領主

 セルムでの生活が始まって数日。


「家の中で料理ができるのは良いけれど、前より食事を運ぶのが面倒ね」


 母さんが一括払いで購入した貴族街を隔てる内壁に隣接するこの家。

 貴族の屋敷と何ら変わらない様式で敷地が広く庭も大きい。

 ファルタに居た頃は家の外に出て煮炊きをしていたのが家の中の台所キッチンで調理するするようになり、出来た料理は台所に隣接する食堂ダイニングに運ぶ。

 今までなら火を焚べた竈と鍋を囲って食事をしたりしていたのが、食堂のテーブルに料理を並べて食卓を囲って食事を取るという平民らしからぬ生活様式に変化した。

 ファルタでの生活習慣から一新されたセルムの新しい家での生活。

 父さんと母さんはガラリと変わった環境に戸惑いながらも何もかもが目新しいこの生活を楽しんでいる。

 藁の布団が綿を使ったベッドになって二人とも朝にはとても艷やかなのだ。

 きっとそう遠くない将来に俺とリルムに弟か妹ができることだろう。


 それから数日経ったある日。


「ガレス・イル・セア閣下のお帰りであられる! 道を開けよ!」


 領主が帰ってくるだけでそんな声を張り上げる?

 そう思っていたら母さんが、


「おかしいわね。ただ帰るだけならこんなことしないのに」


 そう言う。


「クウガ、見に行きましょう」


 母さんはリルムを抱いて、俺の手を取り、家を出た。

 近くの大通りを領軍がぞろぞろと領城へ向かって連なっている。


「あ、ゴンド……」


 母さんは先頭の馬に騎乗する華美な鎧を纏った男を見て声にした。

 どうも、知り合いらしい雰囲気を漂わせている。

 ゴンドという男の後ろには荷馬車。その荷馬車には棺桶が乗せられていた。

 先頭のゴンドが俺と母さんの前を通過しようとした時、ゴンドは右手を上げて静止。そして馬から降りた。


「あれ、ラナじゃないか! どうしてここに?」

「お久し振りでございます。ゴンド様」


 母さんは跪いて頭を垂れる。

 すると、ゴンドは慌てた様子で


「やめてくれ。以前のように接してくれよ」

「ここは公の場ですから、この場ではどうかご容赦を」

「ん……。確かにそうだ。わかった。それよりどうしてここに?」

「つい先日、こちらに引っ越してまいりました」

「そうか。私も込み入っている。あとで挨拶に参ろう。住まいはどちらに?」


 ゴンドは頭を下げる母さんと会話を交わし、母さんは家の場所を教えた。


「そうか。では、しばらくこちらに腰を据えるのだな。その子らはラナの子か?」

「はい。クウガとリルムにございます」

「ふむ。私はこのセア領の嫡男。ゴンドと言う。よろしくな」


 ゴンドは母さんを挟んでキョトンとしてる俺とリルムの頭に手を置いてポンポンとすると、


「では、そのうちに会いに行こう。ラナの旦那を見てみたいしな」


 と、そう言って、ゴンドは馬に戻り領城に向かった。


「気になったこと、全然聞けなかった……」


 ゴンドが行った後、母さんは独り言ちた。

 ゴンドの後ろの棺桶にはガレスの亡骸が眠っている。

 それが領民に知らされたのはその直後だった。


 それから数日後の夕方。

 門のノッカーを叩く音が響く。

 父さんが既に家に帰って来ているから、父さんが玄関を出た。


「ラナを訪ねてきた領主様がいらっしゃるんだが……」


 父さんは食堂に青ざめた顔で走って戻ってきて大きな声で母さんに伝えた。


「あー、居間に通しておいて、応接間じゃなくて居間で良いからね」


 母さんの指示で父さんは新しく領主になったゴンドを居間に迎え入れる。

 居間に入ってきたのはゴンドと赤ちゃんを抱えた女性。それと俺と同じくらいの年齢の女の子。

 母さんはゴンドだけが来るのかと思っていたらしくて彼の連れを見て床に膝をつい頭を下げる。

 すると、母さんに倣って父さんも片膝をついて頭を下げた。


「これは申し訳ございませんでした。無礼をお許しください」


 母さんが謝罪を述べる。


「いや、いつものとおりに振る舞ってくれ。でないとレイナに殴られてしまうから──」

「わかりました」


 そう言って母さんが立ち上がり、父さんも母さんと同じく頭を上げた。


「敬語も良い。以前のように話してもらったほうが私も気が楽だから」

「……そう。じゃあ、そうするわ」

「ありがとう」

「ところで、こちらは……?」


 母さんはゴンドの後ろに控える赤ちゃんを抱いた女性を見る。


「ゴンドの妻でセイラ・イル・セアと申します。どうぞお見知りおきを」


 セイラはカーテシーを披露しようとしたが赤ちゃんを抱っこしてるので頭を下げて目を伏せてその代わりとした。


「私はラナ。ゴンドとは私が八歳くらいからの知り合いでとっても世話を焼かせてもらってたの」

「あら、そうなの? ゴンドがどんな子どもだったのか聞いてみたい気がするわね」

「いくらでもお話できますよ? ゴンドの武勇伝はネタが尽きないですから」


 母さんはケラケラと笑う。


「おいおい、恥ずかしい話は控えてくれよ。こう見えても家では威厳のある父親なんだから」


