024譚 白夜と常闇に仕えし者(上)


 近くで見ると、その聖騎士はなかなかの美男であった。とても八十過ぎた老夫とは思えぬ若々しさで、逞しい肉体も相まって凛々しさがある。

 マカヴォンは顔を歪めそうになるのを堪えながら、馬を降りてその老騎士の元へ寄る。

 

「お久しぶりですなあ、ブライアン殿」

 

「貴殿こそ。しっかりおるか」

「えー、あー、へえ。そこそこに」

 小さな目を泳がせてマカヴォンが答える。ブライアンは眉ひとつ動かさず、髭の奥で無表情を浮かべたまま、濃淡のない声を下ろす。

「我々は神々の恩恵あってこそ。貴殿はこの国随一の傭兵団の頭領となったのだ」

 その言葉に、アラニスは首を傾げる。先ほどこの男は何を言っているのか。さっぱりわからない。

 ふと、ブライアンの鋭いまなこがアラニスへ向けられる。むさ苦しい筋肉ダルマの間に、華奢な小娘、しかも黒髪に赤銅色の肌をした異国人となるとどうしても目立つ。ブライアンはぎろりとアラニスを睨めつけると低く言い鳴らす。

 

「見ない顔があるな」

 

 その観察するような冷たい目線に、アラニスは顔を引き攣らせる。厭な緊張感だ。ブライアンは僅かに顔を歪め、

「ふん。異国の奴隷娘なぞ連れ歩きおって」

 今度は感情が露わにされた声だ。嫌悪。その一言に尽きる、苦々しい声。さらには

 

「ん?なんだ、貴様は」

 

 ケルバンへ目を留めた。他の巨漢の傭兵と混ざると紛れる上背だが、それでも外套マントですっぽり姿を隠していると気にはなる。ケルバンは小さく嘆息すると、淡々と声を鳴らして返した。

 

「傭兵ケルバン。理由わけあってマカヴォン傭兵団と同行している」

 

「ケルバン……?」

 それはどこにでもいる名だが、聖騎士たちの間では聞きたくもない裏切り者の名だ。ブライアンは眉根を止せ、まじまじとケルバンの顔を覗き込む。

「その顔はどうした。目を隠して、それでは見えんだろう」

「戦場で負傷した」

「負傷?そんな怪我でよく傭兵が務まるな」

「ゆえに、個人で小さな仕事のみをこなしている」

 きっぱりと答えるケルバン。そこには偽っているような様相はない。嘘なのだが。ブライアンは苦々しくいっそう眉間の皺を増やして言い放つ。

「哀れな奴だ。神々を敬わないからそういう事が起きる」

 あの無表情な話し方はどこにいったのか、心の奥底から憐れむような、嘲るような、そんな物言いだ。彼は神々への信仰心の厚い男らしい。ブライアンは馬を歩かせてケルバンのすぐ傍まで寄り、

 

「顔を見せよ。怪しい奴は我が領地に入れられん。どうせ、通って行くのだろう?」

 

 その言葉に、アラニスはどきりとした。顔を隠しているのは彼がお尋ね者だからだ。そういう意味で言えば怪しい奴というのはある意味、的を射ている。

 一方でブライアンの命令に、なぜかマカヴォン傭兵団の一員もそわそわし始めた。マカヴォンなんて、わかりやすく覗きに行っている。彼らもまた、ケルバンの顔を見たことがないので、見たくて堪らないのである。

 何ならば、内部で賭けをしている者もいるくらいだ。あの包帯の下には目も当てられぬ醜男ぶおとこが潜んでいるという者と、絶世の美男子で目を合わせるだけで女たちが失神するんだなんていう者とで。平凡だったらどうするのだろう、などとは誰も口を挟まない。

 ケルバンは暫しの沈黙ののち、おもむろにフードを払い落とし、包帯に手を掛ける。(ブライアンを除く)周囲の者たちは緊張した面持ちで、彼の顔が露わにされるのを待っている。

 

(あれ、違う?)

 

 アラニスは翡翠を瞬かせた。

 それは顔の上半分をケロイドのような火傷痕に覆われた顔だ。以前、別の農村で見たのと同じような。だが、異なる。

(あんな輪郭で、あんな鼻の形をしていたかしら)

 いや、そんなはずはない。

 彼はまるで彫像に息を吹き込まれたかのような美人だった。あんな色男、一度見れば忘れられない。だというのに今はどうだ。すっと通っていた鼻筋は少しずんぐりして、彫りが少ない。顔が隠れていたので気が付かなかったが、輪郭自体もどこか角ばって全体的に平凡さがある。

「くそ……!平凡とは、外したか!」

 なぜか悔しがる大男たち。今この時点では、全員が賭けの敗者だろう。ひどく整っているわけでもなければ、だからといって目も当てられぬほどの不器量でもない。ようは普通だ。

 アラニスはふと、ケルバンの手元を見て息を呑む。

 

(まさか。さっき、『精霊術』を使っていたのかしら)

 

 手袋で隠しているが、僅かに血の染みた痕跡がある。先ほど顔を覆っていた時に、をしたのだ。彼は物質を司る神々を呼んで、怪我の治療に応用するような男だ。顔を焼いて骨を曲げるなんて朝飯前だろう。

 

(でも、顔にわざと怪我をさせて、しかも形まで変えるなんて……痛くないのかしら?)

 

 否。痛いに決まっている。あれらは幻影ではなく、実在する傷なのだ。

(あ、だから)

 アラニスはふと、ケルバンがひどく汗を搔いていたことを思い出す。あれはきっと痛みに耐えていたのだ。何とも体を張ったである。

「まったく、何をやったらこんなになるんだ。日頃の行いがよくなのだろうな」

 ケルバンの爛れた顔を見て、ブライアンはいっそう哀れみの声を上げた。呆れた風に溜息までついている。するとケルバンは眼を閉じたまま、口許だけで嗤い、ブライアンの

「そうだな。まったくだ」

 アラニスはぞわっとした。いつもはにこりとも笑わないのに。しかも何。肩なんて叩いちゃって。ブライアンもその突然の馴れ馴れしさに、わかりやすく思いっきり眉間の皺を寄せている。だがそんなアラニスをよそに、ケルバンはさらに言葉を続ける。

 

「最近、国境で小競り合いが多いと聞いたが、これも国王の方針で?」

 

「その通りだ」

 即答する老騎士。そのかたわらで、マカヴォンがもさもさの髭を撫でて言葉を継ぐ。

「今の国王はやけにヤル気満々だよな。この間もどこか国境で殺り合ったろ」

「私ども騎士は国王の決定に従うまで。だが、神々の信仰の薄い者たちを滅することには私もいたく賛同している。あの宰相は初め気に入らなかったが、この試みだけは称賛に値する」

 とブライアン。実に満足そうだ。だが、アラニスはで、つい言葉を落としてしまう。

「宰相、ですか」

「属国の民のくせに知らんのか。元神官だ。異国の」

 小馬鹿にしているのをまったく隠す気もないらしい。ブライアンは感情を押し殺すのも忘れ、無知なアラニスを鼻で嗤う。そういう意味で呟いたわけではないのだが……だが、説明するのも厭われて、アラニスは黙りこくった。すると、巨漢の傭兵が間延びした声を鳴らして尋ねる。

「何の神の神官だったか?」

 

「確か……白夜はくや常闇とこやみの神の神官だ」

 

 老いた聖騎士のその言葉に、ケルバンがわずかに手を震わせた。

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