ハッピーエンドラブコメ短編集、現代ファンタジーで一丁!

神在月

TS狐と雨のそら



 ――――その日、になった。

 


   ●



 唐突だが、ある日を境に自分の姿が、性別が切り替わって行った経験があるだろうか?


 オレはある。――と言うか、オレ達の世代にはある種の常識で、多くの人は第二次性徴が終わるまでの間に、姿が純粋なヒトから異なる何かが混ざった別の姿に変異してしまう。


 なんでも二十年前、世界に突然いくつも生えた成層圏まで届く馬鹿でかい植物が原因で起きた、エーテル大乱散とか言う名前の異常現象で、多くの人達が変わってしまったらしい。

 その時は年齢とか関係なく変異したって話だが、エーテルと言う当時未知の力が原因で人の遺伝子はそのままに、その人が持っていた『特性』によって姿が変化するとかなんとか、そんな事を歴史の授業で習った記憶がある。


 具体的に言うと、動物とかの擬人化が近いか。


 犬耳や尻尾が生えたりなんてのは可愛い方で、全身丸ごとデカイ人型昆虫になったりだとか、中には竜や触手に変わった強者だとか、まー当時の世界は前述のクソデカ植物も含めて大混乱だったって話だが、生まれた時からそれが当たり前の連中からすると『そーいうもんかー』って感覚だ。


 で、オレもそんな世代の一人な訳で、十七歳の五月、さてさていい加減本格的に進路を決めねぇとやべぇぞってなった頃、それが来た。


 ――朝起きたら無かった。


 あ? 何がって? チンコだよチンコ!! ――って馬鹿野郎、乙女にチンコとか言わせんじゃねぇよ! いや元は男だけど今は女だからな? そんな軽々しくチンコチンコ言ってたらはしたねぇだろ?


 ――――うん、今だけで成人女性の数年分のチンコを叫んだ気がするな。


 まあいいや、いや良くないが、朝起きたらチンコ無くてビビったオレはダッシュで階段駆け下りて、居間で朝飯食ってる両親を見るや、いきなりズボンとパンツを膝まで下げて、



「二人共大変だ、チンコがねぇ!!」



 母が牛乳吹き出して父が牛乳まみれになった――だけにな。


 

 ●



 ともあれ流石にその日は学校も仕事も休んで家族会議だ、両親が学校や会社に電話して、『年頃の子供が変異来まして』って言えば二日三日は特別休暇が出る訳で、ありがとう法改正頑張ってくれた偉い人達。


 さてじゃあ状況確認と言う訳だが、まあその時は本当、見た目はそのままでチンコだけ無くなった!! って感じでな、しかもチンコ無いからって女になったかって言うとそうでも無くて、本当に『無くなった!』って感じでさ、つるーん!


 あんまりにも綺麗に何もないもんだから、父が『それ、トイレとかどうなるんだろうな……』とか言う訳で、試しに寝起きだしそのままトイレ行ったら、穴も何もない皮膚から真っ直ぐ小便だけ出て来て爆笑したけどよく考えたら軽くホラーだよなアレ、どうなってんだ?


 でまあ、多分これは段階型だろうな、って話になった。


 変異には二種類あってさ、ある日起きたらそっくり姿形が変わっちまってるタイプと、数日から数週間掛けてゆっくり姿が変わってくタイプで、オレは後者って訳。

 前者は速攻で切り替わるから心構えもクソも無い反面ある種の諦めも付きやすいが、後者だと色々大変だ。


 まず、ゆっくり変わって行くもんだから見た目が安定しない上に、ある程度変異が進行するまで自分が何に変異したのかが分からない。心構えの猶予があると言えば聞こえはいいが、自分の身体が変わって行く不安感と恐怖の方が多いだろうし、なる側からしたら速攻型の方がありがたい。


