第40話 貸した分は返してもらう

 さて、宝物庫の内部は換気用の窓が一か所と、扉があるだけである。そのうちの扉がの前に虎丸タイチが立ち塞がっているわけで。


 ならば――あたしが選ぶのは一つしかない。

 あたしが正面にダッシュを決め込むと、タイチが一瞬たじろぐ。


 その隙にタイチの股の下を潜り抜け、扉から飛び出そうとした。


 へへっ、驚いただろ。

 窓を開けたりしているうちに捕まるなんてカッコ悪いからな。正面突破を決め込んでやった。


 だけど、他にもタイチが仲間を連れてきている可能性が高い。

 あたしは油断せずに一気に塀まで庭を駆け抜けようとしたときだった。


「待て!」


 背後から伸ばされた指先が、あたしの手に触れる。

 炎の化身と握手したほうの手に、ビリビリとした強い痛みが走った。


「くっ」


 一瞬でも怯んでしまえば、女と男。その歩幅や体格から、捕まるのは必然だった。

 背中から羽交い絞めにされるも、あたしは諦めない。


「くそっ、離しやがれっ!」

「大人しくするんだ! 極力悪いことにならないように僕も尽力するから――」


 こういうときまで優しくするなら、いっそのこと見逃してくれ!


 だけど、いくら暴れようが、タイチの足を踏んずけようが何しようが、タイチが一向に離れてくれることはない。次第に体力負けするのは、残念かなこちらのほう。

はあ、はあ……と荒い息をしながら動きを止めれば。


 タイチが悲痛なまでに顔をしかめていた。

 その同情的なまなざしが腹立たしい。


「手錠は……着けないのかよ」

「自主的な同行を願いたい。そうすれば、注意だけで済ませられる可能性が高い」

「そうかよ」


 代わりにと言わんばかりに、タイチがあたしの手首を掴んでくる。

 そして、赤く腫れている手を見ては、痛々しそうな声を発した。


「どうして、こんな怪我まで負ってまで……」

「それはこっちの台詞だ。どうして、あたしの恋人が盗んだはずの宝石がここにある?」


 あたしがタイチを睨みあげれば。


「それは……」


 言いよどむ……ということは、タイチもどちらに非があるのかわかっているのであろう。


 泥棒なんかより、おまわりのほうが正義の味方であるべきだと思うんだがな。


 それを追求しようとしたとき、館の中からてくてくと出てくる小太りの男あり。

 寝間着ながらもひと目で高価だとわかるガウンを羽織った男が、ニタニタと笑っている。


「これはこれは、さすが虎丸長官の嫡男殿。仕事が早いですなあ」

「三ツ橋の主人……」


 あたしも二度目ぶりである。前に会ったときは、当然シキと出会ったとき。

 あのときは、シキにゴマを擦っていた印象が強かった。あたしにはさほど興味ないかと思っていたが……今は、やけにあたしの足を見てから笑みを作る。


「今日はもう夜も遅い。わざわざこんなかよわい女子を夜に連れ歩くのも可哀想じゃ。今晩は当館で面倒をみましょう」

「しかし、彼女は可憐ながらも貴殿の宝を盗もうとしたわけで――」


 あたしが可憐とまでは、三ツ橋の旦那も言ってないと思うんだが?

 相変わらず目が濁っているタイチはさておいたとしても、三ツ橋の旦那があたしに近づく。


「なになに。言うて貴殿が未然に防いでくれたから、大事にはなってござらんではないか。現にこの首飾りも彼女によぉ~似合っておる。一晩貸してあげただけじゃ……なあ?」


 そして、あたしが首にかけているルビーの首飾りをスッと人差し指で持ち上げた。

 指を胸の谷間にこすりつけるようにしながら。


「もちろん、貸した分は返してもらうが……の」


 つまり……それは身体で返せと言いたいのか?

 掃除や洗濯ではなく、文字通り身体をおもちゃにされて。


 三ツ橋の旦那のいやらしい目が、タイチに向かって細まる。


「そのほうが、虎丸殿も都合がいいじゃろうて」

「くっ……」

「ほれ、虎丸嫡男のお見送りじゃ」


 どうやらタイチも、あたしをできるだけ無罪放免にしたいと見抜かれてしまってる様子。


 やってきた旦那の護衛たちに無理やり門へと連れられて行ってしまう。


 庭を見渡しても他に警官の姿は見えない。

 タイチ、本当にひとりで来ていたのか……?


