第25話 遠征開始

 それから遠征に向けての諸々の準備に奔走し、気付けばあっという間に三日は過ぎた。


「よ、お二人さん! 朝早くからご苦労なこったな、お互いに」


 ほとんど日の出と同時に家を出て、まだ人気もまばらな中層の街を通り過ぎノアの北門前広場にやって来たデュークたちを出迎えたのは、意外な人物だった。


 すでにそれなりの人数が集まっている広場で、例によって作業服姿のダルダノが手を挙げる。


「あれ? こんにちは、ダルダノさん。お店以外で会うなんて珍しいですね」


 軽く手を振って返すデュークの横で、ピュラが会釈した。


「まぁな。この時間にここにいるってことは、お前らも遠征組だろ?」

「そうですけど、もしかしてダルダノさんも?」

「おう。久々の荒野なんで、昨日は楽しみやら緊張するやらで全然寝付けなかったぜ!」

「そうだったんですか。では、ダルダノさんも開拓者だったんですね?」


 ピュラが意外そうに呟くと、ダルダノは「違う、違う」と手を振った。


「オレはべつに開拓者ってわけじゃねぇよ。ただ遠征にあたって、現地での機械類やら何やらの設置や整備をするメンツが欲しいってんで、オレにも声が掛かったのさ。これでも支部の技術部とはちょっとしたコネがあるんでね。ま、要はメカニック要員だな」

「こんな胡散臭い男、べつに呼ばなくてもいいのよ」


 ダルダノが誇らしげに鼻を鳴らすと、離れた場所で同僚と話していたケラミーがこちらに歩いてきた。さすがにまだ少し眠いのか、欠伸のせいで溜まった目元の涙を拭っている。


「ウチの技術部たっての推薦でなかったら、とっくに追い返しているところだわ」

「まぁそう言いなさんなって。呼ばれたからには報酬分以上の働きはするぜ、オレは」

「ほら見なさい。余計なことをする気満々じゃないの」


 寝起きで機嫌が悪いのもあってか、ケラミーの態度はつれない。


 わざとらしく肩を竦めて苦笑するダルダノには一瞥もくれず、デュークたちへと向き直った。


「おはようございます、ケラミーさん。今日はよろしくお願いしますね」

「ん、おはよう。ピュラちゃんは朝から気合い充分みたいね」

「はい。いよいよ出発ですからね、今日に備えて昨晩は早めに休みました」

「それは結構。で、デュークの方は? 調子はどう? 今日もちゃんと起きられたみたいだけど、準備とか忘れ物とか、大丈夫かしら? 出発してから焦っても遅いんだからね?」


 ケラミーのせわしい問いに、デュークは迷うことなく頷いた。


 この数日で武器や探索道具は勿論のこと、万が一遠征隊からはぐれてしまっても数日間は野外活動が可能なように、食料や医療品なども万端用意している。


 今朝は睡眠も朝食もしっかりと摂ったおかげで、身体はすこぶる快調だ。



「問題無い」

「ん、ならいいわ。遠征中、ピュラちゃんのことしっかりと守りなさいよ。いいわね?」

「うん、わかってる」

「よろしい。いい返事ね。それで……あなたもピュラちゃんも準備万端として、はどうするの? 一緒に連れて行くの?」


 何の事やら、と顔を見合わせ、デュークはピュラと一緒に背後を振り返る。


「ワフッ」


 いつの間に付いてきていたのだろうか。そこには朝日を受けてフサフサの白毛を輝かせる、凛々しい雄犬の姿があった。


「ど、どうしたのヘレン!? 今日は一日お留守番しててね、って言ったでしょ?」


 ピュラが慌ててヘレンに駆け寄り、その大きな頭を優しく撫でながら大人しく家に帰るように諭す。


 が、ヘレンはピュラの手を払いのけ、なおも「ワンッ」と吠えるばかりだ。


「もしかして……私たちと一緒に行きたいの?」

「ヴォフ」

「だ、駄目よそんなの! 遊びに行くんじゃないんだからね? それにあなた、退院したばかりじゃない。ね? お願いだから、お家でいい子で待ってて……ヘレン?」


 ピュラの説得をみなまで聞かず、ヘレンはくるりと踵を返すといきなり脱兎の如く駆け出した。


 そのまま目算五十メートルほど先に立っていた時計塔を回り込むと、再び目にも止まらぬスピードで猛ダッシュし、ピュラの下へと駆け戻ってくる。


 五~六秒くらいか、などとデュークが考えている横で、息一つ乱さずお座りの姿勢を保つヘレン。


 そんな彼を前にピュラが困ったような顔を浮かべていると、ダルダノが愉快そうに笑う。


「いいじゃねぇか。連れて行ってやんな。そいつ、ピュラちゃんが言ってた例のワン公だろ? ミグロッサの所で一か月も缶詰だったんだってな。はは、そりゃいい加減に体もなまっちまうだろうし、『散歩』の一つもしたいわな」

「そ、それは、たしかにそうかも知れませんけど……」


 ピュラはしばし逡巡してから、思い切ったようにヘレンに尋ねる。


「ヘレン、そんなに一緒に行きたい?」

「ウフ」

「そう。でも、身体は大丈夫なの?」


 答える代わりに、ヘレンはその場で軽く飛び跳ねて見せた。


 たしかに三日前に退院したばかりだが、抜糸も済んで怪我はもうすっかり完治しているらしい。一応はミグロッサからも、「もうフルマラソンしても大丈夫」というお墨付きを貰ってはいた。


「もう……わかったわ、ヘレン。一緒に行きましょう。ただし! 絶対に私とデュークさんから離れないこと。約束、できる?」


 ピュラが言い含めると、ヘレンは「ウフ!」と一際嬉しそうな声で元気一杯に返事した。


「話はまとまったみたいだな。さて、そんじゃオレたちもぼちぼち出発するかね」


 コキコキとダルダノが指を鳴らす。見れば、広場に集まっていた開拓者たちもそれぞれに自動二輪やトラックに乗り込み始めていた。出発は、もう間もなくだ。


「じゃ、オレは技術班のトラックだからよ。現地でまた会おうや」

「私も職員用の車両だから、ここで一旦解散ね。目的地までは一時間くらいだと思うけど、隊列から離れ過ぎないように、しっかりと付いて来なさいよ」


 二人の背中を見送り、デュークも荷物を積み込んだ自動二輪にまたがった。


「デュークさん、あの、ヘレンはどうしましょう?」


 後ろに座ったピュラに訊かれ、デュークは傍らのヘレンを見やる。


 ぶるると一度身震いし、その屈強な前脚でザシュ、ザシュと地面を蹴っているのは、「オレは自分で走る」という意志表示のようだった。


「大丈夫そうだね」

「ふふっ、そうみたいですね」

「門が開くぞー!」


 誰からともなく叫んだ声に、デュークたちは顔を上げる。


 閉ざされていた北門が、鎖と金具が擦れる金属音と共にゆっくりと奥に倒れていく。


「行くよ、ピュラ」

「はい、デュークさん」


 門が開き、壁にぽっかりと空いた長方形の穴から赤土の荒野が顔を出す。


 広場のあちこちから聞こえ始めたエンジン音に倣うように、デュークも二輪車のハンドルを握り込んだ。

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