 数少ない利点としては、休みが増えることか。変異がある程度進行して、服装や装備なんかが用意できるまでは、特別休暇が延長されるのだ。


 両親と一緒に役所の変異課で書類を貰って、そのまま別室で検査と軽い問診をして書類に書き込んだら申請は終了。


 検査を担当してくれた銀髪眼鏡の女性曰く、



『この感じだと明日で七割、明後日くらいには変異は全部終わると思うけど、色々大変だと思うから一週間で書類の評価入れとくわね』



 とのことで、やったぜ休みが増えた! って内心喜んだ訳だ。


 それでまあ、親が気を利かせて何か買ってくれるというので、先日発売したカードの新弾一箱買って貰って帰途に着けば、丁度下校時刻でさ、昔からよく遊んでる同じクラスの親友と出くわした。


 そしたら開口一番、



「あれ、お前今日休んでたけど、どうしたんだ?」



 おいおい担任から何も聞いて無いのかよって思ったが、まあコイツの事だ、大方ボーっとしてて説明聞き逃したんだろう。



「変異だよ変異、段階型っぽいから一週間くらいは今日から休み、羨ましいか」


「マジか! 俺まだ変異来ないからな……どんな感じ?」



 そこそこ人通りのある往来で『チンコ消えた』と言う勇気は流石に無かった。



「段階型で始まったばっかだからオレもまだわかんねぇよ、つーかお前、部活は?」



 そうだ、コイツはバスケ部で、普段だったらまだ部活の最中だった筈。それが今の時間で此処に居るのは何故かと聞いてみた所、



「ん? ああ、今朝寝坊して学校一限目に走り込んだんだけど、お前居ないじゃん? 風邪かなと思って部活サボって様子見に行こうかと思ってな、そしたら此処でバッタリって訳だ」



 馬鹿かコイツ、いや馬鹿だコイツ。まあいい、心配されてたのは悪い気はしないしな。


そこから少し雑談して帰途に着く。変異の影響なのか、何か妙に空気の匂いが鮮明に感じるなと思いながら、家に帰って飯食って、その日は早めに寝た訳なんだが、



 ――――次の日起きたら、胸と狐耳があった。


 あー、そうだよな、変異でチンコ消えてんだから、方向性としては女体化系だよなって、頭では分かっては居たんだけど、いざ自分の胸部に弾力装甲が装備されてると来る物がある。


 あとなに? 狐? ――うん、このモフモフ具合は犬では無く狐。しっかしTS+ケモノ化とはまた鉄板を行くな……と思いながら淡く姿を映す窓を見ると、そこには美少女が居た。


 いや、自分だし、僅かに面影みたいなのもあるにはあるんだけど、もう顔も髪色も完全に別人だ。


 うわー!? と、困惑しながらも居間に降りていったら、両親二人はちょっと驚いた様に目を開きながらも、迷うことなくいつも通りの笑顔を向けてくれて、



「おはよう、よく眠れたか?」


「まったく、本当に女の子になっちゃって……後一年なのに制服買い替えないといけないの、結構デカイのよ出費?」


 ……へいへい、変わり切った息子(娘)への第一声がそれかい二人共?



 と、そう言ったつもりだったんだけどな。



 「――――」



 泣いていた。


 悲しかったわけじゃない、ただ、自分でも驚くくらい姿も、声も変わってるのに、一瞬たりともオレが子供かどうかも疑わないで、いつも通りの声で、言葉で話しかけてくれたことが嬉しかった。


 二人共何も言わないで頭を撫でてくれて、普段なら止めろよって振り払うけれど、その日はそのまま撫でられて、まあなんだ、たまにはいいかなって、そういう事だ。


 そうして一息ついて、朝食を食べて休んでいると、玄関のインターホンが鳴り響いた。


 ちょっとさっきの涙が照れ臭かった事もあって、つい、『オレが出るよ』って言って走って行ってしまったんだが、よく考えたらオレいま狐娘になってんだよな。

 まあいい、寝間着のジャージの袖で涙の痕をぬぐうのはちょっと目が痛いんだが、小走りで玄関に駆けて扉を開ける。



 親友の馬鹿が居た。



 何やってんだ? って言いかけて、再度気付く。


 ……オレ完全に見た目変わってたわ!!


