第4話

 とは言っても、と先輩は話を続けた。

「映画とか小説とかで見てきた経験的に死者と話せるのは一人一回な気がするよなぁ。だから、誰と話すかはよく考えておかんといけんね。言うなれば、だれと奇跡を起こすか」

 だれと奇跡を起こすか、か。わたしは、わたしは……。もし本当にそんな電話があったとして、話してみたくても、そもそも話すことが許されるだろうか。電話が繋がったとしてわたしと話してくれるのだろうか。泥沼の思考にはまるわたしを置いたまま、暢気な先輩は想像を膨らませる。

「誰がいいかなー。俺はばあちゃんもじいちゃんも元気だしさ、だからといってひいばあちゃんとかと話してもなー。まず俺がうまれる前に亡くなったらしいからさ、誰だよ。ってなりそうだし。となると、歴史上の人物とか?あっ、新撰組好きだから鳥羽伏見の戦いのこと訊きたいかも。…ザッキーは?もし、もし電話があったら、どうする?」

「………」

 静寂、再び。

「すいません。別に無視しようとしたわけじゃないんですけど」

 教卓の陰から、よいしょっ、と脱出する。謝るのに顔を出さないのは悪い気がするし、床が硬くて、ちょっと腰とお尻が痛くなってきたから。スカートについた細かい埃をぱさっぱさっと払いながら立ち上がると、

「あっ、でてきた~」とにこにこしている。その細めた目が、自然に口角のあがった口もとが、すごくやわらかかった。なんというか、かっこいいじゃなくて、かわいい、という感じ。そして、先輩はリュックの中に目をやり、がさがさ鳴らして、

「あっ、今日さぁ、お菓子持ってきたんだけど、一緒に食べる?月餅」と二つの月餅を取り出す。目を合わせないというのが、「気にしてないよ」という言葉の代わりみたいに思えた。

 いやいや、いいですよ。なんか貰いにくいです、とわたしは遠慮する。月餅を学校に持ってくるなんて、変わった人だと思う。

「いいから。アレルギーとか、食べられないとかじゃないんでしょ?どーぞ」

 わたしは申しわけなさそうな顔をして、ありがとうございます……、いただきます、と言って、龍の絵のついた透明なフィルムをぱりぱりとはがし、半分に割って口に入れてみる。焼けた卵の匂いがふわりとした後、ごまの風味がする、甘くて黒い餡が口いっぱいに広がる。香ばしい胡桃のこりっとした食感が楽しい。先輩も月餅をほおばりながら、

「最近さあ、ザッキーと同級生で、それで、それでさ、同クラだったらよかったのになって思うんだよなあ、俺」と突拍子もない話をした。

 先輩は、わたしになにかある、訳アリ、と分かっていて、敢えて何も訊かないことがあるような気がする。すべてを訊くことだけがその人を救済するとは限らないと知っているからなのかもしれない。

 口の中で柔らかくなった月餅を飲み込む。

「わたしといたって、そんなに楽しくないですよ。きっと」

「楽しいか楽しくないかを決めるのはザッキーでも周りの人間でもなくて、俺じゃん。ていうか、そもそも嫌いな人にお菓子とかあげんし」

「なんですかそれ……」

 やさしくて、まっすぐで、説得力のある言葉が心の傷口にしみて、だんだんとわたしの声は力をなくしていく。いま、先輩の顔を見たら、思わず小さな子どもみたいにわんわん泣いてしまいそう。机の表面の傷を指先でなぞる。

「わたし、人見知りだし人と話すの下手だし、全然みんなと打ち解けられないから、いつも気遣わせちゃうし……」

「うん」

 わたしはだんだん目の周りがひりひりしてきて、教卓の下にまた潜った。カタツムリ、ヤドカリ、亀。自分の姿はそんな生きものみたいだと思った。潜ったはいいけれど、この暗い場所では、顔が見えてないぶん、いつもは話さないようなことを話してしまいそうだった。攻撃されたら一瞬で壊れてしまうほどもろいようなこと。先輩が攻撃してこないと分かっていても、怖さのような抵抗と、これ以上困らせたくないという遠慮から必死に抑える。

「で、ザッキーはさ、俺ともし同クラだったら、嬉しい?え、もしかして俺、やんわりと拒絶されている感じか?告白してないけどフラれてるのか」

 先輩はだんだんと自信を無くしているらしかった。そんな先輩を軽く笑おうとした。あれ、うまく笑えない。のどが涙のかたまりで詰まっている。

 ――これじゃ、泣いているのと変わらないじゃないか。わたしから出た音は嗚咽に似た笑い声だった。ちょっと深呼吸した。空気を吸い込んだら、ひゅーっと音がした。

「そんなことないですから。わたしだって、おんなじクラスだったら嬉しいし、楽しいに決まってます」

 先輩と同じクラスだったら、どんなに心強いか。先輩はくつろげない教室に休息所を作ってくれる存在だから。そんなことは言えないけど。

「てかさ、月餅食べたらのど渇いたんだけど。そろそろ下降りん?」

「そうしましょう。ここの中でいるのも腰痛めそうなんで」

 わたしは、涙が出ていたわけじゃないのに、目をこすり、立ち上がる。下駄箱の隣の自販機へと向かう。

「ザッキー、こっちじゃないよ。こっちがわは、三年の下駄箱」と、先輩がいつもはしないような、真面目な顔をした。

「え?そんなことないです。飲み物買うんですよね?」

 先輩が自販機に行くことを提案したのに、何を言っているのだろう、と思いつつ、わたしはよく分からないまま、そう返事をした。

「ちぇっ、引っかからなかったかぁ」

「……さすがにわたしのこと、バカにしてません?」

 先輩はそんなことないよぉーと自販機を見ながら言う。先輩は三台の自販機を二往復して、あったかいお茶を買った。そしてわたしは、

「つめった。え?間違えたあ。」

あったかいカフェオレと間違えて冷たいカフェオレを買ってしまっていた。横目で先輩は揶揄うように笑った口元を見せる。現在、気温十九度、ひとくち口に入れると身体が一気に冷えた。

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