恋といくさの裏ばなし ~俺と、豊臣秀吉と、そして~

桃島つくも

歴史ミステリーだと思った?

<第一幕 豊臣秀吉>


 その日は、二学期の中間テストの最終日、午後からはフリー。

 高校生やって三年目になるが、この日が一番解放感に溢れている、と思う。今日一日くらいは、勉強は無しだから。


 試験が終了した後、俺、鍵山幹二カギヤマ カンジは食堂の横の自販機コーナーで、やたらと甘い紙パックのコーヒー……いや、コーヒー牛乳か、をストローで啜りながら、友人の篠原信一シノハラ シンイチとダベっている。

 俺もシンイチも我が高校の「歴史研究部」だ。シンイチが部長で、俺が副部長。

 三年生は俺たち二人だけ。後は、二年生が一人、一年生が三人の弱小文化部だ。ちなみに全員男。

「一昨年は伊達政宗、去年は真田幸村、今年はどーするかなあ」

「本音を言えば立花宗茂とかやりたいんだけどな」

「去年の幸村でもそこまで人来なかったし……やっぱ一般には信長クラスの知名度がないとだめかなあ」

 試験が終わったのに帰りもせずこうして話しているのは、一ヶ月後に迫った今年の文化祭の企画を考えているから、である。

「そう言えば、今度また『本能寺の変』が題材の映画ができるとかネットで見たな」

「本能寺の変と言えば、僕には言いたいことが山とあるよ」

 おっ、シンイチにスイッチが入ってしまったようだ。こうなると長いぞ。

 シンイチは眼鏡が似合う、いかにも頭がよさそうな、シュッとしたイケメンだ(と男の俺でも思う)。

 いや頭がよさそうじゃなくて、実際にいいのだ。三年間ずうっと特進クラスで、第一志望の、誰でも名前知ってる東京の有名私大に合格確実視されている。

 だから、テストの話なんかする気はない。シンイチにを聞いても、よかったに決まっているのだ、俺と違って。

 そんな彼が何で一般クラスの俺と友達なのかと言えば、二人とも、重度の歴オタだからに他ならない。


「なんだなんだ、光秀謀反の動機の新説でも入手したか?」

「それはそれですっごく興味はあるケド、事が起こったときの秀吉の話だよ」

「『中国大返し』、か?」

「それ。カンジくん、巷説は知ってるよね?」

「おうよ。秀吉が、毛利方の備中高松城を水攻めで包囲していた時、光秀から毛利方に放たれた間者が間違って秀吉の陣に行っちゃって捕らえられて、で、密書を読んで秀吉は信長が討たれたことを知る。秀吉は泣き崩れるが、軍師の黒田官兵衛から『殿、ご運が開けましたぞ』とか何とか言われて気を取り直す。で、毛利方とソッコーで和睦すると、備中から京に向かって爆速、およそ十日で引き返し、山崎の戦いで光秀を破り主君の仇を討つ……と」

「どう思う?」

「……ウソっぽいよな。だいたいそんなマヌケな間者がいるんかね」

「同感だよ。これは完全に後世の創作だと思うな。研究結果によると、その時の豊臣方の陣と毛利方の陣は何キロも離れていたんだって。どんなマヌケな間者でも、間違えようがないらしい」

「ほう」

「もし光秀の間者を捕らえたのなら、普通に、戦場のもっと手前で忍びの者たちが警戒網を張っていて、そこに引っかかったということだと思う――でも、それでも説明がつかない点があるんだ」

「何が?」

 シンイチの喋りが、熱を帯び始めた。

「秀吉はどうして密書の内容が事実だと判断したのかってこと」

「あっ……」

「敵方の情報だよ? 偽書やニセ情報の可能性は考えなくてよかったの? ってこと。この場合の黒田官兵衛のセリフは、『殿、ご運が開けましたぞ』じゃなくて、『殿、これは敵の罠かもしれませんぞ』であるのが普通じゃない? 考えてもみなよ。今、秀吉は敵の城を水攻め包囲してるんだよ? もし、ニセ情報に引っかかって、無断で適当な和睦して包囲を解いて、のこのこ京に戻ってきたりしたら……主君はあの信長だよ?」

「切腹だな。百パーセント、いや千パーセント切腹だ」

「だよね。こっちからも誰か派遣して真偽を確かめるまで、動くことはできなかったはずなんだ」

「それじゃあ……」

「うん、答えは一つしかない。秀吉は自前の情報、信用できる自らの手の者の連絡で本能寺の変を知った、それ以外にない。今後ドラマや映画でも……秀吉は敵方の情報で信長討たれるを知りました、ましてや陣に紛れ込んできたマヌケな間者を捕まえたらこんなもの持ってました、なんて展開は、絶対やるべきじゃないと思うな」

「……やっぱその辺、謎が多いよな~。大返しにしたってやたらと手際がいいし……『その人物が死んで一番得をした人間が犯人』という推理小説の基本から考えて、秀吉こそ光秀と組んで本能寺の変を起こした黒幕だった、って言う人もいるもんな」

「秀吉と光秀が同盟組むほど仲がよかったとは思えないし……大返しの手際がいいのは、元々信長の本隊が中国制圧に向かう時のために整備を済ませていたから、何も不思議ではない、という歴史研究家も多いみたいだけどね。でも、僕も疑いを持っている点があるよ」