 やべぇ、コイツからしたら友人の家尋ねたら見知らぬ狐娘が寝間着でお出迎えだ、どういう状況だよ我ながら。


 けれど、



「うお、お前性別から変わったのかよ!?」



 こいつも、一目でオレだと気が付いて居た。



「……分かるのか?」



 自分でも良く分からないくらい、恐る恐る口から出た問いかけに、目の前の馬鹿は笑みを浮かべてこっちの肩を叩く。



「当たり前だろバーカ、見た目と声と性別変わったくらいで分からなくなるわけあるかよ!」



 いや、それむしろ分かったらすげー奴だと思うんだが。


 けれど、そう言って肩に触れた、いつもと変わらない筈の手の感触が、変わってしまった自分の身体には力強く感じられて、少し堪える様に身に力を入れる。


 と、馬鹿は此方の肩に触れていた手を離すと、頭の後ろで腕を組み、



「つーか、この時間にお前の家尋ねて知らないやつ出て来たら、昨日の話し的に十中八九お前だろ?」



 言われてみればその通り過ぎたのだが、何かイラっとしたのでその場で馬鹿を蹴り飛ばして玄関の扉を閉めた。


 ……つーかこの時間に此処に居たらこの馬鹿今日も遅刻すると思うんだが……。




    ●



 ともあれ、一週間の休みを終えて学校に行けば、流石に周囲から一目置かれる状況だ。


 変異はこの位の年の子供にはよくある事とは言え、性別から変わるのは稀だ、男子も女子も、何処か接し方を測りかねている様に距離がある。

 まあそれは構わないし、オレ自身、自分の立ち位置を決めかねている面はあったから、逆にほっとした部分もあった。――が、



「うぃーっす、しっかしお前マジで女子制服で、しかもインナースーツ型なのな、何か笑えて来るわ」



 この馬鹿は変わらないな、本当。

 

 けれど、そんな変わらない馬鹿の距離感に救われる部分はある訳で、自分は尻から生えた尻尾を軽く揺らしながら半目を向ける。



「当たり前だろ、正直滅茶苦茶スースーするし違和感すげぇけど、なまじっか後から女になったせいで服や装備で補正しねぇと不便なんだよ……」



 ブラを付けないで走ると揺れて痛いってのはマジなんだなとか、そんな事を実感する一週間だったわけだが、正直服装に関して女性用を選んだ理由はそれだけでは無い。


 ……女子用の方が、肌を露出できんだよな


 痴女か、と自分にツッコミ入れるしかないのだが、どうも狐化した影響か、服を着ている事に若干の違和感が生まれているのが現実である。


 思い返してみると、獣系の変異をした連中は肌を露出した服装を好んでいた気がするので、これは恐らく野生由来と言う事か。

 同様に獣の特性で体温が上がって居るのも原因の一つではあるだろうが、長ズボンの男子用制服よりも、スカート式の女子用制服の方が楽なのだ。

 

 さらに言うと、今自分が着ているのはそのどちらでも無い、インナースーツ型と言われる制服だ。


 元々はエーテル適応技術の過程で開発されたインナースーツだが、スライムや食品系変異者など、通常の制服の着用が困難な者向けに制服として認可されており、此方も男子用と女子用に別れているが、レオタードに近い本体をベースに、タイツやスカートなどがパーツ分けされているので、好みである程度肌を露出できて楽。


 中学生くらいだと着ているのは特殊型が主だが、高校に入るとエーテル適応も兼ねて此方が一般的になる分野もある関係で、そこまで目立つ事も無いわけで、まあ、そう言う選択も有りだろう。


 結果、男子連中がこっちの谷間とかを凝視してくるわけなんだが、見るのは構わねぇけどオレは一週間前まで男だぞ? いいのかそれで? ――いいのかー。


 

  ●



 七月。


 変異してから二ヶ月もすれば女子としての生活にも慣れて来る。ただ、検査の結果、体は完全に女性になって居るのだが、何故か未だに生理だけは来ていない。

 

