な程心臓が脈打ち、体が内側から燃える様に熱くなったのは恐怖からでは無く、能力が発動したからだったのだろう。


 いや、嘘みたいな話だが、そうとしか考えられない。


「あの、貴方は僕の配下ってことでいいんですよね」


「そうじゃ。人間如きに隷属せねばならんなど実に不愉快極まりない、と言いたいところじゃが何故だかそう思わん。寧ろ仕えることにこの上ない喜びが溢れてきよる。恐らく主の魔法、ではなく能力か。魅了の効果でも入っておるのやもしれんな」


 竜の口ぶりからすると、この世界には魔法があるようだ。


 僕の能力を平然と受け入れている辺り、同じような効果の魔法があるのだとしたら、警戒すべきかも知れない。


 折角こんな強そうな竜を配下に収められたというのに、奪われてしまってはたまったものではないからだ。


 とりあえず害を加えてくることはもうないであろう竜から情報を得ることにした。


「近くに人は住んでいないんですか。後、貴方の名前を教えてください」


「下僕相手に偉く丁寧な物言いじゃな。まあ良い、この島には人間はおらぬ。我が住み着き始めた頃は幾らかおったが知らぬ間に居なくなっておったわ。名は無いが、確か人間共は我を見ると鋼鎧竜コウガイリュウとか叫んでおったからそれで良い」


 自らを下僕と言う割には随分偉そうな口ぶりだなとは思いながらもがっかりする。


 今いるのは草原であり、周囲には山や海しか見えない。


 僕は普段から半分引きこもりの様な生活を送っていたので、野宿なんて考えるだけでも御免被りたい。


 この世界のお金は持っていないが、そこは皿洗いでもなんでもするのでどうにか屋根のある所で眠りたいものだ。


「鋼鎧竜さん、この島の近くに人が住んでいる島とか大陸は無いんですか?」


「それならば幾つか覚えがある。一番近い島で良いのならば、うたた寝する間もなく連れていけるがどうする?」


「じゃあ、お願いします。鋼鎧竜さん……他に何か名前って無いんですか?」


 鋼鎧竜と呼ぶのは犬に向かって犬と呼んでいる様な気がして、これから長い付き合いになるであろう相手の呼び名としては相応しくない気がする。


「そう言われてもな。今まで名など無くとも困ることがなかったから人間が勝手に呼ぶ名しかない。気に食わんと言うなら主が名付けてくれ」


 思わぬ方向に話が進んでしまい、僕は頭を悩ませる。


 生前はイラストレーターを生業としていたので、描いたキャラクターの名前を考えたりしたことはあるが生きている物相手となると勝手が違う気がする。


 子供もいなければペットを飼った経験もなく、あだ名を付けるくらい仲の良い友人もいたことがない僕にとっては初めての経験と言える。

 

 ましてや竜の名など、どういうものが相応しいのかさっぱり見当もつかない。


 しばらく頭を捻った結果、鋼鎧竜という名の一部を使うことにした。


「ガイ……ガイナ、はどうですか?」


「ガイナか、名前の良し悪しは分からぬが主が呼びやすいのならばそれで構わん」


 本人はどうでもいいことだとでも言いたげな口振りだが、彼の背後ではブンブン動く尻尾によって草原の草と土が舞い上がっている。


 機械の様な見た目の竜がする犬みたいな行動に、少し竜への、いや、ガイナへの恐怖心が薄らぐ。


 案外見た目とは裏腹に可愛らしいところがあるようだ。


「では行くとするか。主よ、乗るがいい」


 差し出された手に僕が乗ったのを確認したガイナは、大きな翼を一振りさせると空中へと舞い上がった。


 ガイナの手の中でふと気付く。


 もしかしたらあの事務机の女が言っていた出会いとは、ガイナとの出会いのことだったのだろうかと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る