 紙パックのイチゴ牛乳を一口飲んで、シンイチは続けた。

「まず、本能寺の変が起きたのは六月二日の深夜だってこと、覚えといてね。で、『浅野家文書』と言われている秀吉が織田信孝に宛てて書いた書簡があるんだけど……」

「信孝って、信長の三男で……秀吉の政敵だよな」

「おう、さすがカンジくんだね……そうだよ、織田家の実権を握りたい秀吉と対立し、頼りにしてた柴田勝家が敗死した後、切腹に追い込まれた人だ」

「確か、『何とかかんとか……報いを待てや羽柴筑前』ってすっごい辞世の句を残して死んだとか……」

「まあそれは後世の創作かもしれないけど、相当秀吉を恨みながら死んでいったのは間違いないと思う。ともあれ、その織田信孝に宛てた書簡で、秀吉は、高松城を出たのは六月六日と言ってるんだ。で、翌七日には秀吉軍は姫路に入ってるんだけど……高松城と姫路は、約百キロ離れてるんだ」

「百キロ!?」

「そう、およそフルマラソン二本分+ハーフマラソン一本分を一日で進んだって言うんだよ? 大軍を率いて――」

「うっそで~」

「明らかに嘘だよ。だから、高松城を出たのはもっと早かったとしか思えないんだよ。例えば六月四日に出発したら、四、五、六の、割る三で平均一日三十キロ強……これだって十分な神速レベルだけど……」

「一日百キロに比べればまだ実現可能に思えるな」

「だよね。で、僕が関心があるのは、何で秀吉は信孝にそんな嘘をつく必要があったのか、ってこと。歴史研究家の中には、秀吉が己の能力の高さを示そうと、話を『盛った』んじゃないかって言う人もいるんだけど……こんな高校生にも分かるレベルの嘘を言って、何の意味があったのか疑問だよ。僕には信じられない」

「じゃあ、シンイチの推理は?」

「秀吉はいつ高松城を出たのか、ひいてはいつ本能寺の変を知ったのかを、隠さなきゃいけない理由があったってことさ。さっき言ったように、六月七日に姫路に着くには、遅くとも、六月四日には出発する必要があったと思う。そのためには、まず、毛利方と和睦しなきゃならない。人たらしの秀吉のことだから、既に毛利方の何人か調略済みで、話はスムーズに進んだのかもしれない。でも、それなりのセレモニーを行う時間はかかったはずだよ」

「あー、高松城の城主が、湖になった城の前で、小舟の上で腹を切るってやつか。ドラマでよく見るヤツだ」

「清水宗治って、立派な武将だったらしいけどね。とにかく、六月二日の深夜に本能寺が炎上してから動き始めたって、遅いような気がするんだ」

「じゃあやっぱり秀吉黒幕説か!?」

「そうじゃないけど、これだけは間違いないんじゃないかと思う。秀吉は己の情報網によって、本能寺の変が起きることを事前に知っていたんだ。いや、それは言い過ぎだな、光秀が謀反を起こすかもしれないという確度の高い情報を持ってたんだ。だから手の者に光秀の動きを監視させる一方で、もし事が起こったら自分はどう動くのかというシナリオを完成させていたんだと思う。もしかしたら、土壇場で光秀が臆病風に吹かれて、決起を中止する可能性もあっただろうからね……それこそ老ノ坂で光秀軍が京に向かうのを見届けてから、密使が秀吉のもとに走ったんじゃないかな。で、後は用意していたシナリオの通りに動いた……と、そういうことだよ」

「はー、シンイチがそう言うと、無茶苦茶説得力があるなあ。でも、そんな謀反の情報を持っていたんだったら、信長に伝えておけばよかったのにね」

「そう、そこだよ!!」

 シンイチの声が、ワンオクターブ高くなった。


「秀吉には本能寺の変を防ぐことができたと思うんだ。前もって信長に、光秀に不穏な動きがあると注進していれば、僅かな手勢で本能寺に泊まって、のんきにお茶なんか飲んでなかったはずなんだ。光秀が謀反を起こさなかったとしても自分には何の損もないし、もし起こせば自分にとっては大チャンス……そう思って様子を見てたんだろうね。とにかく、僕の意見では、秀吉は情報を持っていたのに黙っていた重罪人だよ。さっき言った『浅野家文書』の件だけど、嘘を言った理由は、それこそ清洲会議みたいな場で信孝から『こいつは父上に危機が迫っていたのに何も言わなかった不忠者だ!』と言われたくなかったから――そう考える方が、話を盛った説なんかより、はるかに腑に落ちるんだよね」

「おもしれえな! よおし、文化祭の企画は秀吉でいくか!」

「いや、それはチョット考えさせて」

「何で!?」

「だってさあ……政宗とか、幸村に比べて、秀吉ってさあ、何かイケメン感がないじゃん。イケメンじゃなかったら、女の子見に来ないじゃん」

「結局そこかよ!」

「彼女持ちのカンジくんには言われたくないよっ! あ、今日もこの後会うんだったっけ? ごめんね、時間とって」

「いや、それはいいよ。選択科目が違うから、今日は最初から帰りもバラバラだったし」

「あー、うらやましいなあ、幼なじみの彼女……リア充は木っ端微塵に吹っ飛んじゃえばいいのに」

「そう言うなよ、シンイチだって、もし高校でできなかったとしても、大学に行きゃ花の東京ですぐにできるさ」

 席を立ちながら、俺は続けて言った。

「とにかくこれが高校最後の文化祭だ。どんな企画でも、シンイチが選んだものなら全面的に支持するよ。バシッと決めようぜ」

「おう」

 グータッチをして、俺は鞄を抱えると、シンイチと別れて歩き出す。

(そういえば、の好きなアニメじゃ、秀吉も無理やりワンコ系のイケメンになってたなあ……)

 俺はみのりの、少しウェーブがかかったセミロングヘアに丸い眼鏡の顔、小柄なシルエットを思い浮かべていた。

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