 性別まで変わる変異は稀な事も有り情報もまばらだが、認定の時にも担当してくれた眼鏡の女性曰く、『性別まで変わった場合、体そのものは変異しても、その機能に関しては、精神面に引きずられる事が多いのよ』とのことで、つまりオレの精神はまだ男寄りって事だろう。


 ともあれ時間と共に周りからの距離感も自然に固まる訳で、自分はどちらかと言うと女子寄りの、けれど男子とも交流がある様な中途半端な立ち位置に収まっていた。


 もともと帰宅部でインドア趣味な事も有り、友人付き合いも積極的な方では無かったからあまり問題は無いのだが、やはり、何処かで『どちらの輪にも加われない』と言った感覚は消えないでいる。

 

 それでも、オレの性別が変わっても、何も気にしないで話しかけてくれる馬鹿がいるのなら、それで十分だと、そうも思うのだ。


 と、自分は背後から近づいて来る、良く知った足音と匂いに意識を傾けて、



「おーい、一緒に帰ろうぜ!」



 相も変わらない此方を呼ぶ声に振り向けば、そこにはいつも通りの笑みを浮かべる親友の姿があった。

 ろくに中身の入っていない潰れた鞄を肩掛けして歩いて来る姿に、自分は苦笑。

 


「お前、六月で部活引退したからってオレの家に入りびたり過ぎじゃねぇか? 他にやることねぇの?」


 

 呆れ半分の言葉に、対する馬鹿も此方と同じ苦笑を浮かべ、



「あー、まあなんだ、今まで放課後は基本部活だったから、時間の使い方が分かってねぇんだよなぁ」

 


 それに、と、親友は言葉を続け、



「家で一人でマンガ読んでるよりも、お前と一緒に居た方が楽しいからな」


「……お前、幾らオレとは言え年頃の女子の部屋に毎日入り浸ってるのはどうなんだよ?」



 これは若干思わないでもない。今のオレは自分で言うのもなんだがかなりの美少女狐だと思うんだが、対する親友はあからさまに顔をからかう様な表情に変え、



「はー? 俺が部屋に居ても気にせず脚広げて寛いでる奴が何言ってんですかねー? インナー越しとは言え股間丸見えだぞ?」


「はぁ? 何だよお前、オレの股間に興味あんの? スケベだな? お?」



 へえ、コイツにもそう言う一面あったんだな、と、ついそんな思考が浮かんで告げた先、馬鹿は肩を竦めて口を横に開いた苦笑を浮かべる。



「ある訳ねぇだろ馬鹿野郎、なんで十年来のダチに興奮しなきゃいけねえんだよ?」


 …………。


「……まあ、それもそうだわな」



 何故だろうか、至極当たり前の反応の筈なのに、何処か納得いかない感情が浮かんだのは。


 その後、いつも通りに自分の部屋に二人で入り、軽く意味の無い話を交わしながら漫画を読んだりアニメを見たりしている中で、ふと先程の馬鹿の言葉を思い出す。


 いや、馬鹿の反応は当然の物だろう。自分は元々男であり、女になったとは言え此方からの接し方も変わっていないし、意識される要素も無い。


 なのに、なぜ、自分は馬鹿の反応に納得がいっていないのだろうか?


 わかりそうでわからないその感情に内心で首を傾げながら、けれど今日はインナースーツのパンツ部分が見えない様に足を閉じて座っている自分に、もう一度内心で首を傾げてみれば、気付けばもう日が沈んで来る時間だ。



「さて、そろそろ帰るわ、また明日な?」


「おう、またな」



 帰り支度をする馬鹿に、ペットボトルのお茶を片手に手を振って居ると、不意にスマホの通知音が響いた。


 見れば、比較的中の良い女子からのメッセージだ。ロック画面では送信者の名前以外は表示されない設定にしているので、手にしたお茶を口に含みながらロックを解除して内容を確認する、と、



・友人A:『ねぇねぇ、今日も彼と一緒にお家デートなのかしら?』

 

 

