第15話

 四天王たちが争い疲れ、キュビの提案でおやつを食べにぞろぞろ出て行った後も、魔王は読書を続けていた。

 机上には色を塗った小石がいくつも置かれ、陣形らしきものを構成している。



「縦深戦術を敵方が使ってくるには、まだ兵器の進展が足りぬであろうか。だが勇者が突破口を開けば……」

 兵法書を読みつつ、小石を動かして考え込む魔王。



 それから真新しい封書を手に取る。インシオ侍従長からの報告書だ。

「東のトーリ公国は東方の遊牧民が築いた国家ゆえ、やはり騎兵は精強か。しかし騎兵だけで三千とは大したものだ。西のセイガランは歩兵が四万だが、こちらも脅威だな」



 呪いの森の地図を広げ、魔王は各集落の動員兵力や距離などを改めて確かめる。

「寡兵にて大軍を撃破する方法などない。であれば、為すべきことはひとつか」

 机上の白紙にペンでサラサラと何かを書くと、魔王はソファに横になった。



「だが今一度、検討せねば……」

 そうつぶやきながら、魔王は目を閉じる。

 窓から柔らかな陽光が差し込み、疲れ気味の魔王は微睡みに落ちていった。


   *   *


 目の前でまた一人、人狼の戦士が血煙を噴き上げて倒れた。

「か、加勢しなきゃ」

 少年は鉈を握りしめて一歩踏み出したが、隣にいた眼鏡の少年が強い力で腕を引いた。



「む、無理だよ、ウォルフェ……。僕たちには絶対に勝てない」

「けど、このままじゃみんなが! 父さんたちの仇を討とう!」

 怒りに燃える少年はそう言って前を向き、そのまま硬直する。



 人狼たちは全滅していた。

 二人が会話していた数秒の間に、残っていた戦士たち全員が斬り捨てられていたのだ。

「嘘……」

「だから言っただろう! 僕たちじゃ勝てない! 逃げるんだ!」



 納屋に潜んで加勢の機会をうかがっていた二人は、すでに孤立無援になっている。

「わかった、逃げよう」

 少年はそう言い、鉈を握りしめる。



「俺が時間を稼ぐ。レグラスは逃げて」

「君を見捨てて逃げるなんてできる訳がないだろ!?」

「けど、どっちかが時間を稼がないと逃げきれない。あいつは人狼より素早いんだ」



 そう言って少年は笑う。

「来世でも親友になっ……」

 次の瞬間、納屋の屋根が吹き飛んだ。



「わあっ!?」

 少年たちがうずくまると、聞き慣れない声がする。

「お前ら、人間……いや、違うな。人狼の仔か」



 返り血をべっとりと浴びた男が、巨大な剣を担いで仁王立ちになっていた。

「ゆ、勇者!?」

「一応確認しておく。お前ら、人狼だな?」

 肯定すれば殺される。

 それでも少年は人狼の誇りを捨てない。



 まだ人狼形態に変身はできないが、少年は鉈を構えて立ち上がる。

「そうだ! 人狼の戦士ガルフェの子、ウォルフェだ! 父の仇、覚悟しろ!」

「……そうか」

 勇者が剣を振り上げた。



 その瞬間、眼鏡の少年が前に立つ。

「ま、待て! きき、斬るなら僕を斬れ!」

「レグラス!?」

「ウォルフェは僕の親友だ! 殺させないぞ!」

 ガタガタ震えながらも、眼鏡の少年は大声で叫ぶ。



「さ、さあ僕を斬れ! でもウォルフェは殺さないで!」

「待てよ!? 敵に命乞いなんかするな!」

 少年は左手で眼鏡の少年をかばい、右手で鉈を構える。



「レグラスは俺が守る! 勝負だ、勇者!」

「ダメだよウォルフェ! 勝てないってば!」

「こら、放せって! 戦いづらいだろ!?」

 互いを守ろうと必死になり、もみ合う二人。



 勇者は大剣を振り上げたまま言う。

「まとめて斬ってやる。二人仲良くあの世に逝け」

「ひっ!?」

 勝てないことを自覚していた少年は鉈を捨て、眼鏡の少年を抱きしめる。



「ごめん、レグラス! 君を守れなかった!」

 家族同然の親友を抱きしめたまま、少年は最期の時を待つ。

 だがその瞬間はなかなか訪れなかった。



「……あれ?」

 おそるおそる目を開くと、目の前の勇者は戸惑っている様子だった。

「くっ……」

 振り上げた大剣を握りしめたまま、勇者は複雑な表情をして固まっている。怒っているようでもあり、泣きそうでもあった。



「この……野郎……!」