 もし、そうなのだとしたら……。

 シキの冤罪逮捕のことを聞いて、あたしが何か間違いを犯す前にと、本当に『救い』に来てくれたのかもしれない。動物園のとき、言っていたもんな。


 ……本当に、こんなあたしに惚れたところで、ロクなことはないのに。

 唇を噛み締めるタイチがあたしの手をそっと離すと、三ツ橋の旦那が「さすが長官の嫡男だのう。話がよぉわかっとる」と笑った。


「それじゃ、行こうかの。おなごが気に入りそうな部屋があるんじゃ」


 そして、三ツ橋の旦那があたしの腰に手を回してくる。


 あぁ……こんなこと、いくらでもシキ相手にされていたのに。


 漂ってくる酒と煙草と、汗の臭い。

 妙にさわっとした手つきといい、すべてが気持ち悪くて仕方がない。




「ほぉれ。かわいい部屋じゃろう?」


 そう案内されたのは、たしかに女の子が憧れそうな西洋風の部屋だった。


 細かい様式まではわからないけれど、天蓋付きのベッドなど、母親からの話でしか聞いたことがない代物だ。棚からカーテンから、何から何まで洒落ている。


「ひと目見たときから、お嬢さんのことは好みでの。ただ、前はシキ殿がいたから手出しできんかったが……やつはもう牢の中。事の次第では、この部屋もルビーもお嬢さんにあげてもいいと考えておる」


 そんな部屋にあたしを半ば無理やり押し入れては、三ツ橋の旦那が後ろ手で鍵をかける。当然、部屋には二人きり。


 階段は三階分を昇らされた。飛び降りようとすればできないことはない高さだが……。


 そう窺っていると、じりじりと三ツ橋の旦那が近づいてくる。


「このまま逃げても、お嬢さんには良いことが何もないぞ?」

「どういうことだ?」

「いや、別に。お嬢さんがお国を敵に回す覚悟があるなら、話は別って話じゃ」


 そんなこと言われたら……逃げるに逃げられないじゃないか。

 躊躇っている間に、旦那との距離が縮まっていく。


「シキ殿のために、二度もこれを盗みに来たのじゃろう?」

「なんで一度目もシキのためってわかるんだよ?」


 さすがに今日の目的は、三ツ橋も渦中にいるのだから状況を把握しているだろうとはいえ。


 一度目は、実際に街角であった猫のためにやってきたのだ。そのときはシキの存在どころか、鶴御門家なんて名前も知らなかったくらいである。


 だから、少しだけカマもかけつつ聞いてみれば。

 三ツ橋の旦那はさも得意げに答えてくる。


「そりゃあ、あれは鶴御門家の借金を肩代わりした質として、シキ殿から直接貰い受けたものだからのぉ。本人が手放したというのに、わざわざ取り返しにきたとは……かわいいおなごじゃ。あまりに初々しくて、思わずわしも不問にしてもうた」


 このルビーが、シキの物だって……?


 それなら、ルビーに宿ったあやかしの正体って。

 彼女が謝りたい相手は。あの猫の正体は。


 思い至ってしまった結論に動じている間に、あたしをベッドまで追い詰められてしまっていた。三ツ橋の旦那が再び首飾りをクイッと指先で持ち上げる。


「しかし、もう諦めておきなされ。あそこの元老は御上おかみと繋がっている。それがはもう、シキの小僧を切り捨てることに決めたのじゃ。そばにおれば、お嬢さんも簡単に処分されてしまう……代わりにわしはどうじゃ? 帝都一の贅沢をたんまりとさせてやれるぞ?」


 母親だったら、いの一番に飛びつくのだろうけど。

 そんな贅沢、あたしはまるで興味はない。


「元老って、何者なんだよ……」

「あれは呪いじゃ。日本古来から蔓延る、決して逆らえない悪霊……わしが、そんな恐ろしいものから無縁の生活を与えてやろうじゃないか」


 そして、いよいよベッドに押し倒されて。


「それじゃあ、まずはキッスじゃ」


 歪んだ男の面が、目の鼻の先まで近づく。

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