 思わず緑茶を盛大に吹きだした。



「おわ!? 大丈夫かお前!?」


 

 慌てて此方に来ようとする馬鹿に、手を立てて問題無いとジェスチャーをする。



「げほっげほっ! ――大丈夫だ、ちょっと変な方にお茶入っただけだから!!」


「そ、そうか……無理すんなよ?」



 誰の所為だ、と思ったが言わなかった、オレの所為だしな。


 ともあれ一度呼吸を整え、自分はスマホの画面を操作する。



・狐 娘:『はあ!? 何言ってんだ!?』


・友人A:『え? だってバスケ部の彼と毎日一緒に帰ってるし家でも遊んでるの有名よ? 付き合ってないの?』


・狐 娘:『付き合ってねぇよ!! あいつは男だった頃からの親友だろうが!!』


・友人A;『そう? でも彼、他の女の子に告白された時、『好きな人が居るから』って断ったらしいわよ? 貴女じゃ無いの?』



「はあ!?」


「ん? どうした?」



 思わず放ってしまった疑問の叫びに馬鹿が反応したが、流石にコレを説明する訳にはいかない。



「こっちの話だ! 良いから帰れ!!」



 怒鳴って馬鹿を強引に部屋から追い出し、自分は友人の女子からのメッセージに思考を走らせる。


 好きな人? この馬鹿に!?


 誰だ、いや、思い出す限り、馬鹿からそんな話は聞いた事が無い。――と言うか告られていたことすら初耳だ。



・狐 娘:『知らねぇし、聞いた事も無えよ』


・友人A:『……そう、言って置くけど、彼、気さくで運動神経良いし、面白いからモテるからね? ――気を付けなさいよ?』


・狐 娘:『何をだよ!? つーかオレは別にアイツのこと好きじゃねぇし、取られるとか関係ねぇっての!!』


・友人A :『あ、引っ掛かったわね? ――気を付けなよって言っただけで、取られるとか言ってないんだけれど?』



 ――――やらかした。



・友人A:『貴女、自分で気づいて無いかも知れないけど、彼が近くに居ると露骨に尻尾振ってるし、彼のそばに女子が居るとちょっとビビるくらい警戒オーラ出してるから、もう少し自覚した方が良いわよ?』


・狐 娘:『はあ!? まって、オレそんな風にみられてんの!?』


・友人A:『……あのね? 貴女、同性の私達から見ても美少女なのに、今まで一度も男子から告白されてないの、不思議に思った事無いの?』



 それに関しては若干気になった事がないでも無いが、やはり自分が元々男だったからだと思って居たのだが……。



・友人A:『貴女が彼に惚れてるのが誰から見ても丸わかりだから、男子も最初から諦めてるのよ? お馬鹿さん』



 そう言って会話を打ち切る様なスタンプが送られてきたので、自分はスマホを握りしめて立ち上がり、そのまま布団にダイブする。


 念の為耳に神経を傾けて気配を探り、馬鹿が家の外に出ている事を確認すると、



「あああああああああああああ――――――ッ!!?!?」



 これ、明日どんな顔であいつと会えばいいんだよわたし!!





 

 ●



 その日の夜は結局一睡もできず、夕食と朝食も喉を通らなかったためか、鈍い痛みを放つ頭と下腹の違和感に耐えながら登校すると、馬鹿は熱を出して休みだった。


 見舞いに行くかとも考えたが、前日の件に心の整理が付いて居ない。


 まあ明日は土曜日だし、あの馬鹿なら月曜には出て来るだろう、それまでに自分も心の感情に決着を着けておかねばならないなと、そう思って居ると、不意に、体に違和感を感じて視線を脚の間に向ける、と



「え?」



 血が、インナースーツのパンツ部分に滲み、布地の隙間から零れだしていた。


 何が何やら分からずに呆然としていると、昨日のメッセージを寄越した友人が、ハーピー系の猛禽の翼に変異している腕で、さり気無く此方を隠すようにしながら他の女子を呼び、それとなく壁を作りながら自分を誘導する。



「馬鹿――貴女、生理来たこと無いって言ってたじゃない」


「え?」


 

 生理? これが?


