ルールのない人

小南葡萄

プロローグ


 初めて自分で、意思を持って破ったのは、小学三年生の時。赤信号を渡った。


私は学校にいて、校庭で一人落ち葉を掃いているときに、ふとアニメがあるの思い出し、掃除が終わったらすぐに朝礼台にあるランドセルをグッと背負って、飛ぶように家に向かって走った。


はあはあはあはあ。


走り慣れておらず、足で地面を蹴るたびに小さな痛みが毎度毎度響く。息は足音とリズムが重なり、どんどんどんどん荒くなる。ランドセルが揺れてすごく腹が立った。


アニメ、アニメ、アニメ、アニメ。


『赤信号の時は、青信号になるまで渡ってはいけません。車に轢かれてしまいます。』


家に着いた瞬間にルールを思い出し、顔から血の気がすぅーっと引くのを感じた。いつもの通学路なら、信号があるはず。私は必死で全く周りを見ていなかった。ドアノブを握る手は震えており、ドアノブの冷たさを感じない。ドアを閉めた時にバタンという音が、私のしたことを叫ぶように、大きく響いた。血の気が引いたままテレビのスイッチを入れると、軽快なオープニング曲とヒーローが私を迎えてくれた。私はアニメに吸い込まれていき、夢を見たようにアニメはすぐ終わってしまった。


「おかえり」


お母さんの声が急に大きくなり、わっ!と思わず大きな声を出してしまった。落ち着こうと、ドキドキしている心臓を掴もうとして、自分の服をギュッと握る。


「ただただただいま」


「何度も言ってたのよ?相当アニメに夢中だったみたいね」


ブンブンと頷いてから、逃げるように階段を上がり、私は布団に飛び込んだ。暗い。視界と気持ちがリンクする。悪者みたいに倒されちゃう。心臓の音はいつもの何十倍も響き、今にも爆発しそうだった。


お母さんの夕ご飯を作っている間、私は布団の中にこもってじっと考えた。




一つ、私はルールを破った。

二つ、アニメは無事に見れた。

三つ、車には轢かれなかった。




私の中でルールというものがわからなくなった。ルールを破ったが、アニメを見れた。ルールを破ったが、車には轢かれなかった。夕ご飯の時、学校のことをいつも通り聞かれると、私は正直に、帰り道のことを細かく報告した。


そしたらパパとママは、私を怒鳴りつけた。両親はテレビで見る怪獣の咆哮よりも恐ろしく、そんな私をヒーローは助けてくれなかった。


何を言われたかよりも、大きな声に恐怖を感じた。もうやめて。やっぱりルールは守らなきゃいけないんだ。寝るときにも、怒鳴られた光景がフラッシュバックし、必死に目を瞑るも、暗いのが怖くて目を開き、震えている手を見ながら考えてしまう。


もしもあのとき、


『何かあったらすぐに報告しなさい』


というルールを守ったから、怒鳴られたのかもしれない。


 翌日、学校が終わった帰り道。友達に手を振り、用事があると嘘をついて、一人になった。


いつもの道を恐れて、別の道を使って帰った。今日だけは人の目がアニメで見た赤いレーザーのように見えた。横断歩道に着き、赤信号が見えて反射で一瞬で止まったが、黄色い帽子を深く被り、渡った。不安で下を向いてしまう。白と黒が交互に現れて進んでいるのはわかったけど、横断歩道はいつもより長く感じた。もしかしたら、車が激突して、体がバラバラになるかもしれない。そんな足枷のせいで、私の足取りは重かった。歩道にこけそうになりながらも踏ん張った時、何かが私に押し寄せた。アニメでヒーローが勝った時の興奮でも、テストで満点が取れた嬉しさとも違う何か。この感覚に酔うように家に帰り、夕飯まで過ごした。


いつもの通り学校であったことを聞かれ、私は百点満点だったテスト用紙を見せた。いつもなら色々話すのに、今日やったことを思い出し俯いてしまった。パパに

「嬉しくなさそうだね」

と言われた瞬間、必死に口角を上げた。一生懸命さにママは笑ってくれたが、自分の目に力が入らないのがわかった。私は必死に自分を隠していた。同時に嘘をついている感覚にも襲われた。嘘はついていないのに。テストは満点だったのに、今日の私は満点じゃなかっただけ。

そしてもう一つわかったことは、赤信号を渡ったことを両親に報告しなかったら怒鳴られずに済んだということ。


わかんない。もう、今日は、考えるのをやめよう。一つを除いてはいつも通りの日常だったのに、その一つのせいでとても疲れた。


 これがおそらく、私が私であるために、丸くなっていた私を、自分で削った最初の経験。


布団はとってもふかふかしていて、その日の夜はなぜか、夢が見れなかった。

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