 ゴンドが居た堪れない表情をしていた。


「まあ、それはさておいて、立派なものではありませんが、こちらのソファーにお座りください。大変でしょう?」

「そうね。それではお言葉に甘えさせていただきますわ」


 母さんは赤ちゃんを抱えるセイラにソファーを薦めた。

 このソファーはつい先日届いたばかりでそれなりに値が張るものっぽい。


「そちらの──」


 母さんはもうひとり。

 俺より少しだけ背が高い女の子に目を向けた。


「この子はニコア。私の娘だ。年の暮れに四歳になったばかりだよ」

「あら、ウチのクウガと同じ年なんだ」

「そうか。そしたら学校で一緒になるのかもしれないな」


 ゴンドはそう言ってニコアという少女の背中を押して「名乗ろう」と声をかけた。


「私は、ニコア・イル・セア。よろしくおねがいします」


 女の子はカーテシーを披露する。

 綺麗な服を着ていて様になっていた。


「僕はロインとラナの息子でクウガと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」


 俺は片膝をついて頭を下げて名を名乗った。


「クウガくんもラナと同じで頭を下げなくて良いよ」


 ゴンドはそう言って俺の肩に手を置く。

 今度は俺の隣にリルムが来て「リルはリルムでっす」とニコアのカーテシーをコミカルな動作で真似て見せた。


「リルムちゃんは何歳?」


 ニコアがリルムに訊くと、リルムは右手の人差し指と中指を立てて見せて「にちゃい」と答える。


「まあ、可愛い!」


 ニコアは俺よりもリルムに興味が沸いたらしい。

 リルムを見る目がキラキラしていた。


「リルムちゃんと遊んで良い?」


 ニコアがゴンドに訊くとゴンドは「泣かさないようにね」と許可。

 するとニコアがリルムの手を取って居間の端っこに移動。

 俺は大人たちの輪の中に取り残されてしまった。


 それから少しして、ゴンドは話を切り出す。


「先に伝えておかなければならないことがあってね──」


 数日前に亡骸となって帰還したガレス・イル・セア。

 彼は港町ファルタで何者かよって殺害された。

 死因は左からから心臓までを切られたことによるもの。

 その直後に容疑者として名前があがったのが俺の父さん、ロイン。

 その調査をゴンドを始めとした多くの貴族たちが行ったが、ロインはセルムの冒険者組合に登録して依頼を受けて完了報告までされているから、どう考えたって殺害は不可能という結論になった。

 その調査結果を知った異世界人たちがお怒りなのだそうだ。


──ロインを連れてこい! 俺が断罪してやる!


 などと、叫ぶ異世界人が何人かいたが、父さんが無関係であることが既に証明されているため、父さんに罪を問うことができず、現状はそのままなし崩し的に調査が停滞している状態らしい。


「どうも、異世界人はラナを連れてこいと父さんに命令したようで──」

「それでガレス様が私を訪ねてきたのね」

「そういうことだよ」

「あの気色悪い勇者どもか……。ゴンドはそれで大丈夫なの? どう考えたって勇者がガレス様を手に掛けたようなものじゃない。ロインの武器は短刀。肩から切るなんてことはできないんだよ」

「それは私も分かってる。だから必ずお父様の敵は取りたい。そう思っていたんだよ」

「でも、勇者がやったという証拠はないんだろ?」

「そのとおりさ。だからいつか突き止めたいと考えてる。そのために暗部を組織して調査をしようとしてたんだ」

「そういうことか……。でも、ロインはダメだよ。私が許さないから」

「ハッハッハ。それは断られると思ってたよ。けど、ロイン殿は相当な手練だと聞いてる。ファルタでは銅級に収まっているのがおかしいレベルだともね」


 父さんの評価は意外と高いらしい。

 そんな評価に父さんが「それは買い被りが過ぎてます」と口を挟んだ。

 大人の話はどんどん続いて、俺は居た堪れなくなってきた。

 喉、乾いたな……。

 母さんが用意したお茶もほとんどないし。

 ということで俺はトイレに行くついでに水を飲みに行くことにした。


「母さん。僕、トイレに行ってくる」

「ん、暗いから気をつけてね」

「はーい」


 廊下に出ると確かに暗い。

 セルムに引っ越して大きな家に住み始めたのは良いけれど、家の中は前よりも暗かった。

 ちょっとくらい明るくなっても良いのに。

 魔法があるなら、明るくなーれで光が出るとかさ。

 そう思ってピッと指を立ててここに明かりが灯らないかな──なんて思ってたら本当に指先から光の玉がポワッとわいた。


──マジかよ。


 俺はトイレに行くのを忘れて指から光だけじゃなく水とか火とか出るんじゃないかと試してみたら──。

 火も水も出てきた。

 おお、俺、母さんがやってることを自分でできてる!

 何だかちょっと嬉しくなってトイレに行って用を済ませたら、冷たい水ではなく温かいお茶が欲しくて台所に行った。

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