 

「……顔色とか見る限り、痛みは軽いみたいね……でも、ちょっと色々説明必要でしょうから、ついて来て」



 何が何やら分からないという表情を浮かべている自分は、周りの女子に目配せをした友人に保健室へと連れていかれ、そこで取りあえずの処置をしてもらい、大事を取って帰宅させられたのだった。




 ●




 家に帰り、重い体を動かして風呂に入った自分は、先ほど保健室で習った生理用品のナプキンを付け直し、痛み止めを飲んで布団へと潜り込む。


 次第に重いだけだった下腹部は痛みを伴い、経験した事の無いタイプの激痛に困惑しながら思い起こすのは、この身体になった後で受けた検査の時の担当者の言葉だ。



「……体の機能は、精神面に引きずられる事が多い、か……」



 だとするならば、今、このタイミングで自分に生理が訪れたのは――――


 その理由を淡く自覚すると同時、痛み止めが効いて来たのか、初めての疲労に耐えかねたのか、視界が薄らいでいき、そこで、オレの意識は途絶えていった。





 ●




 馬鹿が此方と目を合わさなくなった。


 気付かないうちに自分が何かしていて嫌われたのかとも思ったが、朝から変わらず向こうはオレの家に来るし、学校でも特に変わらず話しかけて来る。

 

 けれど、目だけは合わせず、それとなく此方から視線を合わせようとするとそっぽを向いてしまう。


 まあ、オレとしても生理の件以来、自分の感情を自覚して馬鹿の顔を真っ直ぐ見れなくなってはいるので、ある意味ではありがたいが、やはり、こうも思ってしまうのだ。



 ……オレ、どうしたら良いんだろうな



 馬鹿への感情は自覚したが、そこからどう行動に移すべきかは別問題だ。


 この感情のままに動いて馬鹿との関係を変えていくのか、それとも、この感情はそのままに、これまで通りの友人関係を続けて行くのか。


 感情だけで言えば前者なのだが、自分は元々男だ。なにより馬鹿は此方が女になっても変わらない態度を続けていることもあり、まぁ、なんだ、正直、関係を変えようと動くのは、怖い。


 拒絶されて、今のままの関係ですら居られなくなった時、オレは、その選択をしたオレを許せなくなるだろうから。





  ●




 そんな事を考える時間の増えた日々を過ごしていた、ある日の休日。オレは趣味の一つであるカードゲームの新弾を買いに出かけていた。


 服装は私服だけど、もちろん女物。インナースーツの様に体各所のポイントユニットで固定するタイプのブラウスとスカートは、友人女子のハーピーと天使の二人組にメイクの基礎教わるついでにを見繕われた一式だが、なかなかどうして気に入っている。肌も出せて楽だしな。


 そんなこんなで近所の店を見たが、どうも最近は買いに来る連中が多いうえに、一人で複数箱買って行く奴が多いため開店と同時に売り切れたらしい。――おのれ転売ヤー共め、個数制限のない個人商店にまで目をつけやがってクソが!


 仕方なく、雨の降りそうな空模様に不安を抱きながら、個数制限のあるちょっと遠くの玩具屋まで足を延ばしてみれば、何故かそこに馬鹿が居た。


 見れば、馬鹿の手には自分が買おうと思っていた新弾のラスト一箱が握られて居て、あれ、でもコイツ、カードゲームはやってなかった筈なんだが……。うん、今まで何度すすめてもやんわり断られて来たから間違いない。



「あれ、お前もそのカードゲーム始めたん? アレだけオレが言ってもやらなかったくせに」


 

 投げ掛けた問いの先、馬鹿は相変わらず視線を此方に向ける事はしないまま、



「いや、ゲームソフト買いに来たんだが、なんかふと見たらこれがラスト一箱でさ、お前『最近は売り切れで発売日に買えない時が多い』って言ってたから、まあ確保しといてやるかなって」


 

 あと、と、言葉は続き、



「部活辞めて時間できるようになったから、これを機に始めて見るのもありかなって……」


「マジで!?」


 

 え!? 本当に!? ヤベェ、正直女になったせいで男子連中との対戦機会が激減してかなり不満だったんだが、コイツが始めてくれるなら最高じゃん!!

