第二話 第一咎人発見

 天には黒い太陽。遠景には山のように大きな黒い炎。足元には灰色の荒野。

 ここは地獄。

 罪深き咎人のみが落とされる、無間ではない、『無限地獄』だ。

 

「く、このままじゃあ餓死しちまいそうだ。地獄に落ちても腹が減るなんてな……」


 そんな地獄に落とされた無実の少年、アラタは見渡す限りの荒野をひたすら歩いていた。

 かれこれ二日は歩きどおしだ。

 この地獄においては飢えも渇きも怪我も病も老いも、全てが現世のままだ。唯一違うのは、死んだ瞬間に肉体が再生してしまうことだけ。

 そしてその再生には気が狂いそうなほどの痛みを伴う。


「あのクソ閻魔、無実の俺をこんなところに落としやがって……」


 少年を支えているのは、ただひたすらに怒りだった。

 なぜ自分が殺人鬼扱いされて、地獄に落ちねばならないのか。実際にやったことはむしろその逆。殺人鬼から人を助けようとしたのだ。

 その理不尽への怒りは、彼の肉体と精神に揺るぎない芯を与えていた。


「はぁ、はぁ」


 そうはいっても、やはり食べるものと飲むものが無くては人は生きていけない。

 幸い道中においては亡犬のような危険な生物には出くわしていいないが、裏を返せば食料になるような生物もいないということだ。


「こっちであってんのか……」


 だだっ広い荒野を行く彼の指針は遠景に見える地平線だ。

 彼の背後の遠景には山のように大きな黒炎があり、行く先にはソレが無く紅い空だけが広がっている。

 故に彼は黒い炎から逃げるように歩いてきているのだ。

 彼には理解できていた。あの山のように大きな黒い炎は、明らかに常軌を逸した――地獄に無罪の人間が放り込まれるのと同じぐらい――モノであると。


 事実あの炎は、命を燃やす炎であった。生命力を燃料とし、燃え続ける。死と再生が同義であるこの地獄においては、終わりなく苦痛を咎人立に与える炎であった。


「あ、あれは……!」


 そんな炎から逃げるように歩き続けていると、彼の視界にとあるものが目に入った。

 砂と石しかない荒野とは違う。それは木だった。ぽつんと一本だけ木が生えている。葉も幹も墨のように黒いが今は些細な問題だ。


「木があるってことは、もしかしたら果実もあるかもしれない……!」


 彼は走った。へとへとの体で気力だけで肉体を動かしながら、それでも懸命に走った。


「あ、果実だ! 果実がある!」


 その黒い木には赤い果実が実っていた。

 彼は走る速度をより一層あげて、その木に駆け寄って。そして気づいた。

 木の根元に誰かがいるのだ。


「人、か?」


 咎人か、あるいは自分と同じ無実の人か。


「どっちでもいい! とにかく果実を分けてもらおう!」


 走り続けて、ようやく彼は木に到達した。

 木の根元に居たのは老婆だった。黒いフードを被った老婆にアラタは声をかける。


「あの、すいません! 果実を分けてもらえないでしょうか!」

「いいよぉ、一つにつき50アレテーさ」

「アレテー? お金のことですか?」

「おや坊や、アレテーのことを知らないとは、地獄に落ちてきたばかりのようだねえ。いいさ。この親切な私が教えてやろう」


 アレテーとはね徳の事なんだよ、と老婆は言った。

 この地獄においては通貨のように取引されるソレは、咎人たちが生前に積んだ善行によって最初に持っている量が決まる。

 そのアレテーで地獄の物品を取引したり、獄卒から何らかの権利を買い上げたりできるのだ。


「つまり、この地獄で増やす手段があるってことですか?」

「よく気づいたねぇ、坊や。その通りさ。この地獄に落ちるようなクズは生前に積んだ善行なんて塵芥に劣る量しかないからねぇ。むしろ地獄で増やすことこそが私たちにとっては重要なんだよ」

