第3話 八人目のエルフ

 友達から貰ったちょっと良いクッキーがあるんだ、とキュアが戸棚を開ければ、ヒカリが、じゃあ私はお茶の準備をします、と水をやかんに入れて火にかける。


 その間にも二人の話は止まらない。

 だって好きな人の話だもの。ずっと喋っていたいじゃないか。


「今月号もとても素敵でした。アジサイを握り潰すヤミィヒール様。とても斬新でした」

「そうだね。その後ろでドン引きしている白雪姫様もヤバかったー」

「来月は夏特集ってありましたね? 夏と言えば水着でしょうか? それとも浴衣でしょうか?」

「私は断然水着派! 白雪姫様のセクシーな水着姿拝見したい!」

「分かります! でも、セクシーと言えば浴衣ではないですか? ヤミィヒール様のはだけた浴衣姿! ああ、想像しただけでもヤバイです!」

「なるほど! それもアリかもー!」


 そんな会話をしながら、キュアは棚からクッキー缶を取り出し、テーブルの上でクッキーを皿に移し替えて行く。


 一緒に暮らす八人のエルフ達。その全員で使っても余るくらいの、とても大きなテーブル。

 その端に飾られているのは、そろそろ取り替えなければならない黄色い花と、八人で撮った最近の写真。


 その写真に写る自分の姿に、キュアはフッと表情を緩めた。


(幸せだな)


 背中に流れる桃色の髪をポニーテールに結い上げた、桃色の目をした女の子。

 共に暮らす七人の仲間に囲まれて、写真の中央で楽しそうに笑っているのがキュア、つまり現世の自分だ。


 と言うのも、実はキュアには前世の記憶がある。

 生まれてから死ぬまで、その一生を詳しく覚えているわけではないが、何故か鮮明に覚えている記憶があるのだ。


 それが、キュアが今を生きているこの世界が、前世ではアニメとして存在していた、『白雪姫と七人のエルフ達』の世界、そのものであるという事だ。


 タイトルの通り、それは童話『白雪姫』をモチーフにしたアニメで、主人公である白雪姫ことスノウ姫が、隣国の王子や狩人、そして七人のエルフ達と共に悪い魔女に立ち向かい、最後は王子と結婚して幸せになるという物語である。


 そしてその前世の生涯を終えた彼女は、八人目のエルフ『キュア』として、このアニメの世界に転生した、というわけなのである。


(そう、私は、本来ならこの世界には存在しないキャラクターなんだ)


 テーブルの上に飾られた、八人で撮った写真。

 本来なら、そこに写っているのは赤と青、そして黄、緑、橙、黒、白の七人だけ。

 桃色のエルフは写っていてはいけない。だって前世のアニメの中に、桃色のエルフなんて存在しなかったのだから。


 だから自分が前世のアニメの世界に転生していると気が付いた時、キュアはかなり戸惑った。

 本来なら存在しないハズの自分。自分は一体何者で、何故八人目のエルフとしてこの世界に生を受けたのか、と。


 しかし、その戸惑いはすぐに歓喜へと変わる事になる。


 だってそうだろ? 重要なのは、自分が誰か、などではない。

 重要なのは、前世では架空の存在であった推しカプが、現世ではリアルに存在しているという事なのだから。


 何故自分がこの世界に存在しているのか、なんて考えたって仕方がない。

 だって産まれちゃったんだもの。だったら細かい事など気にせずに、人生を謳歌するしかない。

 現実に推しカプがいると言う奇跡に感謝し、そして歓喜するしかない!


(そう、ここはもう画面の中にある二次元の世界なんかじゃない。ここは白雪姫ことスノウ姫と、隣国の王子ことレオンライト王子が生きている、現実の世界なんだから!)