 

 思わず食いつく様に詰め寄った自分に、馬鹿は若干戸惑いながらも此方を見て、



「あ、ああ、とは言え俺ルールも何も良く分からねぇから、これ手土産にお前に聞きに行くかなと、そんな事思ってたんだが……」


「何言ってんだよ、手土産なんか無くても歓迎歓迎!! デッキ貸すし、ルールも何も手取り足取り教えるからさ! やろうぜ!!」


 どうも会計は済ませてあるみたいなので、馬鹿の手を引いて自分は店の外へと連れて行く。


 何せもう一ヶ月は他人と対戦していないのだ、最近はスマホアプリでネットを通じて対戦することも出来るが、やはり山札からカードを引いて手にしていくあの感覚は代えがたい物がある。


 自分の押しが強すぎて若干戸惑っているのか、何時もより馬鹿の歩みが遅いのだが、空はいつ雨が降り出してもおかしくない暗さになって居たので、カードを濡らさない意味も含めて、自分はその手を強く握りしめながら強引に彼を引きずって行く。


 そのまま部屋に連れ込んで、カードケースから予備のデッキを幾つか出してレクチャー開始だ。


 取り合えずのとっかかりとして好みのデザインのカードを聞いて、それを元にデッキを選定して大まかなルールを教えながら試しに一回やってみる。


 当然初めてなので細かいプレイミスはあるのだが、それをいきなり指摘するようなことはしない。これが公式な大会だったりすれば話は別だが、友人との、しかも初めての遊びなのだ。まずは何より、カードゲームの楽しさを知って欲しい。


 細かいルールは後でじっくり教えて行けばいい、そう思って二度、三度と対戦していく中で、馬鹿の方から『ここはどうなんだ?』とか、『この場合はどう動くのが正解だ?』とか質問に答えていく中で、ふと気づいた。



 彼が、自分の顔を見ていたのだ。



    ●



 外から雨の音が聞こえだした部屋の中で、ああ、と、自分は何処かで納得してしまった。


 そうか、こうして遊ぶ事しか考えてない、ただの友人付き合いなら、コイツはオレの顔を見てくれるのか、と。



 ……だったら、それでいいや。


 

 今のままの関係で、変わらない友人付き合いで、カードゲームやって、漫画よんで、馬鹿やって駄弁って、笑い合ってコイツの顔が見れるなら、オレは、オレのままでいい。


 そう思って、いつの間にか手札に落ちていた視線を上げると、目の前に彼の顔があった。


 え? と、疑問の声を発するよりも早く、彼の口が言葉を紡ぐ。



「――――好きだ、お前の事が」



 …………は?


 

 まて、ちょっと待て馬鹿。


 何だお前、オレ、たった今このままの関係でいいやって、傷付くくらいなら変わらなくて良いって、それで納得した直後だって言うのに、何でお前、急にそんな、オレがずっと、心の何処かで言って欲しかった言葉を……


 そう内心で思考する自分の耳に、僅かに距離を離した彼の言葉がはっきり届く。



「……俺さ、人の心が見えるんだよ」


「はあ?」


 

 いきなり何言ってんだ、と言う此方の表情に、彼は一度視線をそらして頬を掻くと、



「ほら、二週間くらい前、俺熱出して学校休んだろ? ――あれ、実は変異でさ、見た目変わらなかったんだけど、サトリ系って言うのか? こう、人が内心で考えてることが、目を見ると分かるようになっちまってさ」



