第47話 インファイト その2

 カラン、と床に乾いた音が響く。

 その瞬間、アラマキが一気に距離を詰めてくる。

 先制攻撃は、アラマキの方だ。

 ヤツのフックを、体捌きで回避。

 拳を振るうまでの一連の動きだけで、相当にケンカ慣れしているとわかる。


「ふん、やるじゃねえか!」

「どうも」


 なんだかさっきから、こいつの中では俺の評価がうなぎのぼりなんだよな。

 褒められたところで、まったく嬉しくないけどさ。

 その後も、アラマキはパンチにこだわって仕掛けてくる。

 空手風の構えをしていたから、空手上がりなのかと思った。パンチの打ち方を見る限り、攻撃方法はケンカで身に付けた我流らしい。構えも見様見真似か。

 アラマキのパンチは、鋭いが、大ぶりだ。

 素人相手なら何発も命中していたことだろう。実際、そうして勝ってきたからこそ、確信を持ってパンチを繰り出しているのだろうから。

 だが、ボクシング経験者の俺からすれば止まって見えるレベル。

 それこそ、矢嶋のパンチに比べればずっと鈍い。

 次第に俺は、アラマキと対峙しながらも、矢嶋とスパーリングをしているような感覚になっていく。


 俺はボクシング部の中では大柄な方で、スパーリングをする時は必然と、似た体格の矢嶋を指名することが多かった。

 矢嶋とのスパーリングは、俺たちにとって一番身近で、手応えを感じられる練習方法。お互いの了解のもと、試合に限りなく近い緊張感を保ちながら、何度も拳を交えた。

 小学生の頃に同じボクシングジムに在籍していた頃から、ずっとこうして技術を高め合ってきたのだ。

 だが、高校二年生の夏。

 ボクシング部の練習場で、いつものようにスパーリングをしていた時。

 打ち合いの末、俺のパンチが顎先に当たり、矢嶋がダウンした。

 けれどそれは、俺の技術が矢嶋を上回っていたからじゃない。

 俺はあの時、ズルをしてしまったんだ。

 矢嶋のつま先を踏んづけたまま、パンチを放ってしまった。

 わざとじゃない。

 けれど、無意識とはいえそんなことをしてしまったのは、きっと怖かったからだ。

 元々、俺は矢嶋のスパーリングパートナーとして、驚異的な成長っぷりを誰よりも身近に感じ続けてきた。

 あいつは高校生になってからというもの、難があったフィジカル面が劇的に改善されていき、どんどん肉体的に充実していったから。

 一戦ごとに体のキレが増し、パンチは重く、それでいて速くなっていった。

 先輩として追い抜かれる恐怖が蓄積され、そのピークに達したのが、忘れもしないあの日のこと。

 後輩から、完膚なきまでの敗北を突きつけられて全てを失う恐怖に負けた結果招いた、情けなくて愚かな行為だ。

 動きを封じられたまま顎先にクリーンヒットを受けたダメージは深刻だった。

 顧問の勧めで、矢嶋はすぐさま病院へ連れて行かれた。

 その日は、矢嶋の容態がどうなのか気になって夜も眠れなかったんだ。

 翌日再会した時、あいつは言った。


『すみません、先輩。……オレ、もうボクシングは続けられないみたいです』


 矢嶋は脳震盪を起こしていた。

 俺のバカみたいな恐怖心が原因で。

 脳震盪は競技者にとって深刻と考えられている症状の一つだ。

 軽症であってもクセになりやすく、その後何度も繰り返すようであれば命すら危うい。

 競技によっては、即刻引退を勧められることも珍しくない。

 現役を続行するにしても、細心の注意を払うことを余儀なくされる。

 矢嶋は……ボクシングから身を引く選択をした。


『でも、満足はしてるんです。先輩と一緒にボクシングが続けられないのは残念ですけど、ボクシングのおかげで、オレはもう十分色んなモノをもらっちゃいましたから。先輩とここまで一緒に来られたのも、その一つですよ』


 矢嶋は一切、俺を責めなかった。

 俺以上に才能があって、本気の試合になれば、間違いなく俺をノックアウトすることができる実力があったのに、あっさりとボクシングから離れた。

 その後何度か顔を合わせても、あいつは憎しみをぶつけることなく、これまでのような弟分のような付き合いを続けてくれた。

 次第に俺は、そんな真っ直ぐな矢嶋に耐えられなくなっていった。

 まったく関係のない第三者から「とあるボクシング部員の後輩いじめにより、有望な選手が退部を余儀なくされた」という、事実を歪曲された噂を流されたことも、あのまま学校に残れなくなった理由の一つだ。

 悪いことに、この噂は校外にまで広まって、優花も耳にすることになってしまった。優花は俺を信じてくれたけれど……俺が近くにいるせいで、せっかく毎日学校に通えるようになった優花がまた不登校になってしまったらと思うと、耐えられなかった。

