第2話 引き攣り

 別に誰かのために立ち上がった訳では無い。


 ただ、目が覚めた時に腸が煮えくり返るような憎しみと怒りに囚われていた。それと同時にどうしようも無く悲しみが溢れてきた。背中のケロイドと同じくらい焼き付いて離れない光景。


 ただ普通に生きているだけだった。誰も手にかけたことの無いその愛らしい顔が、敵に戦争を早く終わらせるという名目でもう二度と戻らないものにされた。隣組のお爺さんも小さな坊やも旦那を失った母親も皆一つの爆弾で焼かれた。皆、普通に生きてるだけだったのに。


 そこから先の記憶は思い出そうとしても曖昧で、色んな人の死に顔と痛みばかり浮かんでは消える。川に浮かぶ死体、水を欲しがる声、瓦礫から助けを求めるずるむけの手、焼ける人、家、馬、犬。曲がった木、爛れた皮膚をぶら下げて行く宛てもなくさ迷う人達……。


「は…………っ」


 目が覚める。周りに寝ているのは……収容所から連れ出した人達だ。別にUHM至上主義という訳でも差別反対を掲げている訳でもない。だが、罪を犯したこともない彼等が虐げられるのは昔のトラウマを思い出させ、気分が酷く悪かった。自分が彼等側に立って味方になっているのはただそれだけの理由だ。


 伸びをしようとすると背中が突っ張っる。声が漏れかけたが周りでようやく安眠出来ている人達を起こすわけにはいかない。左手を握って開いて、動きに問題がないことを確認してからテントを出た。


 今のことを知ろうとすると霧がかる頭。過去に囚われている。一番苦しくて悲しみと憎しみに溺れた時代しか思い出せない。それでもこうして誰かを助け、ついでにコアを取り込めば少し楽になる。


「雷呀さん、起きたんですか?まだ夜ですけどまた寝れないんですか?」


 気さくに声をかけてきたのは太陽軍の副リーダーのタイヤンだ。人狼と呼べばいいのだろうか。人より少し大きめの体格でグレーの毛並みが印象的な青年だ。


 ほうけた顔を直ぐにやめ、口角を緩やかに吊り上げタイヤンの方を向く。


「ちぃと寝たから大丈夫じゃ。お前こそ寝なくて大丈夫なのか?」


「俺はへーきですよ!オオカミってほら、夜行性っすから夜のが元気なんス」


「そりゃぁ、羨ましいもんだのぉ。ところでタイヤン、タバコは持っとるか?」


「匂い苦手なンで持ってねぇースっ!」


 豪快に口を開けてケラケラ笑う彼も太陽軍が収容所から助け出した者の内の一人だ。名前を与えられることもなく、番号で呼ばれていたのを太陽軍のリーダーが不憫に思い太陽の意味がある【タイヤン】と名付けた。


 その頃はまだ子犬だったそうだが、人狼は幼少期が極端に短く青年期が長い。ほんの一年前に拾われたタイヤンも今は立派に太陽軍を引っ張っている。


「本部隊と合流はいつ頃になりそうかね」


「ンー、まだ匂いが遠いッスけど明日の昼には合流出来そうッスね」


 パタパタと空っぽの右袖が風になびく。


 タバコが吸いたい。


 口の中に腐臭が溜まっているのがわかる。口内が爛れ腐っているのか、血の味がずっとして不快だ。


 どういう訳か分からないが、生きれば生きるほど死へと向かうこの体はそろそろ限界を感じている。そろそろ死ぬべきだろうか。


 当然のように過ったその考えに、随分と自分も人間離れしてしまったものだと思う。死ねば、一度生命活動を停止させれば傷も苦しみも一時的にマシな状態に戻る。


 何故知ったのかは覚えていないが、体に染み付いている。……何度死ねば死ななくてすむようになるのだろう。そんな不要な考えが浮かぶと口角が下がりそうになる。


 笑わなくてはならない。誰かが笑顔がいいと言っていた気がするから。それは自分を兄のように慕う少年兵だったか、笑顔の愛らしい焼け爛れた少女だったか……それとも桜のような一瞬で散り咲いた娘だったか。


「ちいと見回りしてくる」


 さすがにどの超えた自傷行為を誰かに見せるわけにはいかないと、適当な嘘をついて人気のない場所へ移動する。頭を撃ち抜ければ楽なのだが、さすがにサイレンサーだとしても耳のいい者に気付かれる恐れがある。痛いのも苦しいのも嫌いだが、この際諦めて首を切ることにした。


 どうせここで悩んで日が経過すればさらに苦痛が増す日々が待っているだけだ。それなら頸動脈でも切ってぼんやりと失血死をしてしまう方が遥かにマシだ。


 大きめのため息をついてナイフを首に当てる。片腕だと力が入りにくい。木にナイフを押し付けるように首に体重をかける。あとは前でも後ろでも勢いよく動けば死ぬ。


「ふ……ふふふ……」


 口から笑いがこぼれるが、それが恐怖からなのか苦しみから開放される喜びからなのか分からなかった。


 いつもの強烈な痛み。意識が薄れる中、女が近付いてくるのがぼんやりと見えた。


「髪紐が解けてきてるわ。結び直してあげるからもっと力をつけてね。セトの……いや私の神」

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