第8話

 昼休み。入学して一週間もすれば、友人関係も固まってきて、「一緒に食べよう。」とあちこちで飛び交う。その言葉はわたしにはかからないし、わたしからもかけられない。存在感が薄いわたしは、幽霊みたいだった。観測できるような、観測できないような、危うい存在。

 自分のことを存在感が薄い、とか言っておきながら、「ぼっち」でお弁当を食べたならみんなに見られる気がしてしまう。自意識過剰、と誰かがこそこそと陰口を言う。違う、これは中学の時の同級生の声。

 ここにそんなことを言っている人はいない。頭では分かっているのに、居心地の悪さを覚える。

 他クラスの教室に行くこともできず、部室に行くことにした。ひっそりと一人で食べようと思って。

 だけどすぐにその考えは砕かれた。そこには知り合ったばかりの、「先輩」が購買で買ったパンをもぐもぐしていたから。

 ここもダメか。そっと部室を後にしようとした。

 ここまでの道で足音を立てていたことに気づく。気づくのが遅すぎた。先輩と目が合う。パンを含んで膨らんだ頬でじっと見ている。なんだか、変に緊張して、すいません、と走り逃げようとした途端、

「あっ、ザッキーじゃん!一緒に食べたいなぁ、一人で食べるの淋しいなぁ~」と言われ、立ち止まる。何の悪意も感じないその言葉に負ける。一緒に食べてくれる人がいることは、幸せ、なはずなのに、胸が締め付けられるような、泣きそうだ。

「いつもここで食べてるんですか? 」

「んー、教室っていい意味でも、悪い意味でもうるさいから、疲れちゃうんだよね」

「あー、なるほど。ていうかそれ何パンですか? 」

 そのパンは白くて、やわらかそうな見た目をしている。

「ん?クリームチーズパン。下の購買で売ってるから、今度買ってみたらいいよ」

「クリームチーズ? クリームパンじゃなく? 甘いんですかそれ」

「うん。ちょっと甘酸っぱい、かな」

 それは四つ葉のクローバーみたいな形をしていたらしかった。食べられてしまって、三つ葉になっているけど。

「ザッキーはお弁当? すごいね。お母さんが作ってるの? 」

「そうです。いつも詰めてくれて」

「いいなあ。手作りのものって、なんだかあったかいからさ」

 ご飯は冷たいですけどね、と一口大に切られた玉子焼きを口に放り込む。

「いや、そういうこと言ってるんじゃなくてさ」

 「先輩」は楽しそうに話しかけてくる。居場所がここには用意されている、少なくとも今は。わたしは、学校という大きくて、ちいさな場所の、そのまたさらに小さい世界の住人。その世界のはじっこで精いっぱい息をしている。

 今はそれでいい。恋愛とか青春とか、そういうのは今いらないから、少しでも本音を話せる、安心できる場所が欲しい。頼れる、寄りかかれる、そういう場所を求めている。

 ひとりでいる方が、人に気を遣わないからいいような気もする。でもいざ一人になってしまうと、その孤独の大きさ、深さを知り、恐ろしくなるんだ。

 自分の孤独を実感するのは、例えば体育のグループ授業。ペアを作って、と先生から指示が出ると、わたしはいつも一人余った。体育自体がそこまで好きじゃないのに、ペアやグループ作りができないことで、さらに体育が嫌いになった。「ペアに入れてあげて」と先生に気まずそうに言わせているのが、自分がどこにも入れてもらえないのが、すごくみじめで。

 ここから逃げ出してしまいたくて、気を遣わせてグループに入れてもらうのが申し訳なくて。ちょっとでも空気を乱すのが怖くて。

 なんだ、嫌いなことあるじゃん。抑えこんでわかんなくなってるだけで。きっと、他にもあるのだろう。嫌いなことも、好きなことも。

 もちろん、元から一人でいたわけじゃない。頑張って、グループにいようとしたこともある。グループみんなと一緒にいようと無理やり歩調を合わせた。なのに、うまくいかなくて置いて行ってしまう。今度こそは、と後ろについてまわると、歩幅が合わなくって他の人のかかとを踏んでしまう。向こうから遠ざけられる。距離感をずっと掴めないのだ。

 いつもそうだから、もう人と関わることにコンプレックスを抱いている。いっそ、病院で治すことができたらいいのに、そう願うほど。わたしは欠陥品だ。

 わたしの名前には、「羽」がついているのに、心や身体には羽根はついてなくて、自由に飛ぶことができない。やっぱりどこかが欠けているのだと、思ってしまう。鳥かごのとびらは開いていても、羽根がないから外へ飛ぶことができない鳥。広くて大きな空を、海を、見ることができない鳥。それが、わたしなのだと思う。

 ずっと考え続けながら、箱の中に残った白米を箸で切り、口に運ぶ。冷えて少しかたくなった米は、よく噛まないとのどに詰まりそうだった。ふたりとも目の前の食べ物を黙々と小さくなるまでほどき、嚥下していた。

 もぐもぐ。ザッキーって自転車で通ってんの?その言葉によって沈黙は破られた。

 もぐもぐ。いや、歩きです。もぐもぐ。学校近いのかぁ~、いいな。もぐもぐもぐ。先輩は、自転車ですか?

 ごくん。飲み込むのと同時に首を縦に振った。「雨降ったりしたら、歩きか、親に送ってもらうけどね」と付け加えて。

 予鈴の音。チャイムが鳴る中で、声のボリュームを少し上げて、

「うわっ、もう五分前か。やべっ、五限、英語表現の小テストあるんだった。じゃっ、明日もここで俺は食べるから」と急いで出ていく後姿を、返事もできないまま、ぼうっと眺めていた。

 一緒に食べよう、と言わないところが、重い気持ちにならなくて、よかった。でも、気持ちとは裏腹に、急いで食べた冷たい白米のかたまりが食道で停滞する。

 コーンという最後の音が余韻を残して消えるころ、わたしは教室の戸のレールをまたいだ。この日から、二十分あるかないかくらいの昼休みを部室で過ごすようになった。

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