20 中学一年生 夏休み-2

 少しの時間が経過していた。

「メグ、まだ起きてる?」

 私は小さな声で、そう尋ねた。

「うん」

「ちょっと、聞いてもいいかな」

「ん? うん。なに?」

 メグは、優しい静かな声色で返事をしてくれた。


 寝る前に、夏休み前の出来事を、もう少し詳しくメグに話してみることにした。私の行動は間違っていたのか、客観的な視点からの意見が聞きたかった。


 私が話し終えると、メグはフーッと息を吐き出してから、静かに話し始めた。

「私はその場にいたわけじゃないから正確なことは言えないけど、仮に潤瞳ひとみの行動が間違っていたとしても、間違っていなかったとしても、今更それを取り消すことはできないし、そういった行動をしてしまうという一面を持った自分を、受け入れるしかない、そう思う」


 私に言い聞かせるというより、独り言のような語り口だった。

「受け入れる?」

「だって、もしその時、自分が行動する前に、これは悪いことだってわかってたら、潤瞳ひとみはその行動を止めるでしょ?」

「うん」


 布団へ横になったメグが、どんな表情でその言葉を発していたのか、もちろんわからなかったけれど、少しだけ苦虫にがむしつぶしたような、そんな表情をしていたのではないかと、そう思わせるような言いかただった。


「後から考えたら、間違った行動をしてしまったかもしれないって思った。でもその時はそう思わなかった。それが正しいと思って行動した。それが私。それが潤瞳ひとみ


 何か、昔の出来事を思い返しているようだった。


  ***


「おーいガイジン」

「ナンでガイジンがニホンのガッコウにイルのデスか?」


 男子生徒がいつものように私にからんできた。小学四年生の同級生だ。


 最初は言い返していたけれど、しつこく続けてくるので、途中から相手にしないようにしていた。そうすれば、次第に飽きて相手にするのを止めると思っていたからだ。私の予想に反して、それは止むどころか、次第にエスカレートしているようだった。


 原因は、私の生まれ持った外見によるものだ。私は生まれつき髪の色がブロンド気味で、若干カールしている。私の先祖せんぞに本当に外国人の血が入っている人がいるのかもしれないけれど、それはわからなかった。

 周りを見渡しても、皆黒髪で、私だけが違っている。


 自分ではどうしようもないことで、何でこんな目に合わなければならないのだろう。反論しても、無視しても、どっちに行っても良くならない。


 私は出来るだけ目立たないように、大人しく、静かに過ごすように注意していた。


 書初かきぞめの授業の時だった。


「ニホンジンにナリタイデスか?」


 先生が職員室へ教材を取りに行った隙に、それは起こった。ふざけた男子生徒が、墨汁と筆を持って、私のところに近づいてきたのだ。もう相手にしないと決めていたから、無視するしかなかった。


「ゴメンナサい、ニホンゴ、ワカリマセンね。ワタシがキンパツナオシテアゲマーす」


 男子生徒は、墨汁を含ませた筆を、私の髪の毛に近づけてきた。


 男子生徒がどれくらい本気だったかわからない。悪気があったのか、ほんの小さなイタズラ心なのか。

 また、それらとも違う、これくらいの年頃の男子生徒特有の、歪んだ感情表現だったのかもしれない。


 ただ、イタズラというには行き過ぎた行動だったと思う。


 男子生徒は更に筆を近づけて、本当に髪の毛に届きそうだった。私は思わず目をつむって身構えた。


 その時、近くにいた幼馴染みのメグが、バッと私と男子生徒の間に割って入って、筆を振り払った。弾き飛ばされた筆は、墨汁をまき散らしながら教室の隅へと転がっていった。メグも男子生徒も私も、顔や腕、制服に無数の黒い斑点を浴びていた。


「アンタ、いい加減にしなよ!」

 メグの叫び声が教室中に響き渡る。

「やっていい冗談と悪い冗談があんのよ、そんなこともわかんないの!」

 教室中がシーンと静まり返った。

潤瞳ひとみもなんで黙ってるの! 黙ってるから調子に乗るんじゃん!」

 静寂は、なおも続く。


 ガラっと扉が開く音がして、担任の先生が戻ってきた。

「なんだ、やけに静かだなぁ」

「あ、先生、私、手が滑っちゃって筆落としちゃった」

 メグは打って変わって、おどけるようにそう言った。

「なんだめぐみ、そそっかしいなぁ。顔にも付いとるぞ。女子は保健室借りて落としてこい。男子は廊下だなぁ。床掃除、みんな手伝ってくれぇ」


 私はメグの少し後ろに連れだって、保健室へ向かった。両手をギュッと握り、足早に前を歩くメグから、鼻をすするような音が聞こえてきた。


  ***


 チッ、チッ、と秒針の動く音だけが、聞こえている。


 メグは暫くの間黙っていたが、ゆっくりと、やはり辛そうに話を再開した。

「だからあの時、潤瞳ひとみに対して『なんで言い返さないの』って言ってしまった私は、最低な人間だと思ったよ」

 メグから予想外の話が飛び出して、私は驚いた。

「あの時って、小学校の習字の時間?」

「やっぱり、覚えてるよね」

「覚えてるに決まってるよ。忘れるわけない!」

 私はガバっと布団から体を起こし、メグの方を見た。

「私は、ずっとあの時のことを潤瞳ひとみに謝ろうって思ってたけど、できなかった」


 なにそれ、こんどこそ本当に意味わかんない。なんでそうなるの?


「ちがう、ちがうよメグ!」

「今頃になって、ズルいよね、私。一番つらかったのは、潤瞳ひとみなのに……」

 メグは、片方の手を額に置いている。少しだけ、声が震えていた。

「ちがうよ、全然ちがう。そうじゃない。何でメグが謝るの? 悪いのは私なのに。私が勝手にあきらめて、自分の問題から目をらしていたからああなったんだよ。そんな情けない私をメグは守ってくれた。どうしてメグが悪いの? 悪いわけない!」


 私の瞳から、いつの間にか涙が溢れ出していた。

「それでも、ごめんね」

 メグは、絞り出すような声で私に謝罪した。

「私こそ、ごめん」


 あの時の出来事を、メグがそんな風にとらえていたことは予想外だった。


 私にとってメグは、ヒーローだった。思い返せば、出会った頃から私のことを気にかけて、色々と世話を焼いてくれていた。同い年なのに、メグはとても大人だった。まさか、私に対して後ろめたい気持ちを持っているなんて、全く考えていなかった。


 翌朝、メグは昔と変わらない、今までどおりのメグだった。


 私はこの町を案内してまわった。一通り案内を終えると、また次の長期休みに会う約束をして、帰り際を見送った。

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