果ての向こうへ

涼格朱銀

1.朝早くの宿場で

 その日の朝。町に一軒しかないサルーンは、まだ2人しか客がいなかった。2階に宿を取っていた運び屋風の男が、丸パンと温野菜と薬草茶の朝食セットに取り組んでいるだけ。


 あとは、前髪がきれいに禿げ上がった太っちょのエプロン姿のマスターが、カウンターの奥で下拵えをし、5歳になるマスターの息子が、調理場で大鍋の火加減を見守っていた。



 そんな何でもないない静かな朝が、突如としてドアを蹴り開ける音で破られた。

 店にいた全員が、思わず飛び上がりそうになる。


 そして、店にいた全員が、開け放たれたドアへと目をやる。


 ――誰もいない。


 しかしほどなく、大声で怒鳴る男の声がした。


「マスター! 例の小娘の件なんだが、モノが多すぎて店の中に入れそうにねえ! どうすればいい!」


 マスターは少しほっとしたような顔をして、それから怒鳴り返した。


「ヴォルか? わかった、そこにいてくれ! 本人を呼ぶから!」


 それから、調理場の息子に目で合図した。

 息子は心得たとばかりに頷くと、壁にかけてあったベレー帽を被ってジャケットを羽織り、依然として開け放たれたままの店の入り口へと駆けていく。


「ちょっと待ってなよ、おっさん!」


 息子は声を掛けた相手の方は向かず、まっすぐと目的の家に向かって走っていった。



 それを見送りながら、「おっさん」と呼ばれた男の方は、ほっとしたようにその場に崩れ落ちるように座り込むと、つばの左右が跳ね上がった皮製の帽子を脱ぎ、顔をあおぎはじめた。


 その背中には大豪邸で泥棒でもしてきたかのような大きな布袋が背負われている。


 男の口ひげはそこそこ手入れされていたが、あごひげはまばらに生え、目の下に隈ができていた。

 服装は、皮製の丈夫なコートと、ところどころ破れた黒いジーンズ、そして、腰には鞘に収まった剣と、ホルスターに収めた銃。


「あぁー……きちぃ」


 彼は帽子を被り直すと、大荷物に背を預け、空を見上げた。

 良く晴れた、気持ちのいい朝だ。


 そのとき、その朝風に、おいしそうな匂いが乗ってくる。

 見ると、店の外にマスターが来て、お盆に陶器のコップを乗せていた。


「お疲れさん、ヴォル。スープでも飲んでいきな」


「おお、ありがたい。昨日から何も食ってなくてねぇ」


 ヴォルと呼ばれたその男は、差し出されたお盆からコップを取り上げた。そして、その中身をひと口すする。


 それを見届けてから、マスターは視線を上げ、ヴォルの背中の大きな袋を見やった。


「しかし、とんでもない荷物だなあ、こりゃ」


 ああ、と、ヴォルは言った。


「いやほんと、手押し車を用意しなかったのは失敗だったよ。途中で何度投げ出そうかと思った」


「でも、アンタは投げ出さなかった。さすがはマスターご指名の何でも屋さんね」


 その声はマスターではなかった。ちょっとクセのある高めの女の声。


 ヴォルは苦笑いしながら、声の主に言った。


「やあ、かわいい依頼人さん、おはよう。ご依頼の品はこちらに」


 少女は鼻で笑った。


「おや、『小娘』じゃなかったの? ま、どっちでもいいけど」


 声と同様、その少女の風体も変わっていた。


 つばがなく、左右に垂れ下がった犬の耳みたいなものが付いている帽子を被り、濃緑の分厚いジャケットの上に、さらに葡萄色のマントのようなものを羽織っている。

 マントの下から覗くスボンも、ジャケットと同色の丈夫そうな皮製で、靴は実用的なブーツ。


 そして、首には紐付きの双眼鏡と手帳をぶら下げ、腰や足にはやたらとベルトを巻いて、ポシェットならなんやらを付けている。


 一見すると旅人にしか見えない重装備だが、これでこの町の住人なのである。


 少女は腰のポシェットのひとつを開けて中を探ると、銀貨を数枚取り出した。そして、ヴォルに差し出した。


「モノの検品は後でするわ。とりあえず報酬を払っとくね」


「そりゃいいけど、これ、どうするんだ?」


 差し出された銀貨を受け取りながら、ヴォルが訊く。

 少女は意味ありげにニヤニヤしながら言った。


「それはまぁ、まだ秘密かな。気になるなら、もうちょっとしたら教えたげても――」


「いや、そうじゃなくてさ」


「はい?」


「この荷物、どうやって運ぶのかなって」


「あ……」


 言われて少女は答えに詰まった。

 ヴォルの背中に積まれた大袋をしばらく見つめ――


 ――そして言った。


「もしよろしければ、我が家までご足労願えないでしょうか」

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