 キュアの前世である○○(前世の名前など覚えていないので、○○と表記する)は、アニメ『白雪姫と七人のエルフ達』がとても好きだった。

 七人のエルフ達は個性的で、エルフ同士のやり取りは見ていて楽しかった。

 悪い魔女であるヤミィヒール女王の非道っぷりは、最早称賛モノで、王子を痛め付けるシーンにはゾクゾクした。(○○は闇のオタクだったので、そのシーンは何度も見返している。)


 そんな中、○○が特に好きだったのが、ヒロインであるスノウと、ヒーローであるレオンライトのカップリングである。

 もちろん単体でも好きなのだが、どちらかと言えば、二人セットの方が好きだ。番いになっている方が大好きだ。妄想でご飯三合はイケるくらい、とにかく好きだったのだ。


 ほのぼのとした妄想もしたし、過激な妄想もした。ぶっちゃけ、二次創作にも手を出し、読んだり、書いたりもした。おかげで本名も年齢も職業も知らない友達が沢山出来た。今となっては良い思い出である。


 さて、そんな前世での生涯を終えた○○は、キュアとしてこの大好きだったカプがいるアニメの世界に転生した。

 それに気付いた彼女は、「やった、この人生貰った!」とガッツポーズをした。


 推しカプのいる世界に、八人目のエルフとして転生した○○ことキュア。

 彼女の立ち位置は、彼女にとって、とても美味しいモノだったのだ。


 何故ならこの『エルフ』という役は、モブではない。推しカプと接触できる、とんでもなく『大当たり』の役だったのだから。


 アニメの展開通りに物語が進めば、魔女に命を狙われたスノウは、狩人の助けもあって、城から逃げ延び、七人の……もとい、八人のエルフのいる我が家へと辿り着く。

 そして魔女から匿うと言う建前の下、スノウとご飯を食べたり、一緒に寝たり、お風呂に入ったり、狩りに出掛けたりと充実した生活を送った後、何やかんやあって彼女は王子と出会い、そして結ばれるのだ。


 つまり、前世では画面の向こうにしか見られなかった姫と王子の馴れ初めを、現世では間近で全部見る事が出来るのである。


 まさかの推しカプの馴れ初めを、実際にこの目で拝める日が来るなんて!

 それに歓喜せずしてどうする? むしろ喜ばない方がおかしいだろう!


「そしてスノウ姫と仲良くなって、二人の結婚式に出席し、ゆくゆくは二人の子供をこの腕に抱くのよ!」

「え、何ですか、キュアさん? 急にどうしたんですか?」

「はっ、いや、何でもない。こっちの話。気にしないで!」

「?」


 しまった、ついうっかり声に出てしまった、とキュアはぎこちない笑顔で必死に誤魔化そうとする。


 幸い、詳しく聞くつもりもなかったのだろう。

 不思議そうに首を傾げはしたものの、それ以上ヒカリが追求して来る事はなかった。


「今月の新作ドレスも良かったですよね。色気ヤバくないです? 肌の露出なんてほとんどなかったのに。それなのにあそこまでご自分を魅せる事が出来るなんて……。ああ、さすがヤミィヒール様、素敵すぎー!」

「ねー、今月の女王様もエロかったねー」


 用意したクッキーと紅茶をキュアの部屋に運び、そこで改めて今月号の話題で盛り上がる。


 大好きなアニメの世界に転生し、これから起こる未来の話に、今から幸せで一杯なキュアであったが、そんな彼女にも一つだけ後悔している事がある。


 それが、目の前で楽しそうにヤミィヒールの話をしているヒカリであった。


 キュア達エルフ族は、人間にはない魔力を持ち、何らかの魔法を使う事が出来る特殊な一族だ。外見的にも人間とは違う、尖った耳を持つという特徴がある。

 魔族と違い、様々な魔法を扱う事は出来ないが、ファイは炎、ミズは水の魔法と言ったように、限定された一つの属性魔法を扱う事が出来る。

 そしてスノウ姫と知り合ったエルフ達は、王子や狩人と協力し、それぞれの魔法を生かして魔女と戦う事になるのだが……。


 その戦わなければならない魔女と言うのが、さっきからヒカリが誉めまくっているヤミィヒール女王様なのである。


「ヤミィヒール様には黒一択だと思っていましたが……紫も素敵でしたね。ああ、もう、妖艶すぎで吐く!」


 楽しそうに女王の話をするヒカリに、キュアの中にある良心がチクチクと痛んで行く。


 ヤミィヒール女王陛下は、その名の通り、この国を治める女王様だ。

 今は亡き国王陛下と再婚した女性であり、国王陛下の娘であるスノウとは、義理の母娘の関係に当たる。


 国王亡き後、スノウが成人し、王位を継ぐまでは、自分が国を治める女王として即位したヤミィヒールであるが、その正体は、エルフ族よりもずっと強大な魔力を持ち、この国を乗っ取ろうと企んでいる悪い魔女なのだ。