「その方法とは?」

「簡単さ、罰を受ければいいのさ」

「罰?」

「そう。獄卒に罰を与えてもらうことによってアレテーを稼げるのさ」

「なるほど……」

「かといってお前さんはここに来たばかり。生前積んだ善行もありはしないだろう?  だからこの私が貸してやろうと――」

「いや、あるはずです。俺は無実の罪でここに落とされましたから」

「へ?」


 そう言うと、老婆は笑い出した。


「へっへへへへへへ、こりゃあ驚いた。こんなところに落ちてまで、無実を主張する人間がいるなんてね」

「だって本当の事ですから。俺のアレテーの量ってわかりますか? 多分結構大きいはずですよ。現世では善良であろうと心がけていましたから」

「ほう、ならば見させてもらおうかね。ふむ、なるほど……。確かに。相当大きな量だねぇ。天国に行けてもおかしくない量だ。けれどカルマも大きいねぇ。よっぽど悪事を働いたと見える」

「カルマって何ですか? 俺はあのクソ閻魔に間違われて地獄に落ちたんです。そのカルマって奴が原因ですか?」

「カルマっていうのはねえ、魂の罪深ささ。これが大きいほどお前さんは罪深いってことになる」

「そんな……」


 冤罪なのに、と口の中でアラタは呟く。


「けれど朗報だよ。カルマはアレテーで浄化できるのさ。カルマが低くなれば成るほど、肉体は地獄への耐性を身に付けていく。端的に言って強くなれるのさ」

「なるほど」


 要はアレテーが経験値兼お金で、カルマがレベルといったところだろう。


「それで、どうするんだい? この果実を50アレテーで買うかい?」

「お願いします。ちなみに俺のアレテーの量ってどのくらいなんですか?」

「ああ、50アレテーちょうどだよ」

「え”」

「それじゃあアレテーはもらっておくよ」

「ぼ、ぼったくりじゃないですか! 天国に行ける量のアレテーで果実一つなんて!」

「へっへへへへへへ、文句があるのならば果実はあげないよ。ちなみに果実を盗んだりするとカルマは上がっちまうよ。無実を主張するってことは早くこの地獄から抜け出したいんだろう?」


 え、とアラタは思わず声を漏らす。


「地獄から抜け出す方法があるんですか!?」

「簡単さ。カルマを清算すればいい。そうすれば地獄にいる理由なんかも無くなるさ。この情報はおまけさね」

「つまり、アレテー経験値を稼いでカルマを浄化すればレベルを上げれば現世に帰れるってことですか!?」

「その通りさ」

「ちなみにどのくらいの量のアレテーが必要なんですか?」

「ふーむ、坊やならざっと一兆アレテーといったところかねえ」

「は?」


 桁がおかしいだろ。

 アラタは率直にそう思った。天国に行ける量のアレテーで50なのだ。一兆も稼いだら天国どころか宇宙のかなたにでも飛んで行ってしまうではないか。


「おかしいだろうって顔をしているねぇ。けれど当然のことなんだよ。この地獄に落ちるようなクズはねえ、生前に少なくとも十人は殺しているはずさ。十人もの人生を台無しにしたんだ。その罪は到底贖えるものじゃないんだよ、多少死後の世界で善行を積んだところでね」

「俺は無実だ!!」

「どうだかねえ。少なくとも閻魔様はそう思わなかったから、お前さんはこの地獄に落ちているんだろう?」

「クッソ……!!」


 怒りのままに果実を齧り取るアラタ。

 空腹をどうにかしないとさらに怒りがわいてきそうだったからだ。

 しゃくりと瑞々しい音を上げて果実が齧り取られる。

 ソレを咀嚼して嚥下する。

 異変は直後に訪れた。


「がっ……!」


 致死量の吐血が彼の喉からせり上がった。

 

「一つ言い忘れていたねぇ。アレテーの最も簡単な稼ぎ方を」


 遠のく意識の中、彼は耳にする。


「他の咎人を殺すことさ。罪深き魂を殺すことによって自らの徳が溜まる。普通の咎人はそうやってアレテーを貯めているんだよ。覚えておくといいさ」


 ここは地獄。いるのは咎人。

 公正な取引なんてものは期待してはいけない。

 

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