第10話

それから少し経ち、インシオ侍従長は魔王軍の本拠地を視察に訪れていた。

「ウォルフェンタイン陛下、本日はお招きいただきありがとうございます」

 王族に対する礼儀作法を遵守し、インシオは深々と頭を垂れる。



 ウォルフェンタインは微笑みながら軽く会釈する。

「これは丁重に痛み入る。貴国に魔王軍の実態を知っていただくのが今回の目的ゆえ、礼を言うのは我が方であろう。国王の腹心たるインシオ殿から助言を賜れば幸いだ」

「いえ、私のような軽輩では……」



「シュナンセンの王立学院は、学者や官僚を育成する最高学府と聞いている。国王の学友として在籍し、その後も側近を務めているのであれば、貴殿は王国屈指の頭脳であろう」

「過分なお褒め、誠に恐れ入ります」



 そう言って頭を下げつつ、インシオは心の中で思う。

(若い女だと侮られることがないのは、逆に落ち着かないものですね。それにこの魔王、官僚の重要性に気づいている。人間でさえ理解しない者が多いというのに)



 魔族といえば野蛮で凶暴な連中のはずだが、少なくともこの魔王は違う。

 インシオはそのことを改めて肝に銘じる。

(私はまだ魔王軍を信用した訳ではありません。この視察には、国家の存亡がかかっていると言っても過言ではないはず)



 インシオが気を引き締める一方で、ウォルフェンタインは穏やかな態度だ。

「その王立学院の卒業生であるインシオ殿には、魔王軍の人材育成の場を視察してもらいたい。その上で評価をいただければありがたい」

「人材育成の場、ですか?」



「さよう」

 魔王は微笑む。

「なに、王立学院に比べればささやかなものだ。だが国家を運営するにあたっては、ささやかであっても人材は育てねばならぬ。余と四天王だけでは既に限界が来ておるのでな」



(四天王といっても三人しかいませんし……。それにまともに書類仕事ができそうなのは、おそらく参謀のレグラスだけ。魔王の懸念は正しいでしょうね)

 そんなことを考えながら、インシオは計算された微笑みをみせる。



「承知いたしました。私などで良ければ、お役に立たせてください」

「すまぬな。ではこちらに」

 魔王は扉を開き、それから部屋の中に向かって大きな声で言った。



「皆、待たせたな! 人間たちの国から、とても偉い先生が来てくれたぞ!」

「へっ!?」

 インシオが驚く暇もなく、部屋の中から小さな獣人たちがわらわら駆けてきた。



「やったー! 魔王様だ!」

「あれって人間? 人狼じゃなくて?」

「あっ、レグラスと同じヤツかけてる!」

「メガネっていうんだぜ!」



 声のあどけなさから察するに、まだ成年に達していない獣人なのだろう。犬や兎や猫の顔をした獣人たちがインシオを取り囲んだ。

「名前! 人間の名前はなに?」

 インシオの周囲を獣人たちがぴょんぴょん飛び回っている。声も仕草も人間の子供にそっくりだ。



(かわいい……)

 魔族との対立の歴史も忘れて、インシオはふと和んでしまう。

 彼らの顔は獣そのものだったが、ちゃんと衣服を着て人間と同じように生活しているようだ。



 インシオは腰を屈め、目線の高さを合わせながら名乗る。

「はじめまして、インシオと申します」

「インシオ? じゃあインシオ先生だね!」

 ちびっこたちがそう言い、なぜか次々に手を挙げた。



「オレはポニ!」

「オレはポニニ!」

「オレはポニニニ……とみせかけて、セロ!」

「ポニとポニニは双子なんだよ! だから名前が似てるの!」

「セロの兄ちゃんはハッチモだから名前ぜんぜん違うよー!」

「双子じゃないからだよ!」



 あまり重要ではなさそうな情報が怒濤のように押し寄せてくるが、インシオ侍従長はそれを冷静に捌いた。にっこり微笑む。

「そうなんですか。私の妹はリンシオですから、名前の付け方が似てますね」

「ほんとだ! 似てる!」

 キャッキャッとはしゃぐ犬の獣人たち。



 すると魔王が一同に声をかけた。

「諸君、落ち着きなさい。この方は人間たちの王にお仕えしているインシオ侍従長だ。魔王軍で言えば、レグラスと同じぐらい偉い。わかるかな?」



 顔を見合わせ、ちびっこ獣人たちはヒソヒソささやきあう。

「レグラスと同じだって」

「偉いの?」

「レグラスは偉くないよなあ……」

 どうやら四天王筆頭の地位は低いらしい。なんとなく普段の様子が想像できて、ふふっと笑ってしまうインシオだった。



 魔王はしばらく困ったような顔をして笑っていたが、やがて手を叩いて一同に言った。

「インシオ殿にくれぐれも失礼のないようにな。今日は諸君の授業を見ていただく」

 そのとき、インシオはふと疑問を抱く。

(授業といっても、教官の姿が見当たらないのでは?)