 当然、良い女王を演じ、その時が来るのを待っているヤミィヒールの正体を知っているのは、前世の記憶があるキュアだけだ。仲間であるエルフ達はおろか、世界中探したって、彼女の正体を知る者はいないだろう。


「来月、真っ赤なビキニとかだったらどうしましょう? 絶対にお美しいですよ! あ、ヤバイ、今から悩殺される」


 さっきからヒカリが話しているように、お美しいヤミィヒール様。

 しかし、そう感じているのは特にヤミィヒールが好きなヒカリだけではない。ほとんどの国民がそう感じているハズだ。

 何故ならヤミィヒールは、世界一美しいと謳われるほどの美貌を持つ、妖艶の魔女だからである。


 しかしそんなヤミィヒールにも、危機が訪れる。

 それが、スノウ姫の成長だ。

 幼い頃はまだあどけなかったスノウ姫。

 しかしスノウは人間であるにも関わらず、時が経つにつれてヤミィヒールにも負けないくらいに美しく成長してしまうのだ。


 国民にも認められるくらいに美しく成長してしまうスノウ姫。

 そんな彼女の美貌に嫉妬したヤミィヒールはスノウに殺意を抱き、あの手この手を使って彼女を殺そうとする。

 そしてそんなスノウを守るべく、エルフ達は王子達と協力し、ヤミィヒールと戦う事になるのである。


 つまり、このまま前世のシナリオ通りに世界が進めば、ヤミィヒール様大好きなヒカリは、その大好きな女王様と戦う事になってしまうのである。


「でも美しすぎるあまり、写真とはいえ、ドキドキしちゃってずっとは見ていられないんですよね」


 白のエルフことヒカリは女王推し。

 それがアニメの設定であったのなら仕方がない。推しを倒す。それが彼女の乗り越えるべき試練であるのだと、キュアとて諦めが付いただろう。少なくとも、ここまで良心を痛めたりはしなかったハズだ。


 しかし、本来のヒカリの設定はそうではない。

 本来のヒカリの設定は、クールビューティー系女子。推しどころか、暴走するほどに好きなモノはなく、常に冷静で、笑う時だってはにかむようにフフッと笑うような、クールな女の子だ。


 では何故、女王推しという前世とは掛け離れた性格になってしまったのか。


 それは他でもない、キュアのせいだからである。


(いや、だって私以外にも、ここまでハマる人が出るとは思わなかったし……)


 美しすぎて目と心がやられるんですよねぇ、とか言いながらニヤけているヒカリに、キュアは心の中で土下座する。


 何もせずとも、自分には推し同士の結婚という幸せな未来が待っていた。

 だから余計な事などせず、本来のシナリオ通りに世界が進んで行くように努力をするべきだったのだ。


 それなのにキュアは買ってしまった。時が来るまで我慢が出来ず、本屋に売られていた『月刊王宮通信』を買ってしまったのである。


(いや、でも買うでしょ! 推しが表紙飾っているのを見付けたら! そりゃ当然買うでしょ!)


