第13話 逃走

「一人なのかな、お嬢ちゃん? 昨夜キミを競り落としたあの開拓者の少年はどうした? 奴隷ならちゃんと主人の傍にいなきゃあダメじゃないか。さもないと……」


 貴族の男がニヤリと薄気味悪い笑みを浮かべ、パチンと一つ指を鳴らす。


 途端に、どこからともなく彼の従者らしき屈強な男たちが現れて、貴族の男の両脇に控えた。


「こんな風に誰かに攫われたりしても、文句が言えないだろう?」

「っ……!」


 男の言葉の終わらぬうちに、ピュラは脱兎の如く中央広場へと走り出した。


「待てっ! おいお前たち、何してる! 早くあいつを捕まえろ!」


 檄を飛ばされた従者たちが追いかけて来るのを尻目に、ピュラは己の不幸を呪いながら中央広場に続く目抜き通りを駆け抜ける。


 しかし、あと少しで広場に躍り出るという所で、先回りをしていたらしい従者の一人が前方からも現れた。


 挟み撃ちになるのを嫌い、ピュラはやむを得ず横道の一つに飛び込む。


「ここまでっ……ハァ、ハァ! せっかく、ここまで来たのにっ」


 息も絶え絶えに、ピュラは死に物狂いで足を動かす。


(捕まりたくない! 私は、帰るんだ! もう一度、大好きな家族の下に帰るんだ!) 


 広くて見通しのいい目抜き通りではすぐに捕まってしまうだろう。入り組んだ横道を上手く利用して、どうにか彼らを煙に巻くしかない。


 そんなピュラの目論見は。


「そん、な」


 しかし、お世辞にも上等な策とは言い難かった。


 恐怖に駆られるあまり、ピュラは単純なことを見落としていた。


 冷静に考えてみれば当然のことで、そもそも今までほとんど下層にいたピュラに、追手を撒けるほど中層での土地勘があるはずもない。逃げ込んだ横道の先で、ピュラはあえなく袋小路にぶつかった。


「よしよしよし、追い詰めたぞ」


 ハッとして振り返るピュラの視線の先で、貴族の男と従者たちが近付いて来る。


「こ、来ないデ下さい!」

「バカを言え。お前のような『デミクレイ』の少女は、私にとっては喉から手が出るほど欲しい宝なのだ。私は宝を目前にして、みすみすそれを見逃すような愚か者ではないのだよ」

「き、昨日は、諦めていたじゃないですか……オークションで、競り負けて」

「負けたのではない!」


 震える声でピュラが言うと、男は眉を吊り上げる。


「フンッ! 二億オボロイなど、私にとっては大した額ではない。もちろん、あの忌々しい小僧を競り負かすことくらい簡単だったとも」


 プライドを傷付けられて憤ったのか、貴族の男は腹立たしげに鼻を鳴らす。


「だが、いくら貴様が希少な代物でも、所詮は奴隷。たかが奴隷にあれ以上の金を使ったとあれば、貴族の家の者としてさすがに外聞が悪いからな。あの場は仕方なくあの小僧に花を持たせてやった、それだけだ。……しかしな」


 憤慨する貴族の男は、けれどやがて再び黒い笑みを浮かべると。


「主とはぐれた奴隷を引き取った、となれば話は別だ。こうなると、あの小僧にも少しは感謝しなくてはな。なにしろ奴は二億もの大枚をはたいて、この私の為に貴様を買ってくれたようなものなのだから! さぁ、お前たち。その奴隷を我が屋敷に連れて行くぞ!」


 従者たちは男の指示に忠実に、じりじりとピュラの下に近付いて来る。


 思わず後退するピュラの背中は、数歩もしない内に冷たいレンガの壁に押し付けられた。


 掴みかかろうとして伸びて来る、従者たちの腕。たまらず顔を伏せ、無駄だと分かりきっていながらも、ピュラは祈らずにいられなかった。


(──誰か!)