 困惑する此方に構わず、彼の言葉が続く。



「……正直に言うとさ、俺、割と昔からお前の事好きだったんだよ。話合うし、馬鹿やってて楽しいし、何よりお前、俺がカードゲームやるの断っても、だからってこっちを無視するとか、遊ぶの止めるとか、そう言うの無くて、『ああ、コイツとなら、ずっと一緒に居て、幸せだよな』って、そう思っててよ。――だから、お前が女だったら速攻告ってたなとか、そんな風に思ってたんだ」



 だからさ、と、彼は言う。



「お前が変異した時、役所帰りのお前と会ったろ? あの時、自分では気付いて無かったかもしれないけど、お前微妙に声高くなっててな? これ、もしかしたらそう言う事かなって、内心期待してる部分合って、だから翌日、お前んち言って確認して、もしそうなら、告ろうって、そう思ってたんだよ」


 

 待って。ちょっと待って、と、そう言いたくなる此方の思考を無視して、彼は続ける。



「いざ扉開いたら、腰抜かすほど美少女になったお前が居てさ、もう告白とか全部吹っ飛んで、いつも通りの言葉返すのが精一杯でよ。後になってやっぱり告白だな! ってなったけど、学校来たお前、変異した関係でちょっと周りから距離取られて浮いてたろ?

 そこで告白するのは、なんつうか、『誰か味方が居る安心感』を盾にしてるみたいで嫌でよ、必死に内心取り繕って、いつも通りに接して来たわけよ」



 だけど、と、彼は僅かに言い淀むと、



「サトリに変異して、心が読めるようになってな? これならお前に告白して振られない様に振舞えるんじゃないかって、そうも思ったけど、それってズルじゃん?

 だからまあ、必死に視線逸らして、お前の目を見ない様にしてたんだけどさ?」



 一息、



「今日、玩具屋でお前の目を見ちまって、ヤベェ! ってなったんだけど、お前、カードゲームをこっちに布教する事しか考えて無くてよ……」


「あー……すまん、最近リアルで対戦できる奴いなかったのと、ずっと断ってたお前が始めてくれるって事で、滅茶苦茶テンション上がっちまってさ」


「だろうなぁ……、いきなり手を握られてこっちは心臓バクバクでよ、お前の狐耳に聞こえないかヒヤヒヤしてたってのに、お前、ずっと『対戦相手が出来て超嬉しい! 早く帰って対戦だ!!』としか思って無くてよー」


 

 あー……確かに、思い出してみれば手を握るとかオレ的にもかなり勇気がいる行動なんだが、一緒にカード出来る嬉しさが優先されて何も気にしてなかったな。


 そんな此方の心を読んだのか、目を見つめている彼は苦笑して、



「それでまあ、カードやってる時のお前は、本当心で思ってる事と口に出てる言葉がそのまんまでよ、お陰で凄い久ぶりにお前の顔を真っ直ぐ見れて、『ああ、告白できなくても、コイツの顔見れるなら、いいかもな』とか思ってたら、お前、俺と全く同じ事考えだしてよ」



 一息を入れて、今度は先程までと違い、彼が自分の手を握る。



「ふざけんなよって、――俺は、お前が男だった頃から、変わらずお前の事が好きなんだからって、そう思ったら、告ってた」


「……男の頃からって部分に、地味に恐怖を感じるんだが?」


「ウルセェ、行動に移して無かったんだからノーカンだノーカン」


 

 それとこれとは話が違う気もするが、彼は此方の目を見つめながら僅かに首を傾けて、



「――返事は?」


「心読めよ」


「言葉で聞きたい」



 態度で返す事にした。



「――――んッ」



 彼の唇に、オレの唇を重ねて言葉を閉じ込めながら、そのまま背後へと押し倒す様に体重を掛け、倒れた彼の身体に覆いかぶさる様に両手を付く。


 今はまだカードゲームの対戦中なのだ、だから、自分は彼の胸へと自分の胸を重ねる様に体を預け、



「オレのターン、わたしを特殊召喚」



 もう一度、唇を重ねて、離し、



「攻撃。――もちろん、人生ライフで受けてくれるよな?」



 窓の外、変わらず雨の音が鳴るなかで、暖かな日の光が優しく、降り注いでいた。

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