 やっぱり自分は悪くない、それは人間(エルフ?)の本能だと、キュアは自分自身に言い訳をする。


 森で動物や魔物を狩ったり、薬草や木の実を採取したりし、それを街で売って生活している八人のエルフ達。

 つまりエルフ達の関係は仕事仲間だ。森で共同生活をするのが一番効率が良いからと、八人は一緒に住んでいる。それは前世でも現世でも変わらない、共通の設定である。


 さて。そんなエルフの暮らす家に、本来なら存在しないハズの八人目のエルフことキュアが、ある日、本屋で見付けた『月刊王宮通信』を買って来た。

 それを自室でこっそり読むなどして、各キャラクターの設定が壊れないよう、配慮すれば良かったのかもしれない。

 しかし、推しの事しか頭にないキュアは、そんな事など一切考えず、雑誌を持ち帰るなりリビングで堂々と読み始めた。当然、その雑誌は他のエルフ達の目にも入る事になる。


 キュアの買って来た雑誌に気付いたエルフ達は、当然「何それ?」とか、「えっ、王国からそんな雑誌出てんの?」と、興味を持つ。

 そして雑誌を覗き込み、「へぇ、スノウ姫ってこんな表情もするんだ」とか、「え、女王様めっちゃキレイやん」とか言う話になる。

 その後、「何でこんな雑誌買って来たの?」「へぇ、キュアって白雪姫様が好きなんだー」と、キュアの推しがスノウ姫である事が他のエルフ達にバレ、「バレたんなら別にいいや」と開き直ったキュアの推し語りが始まる。

 当然、キュアの推し語りを聞いてくれるエルフと、聞いてくれないエルフに分かれたし、キュアと同じように白雪姫や女王陛下に興味を持ったエルフ、興味を持たないエルフにも分かれたが、それでも『キュアは白雪姫様が好き』は、全エルフ周知の事実となる。


 本来であれば、スノウが助けを求めに家を訪ねて来てから、彼女と関わる事になるエルフ達。

 しかしキュアのせいで、彼らは割と早い段階から、間接的にスノウやヤミィヒールと関わる事になってしまったのだ。


 前世では存在しなかった八人目のエルフことキュア。

 そんな彼女が存在してしまったせいで、本来であれば受けないハズの影響を受けてしまった七人のエルフ達。

 そしてその中で最もキュアの影響を受けてしまったのが、白のエルフことヒカリだったのである。


 ヒカリは七人の中で唯一の女性であり、キュアと同性だ。

 そのせいもあって、二人はとても仲が良いし、他のエルフ達よりも一緒にいる時間が長い。


 だからこそ、ヒカリはキュアの推し語りを一番沢山聞いてくれた。

 楽しそうに話すキュアと一緒に、王宮通信を何度も見てくれた。


 これで、ヒカリが好きになってくれたのが、スノウであったのなら何も問題はなかっただろう。

 一緒にスノウを愛でて、彼女を守るべく魔女と戦い、王子との結婚を喜び、二人の子を抱く。

 それで済んだハズなのに。


 しかしある時、ヒカリは思い切ったようにこう言ったのだ。


『キュアさん、すみません! 私、白雪姫様ではなくて、女王陛下推しです!』と。


 瞬間、キュアは心を鈍器でブン殴られたような罪悪感に襲われた。


『この人、将来私達が倒さなきゃいけない人なのに! どうしよう!』と。


「ああ、もうっ、ヤミィヒール女王陛下……すきぴ」

「ごめん、ヒカリ! 本当にごめん!」

「えっ、ど、どうしたんですか、急にっ?」


 うっとりとそう呟いたヒカリに、キュアは額をテーブルに叩き付けて謝罪する。


 しかしヒカリからしてみれば、キュアが謝罪する意味が全く分からない。

 この人、急に頭を叩き付けてどうしたんだろう?


「え、えーと……白雪姫派でごめん、と言う意味ですか? それとも女王陛下の魅力が全く分からなくてごめん、と言う意味ですか? 後者でしたら許しませんけど」

「どっちも違うけど……。でも今はとにかく謝らせて。本当に色々すみませんでした!」

「???」


 これから起こるだろう未来の話。

 そして本来とは全く違う性格にしてしまった事。

 しかしそのどちらも彼女に言うわけにはいかなくて。


 推し達の子供を抱くと言う夢も大事だけれど、それ以上にその時が来た時のヒカリのメンタルケアも完璧に行おうと、キュアは固く心に誓った。

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