 涙で歪み始めた視界の端に、握り締めていた一枚のカードが映る。


 顔写真が載る部分には、もはやピュラもよく見慣れたあの少年の不愛想な顔があった。


「へへ、悪いな嬢ちゃん。これも命令だからよぉ」

「い、嫌っ! 嫌ぁぁぁ!!」


 従者たちの無遠慮な手が、とうとうピュラの体を掴む。

 絶望の色に染まるピュラの脳裏に、不意に深緑の少年の姿が浮かび上がった。


「ひぃっ!?」


 直後、貴族の男が情けない悲鳴を上げる。


 ピュラも、ピュラに掴みかかっていた男たちも、何事かと袋小路の入り口に顔を向けた。


「お……お前はっ、昨日の!」


 そこには、腰が抜けてしまったのか尻餅をつく貴族の男と。


「……よかった。見つかった」


 それを正とも負ともつかない表情で一瞥してから、ひとまずは安心したという風に息を吐くデュークの姿があった。


 ※ ※ ※


「びっくりした」


 住処である坂の上のビルへと帰る道すがら、デュークがぽつぽつと呟く。


「起きたら、なくなってたから。色々と」


 本当についさっき起きたばかりらしい。デュークの髪には所々に寝グセがあり、辛うじて持ってきたらしいブレード以外は、格好も今朝ソファで眠っていたときのままだった。


 デュークの背中におぶさりながら、ピュラは複雑な心境で唇を尖らせる。


「……よく私の居場所がわかりましたね」


 ピュラの言葉に、デュークが無言でピュラの右手に握られたままのカードを指差す。


「そうですね。お察しの通りです。あなたのカードを奪って、あの【ポータル】を通って本国に逃げようとしたんです」


 失敗しちゃいましたけど、と溜息を吐くピュラに、デュークが言い辛そうに切り出した。


「これ、本人にしか使えないけど」

「え?」 

「通るとき、スキャナのカメラでもチェックされてる。本人かどうか」

「んなっ……!」


 唯一の希望だと思っていたものすら手の中からすり抜け、ピュラは落胆する。


(終わった……何もかも。あの【ポータル】を通れないんじゃ、本国に帰る方法なんて、何も……)


 いや、一つだけないこともないかも知れないが。

 それも「デュークに自分を本国まで連れて行って貰う」という、およそ不可能に近い望みだ。


 この得体の知れない〈考古学者〉の少年が、二億もの大金で買った自分をみすみす手放すような、そんなお人好しな真似をするはずがないのだから。


(だったら)


 そこまで考えて、ピュラの胸の内に小さな疑問がくすぶった。


(だったら……どうしてあの時、私はこの人のことを考えていたんだろう?)


 最前、もはやこれまでかと終わりを覚悟したあの急場のなかで、無意識にデュークの姿を思い描いた自分自身に対して、ピュラは困惑する。


 まさか、自分でも知らない内に、心のどこかで期待していたとでもいうのか。


 どういう意図があったにしろ、昨日の晩、結果的にはあの地獄のようなオークション会場から自分を連れ出してくれたように。


 彼が、もう一度自分の下に駆けつけてくれる、と。


(な、何を考えているの、ピュラ! そんなことあるわけないじゃない!)


 ふつふつと湧いてきた邪念を吹き飛ばすように、ピュラは首を振る。


(あるわけ、ないじゃない……だって、この人は)


 時折チラチラと後ろに目を配ってくるデュークに、ピュラは吐き捨てるように呟いた。


、ですよね?」

「え?」

「さっきのことです。私を助けにきてくれたのは、もったいないからだったんでしょう?」

「…………」

「それはそうですよね。さっきの貴族の人じゃないですけど、私を買うために二億オボロイもの大金を払ったんですから。私が逃げたり奪われたりしたら、あなたは丸損ですもんね。もっとも、奴隷一人を買うのにそんな大金をポンッと出せるぐらいですから、もしかしたらあなたにとってはそれくらいの損、痛くもかゆくもないのかも知れませんが」