 大剣を振り下ろそうと何度も力を込めるが、その度に思いとどまってしまう。

 少年にとっては無限のように思えたが、実際には数秒だっただろう。



 そしてとうとう、勇者は血まみれの大剣を下ろした。

「駄目だ、魔族だとわかっていてもこんな子供を斬れるかよ……」

 勇者は泣きそうな顔をしていたが、なぜなのかは少年には全く理解できなかった。



 家の柱ほどもある巨大な剣をズシンと投げ捨てると、勇者は溜息をつく。

「魔族の子供に情けをかけるなんて、俺は勇者失格だ」

 そう言い捨てて、勇者は二人に背中を向けた。



 反撃の好機だと思った少年だが、親友が必死な顔で腕にしがみついてきたので鉈を拾うのは断念する。

 もし仕留められなかった場合、今度こそ親友が殺されるかもしれなかったからだ。



 その代わりに、勇者の背中に問いかける。

「俺たちを殺さないのか?」

 返事は簡潔だった。

「そうだ。好きなだけ俺を恨め」

 人狼たちの骸の横を通り、勇者が森の奥に消えていく。



「な、何だったんだ……?」

 脱力してその場にへたり込む少年。

 父たちの仇を討てなかった悔しさよりも、生き延びた安堵の方が大きい。何よりも親友が死ななかったことが嬉しかった。



 その親友が心配そうに顔を覗き込んでくる。

「ウォルフェ、大丈夫?」

「ああ、大丈夫。けど、俺は仇討ちには向いてないみたいだ……」

 無理して笑ってみせた少年だったが、緊張が解けた瞬間に意識を失ってしまった。


   *   *


「ねえ魔王様、一緒におやつ食べ……あれ?」

 部屋に入ってきたユーシアは周囲をきょろきょろ見回し、ソファを覗き込む。

「寝てる?」



 呪いの森の魔王は、ソファに寝転んですやすや眠っていた。

 周囲には読みかけの書物や書きかけの書類だらけで、広げきれない分が積み上げられている。

 その書物と書類の城の最奥部で、ウォルフェンタインは熟睡しているようだ。



「ふーん……」

 ユーシアはスツールを引っ張ってきて、ソファの傍らにストンと座る。

「整ってるなあ」



 ウォルフェンタインの顔立ちは凜々しく精悍な印象を与えるが、眠っているせいか今はずいぶんと柔らかい印象だ。あどけなさすら感じさせる。

「こういうのも悪くないね」



 独り言をつぶやきながら、ユーシアはウォルフェンタインの髪にそっと触れる。起きる様子はなさそうだ。

「んー……うふふ」



 にんまりと笑ったユーシアは、魔王の銀髪をちょいちょいと弄ぶ。

「ほーら、悪い勇者が優しい魔王様を倒しに来たよー? 起きないと大変だよ?」

 顔を近づけながら、ますますにやけるユーシア。



 たっぷり堪能した後、ユーシアは晴れ晴れした気分で立ち上がった。寝ている魔王を起こさないよう、こそこそ立ち去ろうとする。

「やはり推しの寝顔は健康にいい……」

「それは良かった」



 魔王の声が背後から聞こえて、ユーシアは慌てて振り返った。

「魔王しゃま!?」

「いかにも。魔王ウォルフェンタインである」

 ソファに堂々と腰掛けた魔王が、微笑みながら勇者を見つめている。



「もしかして起きてた!?」

「うむ。起きないと大変なのであろう?」

「いつから!?」

「間食の誘いに来てくれた辺りからだな」

「最初からじゃん!?」



 ユーシアは顔が熱くなるのを感じつつ、拳をぶんぶん振り回す。

「なんで寝たふりしてたの!?」

「どう答えるか瞑目して考えていたら、おぬしの気配が近くに来たのでな。好きなようにさせておいたのだが……」

「じゃあなんで起きた!?」



 すると魔王は当たり前のような顔をして、真顔でこう返事する。

「おぬしとのひとときを棒に振るほど余は愚かではないぞ」

「そういうところだよ!? ああもう、無駄に顔と声がいい!」

「無駄とは……」



 困ったような顔をして首を傾げていた魔王だったが、スッと立ち上がる。

「まあよい。共に過ごす時間は大切にせねばな」

「はい! おやつ食べよう、魔王様!」

 耳まで熱くなってきたユーシアは、やけくそ気味に元気よく返事した。

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