神様はサイコロを振る。悪魔は出目を教える。俺の運命が決まる。

綿木絹

第1話 少年と小さな石ころ

「あぁ。そろそろ刈り入れの時期か…」


 少年が麦わら帽を被ると、そこから灰色の草が生える。

 それだけ穴が空いているのだが、無いよりは遥かにマシの麦わら帽子。


「グレイ‼また、そんな穴だらけの帽子を被ってんのか‼」

「えー。だってこれがお気に入りだし…。これしか持ってないし」


 壮大で圧巻の黄金の麦穂畑、金色の麦穂が揺れる。

 風が吹いたのか、組長の怒声が大きかったからか、それとも…


「あれは…」


 パカッパカッと、リズミカルな蹄の音。

 絢爛豪華な車を引く、真っ白な馬、その黄金の鬣に麦穂たちが嫉妬してしまいそう。


「あの紋章、王様の…馬車!?」

「だから帽子を脱げと言っているだろ!」


 そういえばそんなことを言っていたような。

 この度は王家の監督の下、領主様と司教様が検地を行う。

 意味は分かっていないけど。


「う…、すみません」


 大規模な検地はグレイが声変わりする前に行われた。

 土の質を調べたり、面積を測ったりするらしい。

 人間がどれだけいるかは、確か教会が把握している。

 ただ、大規模な検地は人手もお金もかかるから、頻繁には行われないと聞いていた。


「でも、俺達に関係なくね?」

「馬鹿か。うちらの領主のドケチさを忘れたかい?王様に訴えるチャンスなんて、滅多にないさね」


 それはそう。

 農民にかかる税は基本的に物納。

 古くから教会には十分の一で、王家にも十分の一で、領主は残った分から毟るだけ毟る。

 王様の直轄地ではないから、やりたい放題の領主様。

 領民がこんなにも頑張っていると知ったら、多少は心が動くかもしれない。


「でも、前は全然影響なかったじゃん…」


 母親にぐいっと頭を掴まれながらも減らず口を叩いてみる。

 叩いたところで、あの馬車の中に居る人には聞こえないだろう。

 そして予想通り、あっという間に節くれだらけの母の手から解放された。


「はい。もういいよ。作業に戻っとくれ」

「分かってるって。チラーズ川の方に走っていったけど、あっちには国境と砦しかないよね」

「アタシが知るもんか。さっさと仕事を終わらせるよ。お日様は待っちゃくれないんだ」


 確かにその通り。王家の馬車の行先なんて関係ない。

 世界的にもそんなに大きな国ではないメリアル王国。

 冬の間だけ西にある大きな大陸と行き来できる以外には普通の国。

 しかもグレイが住んでいる、というより生きている場所は国の東側のハバド伯爵領だから、冬が来ても何の代わり映えもない冬しか来ない。


「良し。組長に怒られる前にこの辺を刈り取っていこ」


 馬車が過ぎ去った事も忘れて、麦を刈り取る。

 チラーズ川の恩恵で他の土地ほど休ませずに麦の収穫が出来る。

 川向うの農民たちも同じ事をしているだろう。

 