 デュークは何も言わない。

 ただ静かに、前を向いて歩いている。


「間違っても、単なる善意で他人を助けるなんてこと、あなたたちがするはずがないんです。私から散々いろんなものを奪っていった……あなたたちみたいな〈考古学者〉が」


 突き放すようなピュラの言葉には、けれど昨晩までの、触れることすらままならない刃物のような剣呑さはなかった。


 声は自然とか細くなり、台詞は尻すぼみになっていく。


 そんなピュラの内心を知ってか知らずか、歯切れの悪い恨み節を大人しく聞いていたデュークが、ようやくゆっくりと口を開く。


「そんなに憎い? 〈考古学者〉が」

「……憎いに決まってます。今更なにを訊くんですか?」

「それは、どうして?」


 答える義理はない。

 そう、言おうとして。


「……私の人生をめちゃくちゃにしたからです」


 しかしデュークの、さながら森で迷った旅人を教え導く隠者のようなその穏やかな口調に、固く噤みかけていたピュラの口からは、自然と言葉が漏れ出していた。


「半年ほど前──私たち家族の住んでいた街で、爆破テロが起こりました」


 あの日のことは、忘れようとしても忘れられない。


 いつものように平和な一日が始まると信じて疑わなかった朝の街に、教会の鐘の音が響く代わりに幾つもの爆発音が轟いた。


 次には方々で爆炎が噴き上がり、街はたちまちの内に阿鼻叫喚の巷と化した。


「テロの犯人たちは、帝国にはびこる〈考古学者〉たちの中でも、特に過激だと言われていたグループの一つを名乗っていました。彼らは街を破壊しながら、しきりに『考古学者の地位向上』だの『正義の革命』だのを謳っていましたが、本当のところはわかりません。いずれにしろ、そんな身勝手な理由で彼らが起こしたテロの所為で、私は……」


 どうすることもできなかった。


 濁流のような人の流れにもみくちゃにされ、気が付けばピュラは家族とばらばらになり、ピュラ自身でさえ、自分がいまどこにいるのかもわからない、見知らぬ街まで追いやられてしまった。


 着のみ着のまま一銭も持たずに、それでもあちこちで道を尋ねながらやっとの思いで帰り着いたピュラを待っていたのは、慣れ親しんだ街の、無残にも変わり果てた姿だった。


「たくさんの人が、道に倒れていて……周りの景色も、元の姿がわからないほどボロボロに焼け焦げていました。私の家だって……それからは、ただ毎日を生きるだけで必死でした。家族を探しながら裏町やスラムを点々として、ときには泥棒まがいのことだってしました。私が奴隷商人に捕まったのは、そんな生活が三か月ほど経った頃でした」


 陽はそろそろ中天に差し掛かっていた。


 一層の賑わいを見せるノア中層の商店街を通り過ぎ、二人は団地へと続く坂の麓まで辿り着く。


「そう」


 溜まっていた膿を押し出すような気分でピュラが過去を語ると、デュークは短く相槌を打つ。


 ひどく無関心に見えたそんな彼の態度にムッとして、ピュラは声に棘を含ませた。


「ええ、そうです。だから私は〈考古学者〉という人たちが憎いし、許せません。なにが『考古学者の地位』ですか。なにが『革命』ですか。もっともらしいことを言って、結局のところやっていルのはただの暴動じゃないですか!」


 爪を食い込ませる勢いで、ピュラはデュークの肩口を強く掴む。


「ねぇ、デュークさん? デュークさんだって、どうせそうなんでしょう? 私のような何も持たない娘を傍に置いて何を企んでいるのか知りませんが、どうせこのノアも、私の故郷の街みたいにしようとしている。そんな、悪魔みたいな人なんでしょう?」


 恨み、怒り、軽蔑、失望。


 孕ませられるだけの悪感情を孕ませたピュラの台詞を受け、それでもデュークは岩の如き無言を貫いたまま、けれど不意に帰路を進む足を止めた。


「ピュラ」

「何ですか? ひょっとして、図星をさされて怒りましたか?」


 ピュラが嘲るようにそう言うと、デュークはくるりと振り返って口を開いた。


「朝ご飯、まだだった。……お腹空かない?」

「…………へ?」

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