 すると魔王は教卓の書物を手に取り、パラパラと開いた。

「では今日は百分率の続きをしよう。割り算、分数と学んできたが、ここがひとつの集大成だな。実は魔王軍の書類にも百分率は多く使われているのだ」

「えー、ややこしそう……。魔王様、なんでですか?」



 獣人の問いかけに魔王はうなずく。

「うむ、良い質問だな。例えば一昨年の麦の収量を百とした場合、去年が九十七、今年が九十だとすれば、減収が続いているのがわかるな。特に今年の落ち込みが激しいのがわかる。このように数字をわかりやすく扱うための工夫だ」



 説明しながら石壁に向かい、木炭で丁寧な数字を記していく魔王。

 子供たちはふんふんとうなずきながら、その説明を熱心に聞いている。



(魔王が自分で教えてるの!?)

 ツッコミを入れたい気持ちを必死に押さえるインシオだった。


   *   *


「魔王様、さようならー!」

「インシオ先生もさようならー!」

「あー、明日はレグラスの授業かー……」

「あいつの授業つまんないんだよなー」

 そんなことを言いながら、獣人の子供たちが帰っていく。



 それに笑顔で手を振りながら、インシオは傍らの魔王を振り返った。

「まさか魔王様自ら教鞭を執られているとは思いませんでした」

「人材不足の極みを露呈してしまったな。人に教えられる程度の学問を修めた者は、余とレグラスしかおらぬ。それゆえ、何を置いても人材育成を優先せねばならぬのだ」



「道理で魔王軍が呪いの森から出てこないと思いました」

 インシオはそう言い、ふと苦笑する。

「先代勇者の失踪から数年後、我々は『呪いの森』の魔族たちが組織化されていることに気づいたのです。おそらく魔王が出現し、魔族たちを統率しているのだろうと考えました」



 すると魔王は微笑む。

「そして魔王軍が攻め込んでくることを危惧した訳だな?」

「はい。こちらの勇者はまだ子供でしたので当時は大変な騒ぎになったそうですが、特に魔王軍が侵攻してくることもなく、大人たちは不思議に思ったそうです」



 その勇者が今は魔王軍の四天王だ。インシオはなんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。

「まさか魔王が学校を開いて子供たちに算術を教えていたなんて、当時の人々が聞いても絶対に信じなかったでしょう」

「ははは、さもあらん。だが余は他に方法がないことを知っておる。城門を砕いたところで何も変わりはせぬ。人間たちは統率者が討たれても戦い続けるからな」



 インシオはうなずく。

「確かにそうですね。魔族は王が倒されると組織を維持できませんが」

「さよう。そこに違いがある。人間たちの社会は、魔族の社会より百年以上進んでおるからだ。いや、魔族たちが百年以上遅れていると言うべきか」



 魔王は真剣な顔をして腕組みする。

「この森は人間たちでなく、魔族にとっても『呪いの森』であった。この森には呪いがかけられている。豊穣の呪いがな」

「豊穣の呪い、とは?」



「この森は不自然なほどに実りが豊かでな、小規模な集落なら狩猟採取生活で事足りる。それゆえ農耕は副次的なものに過ぎぬ。一方、森の外の人間たちは早々と農耕生活に移行し、より大きな社会を作るようになった。差は歴然だ」



 魔王は溜息をつく。

「農耕技術が発展すれば、ひとつの地域に多くの民が生活できるようになる。食料供給にも余裕が生まれ、全員が畑を耕す必要はなくなる。すると戦士や技師、商人といった、農民の次に必要な職業が増えていく」



 それを聞いたインシオは、魔王の言葉を継いだ。

「そしてさらに学者や神官、それに官僚や芸術家といった職業も生まれる。そういうことですね?」



 その言葉に魔王は深くうなずいた。

「いかにも。さすがはインシオ殿だ。そこまで到達すれば、大規模で強固な社会が生まれる。もはや魔王など不要だ。魔王が打ち倒されても魔族の結束は揺るがぬであろう。この学校はその計画の礎だ」



 魔王はそう言い、インシオに笑いかける。

「つまり余は、魔王よりも遙かに強大なものを生み出そうとしていることになるな。実に魔王らしい、恐ろしい企てであろう?」



 インシオは魔王の笑みがとても眩しく感じられ、どう答えるべきか戸惑う。

 しかし自分の素直な気持ちを伝えたくて、照れながら笑った。

「はい、とても」



(そこらの諸侯よりも、よほど信用できそうですね。しかもこれだけの見識があり、拠点と兵力を有しているのであれば……)

 そう思ったインシオは、おずおずと切り出す。



「魔王様。魔王軍との同盟関係について、個人的にお願いしたいことがあるのですが」

「インシオ殿のお願いとあれば、聞かぬ訳にはいくまい」

 落ち着いた様子で、魔王ウォルフェンタインはうなずいた。

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