 矢嶋と顔を合わせるのが怖くなったこと。

 後輩いじめのパワハラ疑惑野郎がいることによる、周りへの悪影響。

 その二つが重なって、俺は転校を選んだ。

 もちろん、全てをリセットして改めて楽しい学校生活を送るつもりは最初からない。

 矢嶋からボクシングを奪った俺が、別の学校で面白おかしく暮らすなんて、許されることじゃないと思ったから。


 けれど、俺は間違っていたのだ。

 お前から、逃げるべきじゃなかったんだ。


「グッ……!」


 うめき声と同時に、拳に鈍い感触が響く。

 しっかり踏ん張り、腰を捻って、全身の力を使って放ったパンチは、アラマキの顎先を打ち抜いていた。

 白目をむいたアラマキが、床に崩れ落ちる。

 アラマキのつま先は……踏んでいない。

 正真正銘、クリーンなかたちでの勝利だ。


「……悪いな、矢嶋」


 崩れ落ちたアラマキのことなんて、もはや関心はなかった。

 いや、初めから俺は、アラマキと戦ってなんかいなかった。

 あの事件があった時からずっと、リングから離れたって、俺の頭の中にしか存在しない架空の矢嶋樹と戦い続けていた。

 そろそろ、この戦いも決着するべきだ。

 責任逃れをしたいがためのシャドーボクシングとは、ここでお別れ。

 俺は……自分の弱さと、恐怖していたことを認め……今度こそ、矢嶋と正面から向き合わないといけなかったんだ。

 正々堂々と「勝負」して打ち勝たなければ、矢嶋との戦いは永久に終わらないのだから。


「もっと早く向き合うべきだったのに……俺はお前が怖かったんだ。お前に対して起こしたことの責任も、お前の成長も、先輩ヅラしてたくせに、自分の立場がお前に取って変わられることを、ずっと恐れていたんだ……」


 ざわざわとした騒がしさが鼓膜に響く。

 リーダー格をやられた不良グループの残党が、たった一人の俺をボコろうと構えている。

 殺気立った雰囲気。

 生きては帰さないという意思すら感じる。

 タイマンだと決めたルールに違反しているのだが、リーダーのアラマキが失神している以上、聞く耳を持つヤツはいないだろうな。

 俺がこれまで鍛え続けてきたボクシングは、複数相手に戦うことを想定した技術じゃないんだが。


「安次嶺! 武市! 俺のことはいいから――」


 せめて二人を逃してカッコつけたいと思ったその時。


「突撃だぁぁぁ!」


 叫びながら、自転車で突っ込んできたバカがいた。

 呆気にとられた不良グループの一人を跳ね飛ばす。


「と、豊澤!?」


 ママチャリに乗った豊澤は、廃工場の奥まで突っ切り、安次嶺と武市の前で華麗なターンを決めた。


「塚本ぉ! こっちはいいから、お前は出入り口まで全力で走れ!」


 指示する豊澤は、安次嶺のことは荷台に乗せたものの、武市には「てめえは走れ」と厳しかった。


「あ、ああ、わかった!」


 ともかく助けにやってきたことには違いない。

 俺はこのチャンスを無駄にしないように、出入り口へ向かって走る。

 だが、不良グループの残党はまだまだ残っている。

 無事逃げ切れるか……。


「ふむ。揃いも揃って邪悪な面構えだ。これは少々手荒な真似をしても、我々の良心は痛むまい」

「野々部まで!?」


 出入り口には、野々部と、その仲間の寮生たちがズラリと勢揃いしていた。


「うむ。塚本君の窮地だと、豊澤から聞いてな。加勢しに来たのだ。見ろ、チャリで来た」


 貴峰たかみね学園の反体制グループは、揃いも揃って自転車だった。しかもヘルメット着用。努力義務なのに律儀なことだ。


「野々部! こっちはもういいぜ! 先に出てっかんな! おら! 副会長さっさと走って来い! 脚が縛られてる? ジャンプしまくれば行けんだろ!」


 豊澤の駆る自転車が、廃工場の外まで駆け抜けていく。懸命にジャンプして追いかける武市が涙ぐましい。


「よし! 総員、攻撃準備!」


 野々部が号令をかけると、反体制の面々はマスクを装着し、自転車のカゴに手を伸ばす。


「撃てっ!」


 そこから出るわ出るわ。

 タクティカルライトで目潰しをしたあと、煙幕やら、ペイントボールやら、防犯グッズを改良したと思われるアイテムを投下し、更に爆竹やロケット花火まで持ち出してもう滅茶苦茶だ。

 ハンドメイドのノンリーサル・ウェポンを前に、不良たちはひとたまりもなく、目や耳や鼻を押さえながら咳き込み、うずくまる。


「……その物騒なブツはどこから?」

「我らの要求を通すために、少々強引な手段に出る時のことを想定して試作を続けたものだ。生徒会室乗っ取りのために準備していた隠し玉だから公にしたくなかったのだが……まあ、君を救うためなら仕方あるまい。これから改良を続けて別物にしてみせるさ」

「曰くがありすぎて素直にありがとうって言っていいのかわかんねえけど、とりあえずありがとうな」

「礼には及ばん。寮長として、寮生の安全は守らねばならんからな。――よし、扉を封鎖せよ!」

「応!」


 寮生たちが扉を閉じ、不良グループを閉じ込める。二人がかりで抑えているうちに、残りのメンバーが廃材を手際よく運んでバリケードを作り上げた。


「これでしばらく出られまい。塚本君、今のうちに通報しておくとしよう。廃墟扱いをされているが、確かここの土地は先日とあるグループ企業の所有になったはず。不法侵入の罪に問えば、無罪放免にはなるまいよ」

「ああ、そうだな。一度捕まれば、余罪も色々出てきそうだし」


 悪さばかりしている有名な不良グループらしいし、警察をぶつければ平穏な日々が戻ってくることだろう。

 まさか、一日で110番と119番を両方利用する日が来るとは思ってなかったよ。

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