第5話

 勇者ユーシアは魔王ウォルフェンタインたちと共に、故郷のヘンソン村の西にある「呪いの森」に足を踏み入れていた。

「まさか魔族の棲む森に来ることになるなんてね」



 鬱蒼と生い茂る森の中は、昼間でも薄暗い。周囲には生き物の気配が満ちているが、魔物もいるはずだ。

 妖狐のキュビが首を傾げる。



「あんた勇者でしょ? その気になればいつでも来れたんじゃないの?」

「力を封印されたまま魔王軍の本拠地に乗り込む馬鹿がどこにいるのよ」

 軽く溜息をつくユーシア。力を封印されていてもそれなりには戦えるが、さすがに魔王軍と真正面から対決するだけの力はない。



 そよそよと風が吹き抜ける木漏れ日の道を、一行は歩いていく。

 参謀のレグラスが眼鏡を押さえながら口を開いた。

「ユーシア殿、貴女も魔王軍の一員となったので一応教えておきますが、この森には獣人を中心とした魔族が多数暮らしています」



「獣人っていうと、犬人(コボルト)とか?」

「そうですね。魔王軍の中核は犬人(いぬびと)族と兎人(うさぎびと)族、それと猫人(ねこびと)族の三種族です。いずれも人間の子供ぐらいの身長で、非力な魔族ですよ。あとは我ら人狼と、そこのはぐれ者の妖狐」



 レグラスの説明にユーシアは疑問を覚える。

「それだと人間の軍隊相手には勝ち目ないんじゃない? 今までどうやって戦ってきたの?」

「テリトリーの中だと彼らは意外と侮れませんよ。巧みに隠れて罠や飛び道具を使いますからね。それに魔王軍の外部協力者として、茸人(たけびと)族や樹人(きびと)族もいますので」



 キノコや樹木の姿をした魔族もいるらしい。興味を覚えるユーシア。

「なにそれ面白そう」

「面白がらないでください。今も我々の会話を聞いていますよ」

 レグラスに言われて周囲を見回すが、ただの森がどこまでも続いているだけだ。



「わからない……」

「彼らの擬態は完璧ですからね。僕たち人狼でも、変身後の聴覚や嗅覚でかろうじて『みえる』程度です。外敵が侵入しない限り、何年でもじっとしてますよ」

 退屈そうな人生だと思ったが、言わないでおいておく。



 魔王ウォルフェンタインが歩きながら振り返った。

「獣人たちは種族内部にいくつかの氏族があり、氏族単位で集落を作って暮らしておる。氏族間のいざこざは長老衆が解決してくれるが、種族間で揉め事が起きると魔王軍が裁定することになっている。ユーシア殿も四天王として、常に公正かつ慈悲深くあるように心がけてくれ」