「信じる神様は同じ。信じ方が違うだけ。言葉だって通じる。焼き立てのパンが目の前にあれば争う意味もないと思うんだけど…」


 テルミルス帝国という大きな国があると聞いたことがある。

 メリアル王国とは仲が良くないことも知っている。

 どこかで戦っていることも、風の噂で聞いた。


 でも、それだけ。


 グレイの敵は天候と偶に出没する魔物くらい。


「あの子もこの小麦畑が好きって言ってたし…」


 シロッコ山が齎す奇跡と謳われるチラーズ河川流域。

 この肥沃な土地を巡って、戦争が起きたこともあったらしい。


「はぁ…。今日は疲れたなぁ。いっぱい刈り入れできたんだから、喜んでいいんだろうけど」


 ただ、少年が生まれてから、この地を巡っての争いが起きたことは無い。


 いや…


「何だ、あれはぁぁぁ」


 組長の声。

 起きたことは無かったのだけれど、と早速だけど変更したい。


「火だ…。火の雨が降ってる」

「東のあの雲だ‼ここも時間の問題だ。急いで…、…ぐぇ」


 東の空に見たこともない赤い雲が湧いていた。

 炎で赤く見えるとか、赤い光が雲を照らしているとか、そういうのではなく赤い雲。


「アンタも畑から上がりなさい‼」

「レイラ、こっちに来ては駄目だ。…王家のば…」


 グレイの父が馬車の馬に蹴られて、畑へと転がり落ちてきた。

 一瞬で、死んだと分かる体の状態で。


「グレズ‼ひ…。…あんた、王様の部下でしょ‼私たちは…」


 午前中に見かけたのは二台の馬車だった。

 でも今は、それだけでなく砦に居たのだろうハバド伯の紋章付き馬車と軍隊が見える。


「なにしやがんだよ‼てめぇらは俺達を守ってんだろ‼」

「私たちも連れてってよ。この子だけでも…」


 灰色髪の少年は呆然と見つめていた。

 東で発生した赤い雲から落ちる炎の雨、叫びながら逃げていく人々。

 夫の死に錯乱する母の姿。

 兵士たちの手で押し返される農民たち。


「先頭から二番目の馬車…。あの人、何をやっているんだろ」


 混乱の伝播速度は目で見る視覚、耳で聞く聴覚、つまり光と音だから馬なんかよりもずっと速い。

 だからグレイ家族の西側の農民も異変に気付いて、馬車を止めようとした。

 だが、軍馬は農耕用の馬よりもずっと大きいらしく、次々に跳ね飛ばされる。


「私たちもあそこに行くのよ」


 とは言え。

 メリアル王国で一番豊かな地で畑を耕す、その農民の数だって負けていない。

 戦闘を行く軍馬が牽く戦車を、多くの犠牲と共に止めることに成功をしたのだ。


「貴族が先に逃げるのか‼」

「一体何が起きているんだ‼」

「大災害だぞ‼こんなの初めてだ‼」


 熱くなった農民たちは兵隊を引き摺り下ろして、言い寄ろうとする。

 グレイも母に手を引かれて、その近くまで行くが、吐き気を催して、母の手を離してしまった。


「なんで…?お母さん、殺される…よ。こんなの…」


 頭に血が上った者は怒りに任せているのだろう。

 でも、何が起きているか分からない少年の目には、兵士に殺されてしまった農民の姿しか見えていない。

 しかも、後ろは阿鼻叫喚。


 ドン‼


 そんな時、四つん這いになっていたグレイの体に衝撃が走った。


「お母…さん?」


 農民の集団に向かっていた筈の母の姿がない。

 そして、運が良いのか悪いのか、見覚えのある手、さっきまで繋いでいた手だけが、少年の吐いた胃液の上に差し出された。


「……おか…、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ‼」


 即座に彼の母親がどれかを理解する少年。目の前の立ったままの下半身しかない誰か、それが間違いなく少年の母親だった。

 視界が歪む中、先頭を走っていた馬車が無くなっていることに、彼は辛うじて気付けた。


 これは絶対に夢。だって、そんなこと在り得ない。

 衝撃波のせいで、耳も聞こえない、立つこともかなわない。


 そして、ここで微かに聞こえてきたのは


「めだ…‼やった。雨が降り始めた…」


 激しい耳鳴りが少しずつ収まって、群衆の声が少しずつ聞こえてくる。


 ポツ…ポツ…ポツ…


 確かに雨。

 炎の雨の次は恵みの雨か。忙しいことこの上ない。

 だけど、人々の歓喜の声が次第に歪んでいく。


「みんな、雨の中に行くんだ。そした…ら…、…熱い…あつい?痛い…?」


 炎の雨と恵みの雨が同時に降っているのかもしれない。

 グレイの上には雨の音だけ。ぼやけた視線を上に向けると、半壊した馬車の幌が自分の上に奇妙に覆いかぶさっていた。

 爆発の衝撃で上に飛んで、近くに軟着地したのだろうか。

 何も分からない。


「駄目だ…。この雨は酸の雨だ。その粘々に触るな」

「…なぁ、俺。どうなってる?」

「ひ…。だ、誰か。収穫用の鎌を持っていないか?」


 色んな人の声が聞こえる。何が起きたのか分からないし、夢かもしれない。

 夢にしろ、現実にしろ、悪夢には違いなかった。


 コロッ…


 吐き気が止まらない少年が再び、地面と向き合った時、母の腕にめり込んでいた小さな石が、地面に転がり出た。

 爆発の衝撃ではなく、前の馬車から飛び出した何かが人々の体を破壊した。

 そんな判断が、錯乱した少年に出来る筈もなく、彼はただ奇妙な立方体を見つめた。


 ——すると


 ねぇ…、君


 どこからか声が聞こえてきた。阿鼻叫喚、麦穂に引火して破裂音が至る所でしている中、その声だけははっきりと聞こえる。


 そう、君。君しかここにはいないでしょ?早く気付きなよ。皆が君がどうにか助かった幌を求めて来ているよ?


 炎の雨は収まり始め、今度は酸性の粘体が降り始めた。

 彼の幌は流石は王家が持つ馬車の幌で、生地が厚めだったらしい。

 それにも少年は気付いていないのだが。


「石…が?俺に話しかけている?」


 そうだよ。現状見て気付かない?ね、ここから生き延びたい?


 父を失い、母を失った。それに雇われているだけだが、住んでいたハバドの地は地獄の様相。

 これから先、どう考えても辛い人生しか待っていない。

 冷静に考えれば、ここで父と母と共に死ぬのも一つの道だったかもしれない。


 ——だけど、極限状態の本能が求めたのは


「生き…延びたい」


 だった。そしてすぐに返ってきたのはこんな言葉だった。


 …だったら、ボクと契約しようよ。そうしたら初回限定で助けてあげるよ?

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