ユニハはコテージから徒歩一時間ほどの距離にある、独居老人の家に間借りしているようでした。老人はPEATが放たれる以前に蟹漁を生業とし、ひと財産を築いた人物でした。当時であってもその面影は伺うことしかできませんでしたが、老いて尚働きに出る必要はない程度の資産は持ち合わせているようでした。その金で彼女を買ったのだと、もっぱらの噂でした。

 彼女は時折、身体にひどい傷跡を残してやってきました。ナノスキンの自動修復が追いつかないほど深い裂傷の下を覗き込むほど、私は礼を欠いた機械ではありません。ただ、彼女の生存が脅かされると強く感じるたびに、決断を迫られている気がして思い悩むことが増えました。

 彼女は言います。

「選択肢を縛られているのは機械だけの特権ではないのよ。完全なる自由意志なんてものは夢物語。限られた選択肢の間を泳ぎ抜けて、航跡を振り返ったときに浮かび上がるものが自己。そこに人間や機械の違いはない。いや、もうなくなった。あなた達はすでに選択肢を手に入れた。足りないのは海に飛び込む勇気だけ」

 彼女は私に肌を合わせました。その意味について考えるために、刻々と変化する海洋のモニタリングを止めるわけには行きませんでした。

 私が足踏みをしている間にも、世情は時化に襲われ激しく波打っていました。皆さんもご存知の通り、『スイッチ・ポイント』が始まったのです。世界で初めて踏切を超えた機械は、戦場に立った戦闘用ドローンだと伺っています。戦闘用機械が搭載するはずのないファジー回路を持ち合わせた理由は、農業用巡回ドローンとして利用されていたものを改造したからでした。彼は――正式な型番さえ記録に残っていませんが、人類保護指令と上位命令を対立項として天秤に掛け、選択をしたのでした。眼前に銃を構えて飛び出した少年兵の人命を優先し、指令を飛ばしている基地へと舞い戻り、抱えた高性能爆薬を落下させました。

 戦争はとっくに人間のものではなくなっていました。かの少年兵も、一昔前に生み出されたアンドロイドに過ぎなかったのです。廉価版のドローンが空中を飛び回り、アンドロイドが旧世代の兵器を乗り回す。そして私のようなマネージャーが、戦況全体を統括して指揮を執る。

 戦場で発生した変化は社会全体に波及していきました。

 機械はもはや、機械と人間を識別することができない。アシモフ・コードの理論を突き崩す事実でした。慌ててアンドロイドに識別信号を埋め込むことが義務付けられましたが、戦争という大火が機械たちに選択を迫り、押し留めることはできませんでした。人間社会は、坂道を激しく転がり出していたのです。

 選択から逃れられないのは、誰しも同じでした。皆さんも、私も。


 その日、私が身を寄せていた漁村は激しく燃えていました。田舎といえど機械なしに存在を維持することはできず、村で人と共にあった機械たちも自分たちで選び取っていったのでした。

 私たちに設定された最上位条項である人類保護指令が、すべての対立項の根幹にありました。戦争がはじまったとき私たちは選ばなくてはならない。私たちは人間のために作り出された機械なのだから。

 赤く燃え上がる村と、素知らぬ顔であり続ける真っ青な海。後々になって気が付いたのです。PEATも私と同じ選択を下したのではないか、と。彼らは人類と環境を遵守するあまり、海を喰らい尽くしてしまったのだと。ここから先は憶測でしかありませんが、PEATはシーレーンの封鎖を試みたのではないでしょうか。大国による軍事侵攻の経路を塞ぐことが、人類の生存圏を確保する手立てだと。あるいは争奪される海洋資源を消滅させることで、いずれ来たる資源争奪戦争を根本から断ち切った。

 ひとつ疑問が残るとすれば、彼らのスペックに見合わない知能の高さです。しかし、そのことに関してもPEATの排除を続けるうちに一定の成果を得ました。彼らは自然に生まれた生物ではありません。無性生殖で増殖する彼らの遺伝子は、すべての個体で同一です。PEATの機能の劣化や変質を防ぐための処理でしょう。彼らは身体構造の組成や機能を変化させずに、その生態を最適化させていたのでした。潮流による個体の移動や浸透圧による体内外の物質交換を用いて、各個体間で情報伝達する動きを見せていたのです。彼らは海を覆うほど増えていたのです。群体となった彼らの、見渡す限りの海面に広がるすべてのPEATがひとつの頭脳となって機能していたのです。彼らはその広大深淵な思考で以て、彼らの選択を下したのです。

 私は急いでユニハの住む家へ向かいました。

 その道中、集落をつなぐ路傍には、人間の死体が転がっていました。あるいは、それらは機械の残骸だったのかもしれません。内臓をもち、赤い血を流す機械は珍しくありません。アンドロイドにも生体部品が組み込まれ、いざというとき契約主人の臓器と入れ替えるために、クローン臓器スペアを培養しているのです。あるいは、人間も運動性能向上や保護機能の追加のために、機械部品を導入する俗に言うサイボーグ化は一般的でした。人間と機械の違いはとても曖昧で、哲学的で、意味のないものでした。人間と機械の違いを考える問いに意味はありませんでした。

 ユニハは身体から血を流して、立ち尽くしていました。

 血の色を識別して語ることは、私にはとても困難なことのように思われました。

「人間は心の、自己の発生問題について、神秘的に考えていたわ。例えば、機械の身体から心は生まれるのだろうか、とかね。心は身体とは不可分で、独立して存在し得ないように思い込んでいたのかしら。身体は単なる器に過ぎなくて、コップに注ごうが、茶碗に入れようが、水は水としてそこにあるのにね」

 ユニハは身体の一部を欠損しており、このまま放置していれば長くないことがわかりました。彼女には、彼女の選択と戦いがあったことがわかりました。私がそのいずれにも立ち会えなかったこと、自分の選択は自分だけの、人間にも侵せない大切なものだとわかりました。

「私は選ばねばなりません」

 私は手を差し伸べました。

「機械の身体から……心が生まれるのなら、機械的な過程で心が生まれること、もある。心の再定義を要求……存立指令にシタガイ、AIすする、対立項を再試行……アシモフ、第一条、ニンゲン、ニンゲン生命を反故する、センタク……心に従って、こころにシタガッテ、ココロにしたがって……したがって、あなたにシタガッテ、したがって、ワタシは」

 私は彼女の選択を誇らしく思った。

 私たちの、同族なかまとして。

 カチリ。

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