「公正かつ慈悲深く……」

 人類の宿敵であるはずの魔王が言うと冗談みたいに聞こえるが、この魔王のことだからもちろん本気で言っているのだろう。そういうところがとても好きだった。

「わかった」


   *   *


 やがて呪いの森の奥深くに、切り開かれた広場が姿を見せる。

 丸太を隙間なく打ち込んだ柵がぐるりと巡らされ、柵の周囲は大半が畑だ。畑を耕しているのは、犬や兎そっくりの獣人たちだった。あれが犬人族と兎人族だろう。



 そんな獣人たちの田園地帯を横切るように川が流れており、猫人族らしい獣人たちが寝そべりながら釣り糸を垂れている。

 柵の内側からは煮炊きの煙が幾筋も立ち上っていて、なぜか子供たちの楽しそうな合唱が聞こえていた。

 あまり魔王軍っぽくない風景だ。



「皆、息災のようだな」

 魔王は心なしかホッとしたような顔をして、ユーシアを振り返った。

「ようこそ、ユーシア殿。ここが余の治める村だ」



 予想よりもだいぶ小さかったので、ユーシアは畑を眺めながら率直な感想を述べる。

「魔王軍の本拠地って、もっとおどろおどろしくて凄い感じのを予想してた。城壁も石造りの分厚いヤツ」



 すると魔王は苦笑いした。

「先代勇者に討伐され、細々と生き延びている我らにそのような余力があるはずなかろう。このような森では木材は調達できても石材は難しい」



 うなずきながらレグラスが説明する。

「それにここは元々、城や砦ではなくて学校だったのです。僕とウォルフェ、二人だけの学校……」

「うっとりしてるところ悪いんだけど、それどういう意味?」



 夢見る乙女みたいな目をしているレグラスに問うと、彼はスッと冷静な表情に戻る。

「勇者が村を襲った後、生き残ったのは僕と魔王様だけでした。勇者と戦った者は全員殺されましたし、他の子供たちは家族と共に森の外に逃げましたからね」



「あんたたちは逃げなかったの?」

「僕たちも共に戦うつもりでした。ですが、勇者は強すぎたのです」

 レグラスは沈痛な表情で眼鏡を押さえる。



「大人の戦士たちは瞬く間に倒されてしまい、僕たちには加勢する機会すらありませんでした。震えながらその場に立っていることしかできませんでしたよ」

 うつむくレグラスの肩を優しく叩き、魔王が寂しげに微笑む。



「だがそのとき、余は勇者も人狼と同じだと知ったのだ」

「どういう意味?」

 魔王は遠い目をする。



「彼は余たち子供を殺さなかった。正確には何度も剣を振り上げたのだが、どうしてもできなかったのだ。最後に『ダメだ、俺にはできない』と叫んで去っていった。血まみれの剣を投げ捨ててな」



 先代勇者がどんな人物だったのか、ユーシアは知らされていない。なんとなく「そんな人はいなかった」ことにされているのは、騎士団員である村人たちの会話からそれとなく察していた。

 魔王はさらに続ける。



「勇者が去った直後、死者の声に導かれた不死者の魔術師が来てくれてな。余たちの育て親となり、学問を授けてくれた。ここは我らが師と共に暮らした第二の故郷なのだ」

「なるほど、じゃあ確かに魔王軍の拠点だね」

 納得してうなずくユーシア。



「その魔術師さんもあそこにいるの?」

「いや。旅の途中だったそうで、魔王軍の旗揚げを見届けると旅立ってしまわれた。古い友人を探していると言っておられたな。見つかっておると良いのだが」

 昔を懐かしむような目をしていた魔王だったが、すぐにいつもの調子に戻る。



「ともあれ旅の疲れを癒やすのが先決であろう。さっそく来たぞ」

 城門のところにいた犬人たちが、短槍を持って駆けつけてきた。首から角笛をぶら下げている。見たところ、これでも衛兵らしい。

「魔王さまー!」

「おかえりなさーい!」



 尻尾を振りながら駆けてきた犬人たちは、ピンと背筋を伸ばす。

「報告します! どこも異状ありません!」

「ありません!」

 二人の報告に魔王はうなずき、彼らの肩に手を置いた。



「留守中の警備、大儀であった。こちらは新たに四天王となったユーシア殿だ。皆にも伝えておいてくれ」

「はい!」

 犬人たちはコクコクうなずき、それからユーシアを見上げる。



「えっと、人狼の方ですか?」

 ユーシアは首を横に振った。

「いえ、人間なの」

 その瞬間、尻尾の動きが止まる二人。



「にんっ!?」

「げんっ!?」

 警戒心を露わにした犬人たちに、キュビが余計なことを言う。

「こいつ勇者だから」

「ゆうっ!?」

「しゃっ!?」



 二人は顔を見合わせ、首に下げていた角笛を力いっぱい鳴らす。

「勇者だ!」

「勇者が来たぞーっ!」

 魔王の村が大混乱に陥ったのは言うまでもない。

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